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理想の珈琲の定義 (4)
僕にとっての「理想の珈琲」に通じる四つの定義。
その最後となる第4の条件は、

<4>カビ毒の不安がない豆であること

です。

皆さんも、珈琲を飲んで急に「胃がムカムカ」したり「胸が気持ち悪くなった」事がありませんか?
それは珈琲豆に生えていた「毒カビ」の影響(症状)である可能性が極めて大きいと思います。

一般に「珈琲豆」を含め、輸入の穀類や種実類には非常に強力な発ガン性を持つ猛毒カビ(アフラトキシン、オクラトキシン)が生えている危険性が「国会」等でも厳しく指摘され問題視されている現状にあります。

よく馬鹿の一つ覚えで「胸がむかむかするのは珈琲が古い証拠」と言う人がいますが、古くなった珈琲の過酸化脂質の害の場合は胸のムカムカではなく、「腹痛」や「下痢」になります。

●毒カビ→「胸のムカムカ・食道の痛み・悪心吐気」(胸より上の害)

●古い酸化→「腹痛・腸の乱調・下痢」(腹より下の害)

です。

くれぐれも無責任に混同して語らないで下さい。両者はまったく別のものです。

実は、僕が自宅で珈琲の自宅焙煎をしているのも、嘘や偽りのない自分自身の目によるハンドピックで「毒カビ豆」をすべて除去し、安心安全な珈琲を飲めるからと言う事がその最大の理由なのです。
インドネシアや中南米の「安い豆」や「有機豆」は特にひどいです。
せっかく買った生豆の袋を開けてみたら、あまりにもカビ豆が多すぎて恐ろしくなり袋ごと商品を捨てた事も一度や二度ではありません。

ご参考までに、こちらのサイト様などが非常に判りやすい 「カビ豆の画像」 や 「欠点豆の画像」 をご掲載されています。
まずは、そのおぞましい姿をしっかりとご覧になって下さい。

どうです?
今まで知らずにこんなカビ豆入りの珈琲を飲んでいたのですから、嫌な胸のムカムカ、ひどい吐き気、強い悪心や体調の悪化などなど…起きて当然の事だったのです。

こんな珈琲豆が堂々と市販され、市中を流通しているのですから全く油断ができません。
ところが、「なまの状態」の珈琲豆など見た事のない人が99.99%でしょう。ですから珈琲のカビ豆があまり新聞などで問題にならないのだと思います。
僕も自宅焙煎をするようになり「珈琲の生豆」を入手して、初めてかび豆の存在を知りました。

しかし、一定量のカビ豆が市中に「流通している」と言う事は、僕達はそれを「知らずに飲んでいる」と言う事です。
実際、生の豆の状態ですと緑色の黴(カビ)に気付く事ができるのですが、それを焙煎してしまうと全体の中で同じこげ茶色になり、見た目はほとんど判らなくなってしまいます。
ですが、かび毒の正体であるアフラトキシンは地上最強の発ガン物質であるうえ、熱に非常に強くその猛毒性は焙煎の熱程度ではまったく分解されず消えません。

さらに豆を挽いて「粉」や「飲料」にしてしまえば、カビの外見は完全に判らなくなってしまいます。ですが「粉」にしようと「液体」にしようと、当然その猛毒性はそのまま珈琲の中に存在しています。
世の中の大部分の人が、珈琲を「粉」や「飲料」の商品状態で手にする訳ですから、これではチェックのしようがありませんし、珈琲にカビ豆という危険な物があることさえ知る人はほとんどいないでしょう。

ただ、知らなくても、珈琲を飲んだら、なぜかひどい胸焼けが起きたとか、すごく胃がむかむかしたとか、強い吐き気に悩まされたとか、いやな悪心で苦しんだとか、などの経験は皆さんあると思います。

僕も過去、市販品の珈琲を飲んで、何度も死にそうなほど重篤な「胃のムカムカ」や「胸の悪心・吐き気」に見舞われ、いつも不思議に思っていました。
しかし、自宅焙煎を始めて生の豆を手にするようになり、その原因が珈琲のカビ豆にあると判ってからは、生活必需品と言えるほど大好きな珈琲ですが、もう珈琲を飲むなら自宅焙煎で自分を守る以外にはないと思うようになりました。

特に、ある自家焙煎店で購入した珈琲豆は本当に最悪の猛毒珈琲で、その猛毒珈琲を飲んでから5分も経たずに胸が強くムカムカして気持ちが悪くなり、口中に酸っぱい唾液が出て来て、ひどい悪心が生じ、強い吐き気が起こり、そのまま重篤な症状に陥ってダウン。
そのまま一日死ぬ思いのまま寝たきりで、その後も三日間位は凄まじいダメージが残りろくに物を食べられず、一週間は胸に何か硬くて尖った物が常時つっかえている感じがあり、半月位は珈琲を見るのもイヤで、その後も二ヶ月以上も胃が時折痛むと言う、今でもトラウマとして残るほど恐ろしい地獄の体験をさせられました。

そのお店の珈琲豆、恐らくカビ毒の量が半端ではなく多く含まれていたのでしょう。その体験を今から振り返ると、危うくもう少しで「致死量」だったのではないかとさえ思えます。

過去、そんな猛毒珈琲を買ってしまったことが二度あります。
両方の店とも、店頭やHPに「読めば絶対買いたくなる」ような素晴らしい珈琲である旨の説明が書かれていたのですが、実際は、最低のクズ豆をハンドピックの「ハ」の字もせず、美辞麗句でまくし立て、高く売りつけられてしまった訳です。

まさに「だまし討ち」です。もちろん、その残りの豆はすべて処分しました。
金銭的にも、肉体的にも、精神的にも、実に高い勉強代になってしまいました。
何より、飲食物としてこんなに危険極まりない物を、加害者としての自覚もなく罪悪の意識も持たず、大量に売って平然としている焙煎者の無責任さと無能さに腹が立ちます。

本来なら、ぜひその二店の実名を公開したいところですが…我慢します。

それにしても、なんとも、もの凄い「破壊力」と「殺傷力」です。
こうなるともう珈琲ではなく、ほとんど「凶器」です。

現実に、カビ毒「アフラトキシン」による人間の死亡例が多数報告されています。
1974年インドでアフラトキシンに汚染されたトウモロコシを食べアフラトキシン急性中毒で160人以上が死亡しています。
1982年にはケニアで12人が死亡、2004年にも同じくケニアで125人もの方が死亡しています。
恐ろしい事にインドもケニアも、いずれも「珈琲豆の生産国」であるという点が重要なポイントです。

アフラトキシンB1は地上最強の発癌物質として知られ、その毒性はダイオキシンの10倍以上だそうです。
一度に多く取れば急性中毒で死亡し、極少量ずつ長期にわたって取れば極めて高確率でガンを発生させます。実際、ラットを使った実験では餌にほんのわずか15ppb(10億分の15)混ぜただけで100%肝臓ガンを発生したそうです。

上記のようなアフラトキシンによる死亡例の報告は、ほんの氷山の一角に過ぎず、実際にはおそらく世界中で数万倍の人々が亡くなっていると思います。
なぜなら、一度に亡くなった人の数が多ければ上記のように世界的なニュースになりますが、現実には散発的な一人とか二人とかでの死亡例の方がはるかに多く、全くニュースにならないで埋もれている死亡例が非常に多いと思われるからです。
また、極少量のアフラトキシンを長らく食べた事でガンになってしまい亡くなった方も無数に居るはずと思いますが、これまた普通の病死として扱われてしまい、全くニュースにならないからです。

アフラトキシン(aflatoxin)は、日本でも一応の規制値がありますが、何しろ偽装詐欺や隠蔽犯罪が後を絶たない食品業界の事ですから全く安心できません。
事実、2008年に大阪で起きた「事故米不正転売事件」などでは、過剰な残留農薬や猛毒アフラトキシンに汚染された強制廃棄処分すべき事故米を廃棄せず、10年以上も食品業界へ大量に不正転売していたにも関わらず、それまで全く発覚しなかったのです。
その2年後には再び同様の「カビ米の不正転売事件」が発覚しています。おそらく氷山の一角でしょう。

こうなるともう、日本でガンで亡くなっている人の半分は「煙草」、残りの半分は「不正転売米」が原因なのではないでしょうか?
それにしても、なんと無能で無責任な政府の監視体制でしょう。

果たして「事故米」ならぬ「事故珈琲」が廃棄処理されず、不正に闇ルートや裏取引で流通している可能性はないのでしょうか?
何しろ珈琲は「素人客には安い豆も高い豆も珈琲豆はすべて同じに見える」とか、「事故品豆や毒カビ豆も深く焙煎してしまえば見た目では一切判らなくなる」などなどの非常に恐い商品特性を持っています。
そう言う意味で「珈琲は特に産地偽装や事故品転売の対象に成りやすい商品である」と言う苦々しい現実を、僕達はくれぐれも常に念頭に置いておく必要があります。

また、同じく猛毒性を持つオクラトキシン(ochratoxin)は、欧州(EU)では厳しく規制や監視がされているのに、日本では規制値さえありません。
あまりにも恐ろしい怠慢に開いた口がふさがりません。日本では行政は何のために存在しているのでしょう。

なお、誤解して欲しくないのは、全てのカビが猛毒や有毒ではないと言う事です。アフラトキシン類は、珈琲豆をはじめ、穀類、落花生、ナッツ、ドライフルーツ、とうもろこしなどに寄生するアスペルギルス属(Aspergillus, コウジカビ)の中の一部のカビだけが産生する猛毒物です。ブルーチーズなどに熟成や風味付けのために人為的に植え付けられている特定のカビは「無毒」という事になっているようです。

ちなみに生豆のハンドピックをすると判りますが、生の珈琲豆にはブロッカ(ベリーボーラー)と呼ばれる害虫が食害した2mm位の小さな穴が開いている事がよくあります。
一見すると極小さい穴に見えますが、その生豆を割ってみますと中はすっかり害虫に喰われた「がらんどう」状態で、そのポッカリ空いた空間内部に毒かびがビッシリと濃密に生えていたりして、そのおどろおどろしい光景に出くわすと、わが目を疑ってしまいます。
その衝撃の光景を見れば、誰でも顔面からは血の気が引き、背筋が一気に凍り付くはずです。
以後、珈琲を飲む際に強烈なトラウマになること間違いなしです。

しかも、虫喰いの穴の入り口は非常に小さくて目立たないため、すべての豆を360度回転させながら念入りに一粒ずつチェックしない限り、豆の表面上は全く発見しづらい事が最大のネックです。
そのため、機械による色彩選別やラフなハンドピックでは、まず「ほとんどすべて見逃がされている」と考えるべきです。しかし、その中身は恐ろしい「毒カビ爆弾」そのものなのです。

それにしても、なぜ虫喰い穴にこれほど高確率で密集した濃い猛毒カビが生えるのか、その理由は不明ですが、僕の想像ではどうやら害虫が出す消化酵素や分泌物や排泄物などの有機残渣が「猛毒カビの栄養」となってしまうか、実の内部は組織が柔らかいために猛毒カビが菌糸を伸ばし易く一気に繁茂するか、もしくは、単に虫穴には湿気が溜まり易いため猛毒カビが好んで集中して大量に発生するのでしょう。

いずれにしても、猛毒カビが繁茂する虫喰いの穴の入り口は非常に小さいため、僕は白い布の上に生豆を1回当たり30~40gずつ平らに広げて置き、布の前後左右を交互に順番でめくり上げたりしながら、すべての豆を前後左右に360度コロコロと回転させるようにしてハンドピックをしています。
そのように豆一粒ずつの「360度すべての面」をチェックしないと隠れたカビ穴のある豆を完全にはチェックできないのです。実際、豆の転がり方によっては10回目まで見つけられず、11回目に転がして初めてカビ穴が見つかることも少なくありません。
ですから当然に時間がかかります。しかしだからこそ、全幅の信頼を置いて安心して飲める安全なコーヒーになる訳です。

しかし、そうしますと生豆300g当たりのハンドピックに通常は20~30分、特に虫食い豆やカビ豆の多いマンデリン等の場合は300gで1時間近くもかかってしまいます。
もちろんカビ豆以外の欠点豆も同時に除去しますが、そんなに時間をかけていては、業者では採算割れになりますので、到底「同じマネは不可能」なはずです。

「当店は念入りにハンドピックをしています」と言うお店でも、一日に可能なハンドピックの作業時間には自ずと限界がありますので、精度は「それなり」程度に考えた方が良いです。
実際、プラスチック製のトレーなどに豆を広げてハンドピックをしている店では、豆を上側からしか見ていない訳ですから「豆のうら面」や「豆の側面」にあるカビ穴はすべて見逃されてしまっています。
もっとひどいお店なら「ハンドピックしてます」と口で言っているだけで、実際はまったくやっていない店も「決して少なくない」と思います。
ですので、市販の珈琲を飲む場合は、「それなりの覚悟」が必要かと思います。

それでも、まだアラビカ種の珈琲は良い方で、これがロブスタ種の珈琲ともなると、事態は更に一層深刻になります。

例として「ロブスタAP-1」と言う豆がありますが、そのAPとは「アフター・ポリッシュ」の略称だそうで、何を磨いたかと言えば、生豆の表面にビッシリと生えた「カビ」を機械ブラシで「ポリッシュ」(磨き落とし)してから出荷した珈琲なので、そう言う名前になったという事のようなのです。

にわかには信じ難いかも知れませんが、遠い異国の地では「想像を超えた物凄いカビ豆の実態」があるようです。
しかし、金属ブラシで磨く事で、豆の表面に生えたカビの「胞子」は落とせても、豆の内部にまで浸透した「菌糸体」(カビの本体)は落とせないと思うのですが、どうなのでしょうか。

僕は自分ではロブスタの生豆は買った事がありませんが、この話を知ると、よくロブスタ種で淹れた珈琲が「カビ臭い」とか「泥臭い」(いわゆるロブ臭)と言われている理由も、思わず合点が行くと言うものです。
しかし、カビ臭いうえに味はイマイチでも、ロブスタ種は非常に安価ですので、「業務用珈琲」、「インスタント珈琲」、「缶珈琲」など極めて低コストの珈琲に好んで多用されています。

僕はこの話を知って以来、街中のレストランや和食店などでランチサービスやセットものに付いて来る「おまけ」の安い業務用珈琲は避けて別の物をオーダーするようになり、もし珈琲しか選べずに目の前に置かれても、自衛のため全く飲まないようになりました。
市販の缶コーヒーやインスタントコーヒーや安いパック入りコーヒー飲料に至っては、もう何年間も「一滴も」飲んでいません。

自家焙煎店で珈琲豆を買う場合も、過去二度も致命傷レベルの劇毒珈琲の被害に遭って以来、僕は自分のハンドピックの経験に照らしてカビ豆が極めて少なかった銘柄を「私的・安心豆リスト」として一覧表に整理していますので、今では市販の焙煎豆を購入する場合も、その安心リストにある銘柄の豆だけを買うようにしています。
それでももちろん、市販の豆はミルで挽く前に必ず一粒ずつ入念に豆の「カビ痕」をチェックします。油でテカテカで黒々した深煎りだと見分けるのは困難ですが、浅煎りだとカビ痕を発見できて危うく難を免れる事もあります。

逆に、自分のハンドピック経験でカビ豆が極めて多かった銘柄の「私的・超危険豆リスト」も作成しています。その危険リストに掲載された銘柄は、今後は「生豆」でも「焙煎豆」でも買う事は絶対にありません。
その危険豆リストには「現地で○回も入念にハンドピック済です」とか「欠点豆の特に少ない最高級グレードです」などの説明がなされている銘柄の豆も少なからず含まれています。
つまり、「店や商社による豆の解説など高く売るための欺瞞だらけで全く当てにならない」と言うことです。

また、複数の銘柄が匿名で混じった「ブレンド」は、個人焙煎店の場合は呆れるほどの安易な超駄作が多いため、もともと興味の対象外でほとんど買いませんが、もし何かの特別な理由で買う場合もよほど安全品質的に信頼している店でしか買いません。

もちろん「美味しい」「安い」「手軽」「量が多い」「近所」などなど、珈琲店やカフェや珈琲飲料を選ぶ際の基準は人それぞれかと思います。
ですが、やはり口に入れる飲食物なのですから「安全・安心」がすべてに優先し、何より第一条件でしょう。

素晴らしく美味しい珈琲でも、飲んでダメージを受けたり、気分が悪くなったり、体調がひどく悪化したり、
どんなに安い珈琲でも、飲んでガンになったり、死にかけたりでは、本末転倒も甚だしい事になります。

今まで僕が自分で完璧にハンドピックして自宅で焙煎した珈琲豆は30種類以上にもなりますが、それらの珈琲を飲んで胸がムカムカしたり、吐き気が起きたり、悪心になったりと言う事は、今まで全くただの一度たりともありません。もちろん腹痛や下痢も一度もありません。
多い時は、自宅焙煎の珈琲を一日に12~14杯(豆換算で約200g)くらい飲みますし、12~14杯すべてブラックで飲んでも胃が荒れる事さえありません。

ちなみに、長年にわたり自宅焙煎をしていて「30種類」の経験値は少ないと思われるかも知れませんが、僕はありとあらゆる珈琲を飲んだ末、「高級ティピカ」以外の品種は興味の対象外となりました。
ですので、自宅で焙煎する生豆も高級ティピカ以外はほとんど購入せず、極たまにドゥミタスやエスプレッソやアイス用にケニアやブラジルブルボンなどを購入する程度です。
今は「高級ティピカ」の中の同一銘柄でも、クロップ年度の違いやエイジングによる味の変化などを比較し、さらに絞り込んでピンポイント的に「日本一の珈琲」候補の生豆を追求している段階です。

とにかく、ここ数年、僕が何らかの体調不良を起こした珈琲は、すべて市販の焙煎豆と市販の珈琲液によるものです。
この事実が果たして何を意味しているのか、賢い皆さんならもう十分に良くお判り頂けるものと思います。


ちなみに、僕の過去の経験からは、値段の高い豆やスペシャリティを名乗る豆でも毒カビ豆の混入は決してゼロではありませんでした。
しかし逆に、1キロ1000円ほどの普通の豆にも関わらず、どんなに念入りにハンドピックをしても、僅かな欠点豆はあったものの、カビ豆が事実上「ゼロ」と言う素晴らしい逸品珈琲と出合った事が過去に2~3回だけありました。
ただし、多くのカビは虫喰い穴の中に生えるため、「カビ豆≒虫喰い豆」の切っても切れない深い関係があります。
ですので、毒カビ豆が一つもない農園とは → 虫の食害豆が一つもない農園を意味し → 結局、全害虫を殲滅させるほどの「強烈な農薬を常時大量使用している農園」という可能性が疑われます。
そのような農園の場合は、毒カビ豆や虫喰い豆は絶無でも、他の種類の欠点豆は残って見つけられる事で、判断が付きます。

僕の過去の体験では、1キロ5000円ほどの高価な豆ですが、どんなに念入りにハンドピックをしても、欠点豆、カビ豆とも「完璧にゼロ」と言う驚異の豆にも一度だけ出合った事があります。
これは、この農園が「大量の農薬散布」だけで終わらず、その後に「完璧なハンドピック」を念入りに念入りに何回も実施している何よりの証明でしょう。
非常に勤勉な農園の珈琲豆の場合、価格や肩書きに一切関係なく、敬服し脱帽してしまうほどの素晴らしい品質管理が成された珈琲が極めてまれにですが実在するようです。

しかし、その一方で、1キロ4000~6000円を超える高価な豆でも微少なカビのある豆が1%前後は混じっている物が多いのです。
つまり、豆の品質管理は、価格や、肩書きや、触れ込みや、周囲の評判などでは全く判断できないのです。
ですから、真に良い豆を探すなら、店舗の誇大な宣伝や無根拠な解説を信じるのではなく、必ず「自分の目」で探し出す事が絶対に必要です。
念入りなハンドピックも大切ですが、できるなら生豆購入の段階から、そういう素晴らしい高品質豆を厳選した「私的お宝豆リスト」を持ち、毎年の入港時期に合わせて指定買いをすべきだと思います。

その場ではすぐに死ななくても、「その一杯」が重なれば、数年後には致命傷のガンになるかも知れません。数千円程度の値段の差を、自分の命には代えられません。

また、購入した生豆を自宅で保管する場合も、保管の温度や湿度、直射日光等にくれぐれも注意が必要です。
僕はワインも好きなので完全無振動型のワインセラーを3台持っていますが、そのうちの1台を珈琲の生豆専用に使用し、年間を通してほぼ14度前後の温度と低湿度、完全紫外線カットの環境下で生豆を保管しています。パーチメントから取り出した生豆は、梅雨の高湿度、夏の高温や直射日光には絶対にさらさない事が大切と言われています。

ただし、ほぼ100%を遠い外国からの輸入に頼っている珈琲豆は、カビ毒以外にもかなり危険な一面があります。
それは、日本では想像も出来ないほど大規模で広大な巨大プランテーション農場における大量の「農薬」使用、そして過去にその危険性から日本では使用が全面禁止になった農薬がいまだに珈琲生産国では多用されていると言う現実です。
さらに、輸入検疫時に行われる強力殺虫剤による珈琲豆の長時間「燻蒸処理」も、知れば知るほど、実に恐ろしいものがあります。

もともと、珈琲はあらゆる農作物の中で三番目に農薬が多く使われているうえ、ほとんどの豆は輸入検疫時に外来の害虫を陸揚げしないよう強力な殺虫剤で長時間の燻蒸をされているのだそうです。
これではたとえ毒カビ豆がなかったとしても、大量の農薬や殺虫剤の強い毒性が気になって仕方がありません。

2008年にエチオピア産モカから安全基準値以上の残留農薬が検出され、輸入がストップしたのは珈琲好きの人なら記憶に新しい事でしょう。
この時も多くの自家焙煎店は「大げさ過ぎる。飲んでも全く問題ない程度の微量の農薬だ。」「なぜ他の野菜類より珈琲は農薬基準が厳しいのか。早く輸入再開させろ。」などとHPやブログで口を揃えて抗議をしていました。
ですが、皆さんは本当の真実をご存知でしょうか?厚生労働省の発表によれば、2008年エチオピア産モカからは、危険すぎる過激農薬として日本で何十年も前に禁止された禁止農薬「DDT」が、なんと安全基準値の「13倍」も多く検出されていたのです。
ほとんどの報道では単に「基準値を超えた農薬を検出」としか書かれていないため、「認可農薬がたまたま基準値を5~10%位オーバーした程度」なのかと、真実を知らずに誤解をしている方が多いのではないでしょうか。
また、こう言う書き方は、意図的にその方向に消費者を誘導しているようにも受取れます。

13倍もの禁止農薬が検出されているのに「全く問題ない微量の農薬」のはずがありません。
このような「恐怖の農薬DDT」が安全基準値の13倍も含まれていた事実をひた隠しにし、その劇毒珈琲を「大丈夫大丈夫、全然大した問題ではない」「こんな微量で、役所は大げさに騒ぎすぎだ」などと、平然とのたまう珈琲業者の頭の中は一体どうなっているのでしょうか?

自分で検証した訳でもないのに「農薬は焙煎の熱で分解されるから大丈夫」などと無根拠な放言をする無責任な人まで居たりして驚きますが、珈琲の焙煎温度など、わずか「180~240℃」程度なのです。
そんな200℃前後ではあまりにも低温すぎて農薬を完全に焼き尽くし蒸発させる事など全くできません。できる訳が一切ありません。

それどころか、僕はむしろ「焙煎の熱で農薬が化学変化し、未知のさらに有害な物質が焼成される危険性」の方がずっと高いと見ています。
つまり、もしも万一、焙煎後にその農薬が検出されなくなったとしても、それは農薬が消滅した訳ではなく熱で化学変化して変異し、「更にもっと危険な別の化学式の物質」になっただけの可能性があると言う事です。
そもそも実際に「有機塩素系農薬」の製造過程の副産物としてダイオキシンが生成されてしまう位なのですから、農薬をヘタに加熱分解すれば異常に危険な未知の超猛毒物質が焼成されても何の不思議もありません。

実際、その道の専門研究家によれば、ダイオキシンや他の有害燃焼物質の多くは、各種有機物の不完全燃焼によって焼成され、それは主として燃焼温度が低すぎる場合、特に「200~600℃の間」で顕著に起きるとの事です。
つまり、なんとも恐ろしい事に「珈琲の焙煎温度」はそっくりその危険温度帯に該当してしまうのが現実なのです。
ゴミの焼却炉でも、最低「800℃以上」の高温で長く完全燃焼させないと危険なダイオキシン類などの有害物質が焼成されてしまうのは常識中の常識です。
しかも本当なら「950℃以上」での焼却が望ましいのですが、燃焼が高温すぎるとすぐに炉が傷み寿命が極端に短くなってしまうため800℃程度で妥協しているのが現状なのです。

もし200℃程度の加熱で本当に農薬がすべて消滅して「安全になる」と主張するのであれば、ぜひその人に珈琲栽培に使用されている農薬数十種類をすべて混ぜた「劇毒薬」を200℃程度で15分ほど加熱した物を1kgほど飲んでみて欲しいものです。
果たしてその人は飲めるのでしょうか?その人が「嘘を付いていない」ならもちろん当然に「飲める」はずなのです。
もしも万一飲めないなら、その人は珈琲業界から駆逐されるべき最悪レベルの「大嘘つき」だと言う事です。
そのような「最悪の大嘘つき」の忌むべき珈琲店など取り壊し、偽計と虚説で塗り固めて客を騙し稼いだ金は全て没収処分にすべきです。
本来、飲食物を扱う人の公的発言はそれ位の重い責任を負うべきなのです。
それが周囲や監督官庁が見て見ぬふりをして甘いため、いまだに食品業界では平然と「大嘘」を付くヤカラが生息し、偽装詐欺や隠蔽犯罪が後を絶たないのです。

いずれにしても、ヘタに物を燃焼させる事は「非常に危険」なことなのです。
燃えて炭や煤になったから「すべて消滅した」と考えるのは大きな誤りであり、逆に「有害な未知の物質が新たに焼成された危険性」に危機意識を持って注意しなければなりません。
実際に無知な市民が庭先のドラムカンなどでゴミを低い温度で燃やすせいで、いまだに街中で「ダイオキシン」が大発生し大問題になっているのです。

煙草も喫煙者が吸い込む「主流煙」よりも、煙草の先からユラユラと出て周囲にまき散らされている「副流煙」の方が何倍もはるかに危険なのは常識です。
その理由も「副流煙は燃焼温度が低いため大量の有害物質が発生しやすい」からなのです。
つまり、吸い込む時は煙草は真っ赤になって高温燃焼しますが、灰皿に置かれたり手に持ったりされている間は「くすぶる」感じになり低温で燃焼してしまうためなのです。

もし農薬を無害なまでに焼却し完全分解させたいなら、最低でも「1000℃以上」の超高温で長時間燃焼させてから言うべきです。
こんな初歩の常識も知らない人にまともな珈琲焙煎などが出来るとは到底思えません。というより、そこまで無知で危険な店が果たして「飲食物」を扱って大丈夫なのでしょうか?
それとも知っていながら客を欺くためにわざととぼけているのでしょうか。もしそうだとしたら、そんなふざけた不誠実な欺瞞店は社会から駆逐されるべきです。

また、農薬を撒いても珈琲豆は果肉に包まれているから大丈夫と言う無知な人も居ますが、撒かれた農薬は地面に染み込み、当然に珈琲の木の根から吸収されて種子に蓄積します。
こんなこと子供でも判ると思うのですが…無知とは恐ろしいものです。

こう言う恐ろしい事実を知ってしまうと、珈琲業界がやたらと喧伝している「珈琲は健康に良い(はず)」…などという話も、なんだかすべて嘘寒く聞こえて来ます。
実際、世の中に犯罪や汚職が実在する以上「すべての人間は善人」ではないのと同じで、毒カビや農薬汚染の珈琲が実在する以上「すべての珈琲が健康に良い」はずがありません。

「良い珈琲は健康に良い」が「悪い珈琲は健康に悪い」という言い方が正しいのです。
「良い珈琲はガンの予防効果がある」が「悪い珈琲はガンの原因になる」という重大な真実も、もっと全国民に対してきちんと周知徹底されるべきでしょう。

「珈琲は健康に良い」などと言う一方的な風説の流布を無知な消費者が鵜呑みにして、「悪い珈琲」をガブガブ飲んで癌になってしまったのではあまりにも不幸過ぎて目も当てられません。
悪い珈琲の乱売のせいで世の中に癌患者がどんどん増えれば、今でさえ異常過ぎるほど馬鹿高い日本の健康保険料が更に際限なく値上がりしてしまい、まじめに健康に気を遣って節制した生活をしている僕達としてはたまったものではありません。

珈琲豆には、毒カビ(アフラトキシン、オクラトキシン)に汚染された毒豆が混入していると言う危ない現実、そしてあらゆる農作物の中で三番目に農薬が多く使われていると言う重大な事実、そしてその中にはとっくの昔に日本で使用が禁止になった過激な農薬も多く含まれている恐ろしい現実を、僕達は常に頭の片隅に置いておくべきです。


ちなみに、スペシャルティ珈琲の店などでマスターにハンドピックはどうしているのかと尋ねますと、「うちではハンドピックは一切していない」と胸を張って答える人がいます。
その理由を問うと、「うちで扱う豆はすべて現地で二度ハンドピックした豆だから欠点豆はない」などと言います。

これまた、実に「自分にだけ都合のいい」何とも恐ろしい考え方です。
「たったの二度程度」のハンドピックで、毒カビ豆や欠点豆がすべてなくなれば、全世界の珈琲産業にとって、こんなに天国のような事はありません。

僕も「スペシャルティ珈琲」の生豆を購入して自宅焙煎しますが、毒カビ豆や欠点豆は確かに「やや少なくはなる」ものの、決してゼロではありません。
実際、現地で複数回ハンドピックしたと言う触れ込みのスペシャリティ珈琲でも、自分で入念にハンドピックし直すと豆にもよりますが1~3%前後の毒カビ豆や欠点豆が出ます。

そもそも、スペシャルティ珈琲にも当然に「ピンからキリ」まであります。
実は安いスペシャルティは生豆1Kg当たり1000円以下からあります。客が思っているほどは、価格も品質も一般豆と大差などないと言うのが実態なのです。
当サイトの商品はすべてスペシャルティだとか、当店はスペシャルティの専門店だとか、やたらと「スペシャルティ」を連呼して喧伝している店もありますが、それは無知な消費者に対し「高く売りつける」ためだけの肩書き商法というものです。
つまり、「飲んだ味」ではなく「肩書き」で客を洗脳し、安い豆を高く売っているのです。

そして、そういう安いスペシャルティ珈琲には毒カビ豆や欠点豆は必ず混じっています。「必ず」です。
事実として「スペシャルティ珈琲 欠点豆」等でネット検索すればスペシャルティ珈琲の毒カビ豆や欠点豆の実例がたくさんヒットして驚きます。

それにそもそも、たとえ仮に現地で何十回もハンドピックし、もし本当に全てのカビ豆が完璧に取り除かれたとしても、それはあくまで遠い外国の「生産地」での出来事です。
その後、その珈琲豆は貨物船で暑い赤道直下の海の上を通って何ヶ月もかけて日本に運ばれて来るのです。途中の嵐や大しけでもともと湿気の多い船底の倉庫に海水が浸入する事など良くある話です。
日本に到着してからも通関や商社の倉庫に長らく置かれてから、やっと販売されるのです。そのような長い輸送や保管中に、もしひどい湿気や水濡れや結露などに遭えば、三日もあればカビは簡単に生えてしまいます。

まずは、毒カビや危険農薬による輸入種実や輸入穀物類の恐怖の汚染実態を知るためにも、ぜひ情報元機関違反事例をご覧になって下さい。

輸入食材が一見して大量のカビに覆われていれば、さすがに当局から廃棄や積戻し命令が出されるようですが、輸入検疫のわずかなサンプリングでは見逃されてしまう程度の毒カビの発生では素通りしてしまう危険性が極めて大きいでしょう。

また、大量のカビの発生が発見されて当局から廃棄や積戻し命令が出された「事故穀物」などが、実際には廃棄等されずに激安で不正な闇ルートに流され、意図的に「食用」に混入されてしまう事件が相次いで発覚している食品業界の現実を考えれば、自分が仕入れた食材の安全性は店主さん自身の目できちんと責任を持って最終チェックをするべきです。

ですので、スペシャリティだろうとCOEだろうと、焙煎直前の最終ハンドピックは「店で絶対にやるべき」です。
仮にも人の口に入れる物を売る商売なのですから、それが最低限のマナーであり、当然の義務です。

例えれば、もし町のパン屋さんが「毒カビの生えたパン」を売ったら大問題になって即営業停止、客に健康被害が発生すれば慰謝料や治療費も非常に高額に上るでしょう。
珈琲屋さんも同じ責任体制になるべきです。もし「毒カビの生えた珈琲」を売ったら大問題で即営業停止、客に健康被害が発生すれば慰謝料や治療費も非常に高額に上ってしかるべきなのです。
同じ「食品事故」なのですから、責任追及や社会的制裁の基準に差別があってはいけません。

ところが、同じ毒カビが生えていてもパン等と違って珈琲の場合は、焙煎やミル挽きのせいで「カビが目視できない状態」で売られるため、今までほとんど指摘される事がなく、珈琲業界はその特異性の上に長年「あぐら」をかいて来たわけです。

ですが、そろそろ僕たち消費者側も、万一、市販の珈琲を飲んで重篤な体調不良が起きたら、保健所や消費者庁ホットラインなどへ通報するだけでなく、動かぬ「証拠の珈琲」を保管して、法的手続き、つまり損害賠償請求を起こす事も考えて良い時代だと思います。
まずは一人一人が行動し、次第に社会全体にそのような大きな動きを呼び起こし、危険な毒カビ珈琲を平然と売って知らん顔している悪質業者に巨額の損害賠償責任を負わせる事で、社会から完全に絶滅させたいものです。

それに、そもそも、僕が自宅焙煎して強く感じる事は、焙煎において一番手間が大変で最も苦労するのは「ハンドピック」の作業だと言う事です。
目は疲れる、視力は悪くなる、肩は凝る、猫背になる、無口になる…本当に大変なだけで何一つ面白くはありません。

僕の場合、生豆300g当たり、そんなハンドピックに30~40分、豆によっては1時間以上もかかりますが、その後の焙煎はスイッチを入れるだけですし、時間もわずか15~20分ほどです。
焙煎の全工程のうち、労働ウェイト的には、ハンドピックがほぼ「9割」を占める印象です。

自家焙煎店は、おおむね生豆の5~7倍もの価格で焙煎豆を売っています。
もし商売において、原価の5~7倍もの価格で物を売る事が許されるとしたら、商品化に「膨大な手間」や「重労働の苦労」がかかっている場合だけです。

なぜなら僕たち消費者はその労働(ハンドピックの手間)に対して価値を認め、高い対価を払っている訳だからです。
それなのに、その最も大変な重労働のハンドピックを一切やらず、わずか15分ほど豆を火で焙っただけで原価の5~7倍もの金銭を手にするとは…果たして許される事なのでしょうか。

実際、お店を訪れ、少しでも珈琲に興味がある振りをすると、「いかにうちの珈琲が美味しいか」についての営業トーク(オシャベリ)を延々と一時間も話し出す店主さんも珍しくありません。
しかし自家焙煎店の業務とは「ハンドピックと焙煎」のはずです。それに、美味しいかどうかは客であるこちらが判断する事です。

嵩にかかった営業トークなどやめて、そんな時間があるなら無言でハンドピックに専念し、一日で60kg袋を完璧にハンドピックしてしまう位に、もっと「馬車馬の如く」働いて欲しいものです。
実際、珈琲豆の生産国の人々は一日あたり60kg一袋分位のハンドピックを朝から夕方まで一切オシャベリする事もなく真剣に真面目にやってくれているのです。しかも、驚くような低賃金でです。

一番大変な手間のハンドピックは生産国の人々に驚くような低賃金ですべてやらせて、自分は20分位ちょっと釜に火を入れたら後はずっと気楽にオシャベリ、それでいて生豆の5~7倍もの価格で焙煎豆を売り付ける。
それでいて「フェアトレード珈琲」などと言っているのですから、何とも笑止なことです。


最後に、「毒カビ」の害とは異なりますが、自分で焙煎をするようになってから、非常に気になるようになった事がもう一つあります。
それは、焙煎釜に付着する「ひどいタール汚れ」です。

珈琲豆を焙煎すると、最後の方は鼻にツーンと来る嫌な刺激臭がして来ます。
この臭い、多くの焙煎店のHPでは悪い印象を持たれないように良い匂いがするかのような事が書いてあったりしますが、実際は鼻が曲がりそうなほど強い薬品臭のような明らかに嫌な臭いであったり、吸い込むと身の危険を感じるような恐い臭いの場合もあります。
多少でも料理に詳しい人であれば判って頂けると思いますが、到底「食べ物」を加熱して出て来るようなタイプの臭いではなく、鋭く鼻を刺す極めて化学的な薬品臭い刺激臭なのです。

その「証拠」として、ネットを検索してみれば、街中の自家焙煎店の煙突から出る焙煎煙による悪臭や刺激臭に対し近隣住人から苦情やクレームの嵐が殺到し、問題になっているケースがたくさんヒットします。
そのため、実際に何百万円もするアフターバーナー(排煙浄化装置)等をしぶしぶ追加設置することになった珈琲店も少なくないようです。
同様に趣味の家庭内焙煎でも、家族から悪臭についてクレームが集中しているケースも少なくないです。
つまり、珈琲焙煎で「いい匂い」だけがするような話は「焙煎煙の危険性を隠すための大嘘」だと言うことです。もしそうなら、近隣住民や家族から悪臭についての激しいクレームなど絶対に来ないはずです。

この嫌な刺激臭の正体は不明ですが、同じ豆でも国産大豆や国産落花生や国産の銀杏などを焙煎しても、煎りが浅い事もありますが、そう言う嫌な刺激臭は一切して来ません。
珈琲豆のほとんどは、輸入検疫時に殺虫のため「薫蒸」処理がなされる訳ですが、その殺虫剤には「臭化メチル」等の強力な殺虫剤が使われています。最近では臭化メチルよりも更に強力な「リン化アルミニウム」と言う劇薬殺虫剤が使われ、その殺虫ガスの中で数時間~数日間もかけて珈琲豆を薫蒸しているそうです。
そう考えますと、生豆に付着したそれらの殺虫化学成分が焙煎の熱で化学変化を起こして、この嫌な化学的刺激臭を発しているのではないか、と思えてなりません。
それはまさに、ちょうど「バルサン」のような燻蒸殺虫剤を連想させられる嫌な臭いですし…。

また、時折、珈琲の農薬の話題を出すと、「生産国の多くは貧困国なので高価な農薬や化学肥料を購入するお金がないから実質的にほとんど有機栽培になっており安心していい。有機JASの認定を取るには莫大な手間と費用がかかるので取らないだけ。」などと言う店が少なくありません。
しかし、有機JAS認定のない珈琲豆のほとんどは、輸入検疫時などに強力な殺虫剤で長時間の燻蒸処理がされてから陸揚げされる訳ですから、強力殺虫剤の残留の心配がある以上、無責任に「安心していい」などと放言してしまって良い訳がありません。

そもそも、全世界の珈琲豆の生産量の三分の一を占めるブラジルを始め、ほとんどの大規模生産国では、潤沢な資金を持つ大企業がプランテーションで計画的に珈琲栽培をしています。
僕達の口に入る珈琲の大部分は、そのような大量の農薬を撒いている大規模生産国の珈琲なのですから、農薬も買えずほんの僅かな生産量しか持たない貧困国を例に挙げて珈琲は安心だと強弁するのは、いかにも卑怯な論法です。

実際に、焙煎前の生豆を流水で2分ほどゴシゴシよく洗ってから、ザルとキッチンペーパー等で素早く水気を取り、それからすぐに焙煎すると、なぜか例の化学薬品が焦げるようなツーンとする臭いは最後までほとんど起きません。
特に念入りに良く洗った生豆の場合は、まるで「焼き芋」や「焼き栗」のような甘く香ばしい良い匂いが心地よく漂うだけです。つまり終始あくまで「食べ物」の良い匂いだけが漂うのです。
そうなると、やはりあの危険な刺激臭の正体は、燻蒸時に生豆に付着した強烈な殺虫剤が、加熱され変性して出た異臭としか思えないのです。

しかし、この生豆を洗うという行為は実は「諸刃の剣」でして、長く洗い過ぎると豆の成分が流出し始めてしまいますし、洗ったらすぐに水気を十分に切って焙煎に入らないと豆が水を吸ってボケた味になってしまいます。
僕のように一度に200~300g程度しか焙煎しない家庭焙煎なら豆を洗い、大体3分以内で焙煎に入る事も出来ますが、一度に何キロもの大量の豆を焙煎するプロの焙煎店では、数キロもの豆を一気に洗って汚れを流し、その水気を切ってから焙煎機に入れる全工程を「3分以内」で行うのは、まず極めて困難でしょう。

ですから、現実に生豆を洗う自家焙煎店など非常に少ないですし、もし洗っているとしても時間をかけてしまえば「洗う事のマイナス面」ばかりが強調された不味い味になっているはずです。

そしていよいよ焙煎が終了し、釜を開けて珈琲を取り出すと、釜の壁にどす黒いタール状の粘着物質がビッシリと付着しているのです。最初は非常に驚きました。
これは、どうやら豆から出た油分のようなのですが、指で触れるとニカワのようにネチネチと粘着質で、ちょっと洗剤で洗った程度では落ちず、お湯と洗剤でゴシゴシやってやっと落ちる感じのものです。
特にフルシティ以上の深煎りにすると、てきめんに大量のタール汚れが発生し釜にビッシリと粘着します。

プロの自家焙煎店が、毎日毎日、何十キロと言う豆を焙煎すれば、焙煎釜の汚れも家庭焙煎とは比較にならない凄まじい物になるでしょう。
もし、それをそのままにして次の焙煎をすると、ずっと高熱で焙られる事になり、真っ黒なタール分がさらにどんどん焦がされます。
果たして焼き魚や焼肉のコゲにある発ガン物質と同じように、変異原性物質やアクリルアミドなどの非常に危険なものが生成されないのでしょうか?

焙煎の最後に出て来る嫌な煙の臭いと合わせて考えると、僕にはこの真っ黒なタール状の物質は、どうもかなり怪しい気がしてならないのです。

僕は不安になり、毎回必ず釜を完璧に洗ってから次の焙煎をするようにしています。小さな釜なので台所で簡単に洗えます。
ですが、一日に十数回とか焙煎している自家焙煎店ではどうしているのでしょうか?
自重で100~200kgを超すような焙煎機です。内部のドラムを取り出して洗うために分解するだけでもナットを何本も外したり、ギアやベルトを外したり、非常に重い鉄製ドラムを引き抜いたりと、物凄く手間がかかり大変なのは容易に想像できます。
さらに洗浄した後はそれを再度組み立てる訳ですから、どんなに急いでも一時間や二時間はかかるでしょう。

そうなると、おそらくはマメなお店でも釜内部の清掃は週に一回とか、お店によっては月に一回とかではないでしょうか?
大手珈琲企業でも焙煎機内部の清掃頻度は、おそらく似たようなものでしょう。
当然に、釜の内部は真っ黒に焼け焦げたタールの蓄積があると思えてなりません。
珈琲豆はその中で焙煎されている訳です。
そう考えると、店舗からはあまり珈琲を購入したくなくなりました。

ちなみに、珈琲をドリップする際に、蒸らしの後、さらに少しずつじっくりと細い注湯を続けると、フィルターから最初の珈琲液が滴り落ち始めます。その一番最初の数ccを「珈琲の旨味が凝縮されたピュアエキス」などと表現して、貴重な宝石の如き絶品の美味しさのように讃美している珈琲屋さんが少なくありません。

そこで僕も、さまざまな珈琲を淹れる際、ドリップの最初の数ccだけを別カップに取り分け、試飲してみると言う実験を過去に数え切れない位に試してみました。
しかし、ほとんどの珈琲においてその最初の数ccの珈琲は、宝石の如き絶品の美味しさどころか、珈琲の濃密なトロ味の中に、明らかに異質の「異形味」が混じっており、思わず「うぐっ」として息が止まってしまうような、「うえっ」とむせ返ってしまうような、強い飲みにくさがあるのです。

最初は、なぜこんな「異形味」が混じるのか不思議でなりませんでした。それは、到底「飲食物の類」の味とは思えない危ない違和感を持つものだからです。
焦げ味かとも思いましたが、まったく焦げのない浅煎り珈琲でも同じように最初の数ccにそう言う「異形味」を感じます。はっきり言って飲めないタイプの悪い味であり、体が拒絶する種類の嫌な味です。

おそらく、この「異形味」は、燻蒸によって生豆に付着した殺虫剤が焙煎の熱で化学変化し、さらに釜内部でその蓄積成分がタール状に焦げ続けた事により一層悪質な有害成分が生成され、それが珈琲豆の表面に付着したのではないかと想像しています。
それらの悪い成分は、珈琲豆の表面付近に付着している訳ですので、ドリップの際の一番最初の投湯で豆の表面から洗い流される感じになり、最初の数ccに集中的に混じって出て来るのだろうと思うのです。
なお、当然のように、自分で生豆を良く水洗いしてから焙煎した場合は、最初の数ccにこのような異形味が混じる事はまずありません。

皆さんも市販の珈琲をドリップする際に、最初の数ccだけ取り分けて飲んでみてみれば、思わず「うぐっ」として息が止まってしまう感じの、悪い成分を感じる事ができると思います。
ですので、僕は今では市販の珈琲を飲む場合は、最初の数ccを捨ててドリップしています。
ぜひご自身の舌で試してみて下さい。

それにしても不思議でならないのは、これほど自宅焙煎をしている方が多くなり、そしてこれほど無数の珈琲ブログがあるにも関わらず、いくらネット検索しても、「焙煎ラストの刺激臭」や「ドリップ最初の異形味」について、僕と同様の疑問を感じているレビューが全く見当たらないと言う事です。
少なくとも珈琲ブログを開設するほどの人なのであれば、それなりに鋭い嗅覚や優れた味覚を持っていて欲しいものですが、現実は厳しく、むしろ「真逆」のようです。

なお、「有機JAS」等の公的なオーガニック認定を受けている有機栽培珈琲であれば、強い農薬の使用や殺虫剤による燻蒸の心配は少ないようですが、一番心配な毒カビ豆の不安はやはり残ります。
いや、と言うよりむしろ、僕の経験上は、有機豆の「毒カビ豆」混入率は他の一般豆より明らかに「数倍」~「数十倍」も高いです。

なぜならカビは豆の虫食い穴の中に生え易いため、有機豆は農薬を控えているせいか虫食い豆がとても多く、結果としてカビ豆混入率が非常に高い事が多いのです。しかも青々と濃くカビが生えている事が多く、まさに「自然の猛威」と言う印象です。
特に中米、南米、東南アジア辺りの有機豆は実に恐ろしいものが少なくなく、僕にとっては完全にトラウマです。食の安全性から言えばこれでは本末転倒であり、僕は生豆でも焙煎豆でもその辺りの国の有機珈琲は「絶対に二度と買わない」と固く決意しています。

世の中には、それらの国の有機栽培豆とかオーガニック珈琲とかを買って、よく「安心して飲める珈琲」とか「体に優しい味」などと言っている人がいますが、僕には到底信じられません。
その人は間違いなく「有機栽培の生豆の実物」と「そのカビの状態の凄さ」を見たことがなく、単に「販売店から吹き込まれたイメージ」だけで語っているのでしょう。
妄信的に「有機」という言葉をありがたがるのは実に愚かな事です。「自然界の毒」は農薬と同等かそれ以上に怖いものも少なくありません。

実際、「小麦」なども、無農薬で栽培しますと非常に危険な「赤カビ病」と言う病害にかかりやすくなり、有毒の「デオキシニバレノール」や「ニバレノール」等の危険なカビ毒が生成されてしまいます。
ですので、下手に無農薬栽培された小麦は「かなり危ない」可能性が高いのです。パンやウドンを食べるなら「無農薬小麦」や「有機小麦」には要注意だということです。

生産者や販売店は「高く売りたいため」に有機栽培の美点ばかりを強調し、一方の有機栽培の「恐ろしい暗黒面」はまるで存在していないかの如く固く口を閉ざしてしまいますが、「すべての有機」=「安全」と勘違いするのは、農法や農作物に無知であることの証明そのものであり、極めて危険なことです。

「アフラトキシン毒カビ豆」、「全作物中三番目に大量の農薬使用」、「劇薬殺虫剤による長時間燻蒸」と、三重苦に苛まされる珈琲豆ですが、この中で僕が過去の実体験として一番「最悪の実害」を被り、最も厳重な注意が必要であると確信しているのが、「アフラトキシン毒カビ豆」による劇毒被害です。

先にも述べたように、過去に珈琲好きが災いし、緊急入院治療しても全然おかしくない、いや、本気で生命危機さえ実感した重篤な被害体験を二度もさせられています。
決してオーバーに言っているのではなく、現実に諸外国ではアフラトキシン急性中毒による死亡事故も多く起きている事実を、くれぐれも常に頭の片隅に置いておくべきです。

一番の安全は珈琲を飲まなければ良い訳ですが、真の絶品珈琲の美味しさの片鱗を一度でも経験してしまった身としては、美味しい絶品珈琲を飲まない事は、人生の損失以外の何物でもないとも思えます。
まさに、「フグは喰いたし命は惜しし」と言うところです。

結局、「毒カビ豆の混入が極めて少ない有機珈琲豆」を選ぶのがベストと言う事になりますが、そんな都合の良い有機珈琲は非常に種類が限られてしまいますし、その豆が「味」の面で僕が探し求めている「日本一おいしい珈琲」の候補になり得るほど最上の美味しさを持つ珈琲豆だとも限らないのが悩ましいところです。
ですので僕にとっては、今のところ、「有機珈琲」はそのメリットや安全性よりもデメリットや危険性の方が「遥かにずっと大きい」と感じています。

それに、そもそも下記の新聞記事によれば、日本農林規格法(JAS法)自体が、農林水産省とその天下り先である食品業界との内部癒着等で「骨抜き」状態にあり、取り締まりが極めて甘い「ザル法」になっているように感じられてしまいます
これでは、JAS有機表示そのものが全く信用できませんし、それでいて認証取得にべらぼうな高額費用がかかると言うのですから、むしろ非常に「胡散臭いもの」と感じてしまいます。

農水省 食品表示違反95%が非公表 根深い「安全軽視」

99%強制力なし、違反把握も着手遅れ…お粗末な農水省出先機関


結論として、もし焙煎された珈琲豆を買ったり、抽出された一杯の珈琲を飲む場合は、少々高くても、せめて「生産地」と「店舗内」の二回にわたって完璧なハンドピックが成された可能性の高い高級ブランド豆を、常に清潔感があり、信頼の置ける優良店で買い求めることです。
「信頼の置ける優良店」とは、店舗を訪れた時に、店員さんが一心不乱にハンドピックをしている現場に出会う確率の高いお店と言う意味です。

もちろん店内は「全席禁煙」である事が絶対条件です。
大昔の19世紀の頃ならともかく、21世紀にもなった現代において、いまだ煙草の危険性や周囲への迷惑度に無知や無関心である事は、今や「重罪」です。
なにしろ煙草には「200種類以上の有害物質と40種類もの発癌物質」が含まれているのですから、下手な農薬や毒カビ以上に危険です。
そんなものを店内に撒き散らされては「毒ガス室」に閉じ込められるのと同じです。そのような店で珈琲の香りや味どころの話ではないはずです。
何百時間も重労働してハンドピックをし、ひどい苦労をして毒豆をすべて取り除いたとしても、もし店内で誰かに「一本」吸われたらすべてお終いだと言うことです。

清潔感のチェックとしては、店内の清掃状態や焙煎釜を良く見てみましょう。
店内の掃除が行き届いていたり、焙煎機が少なくとも外見だけでもピカピカに掃除してあったりすれば、焙煎釜の中のタールも頻繁に清掃している可能性が高くなります。
逆にもしも、店内が長らく掃除していない感じであったり、焙煎釜のサイクロン連結部や豆の取り出し口付近が多くのススやタールで汚れたままであれば、少なくとも僕ならその店での珈琲購入は遠慮すると思います。

それでも「安心をすべて他人任せ」にしている事には変わりません。
ここでもし、生の豆を購入して自分で完全なハンドピックと自宅焙煎をすれば、その珈琲が「美味しい」かどうかはその人の腕次第ですが、少なくとも毒カビの不安のない「安心・安全」な珈琲を、「市場価格の1/5~1/2の超激安」で飲む事ができます。

真の「理想の珈琲の姿」を突き詰めて行けば、珈琲の「栽培」の段階から自分でやる事になるでしょう。
それは温帯に属する日本の本州の気候では極めて困難です。実際に僕も自宅で珈琲の木を育てた事がありますが、珈琲の実は成っても、日本の平野部の気候ではまったく美味しい珈琲豆にはなり得ません。

現実的に考えた場合の最良の珈琲とは、品質管理の完全な高級ブランドのティピカ種のニュークロップ生豆を買って、自宅のワインセラー等で定温保管し、自分で完璧にハンドピックし、直火焙煎で浅煎りに仕上げ、サイの目カットタイプのミルで挽き、丁寧にネル抽出をし、欧州の伝統磁器メーカーの器で飲む…珈琲だと思うのです。

今回、これらの中でも特に重要と思われる項目を、四つだけ選びました。
「直火焙煎」、「ティピカ豆」、「浅煎り」…そして最後は「毒豆の除去」(ハンドピック)です。

特に「毒豆の除去」は、単なる「おいしい」「おいしくない」の嗜好のレベルではなく、直接、僕達の「生命」に関わって来る大問題です。
珈琲選びにおいて「毒豆の除去」(ハンドピック)は間違いなく「最重要項目」と確信します。


それが安全で日本一美味しい珈琲を見つけるための「最後の四歩目」になります。





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理想の珈琲の定義 (3)
僕にとっての「理想の珈琲」に通じる四つの定義。
その第3の条件は、

<3>焙煎度はミディアム~シティの豆であること

です。

言うまでもなく、最適な焙煎度というものは珈琲の飲み方で大きく変化します。
レギュラー珈琲ならミディアム~フルシティ、ドゥミタッスとかエスプレッソとかダッチならフルシティやフレンチ、カプチーノとかアレンジコーヒーとかアイスコーヒーならフレンチやイタリアン辺りでしょう。

しかし結論から言えば、僕にとって、もし今「日本一美味しい珈琲」が目の前にあるとしたら、それは、100%レギュラー珈琲であり、かつ、99%間違いなく「ミディアムロースト~ハイロースト」です。
残りの1%は、豆によっては、ひょっとして「シティロースト」まで煎っても良いかも知れないと言う可能性です。
過去の珈琲経験や今までの流れ、自分の好みから類推して行くと、もうこの形しか想定できません。

普段はレギュラー珈琲でもフルシティやフレンチ等も飲みますし、自宅焙煎ではエスプレッソ用のフルシティやアイス用のイタリアン等を自分で煎る事もあります。
しかし、もし世界中の珈琲豆の中から、いざ自分の理想の珈琲を五つだけ選べ…と言われたら、まず絶対に間違いなく五つとも「浅煎り豆」になると思います。
なぜなら、僕の理想の珈琲の在りようを叶えてくれる最右翼「高級ティピカ種」の珈琲豆、その芳香味は、このうえなく非常にデリケートなものです。
ハイローストを超えて深く焙煎してしまうと大切な豆の持ち味の感動的なニュアンスや、せっかくの無類の芳香が、薄れたり、消えたりしてしまうタイプの豆種なのです。

その類まれなる「宝石」の如き感動的な芳香味を、100%大切に生かしきり、すべて余すことなく、隅々まで完璧に味わおうとすれば、これはもう絶対に「浅煎り」しかあり得ません。
僕の場合は、それをネルフィルターでやや薄めにドリップする事で、「日本一おいしい珈琲」へと確実に近づいて行く道筋が見えて来るのです。

ただ、高級ティピカでも豆によっては「フルシティ」や「フレンチ」辺りの中深~深煎りで、浅煎りの時とはまったく別な魅力を披露してくれる豆もあります。
ただ、それはそれで素晴らしい美味なのですが、やはり僕が探し求めている味ではないと感じます。

なぜなら、深煎りになればなるほど、その味は「豆の味」ではなく、「焙煎の味」になってしまいます。
焙煎とは豆の持ち味を引立てるための存在であり、焙煎による味がせっかくの絶品豆の持ち味を「上書き」してしまうのでは、本末転倒だと思います。
ですから、例え高価なオークション入賞豆などであっても、焙煎がフルシティロースト以上の深煎り豆にはあまり食指が動かず、期待も湧きません。

まれに、「珈琲が好きな人ほど深煎りを好むものだ」などと嘯く人がいます。
しかし、その「珈琲が好きな(はずの)人」の飲み方を見ていますと、「おいおい」と言いたくなるほどクリームと砂糖を驚くほどどっさりと大量に入れて飲む人だったりします。

確かに、それほど大量のクリームと砂糖を入れる前提なら苦味の強い「深煎り」が合うとは思います。
と言うより、もう「真っ黒」に近くなるまで深くローストした超深煎り珈琲しか合わないでしょう。
しかし、果たして本当にそれで良いものなのでしょうか。
試しに、そう言う人に珈琲の話題を振ってみますと「ほとんど珈琲について何の知識もない人」だったりします。
本当に好きな対象の事を「ろくに何も知らない」と言うのは実におかしなことです。
つまり、その人は真に珈琲が好きなのではなく、実は、単に「甘くて美味しい飲み物」なら何でもいい人なのだと思います。強い甘みの受け皿として深煎り珈琲の強い苦味は大変都合がいいので、珈琲を飲む時は「深煎り」を指定するようになっただけなのでしょう。

実際、深煎珈琲をブラックで飲むと、明らかに「沢山のものが欠落した片寄った味」である事がよく判ってしまいます。
生の珈琲豆が持つ本来の成分は、浅煎りではしっかり多く残ったままですが、深煎りになるほど成分はどんどん薄くなり残らないのです。例として深煎りより浅煎りの方がはるかにカフェインが強い事などは常識です。
よく「浅煎り珈琲は風味の抜けが早いが、深煎り珈琲は風味が長持ちする」と言われますが、それは深煎りの風味と思っている物が実は豆その物の風味ではなく、焙煎による風味だからです。
豆の成分は揮発しやすいですが、焙煎により生成された焦がし風味は揮発しにくいと言うのが「深入り珈琲は長持ち」の種明かしです。
つまり、それだけ深煎り珈琲は、風味の大部分を焙煎風味が支配していると言う事です。
深煎りは、もしブラックで飲むなら「低温抽出のドゥミタス」のような特殊な淹れ方にしないと難しいと思います。

もちろん僕も珈琲によっては砂糖やクリームを使います。
しかし、それらを使う時は、主に飲んでいる珈琲が「ブラックで飲むにはまず過ぎる」時だけです。
最初に1~2口飲んで、無意識のうちにすぐに砂糖やクリームを入れてしまう事もありますし、逆に甘い珈琲が飲みたい気分だったのに1~2口飲んだらあまりにも美味しいので、わざわざ用意した砂糖やクリームの存在を忘れて、ブラックのまま夢中で飲み切ってしまう事も少なくありません。

実際、90点以上の極上珈琲を飲んでいる時に「試しに」クリームや砂糖を少しだけ入れてみたりしますが、ほとんどの場合、せっかくの90点以上の美味が「ぶち壊し」の「台無し」になります。
なぜなら、本当に素晴らしく真に美味しい極上珈琲になればなるほど、既に味は「いじりようがない」完全無欠の高いレベルで完成しているからです。
そんな「完全体」の味の中へ、後から異物である砂糖やクリームの入り込む無駄なスペースなどある訳が一切ありません。
つまり、少なくとも僕の場合は、本当に高いレベルで美味しい珈琲を飲んでいる時は、クリームや砂糖の存在は視野にも入れたくない「邪魔者」以外の何者でもないのです。

焙煎から日が浅く酸味が暴れたり、舌に付く渋みや強い苦味などがある激マズの劣悪豆や焙煎失敗豆も、多めにクリームと砂糖を入れて飲むと、脂肪のまろやかさが渋みや酸味を包み込み、砂糖の甘みが強すぎる苦味の程よい受け皿となって意外なほど美味しく飲めるようになるほどですから、クリームと砂糖の効用の素晴らしさは認めます。
しかし、むしろ逆に言えば、無意識のうちにクリームと砂糖を入れたくなるような珈琲は、そもそもあまり高いレベルにある珈琲ではないのだと思います。

すべての豆は深く煎れば、深く煎るほど、どんどん「豆の持ち味」は消えて行き、最後は全部の豆が同じような「ただ苦いだけの珈琲」に行き着きます。
ほとんどの場合、深煎りすればするほど、わざわざ「豆の魅力や個性を殺している」事になりかねません。
ただ、あえて言えば「マンデリン」「トラジャ」「ケニア」辺りの深煎り豆は、適量の砂糖やクリームを入れる事で、ブラックの時とは全く異なる優れた魅力を披露してくれる事もあります。
そういう珈琲は、ちょっとした気分転換や疲労回復のための甘い飲み物としては大変良いのですが、しかし、少なくとも僕の場合は、それらの砂糖やクリームを入れた珈琲はどんなに美味しいと思っても、点数に換算すると、やはり最高でも「70~75点」止まりです。

いざ「90点以上の最高クラスの極上珈琲」をじっくりと腰を据えて100%純粋に堪能したい気分の時には、選択肢にさえ上がらない、全くお呼びでない珈琲なのです。
ですので、少なくとも、日夜、100点満点の完璧な超絶珈琲を希求し彷徨し続ける「真の上級珈琲マニア」にとっては、クリームや砂糖を入れたくなるような珈琲は、明らかに別用途の存在であり、まったく興味の対象外に位置する珈琲だと思います。

ちなみに、どのような「クリームや砂糖」を使っているかで、その珈琲店のレベル、もしくは、珈琲マニアとしての程度が正確に把握できます。
僕は、生クリームは「高梨乳業」(神奈川県横浜市)の「純生クリーム42%」しか使いません。
高品質の濃厚なミルク感にあふれた完全無添加の逸品で、真に味が判る人には絶対のお薦めクリームです。というより、事実上、真の珈琲マニアが愛用できる「唯一」のクリームでしょう。
たまに売切れの時があり、仕方なく同社の「35%」を買う事もありますが「42%」に比べると明らかに水っぽく、ミルク感がひ弱に感じられてしまいます。
また、最上位には「47%」の物もあり、これはまさに究極の生クリームで、どんなに濃く、どんなに重く、どれほど苦い珈琲でも、軽々と包み込み、きめ細かな極上のビロードのような飲み心地に仕上げて、喉へ滑り込ませるパワーを秘めています。ただ、さすがにクリーム感が勝ちすぎる事と、売っているスーパーマーケットも極めて限られてしまい、残念ながら僕の生活圏では売られていません。

他にお薦めは「中沢乳業」(東京都港区)のフレッシュクリーム45%がありますが、濃い割に風味があっさりし過ぎていて珈琲に使うにはミルクの濃厚風味がやや物足りないです。
ただ、中沢乳業は、洋菓子業界では指名買いされるほど非常に有名で、もともとその上品でクセがなく洗練された風味は洋菓子向けに作られているのでしょう。

純正フレッシュクリームは、要冷蔵であるうえ振動が厳禁ですので通販は不可であり、身近な自分の生活圏の中で購入可能な6~7種類を試しましたが、「まとも」なクリームはこの二社だけでした。
ただし、いずれも完全無添加なので、長くても一週間程度しか日持ちせず、室温に置いたり強く揺すったりすればすぐ駄目になります。だからこそ本物の「100%純正クリーム」の証明な訳ですが。
また、賞味期限内であっても、一日毎に15~20%位ずつクリームのフレッシュな芳香やミルク風味は確実に劣化します。牛乳やバターもそうですが、発酵食品であるチーズや一部の発酵バターを除けば、ナマの乳製品というものは想像以上に「新鮮さが命」なのです。
牛乳もクリームももし出来るのであれば、買ったその日に即開封して一日で全て使い切りたい位に、空気による乳成分の酸化や風味の劣化が激しく起きてしまいます。

そして、他社のクリームは安価な増量剤と添加物と保存料だらけで、全くの「論外」です。
特に植物油脂タイプの製品は「最悪中の最悪」、ぜひ一度「それだけ」を飲んでみて下さい、まるで無機質な「白い絵の具」に低級油と添加物と塩を混ぜただけのような激酷不味で、思わず吐き出すほどの最悪のまずさです。
わざわざ珈琲を「激マズくして」飲んでいる事がよく判ります。
加えて、訳の判らない添加物だらけで、珈琲に全く関心のない一般人なら何も感じないのかも知れませんが、珈琲に一家言あるマニアなら「目の仇」にしたくなる代物でしょう。

砂糖は、当たり前ですが「グラニュー糖」を使っています。
常識ですが「黒砂糖→三温糖→上白糖→グラニュー糖」の順で、不純物や雑味がなくなり甘みが上品でピュアになります。
ミネラル豊富な「珈琲シュガー」とか名乗る茶色い大粒結晶タイプのものや、天然の甘みなどと言う「未精製糖」なども売られていますが、ミネラルが豊富とか未精製とか言う事は「雑味が豊富」と言うことです。
特に未精製糖は糖度が低いため甘みは貧弱で、口解けにザラザラとする異物感があり、全く珈琲に合いません。
要は、味の判らない人用に「見た目重視」なだけで、味はくどくて野暮ったくて鈍重で論外、珈琲のピュアな味にこだわる人が使うものではありません。
中には有害なカラメル色素で茶色く人工着色しているものも少なくありません。

珈琲との相性やおいしさ的には高品位で純粋な甘味のグラニュー糖が一番優れているのです。
実際に一度でもグラニュー等の高品位で純良な甘みに慣れてしまうと、上白糖の甘みでさえ粗野で不純で力不足で、全く物足りなくなります。
では、なぜ、わざわざ珈琲店などで「珈琲シュガー」や「未精製の粗糖」がお薦め品として売られているのかと言えば、これはもう、当たり前ですが「無知な客を騙して余計に儲けるため」以外の何物でもありません。

なぜなら、グラニュー糖を普通にスーパーマーケットで買うと1キロで250円程しかしないのです。
珈琲店としては、せっかくの客にそのような安い砂糖を使われてしまっては「店としては全然儲からない」「商売として全く旨みがない」訳です。
ですから、何だかんだともっともらしい偽計や虚説を捏造し、客の無知さと虚栄心に付け込んで、「不純物入りの低級糖の方が珈琲に合う」とか「茶色く人工着色した砂糖を使うのが通だ」などと驚くべき虚説を信じ込ませ、驚くほどの暴利を乗せた信じ難い値段で「着色糖」や「未精製糖」を高く売りつけている訳です。

実際、珈琲店で売られている「珈琲シュガー」や「天然の粗糖」はグラニュー糖の「3~10倍もの値段」がします。
しかし、着色料のカラメルでちょっと薄く色付けしただけの珈琲シュガーの原価などグラニュー糖とほとんど同じなのですし、不純物だらけの低精製糖や未精製糖に至っては、和三盆などの特殊な物を除けば、逆にもっと遥かに安い原価のはずなのです。
ちょっと考えてみれば判る事です。それなのにやすやすと店の口車に乗せられ、わざわざそんな不味い物を「3~10倍もの値段」で買って喜んでいる人がいるのですから、何とも信じられない世の中です。

客を「鴨」としてしか見ていない悪どい珈琲店は、「無知な客」や「騙せる客」に対しては、珈琲豆で騙すだけでは飽き足らず、二重、三重に、砂糖やミルクや器具類でも徹底して騙しにかかって来る顕著な傾向があります。
ですので、やたらと「植物性クリーム」や「未精製糖」や「原料糖」を熱心に売り込んで来る店は、その店で売っている珈琲豆の品質や焙煎法もかなり疑ってみた方が良いと思います。

また、ローカロリーなどをうたい文句にしている「アセスルファムK」などの人工甘味料も出回っています。
しかし、これらの人工甘味料は、明らかにイミテーション的な極めて不自然で擬似的な甘味で、ほとんど拷問級の不味さなうえ、僕は吐き気がしたり気分が悪くなったりして、身の危険さえ感じてしまうほどでとても使えません。

それから、アイス珈琲用の「ガムシロップ」も市販の安いポーションタイプは明らかに不味いです。
少しでもコストを下げて利益を増やすため、砂糖より3~4割も激安の「異性化液糖」が原料なのですから、不味いはずです。メーカーは「どうせ一般人に甘みの違いなど判らないだろう」と客を舐めているのです。
僕は炭酸水とグラニュー糖を使って、自分で「自家製シロップ」作って使っています。一切の混じり気のない光沢感のある上品な甘みは想像以上に「絶品」です。

以上、もし珈琲マニアの端くれを名乗る人なのであれば、珈琲に入れるクリームと砂糖についても、最低限この程度のこだわりは持って欲しいものです。
同様に、真剣に美味にこだわる珈琲店であれば、当然にこれらの必須アイテムは全てクリアしているはずです。
もし、数々の高級豆や本物へのこだわりを謳っていながら、一つでもクリアしていなければ、単なる「口先だけの欺瞞店」と考え、選択肢から外すべきです。

少なくとも僕の場合は、そんな店で飲むより、家で飲む珈琲の方が「遥かに本物の味」なのです。


さて、僕は理想の珈琲として「ミディアム~シティ」を推奨している訳ですが、とは言え、自家焙煎珈琲店としては「浅煎り」だけに特化したお店が良いというものでもありません。
実際、僕の過去の経験からは、「真に美味しい珈琲店」になればなるほど懐が深く広くなる傾向があり、珈琲豆の産地や価格帯もいろいろと均等に揃い、そして焙煎度合いについてもおかしな偏執や一方向への特化などは一切していないものです。

逆に、扱っている豆が「ある傾向に偏っている」、「商品数が少ない」、「焙煎度の幅が狭い」などのお店は期待薄です。そのような店で真に美味しい珈琲に当たった経験はほとんどありません。

参考までに申し上げますと、現在、僕が「おそらくこの三店が日本のトップスリーに間違いないだろう」と思っている自家焙煎の名店があります。
その三店は、他の多くの凡庸店とは次元が違いすぎ、あまりにも突出した珈琲の美味しさを誇り、まさしく神憑りの焙煎であり、自宅焙煎派の僕にとって「雲の上の存在」です。

当然、その三店は「直火式焙煎機」を使用しているのですが、「浅煎り、中煎り、深煎り」のいずれもとても重視しており、実際、「すべて非常に得意」です。
一つ、二つの「何かが得意」なのではなく、珈琲焙煎の「すべてが得意」なのです。

ただでさえ扱いの非常に難しい「直火焙煎機」で、「浅煎り、中煎り、深煎り」のいずれも見事にこなしてしまうのですから、店主さんはそれだけ類まれなる卓越の才能を持つ人なのでしょう。

また、浅煎豆の抽出で僕が一番気を使うのが、いかに「酸味」(Acidity)を上手く抑えるかと言う事です。
浅煎りだと酸味があるのが当然と考えている人が多いですが、酸味が前面に出しゃばるような珈琲はすべてが台無しです。
どんな珈琲においても主役は「香り」と「旨み」と「甘み」であり、浅煎りにおいても例外ではありません。

スペシャルティ珈琲を「錦の御旗」として天高くに掲げ、単にスペシャルティ珈琲を仕入れただけでまるで「天下を取った」かの如く息巻き、スペシャルティ珈琲の品質を盲信、妄信、盲進、盲審してやまない「自称・自家焙煎店」の多くが、珈琲のことを語り始めると二言目には決まって、すぐ「珈琲は酸味が大切だ」などと口に出します。
中にはカッコ付けて「酸味」と言わずに、「酸」とか、「アシッド」などと言う「自称・自家焙煎店」も居たりします。

僕は浅煎り珈琲が好きですので、珈琲の飲み歩きをしていてもよく浅煎りを飲むのですが、しかし、それら「酸味自慢」のお店のほとんどの珈琲の「酸味」は、「未完成のすっぱさ」と言うのか、「焙煎が下手なため中途半端な状態で残ってしまったすっぱさ」にしか感じられない、何ともお粗末で低レベルな酸味ばかりです。
もともとそれらの自家焙煎店は、目指しているものが「ウェルバランスの美味しい珈琲」ではなく、単に「酸味を認識できる珈琲」であればいいと考えているとしか思えないフシがあります。
結果として、「酸味は確かに出ているけど、だから何?」と言うレベルの珈琲にしか仕上がらないのでしょう。当然、一切の感動も驚きも何も起こりません。

ただし、極稀にですが確かに「優れた美味しい酸味」を持つ浅煎り珈琲にも出合います。
そんな時は、「なるほどこれは上手な浅煎りだ。全く生焼けの青臭さや嫌な渋みがないのに、ここまでパーフェクトに美しく整った酸味を際立たせて出せるとは凄い焙煎技術だな」と感心することもありますが、それでもやはり、「きれいな酸味」以外の殆どの味が全然出せていないケースばかりでした。

そして、珈琲と言う飲み物に対し、「酸味」をメインに据える事に何の意味があるのかと、いつも疑問に思うのです。
もしも、飲み物に対しフルーツや花のようなハイクオリティな酸味の美味しさ強く求めるのなら、最初から生搾りのフレッシュフルーツジュースやハイビスカスティーを飲めば良いと思えてならないのです。
実際、「酸味の美味しさ」だけで判断するなら、「ハイビスカスティー」の方が100倍以上もハイクオリティな酸味が毎回安定して楽しめます。しかもスーパーで普通に安く売っているティーバツグのハイビスカスティーを「自宅で適当に淹れただけ」でです。

実際に、僕が過去に一口目からいきなり身動きできなくなるくらいに心の琴線を鷲掴みにされた「90点以上の超極上の浅煎り珈琲」達は、全て「香り」と「旨み」と「甘み」の三本の柱を中心に、他の多くの細かな味もきれいに出揃っていてきちんと「珈琲として完全体の味」「完成形のウェルバランス珈琲」に仕上がっていたものです。
それでいて確実に浅煎りにしか出せない「明るく繊細で高貴な香味」に仕上がっていたものです。

浅煎り珈琲は「酸味がキーテイスト」は断じて大間違いです。くれぐれもご注意下さい。

また、意外と味を大きく決定するのが「ミルの粒度」なのです。豆を変えたら、ミルの目盛りもいろいろ調整して必ず4段階位は試してみて最適の粒度を見つける事が大切です。
いろいろ工夫して何回抽出してもなかなか上手く行かなかった豆が、ミルの粒度を変更しただけで一気に解決する事もあります。

そして、ミルのタイプは、安い「プロペラタイプ」は完全に論外として、にぶい臼状(コニカル)の「歯」で豆をにじり潰してしまう「すり潰しタイプ」ではなく、鋭利な「刃」できれいに切り揃える「切削タイプ」のミルを使う事を絶対にお薦めします。
重要なポイントとして、鋭利にとがったギザギザの「刃」で爪を削れる位にシャープな刃先のミルをぜひ選ぶ事です。
そしてくれぐれも「ミルにだけは金をかけるべし」です。それだけの「見返り」が必ずあります。

世の中で最も多く出回っている2000~3000円程度の安い手動式ミルや5000~6000円程度の安物の電動式ミルは、全て「小さな鈍い臼状の歯で豆をにじり潰す」タイプです。
そのせいか、「自称珈琲マニア」の中には、鋭利にとがった切削型の「刃」タイプを搭載する高性能ミルの存在すら知らない人もいたりして、その無知ぶりに驚かされます。
しかし、それら「臼型の歯」のミルは、豆を狭い隙間の中で圧縮しながら「にじり潰す」感じになるため、珈琲を淹れても「全体が微粉」のような、極めてぼやけた不鮮明な味になってしまいます。
それはまるでひどい近視の人が眼鏡をかけずに風景を見るようなイメージです。これではどんな見事な風光明媚の景勝地でも全く台無しでしょう。

また時折、ミル選びにおいて「どんなミルにもそれぞれ良さがある」とか「デザインや色で自分好みのミルを選べばいい」とか、とんでもない誤った寝言を大得意で進言している「自称・珈琲専門店」もあったりして、その驚くべき無知・無能・無責任ぶりに暗澹とさせられますが、現実には「ミル選び」こそが僕達の珈琲ライフの成否を想像以上に大きく劇的に左右する「最大の鍵」なのです。
現実に、ミルは「どのミルを使うか」で貴方のその後の珈琲ライフのクオリティや方向性までもがほぼ強制的に決定させられてしまうほどの「運命の最重要アイテム」なのだと心得て下さい。
ズバリ、美味しい珈琲を目指す自家焙煎店にとっては「焙煎機の性能」こそが生命線であるように、美味しい珈琲を目指す珈琲マニアにとっては「ミルの性能」こそが生命線なのです。

僕は過去にカリタ製の電動ミルを中心に9台を遍歴して来ましたが、現在は「カリタ・ハイカットミル」をメインで使っています。

このミルの最大の美点は、後で詳しく述べますが鋭利な切削刃で豆を縦にも横にも切って、きれいな「さいの目切り」に出来る事です。
初めてこのミルで挽いた珈琲を飲んだ時は、珈琲の香りや味の鮮明度が信じられない位にアップし、その颯爽と整い切った端正な美味に「ミルでここまで大きく味が変わるのか」と非常に感動してしまいました。
「均一に粒度を揃える」という事が想像していた以上に味に決定的に影響する事実を激しく痛感するとともに、同時に「なぜもっと早くこのミルを買わなかったのか…」と大いに悔やんだものです。

最初、ハイカットミルで挽くとどうしてこれほど珈琲が劇的に美味しくなるのかと、ハイカットミルの回転部を分解してディスク状の歯の表面を見て、大きな衝撃を受けました。
多くのミルは「放射状」(フィン状)にギザギザの溝が付いているだけですが、このミルは向かい合う二枚のディスクのそれぞれに「放射状+同心円状」の複数の溝が付いているのです。
この素晴らしい工夫により、このミルの歯は、その向かい合う二枚のディスクを回転させると、合わさった面の歯のそれぞれの溝の複雑な凹凸が驚異的な「シンメトリック造形」の如く見事に有機的に噛み合い、かつ、歯の高速回転による遠心力で豆が二枚のディスクの間を中心部から外周方向へ移動して行く動きを上手に利用することで、このミルは豆を「縦」にも「横」にも切る事が出来るようになっており、いわゆる「賽の目切り」を実現していたのです。

しかも、ミルの歯に触ってみて更に驚きました。何と爪をこすると爪が削れるほどに鋭利かつ高硬度であり、既に「歯」ではなく、まさに鋭い「刃」の作りなのです。
その計算され尽くした見事な美しい「二枚の刃の動き」と、まさに切削刃的な「切れ味の凄さ」を目の当たりにして、これなら珈琲が劇的に美味しくなるのも「当然の帰結」と思わず納得し、その特許レベルの創意工夫とミル刃の硬度&精度に心から感動しました。

もし仮にハイカットミルで出せる味を「80点」と仮定して比較した場合、セラミックミルC-90の味は「15点」、ナイスカットミルは「60点」、ニューカットミルは「65点」と言う印象です。

カリタ・セラミックミルC-90は、とても小さな「にぶい臼型の歯」を搭載しています。
そのため上で述べたように豆を狭い隙間の中で圧縮しながら「臼でにじり潰す」感じになるため、珈琲を淹れても「全体が微粉」のような、極めてぼやけた不鮮明な味にしかなりません。
さらにセラミックミルC-90は、セラミック歯ゆえに陶器製特有の「カリャカリャリャリャ」と甲高くひどく安っぽい挽き音がして雰囲気も台無し、これではせっかくの優雅なはずの珈琲タイムも興ざめしてしまいます。

また、カリタのナイスカットミル、ニューカットミル、シルバーカットミルのような「フィン型の刃」のミルは、豆を縦に一度だけ薄く削ぎ切りする感じになりますので、豆の端と中央で破片のサイズ(粒度)が全く揃わず、味の輪郭線がシャープでなく、ピントが滲んだ味になってしまいます。
ハイカットミルの味に比較しますと、明らかに粒度に精度が足りていない印象です。
実際、例えるなら「デジタル放送の高精細ハイビジョン画質」と「アナログ放送のブラウン管テレビ画質」の違い位に、解像度や輪郭のシャープネス、色再現性等における大差があります。

世の中の「自称珈琲マニア」は、ミルを選ぶに当たり、「業務用ミルだから高性能のはず」だとか、「やはり海外ブランドミルが優れている」だとか、「新型ミルの方が改良進歩しているはず」だとか、全く的外れであやふやな表象的イメージや稚拙な観念論で自説を主張し合ったりして悦に入っているようで、どうやらミル選びにおいても何が一番肝心で大切な事なのか全く見当さえ付かないようです。

繰り返しますが、ミル選びで一番最初にチェックすべき事は、言うまでもなく「歯の性能(形状と硬度)」なのです。
まずは一度、ぜひインターネットで「カリタ ミル 刃 比較」等のキーワードで検索して、「ハイカットミルの刃の実物画像」を他のミルの歯と比較確認してみることを強くお薦めします。
一見して、刃の「作り」「構造」「複雑さ」が単なるフィン型と全然違い、如何に高額なコストをかけて「理想の刃」を製造しているかに気付いて頂けるはずです。

また以前、とある自家焙煎店が自店の馬鹿高い海外製ミルの「歯の交換作業」を画像付きでブログ等に乗せていましたが、その画像をよく見たところ捨てる古い歯はすっかり歯の角が丸まってしまっていて、馬鹿高い価格の割にその「作りのやわさ」「金属の低質さ」に驚いた事があります。
おそらくはその馬鹿高い価格の大部分は「輸入代理店の過度の利益」が占めているのでしょう。
しかし、ハイカットミルの刃はまさに「超超合金」とでも言うべき凄まじいほどの超硬度ぶりであり、実際にヤスリを使って硬度チェックを試みましたが、安物の金ヤスリ等では全く傷一つ付けられませんでした。
実際、刃の耐久性は「ほぼ半永久」だと感じます。

また、時折、「高速回転する電動ミルは豆が熱を帯びて香りが飛ぶから良くない。だからゆっくり挽ける手動ミルがいい。」などと、どこぞで聞きかじった話を得意顔で言う人がいます。
しかし、それはあくまで一度に1kgとかの大量の珈琲を粉にする店舗等での挽き売りでの話でしょう。
高速ミルの連続動作が数分も続けば、確かに出て来る粉も香りや味に顕著な悪影響が出るほど熱くなる事はあるかも知れません。

ですが、一般家庭で一回に挽く珈琲の量はせいぜい20~50g程度、ミルの回転時間もわずか十数秒ほどでしょう。これでは熱くなる間など一切ある訳がありません。
むしろ手挽きミルで長時間のんびり挽いていれば、粉になった珈琲は挽いた先からどんどん香りが揮発を始めますので、多めに点てる時などは好ましくありません。

やはり一瞬で挽ける電動ミルの方が圧倒的にお薦めです。
ただし、1万円以下の電動ミルは摩擦が多い「臼タイプ」の歯を使っている物が多く、しかも歯のサイズが小さいため時間がかかり、わずか数10gの粉砕でも加熱しやすいようです。
やはり、この点からも是非ある程度大型で作りの良い5万円以上の高性能な電動ミルを強くお勧めします。

安いミルを使うと言う事は、せっかくの珈琲をわざわざ「まずくしている」と言う事に他なりません。
ですが逆に言えば、良いミルに変更するだけで、本人のドリップ技術とは一切関係なく、即座に、確実に、数段は珈琲を美味しくできます。
大切に使えばミルは20年位は余裕でもつようですので、購入は早ければ早いほど良いと思います。

それと、珈琲豆の計量にメジャースプーンを使うのは絶対に禁物です。
よく、すりきり一杯で10gとかの物が出回っていますが、同じ豆一粒でも、水分が多い浅煎り珈琲は「意外に重く」、カラカラになるまで長く煎った深入り珈琲は水分が飛んで「非常に軽い」のです。
通常、浅煎り豆は少なめの量で淹れ、深入り珈琲は多めに量を使うのが美味しく淹れるコツですから、これではまったく真逆の結果になってしまい、まずい珈琲しか淹れられなくなります。
また、同じ豆一粒でもピーベリーやイエメンモカ等は小粒で、ハワイコナEXやマンデリン等は大粒である傾向があります。ですから同じ「すりきり一杯」の豆を入れたつもりでも、豆同士の隙間が狭くなる小粒豆は「多め」に入り、隙間が大きく開いてしまう大粒豆は量が「少なめ」になります。
また、上手な直火焙煎は豆の膨らみが適度ですが、熱風焙煎はやたらと豆がプックリ大きく膨らみがち(すぎ)になります。
ですから、豆の体積ではなく、「重量」を計らない限り正確な豆量は絶対に計れません。結果として、美味しい珈琲は絶対に淹れられません。
もし本気で美味しい珈琲を飲みたいなら、当たり前ですが豆量計測には絶対にデジタル計量器を使う事が必要です。

なお、珈琲マニアを自称していながら、よもや挽かれた「粉」や「ドリップバッグ」や「ポッド」の状態で珈琲を買っている人は、まさかいないと思いますが、万一そのような不徳の人がいるなら、即刻、今日中に「絶対にミルを買うべし」です。

同じ珈琲なら、粉で買うより、豆で買って自宅で直前に挽いた方が圧倒的に美味しいです。冗談ではなく、珈琲の美味しさは「粉」にした瞬間から揮発し、酸化し、半日と持ちません。
中には、アルミ包装とか真空パックとか窒素充填とかで品質保持しているなどと言う「粉」商品もありますが、すべて長期の流通在庫を正当化したいためだけの姑息な言い訳に過ぎません。

良いミルの所有は「客側の絶対義務」なのです。
客としての最低限の「義務」も果たさずに、美味しい珈琲が飲みたいなどという「権利」を主張するような間違いがあっては決してなりません。
それは「切符も買わずに電車に乗せろ」と言うのと同様の恐ろしくルール無視、極めて愚昧で不遜な所業です。

念のためもう一度言いますが、くれぐれも「ミルにだけは金をかけるべし」です。それだけの「見返り」が必ずあります。
そもそも口先ばかりではなく、本心から美味しい珈琲を飲みたいと思っている真の珈琲マニアの方であれば、最低でも5万円以上する「さいの目切り」カットタイプの電動ミルの所有は鉄則中の鉄則ですし、絶対の必須最低条件だと思います。
なによりそれは、素晴らしい逸品豆を提供してくれる生産者や一部の焙煎者の方々に対する最低限の「礼儀」でしょう。


また、抽出器具は、僕は普段は「ネルフィルター」抽出です。
珈琲初心者の頃はペーパーフィルターから始め、数年間ずっとペーパーを使っていましたが、ある日、一度ネルを使ってからは、それ以降すべてネルになり、二度とペーパーには手が伸びませんでした。
それ位に味の次元が違うと言うことだと思います。

ただ、最近になって「円錐ペーパー」が目立って出回るようになり、少し気になってはいました。
そこで一応2010年に入ってから円錐ペーパーを導入し、ネルと平行しながら半年以上使ってみましたが、結局、やはりネルに戻ってしまいました。

円錐ペーパーは、旧来のカリタ式やメリタ式よりも抽出速度に自分の意思が反映しやすいうえ、内径が「真円」ですので注湯操作が完璧な形で出来るので、その分、味も美味しく仕上がるのですが、やはりペーパーは味がくっきりする代わりに底が浅くて飲み口が薄っぺらになります。
それを解消しようとペーパーに針で穴を開ける人も極一部にいるようですが、結果は最悪です。試したら味が乱れてはっきりとまずくなりました。

目の前に、円錐ペーパーとネルの用具が両方並んでいると、ついつい無意識のうちに「ネル」の方に手が伸びてしまいます。やはり両者の作り出す味には埋めがたい決定的な大差があると言う事です。結局、円錐ペーパーの出番はすっかりなくなりました。
ただし、10~20回以上も使って煮沸しても目詰まりが酷くなった古いネルを使う位なら、まっさらな新品の円錐ペーパーを使う方が味は明らかに上です。

なお、もしペーパーを使う場合は絶対に真っ白な「酸素漂白タイプ」を使う事です。
無漂白の茶色いクラフト風「みさらしタイプ」はダンボールのような紙の匂いが強くて全く駄目で最悪です。あの臭いは事前の湯通し程度では全く消えません。

また、抽出時には絶対に、一回一回、必ず「温度計」と「タイマー」を使うことです。
よく沸騰後に一分くらい置いた湯を使うのがコツだなどという人がいますが、気温や湯量は毎回違うのですから、単なる「勘」などで湯温の正確な把握など全くできる訳がありません。もし湯温が2℃も違ってしまえば、味に対する影響は想像以上に大きなものとなります。

一日で何十杯もドリップするプロならその日の気温や湯量を常に管理下に置けるとは思いますが、そうでないアマチュアは「温度計」と「タイマー」を絶対に毎回使うべきです。
もし、珈琲マニアを自称しながらも、抽出に当たり毎回「温度計」と「タイマー」を使わない人がいたとしたら、味にこだわっているふりをしながらも実はひどい味覚音痴であることの「馬脚が現れている」としか思えません。
そんな適当でいい加減な抽出をする人には、珈琲の味を語って欲しくないものです。

ちなみに一言でネル抽出と言っても、製造メーカーやネルの素材や形により、味の仕上がりはすべて「想像以上に全くの別物」になります。
一般に良く見かけるカリタやハリオ等は、綿100%のうえやや布が薄くて硬いタイプであり、起毛もさほど目立ちません。これらでドリップしますと、どちらかと言えば無難というか、フィルターの特徴の出ない味になります。

僕が、真にネルの凄さと偉大さに衝撃を受けたのは、「マルタ」(丸太衣料)の両面起毛ネルフィルターと出会ってからです。
初めてこのネルフィルターを使って抽出した珈琲を飲んだ時の凄まじい美味しさの衝撃は、今でも鮮明すぎるほど鮮明に覚えています。
わずか数百円のフィルターの違いが、これほど大きく珈琲の味を左右する事実に、正直、強いとまどいを隠せませんでした。

マルタのネルは触ると判りますが、とてもフカフカで滑らかで非常に柔らかく、起毛がとても豊かで厚みが他製品の二倍以上はあります。
このフィルターの最大の特徴は、「両面に豊かな起毛がある」事と、素材に「綿(80%)とポリエステル(20%)の混紡」が使われている二点です。

おそらく、超絶の美味しさの秘密はこの二点にあるのでしょう。
珈琲の美味しさの成分は「揮発性」「水溶性」「脂溶性」に分かれます。
よく言われる事ですが、ペーパー抽出は「脂溶性」の成分(コーヒーオイル)を通さないので、味が痩せて美味しくないとされ、ネル抽出やフレンチプレスはコーヒーオイルも通すので、コクがあって美味しいとされています。
ですが、それでは同じネルフィルターなのに、メーカー次第でこれほど美味しさが激変する理由が説明できません。

ちなみに、「水と油」は非常に仲が悪く、そのままでは決して交じり合いません。
そのため、ここが肝心な点ですが、一般のネルフィルターで抽出した珈琲はカップの表面にコーヒーオイルの大部分が「分離して浮いている」状態になっているのです。

その結果、最初の一口で表面に分離して浮いていたコーヒーオイルを飲み切ってしまうと、後はただただ「水溶性成分」だけを別に飲む事になります。
オイルによるクッション感のない珈琲は、悪い意味で水溶性成分が「剥き出しのままの味」になり、なんとも味が薄っぺらく、四角く、落ち着かず、トゲトゲしく感じられます。
「水溶性と脂溶性」成分の二者がバラバラで、ほとんど相互補完をしないのです。

これではせっかくコーヒーオイルを抽出しているのに、味の面でほとんどプラスに生かせていない事になります。
ほとんどの自称珈琲マニアの方は、カップにコーヒーオイルが出ればそれでOKと考えているようですが、それではまだ道程の「半分」でしかないのです。

この点、マルタのネルは、フカフカの起毛がとても豊かで厚みが他製品の二倍以上はあります。
さらに弾性があり水切れの非常に良い「ポリエステル繊維」を混ぜる事で、厚みがあっても液体の通過スピードが非常に速いのです。
そのため、その豊かな起毛の厚いフィルター層を珈琲液が高速で通過する際に、複雑な繊維毛の中で「水溶性」と「脂溶性」の成分がミクロの世界で十分に混じり合ってから出て来るのだと思います。

つまり、珈琲が「乳化する」のです。
「乳化」とは、本来はお互いに決して混じり合わない液体の一方を微粒子にして他方に分散させる事です。
要は、コーヒーオイルがコーヒー液の表面に「浮いてしまう」のではなく、コーヒー液の中に「均一に分散する」と言う事です。

だからこそ、これほど「美味しさが違う」「口当たりが良い」珈琲に仕上がるのだと思います。
珈琲の「水溶性と脂溶性」成分がきちんと乳化して混じり合い、コーヒーオイルが液中に均一に分散して醸された時の味わいは、まさに「別格」です。
「乳化珈琲」ならではの飲み口の「厚み」と豊かな「量感」、非常に滑らかで伸びやかな「まろやかさ」とスムーズな「コク」のある舌触りに「間違いなくこれがネルの完成形の味だな」と確信ができます。

あくまで個人的な見解ですが、ネルフィルター抽出の醍醐味とはこの「乳化作用」にこそあるのだと確信しています。
その意味では、他社のネルフィルターは、マルタの味と比較しますと、正直「ペーパーよりはやや良い程度」と感じてしまいます。

ただし、マルタのネルフィルターは起毛が厚いせいか、目詰まりが起きるのも早い方です。真に美味しいのは最初の5回程度まででしょう。
使用が10回程度を過ぎると、目詰まりによりはっきりと濾過スピードが落ちて、味もずいぶんと濁って来ます。もうこうなると美味しい珈琲は全く淹れられません。
毛足が長いせいか微粉は抜けづらいようで、こまめに煮沸してもさほど寿命は延びない気がします。

また、極まれにですが、裁縫などに使うネル生地を適当な大きさに裁断し、「平たい布のまま」使ってペーパー用のドリッパーや茶漉しなどに折り畳んで装着し、「安くて簡単なうえに、珈琲専用の袋状のネルフィルターと変わらない味が出る」などと言う人がいたりします。
僕も何度か試してみましたが、出来上がった珈琲は「最悪のまずさ」でした。
布の折り目やヒダの重なりが湯の対流を乱すうえ、珈琲の濾過層に薄い部分と厚い部分が出来るため、味の出方がバラバラになり、全く味がまとまらずグチャグチャに破綻して出て来るのです。
それは想像以上の「まずさ」なのですが、それを「同じ味」と言う人がいるのですから、世の中には、信じられない味覚の人がいるものです。
「湯」というものは決して均一には流れません。「少しでも流れやすい方へより多く流れる」という習性があります。
つまり、ネルの生地がダブついて二重三重になってしまっている部分は「湯が流れにくく」なるのです。当然、その周囲の珈琲粉は他と比べてお湯が通過しにくくなり、結果として「抽出不足の味」になります。
逆にネル生地が一重の箇所はそこだけ集中的に湯が通ってしまい、その周辺の珈琲粉は全体の中で「過抽出の味」になってしまう訳です。
結果として、当然ですが味も香りもバラバラな出方をした「帯に短しタスキに長し」の味だけがカップに注がれることになり、「不協和音だらけの最悪コンサート」のような酷い味の珈琲が現出する事になってしまうということです。

この点、カリタやメリタのペーパードリッパーも同じ欠点があります。
これらは内径が楕円であり、「真円」ではないため、どうしても湯の流れに歪みが生じ、珈琲の濾過層の厚みも均一にならず、味が乱れてしまいます。
つまり、ドリッパーの中で珈琲粉の形成する濾過層の厚みが均一にならず、薄い部分と厚い部分が出来てしまうため、結果として当然ですが「抽出不足」と「過抽出」という忌み嫌うべき悪い味同士がゴチャゴチャに混ぜられた味になると言う事です。
この点、完璧な真円を形成する円錐形のフィルターであればそういう問題は起こりにくくなります。実際、同じペーパーでも円錐形のフィルターと比較しますと、カリタやメリタは、はっきりと「まずく」感じられます。

どうやら、湯の動きや流量が一切乱れない完全なる「真円」型に形成されたフィルターを使わなければ、完全な味の珈琲にはならないようです。
ドリップの工程で起きる対流や抽出の現象は、僕達の想像以上に非常にデリケートな現象だと言う事なのでしょう。

それにしても、これほど珈琲の味を簡単に大きく左右してしまう「フランネル・フィルター」について、もっと珈琲業界全体で熱心な研究開発や啓蒙活動、新製品の発表などがあってしかるべきと思うのですが、昨今の珈琲業界では「ネル」が話題に上る事さえほとんどないようで、なんだか不当に片隅へ追いやられている感じです。
大きな利益にはつながらない数百円程度のグッズは、取り上げても仕方ないと言う事なのでしょうか。

ですが、珈琲液を「乳化」させること、この一点において「ネル」の代替品は存在しません。
逆に「ペーパーフィルター」や「フレンチプレス」は1000年経っても「ネル」に追い付けない構造上の決定的な弱点を持っている事になります。

「乳化」は極めて基本的な調理法の一つです。
珈琲の抽出もまた「料理」であり「調理」なのです。
この事を常に忘れないで欲しいものです。

また、「フレンチプレス」(コーヒープレス、カフェプレス)も使った事がありますが、どうやっても、何度やっても、60点以上の味にはなりません。
逆に言えば、誰でも簡単に60点位の味は出せる、と良い方へ考えるべきかも知れませんが、100点の味を希求するマニアが使うタイプの抽出具では絶対にありません。

フレンチプレスを使ってみると、その欠点がすぐに判ります。
まず、湯を注いでも珈琲粉が浮き上がってしまい浸漬が不十分、竹べら等で無理に沈めようとすると液が混濁してしまう、濾過層が出来ない、微粉でザラ付く、ステンレスプランジャーの嫌な金属臭さが付着する、アクが溶け込み珈琲をアクごと飲む事になる、抽出後も底部で浸漬が続き過抽出臭くなる、抽出液が濁って見た目が汚らしい…などなど、いろいろと我慢ならない不満があります。
注ぐ湯の温度指定が「90℃~95℃位」なのもあまりにも熱過ぎて不適切です。もし95℃などの熱湯を注いだら珈琲粉が煮えてしまって、じっとりと蒸れ過ぎたような厭な味になってしまい、煮詰まったようなネチネチした膠状の悪い舌触りも出て、とても不味くて飲めたものではありません。

ですが、中でもフレンチプレスの最大の欠点は、抽出時に「珈琲の味を一切取捨選択できない」と言う事です。
まるまる漬け込む方法では、良い味も、悪い味も、一緒になって抽出液の中へ出て来てしまうのです。
抽出は「良い味を抽出する」だけではまだ半分なのです。「悪い味を出さない」ことも出来て、初めてやっと完全なのです。
肉料理でも魚料理でも野菜料理でも、最高ランクの美味しい一流料理になればなるほど、素材の負の部分はすべて料理中に除外し、素材の「一番美味しい部分だけ」を厳選して取り出して出して来ます。
だからこそ他の一般店より「圧倒的に美味しい」のです。これは料理作りの基本中の基本です。

中には、「スペシャリティ珈琲なら悪い味は含まれていない」などと「客を馬鹿にした大嘘」を平然と付く悪どい珈琲店もあります。
そのようなこの世に存在しない「理想の絵空事」を語るのは、夜の眠っている間の「寝言」だけにして欲しいものです。

また、何より重要な事は、この欠点はフレンチプレスは「珈琲の味作りに何の工夫も調理もできない」と言うことを意味しています。
つまり、珈琲のキャラクターを構成する各要素、つまり「酸味」や「旨み」や「苦味」や「トロ味」などなど、自分の出したい味と出したくない味を選べず、それらの「ウェイト配分=最後の仕上げの味作り」も一切できないと言う事です。

くれぐれも強く申し上げますが、珈琲の抽出は「味作り」そのものなのです。
僕は、新しい豆を初めてドリップする時は、自分で考えた「スペクトル分析抽出法」を実行しています。

「スペクトル分析抽出法」とは、具体的には、エスプレッソ用の小さなカップを7つ用意して横一列に並べ、ネルドリップしながら順次移動して、それぞれのカップに25秒ずつほど珈琲液を順番に落として行く方法です。
珈琲ドリップの常識ですが、蒸らしの後、ドリップの最初はその豆の持ち味のうち「酸味」がメインに抽出されます。
続けて時間の経過や抽出量の増加と共に、「酸味」→「旨味」→「甘味」→「香り」→「苦味」→「渋み」→「えぐ味」と順番に味が出てくるのです。

ですから、ほぼ25秒ずつ移動させながら珈琲液を滴下させた7つのカップを飲み比べますと、最初のカップは「酸味」が強く、中ほどのカップは「旨味や甘味」がメインとなり、その後のカップは「苦味」が強くなり、最後のカップは「渋味やえぐみ」がメインになってまずくて飲めないものになります。
もちろん豆の銘柄やロースト度、湯温やミルの粒度などによって違いはありますが、このように時間軸で分けて7つのカップに注ぐ事で、その豆の個性やプロフィール、美点や欠点、抽出温度や時間の最適ポイントなどが把握できるようになるのです。
というより、こうしない限り、その豆の正確なプロフィールは把握できないはずです。
3分間、一つのカップの中にまるまる抽出してしまっては、いつどこで、どんな味が出ていたのか、一切判りません。
もし酸味が強すぎるなら、その酸味は抽出開始後のどのあたりで出ていたのかとか、もし苦味が強すぎるならその苦味は抽出開始の何十秒後あたりで出ていたのかとか、気になるある特徴的な香りがあるなら、その香りは抽出開始の何十秒後あたりで出ていたのか、などなどが完全に把握でき、全て判ったうえで、初めて「本抽出」に臨むべきなのです。

それらがすべて把握できて、初めて、その豆の「美点」をより一層伸ばし、「欠点」は出来る限り少なくするドリップ法が可能になるのです。
つまり、その珈琲が、もし「酸味」が強すぎて邪魔に感じる豆なら最初の方の滴下は捨てるなどし、もし「甘味」をもっと出したい時は中盤の湯量を多くするなどし、もし「苦味」がまずいと感じる豆なら途中で湯温を下げたりドリップを意図的に早めに切り上げるなどし、また「本来の香り」がしっかりと出尽くすポイントを把握するなど、それぞれの豆を美味しくするための「最適なる調理」としてのドリップを実行するということです。
逆に言えば、それらのことも判らずに、まともな抽出は絶対に不可能です。

また、珈琲本来の「香り」の多くは、意外にも後半の方になって出てきます。
ですから、もしドリップを1分半など手早に切り上げてしまうと、その豆の本当の香りはほとんど抽出されません。
そういう淹れ方をされた珈琲の多くは、豆の表面に付着していた「燻り臭さ」だけが強調された、イガイガした煙臭い激マズの珈琲となります。
例え浅煎豆だとしても、せめて2分以上はしっかり時間をかけてドリップしないと珈琲の本来の香りはほとんど抽出されません。
しかし、自称プロの珈琲店の中にも、面倒臭いのかやたらとドリップを手早に切り上げて、実際にそういう「煙の臭いしかしない」酷い激マズ珈琲を鼻高々で出して来る酷い勘違い店が少なくない現実に驚き、呆れてしまうことが少なくありません。
それは焙煎のいぶり煙の悪臭なのですが、店主さんは珈琲本来の香りも味も判らないのか、その酷い煙臭さを「珈琲の香り」だと完全に錯覚してしまっているようです。

繰り返しますが、珈琲の抽出は「料理」であり「調理」なのです。
ですから、フレンチプレスのように何の工夫もなく粉をそっくりまるまる漬け込んだ形で出される珈琲は、まるで一切の調理を経ずに「素材」のまま出されているようで、飲んでみても「作り手の意思が全く感じられない味」なのです。
そういう匿名的で中途半端な珈琲は、まだまだ「未完成品」というか、手抜きの「出来損ない」というか、そもそも料理とは思えず、味以前の問題として、わざわざ評価や鑑賞を行う対象にすらなり得ないと思ってしまうのです。

もちろん、フレンチプレスでは美味しい珈琲の抽出で一番肝心な、水溶性成分と脂溶性成分の大切な「乳化」も一切起きません。
そのため金属フィルターに特有の、なんとも四角く、落ち着かない、どこかトゲトゲしい味に感じられます。
悪い意味で「剥き出しのままの味」であり、まるでまだ製作途中で「最後の仕上げのひと手間」を忘れて出された未完成のままの料理のようです。
また、フレンチプレスで淹れた珈琲には、血中のコレステロール値を上昇させる「カフェストール」と言う有害な成分が残りやすいと言う欠点もあります。

時折、「フレンチプレスは、プロがテイスティングする際のカッピングに最も近い抽出方式だから、最も美味しい珈琲の抽出法である」などと、どこぞで吹き込まれた、もしくは、聞きかじった話を、そのままそっくり「鵜呑み」にしている人がいたりしますが、まさに「笑止千万」とはこの事でしょう。

カッピングは、さまざまな農園の豆の本来の持ち味のみをチェックできるよう、「全くの同一抽出で比較する」と言う目的で、カップに砕いた豆を入れて単純にお湯を注ぐと言う抽出形態を採用しているだけです。
逆に言えば、豆の個性や適性をすべて無視し、抽出における一切の工夫をしないと言う事であり、それが「珈琲を最も美味しく抽出する最善の方法」ではない事は、あきれる位に自明の事です。

まれに「プレスで淹れたら今までの珈琲よりおいしくて驚いた」等とか言う人もいますが、それは「プレスが美味しい」のではなく、今まで飲んでいた珈琲が「あまりにもまず過ぎた」だけだと思います。
おそらく今までのドリップ法は「ひどい間違いだらけ」で、特に「無漂白のみさらしフィルターを使っていた」「先細のドリップポットを使っていなかった」「蒸らしやのの字注湯が出来ていなかった」などなどの致命的なミスが非常に強く疑われます。

また、フレンチプレスで淹れた珈琲は微粉で濁りまくり、どうしても「品」や「格」と言うものが感じられません。
自宅で一人で自分用に飲むならまだ良いのですが、大切な来客に出す珈琲や、高いお金を取る一流店の珈琲としては、やはり「NG」という気がしてしまいます。
逆に、キャンプ場や山小屋などで飲む、荒削りで野趣あふれるシチュエーションにおいては、プレスで淹れた珈琲は面白いかも知れません。

ただし、キャンプ場などで珈琲を飲む時も、わざわざフレンチプレス等を持参しなくても片手鍋と茶漉しアミがあれば十分に同じ原理で珈琲が淹れられます。いや、同じどころか片手鍋の方がフレンチプレスなどよりも、遥かにずっと美味しく淹れられます。
鍋に湯を沸かし90℃位になったら、珈琲粉を静かに入れます。珈琲粉は湯の表面に浮いてしまいますので、スプーンの背で粉をゆっくり静かに押し沈めます。3~4分経ったら、鍋をゆっくりと傾けて茶漉しで漉しながら珈琲をカップへ静かに注いで出来上がりです。
なお、3~4分の抽出中、もし冬などで気温が低い時は、時々コンロを極弱火で一瞬だけ点火したりして保温します。
この方法の最大の利点は、鍋の直径がプレスの直径より数倍も大きいため珈琲粉がよく沈み浸漬が十分に完了する事、そして注ぐ際にプランジャー(金網)を押し下げる必要がないため珈琲液をさほど混濁させずに済む事です。

プレスで珈琲を淹れるとすぐ判りますが、湯の表面にほとんどの珈琲粉がゴッソリと固まって浮いてしまったままで、時間が経っても粉のガスがなかなか抜けず、沈まないため「粉の半分も浸漬しない」のです。
最初に少量の湯だけ注いで30秒位待つ「蒸らし」のような事をしてみても、あまり効果はなく無駄です。
つまりフレンチプレスと言う物は、浸漬法であるにも関わらず、珈琲粉が湯に十分に浸漬せず、そのままだと長時間待っても十分に味が抽出されないという酷い欠点があるのです。
だからと言ってスプーン等で粉をグルグルかき回してしまうと、味もグチャグチャに混濁してしまい、ひどい苦味とエグ味だらけのトゲトゲした激マズ珈琲になってしまいます。

しかし直径の大きな鍋ですと、湯の表面積がとても広いですから、入れた珈琲粉が広範囲に広がりながら拡散し、遥かに湯に馴染みやすいのです。表面に浮いた珈琲粉も薄い層になっていますから、スプーンの背で軽く静かに押すだけですぐ素直に沈みますし、何もしなくても1分もすればほとんどの粉は次第にガスが抜け、自動的にきれいに沈み「浸漬」されます。

また、プレスですと、カップへ珈琲を注ぐ直前にプランジャーを押し下げるため、せっかく沈んでいた珈琲粉を再び一面に舞い上がらせ、珈琲液をわざわざ「酷く混濁」させてから注ぐ事になります。
これでは舌触りは悪くなり、味も濁りまくり、見た目も汚らしく、何ともガサツな珈琲になってしまいます。
しかし、片手鍋であれば、鍋をゆっくり静かに傾け、茶漉しアミを通して粉を濾過しつつ、静かに珈琲液をカップへ注げますので、鍋の底に沈んでいる粉を舞い上がらせる事もずっと少なくて済むのです。
その結果、液の濁りも、味の濁りも遥かに少なく、ずっと美味しい珈琲に仕上がる訳です。

ただし、ステンレスやアルミの片手鍋では、珈琲に金属臭さが移ってしまいますので、僕は琺瑯製の雪平鍋を購入して、今でもごく時々ですが、気分転換にこの「雪平鍋浸漬法」で抽出をする事もあります。
実際、同じ「浸漬方法」で珈琲抽出をするなら、フレンチプレスなどよりも、この行平鍋抽出法の方が、味がくっきりと濃く、遥かに風味が濁らず、ずっと液も澄み、数段は美味しく仕上がります。

ちなみに、欧米の抽出法ではフレンチプレスが普及していると言う人もいますが、それは焙煎法においても欧米では直火式焙煎機は壊滅状態で熱風焙煎機が当たり前であるのと同じ理由ではないでしょうか。
つまり、味の追求よりも「珈琲の取り扱いのユニバーサルデザイン化」と言う一点に於いてのみ、それらが普及しているのだと思います。

つまり、鰻や焼き鳥を調理するなら「炭火」が最上である事は常識中の常識な訳ですが、現実には、炭火よりずっと扱いが簡便で難しい技術の要らない「ガス焼き」や、誰でもボタン一つで手軽に焼ける「電熱焼き」が、ずっと味は落ちるものの広く普及しているのと同じ現象だと思います。

いずれにしても、100点満点の超絶珈琲を日夜希求し続ける真の珈琲マニアから見れば、フレンチプレスは「児戯に等しい」、いや「児戯そのもの」と思わざるを得ません。

また、金属製の「畳織茶漉し」を使用してドリップしてみた事もありますが、確かに布や紙のフィルターと違い、フィルターに吸着されてしまう物がなく、味の成分もコーヒーオイルもそっくりそのままとてもストレートに出るのは良いのですが、ステンレスの嫌な金属臭が珈琲液に付着するうえ、やはり、金属の薄い網では、珈琲液がまったく「乳化」しないのです。

やはり、オイルによるクッション感のない珈琲は、悪い意味で水溶性成分が「剥き出しのままの味」「極めて即物的な味」になり、なんとも味が四角く、落ち着かず、ナマナマしく、トゲトゲして感じられます。
それでも、同じ金属フィルターのフレンチプレスよりは、「粉の蒸らしが出来る」「珈琲の濾過層が出来る」「アクが溶け込まない」などなど、遥かにマシな味には仕上がりますが。

この点、僕は「エスプレッソ」も大好きなのですが、エスプレッソの抽出もいわば金属フィルターな訳ですが、高気圧をかけて金属面の微細な穴から珈琲を蒸気とともに勢い良く噴出させますので、その激しい圧力噴出の際に「乳化」が起きているのでしょう。
実際に、9気圧抽出の本格エスプレッソは「乳化珈琲」ならではの非常に滑らかで伸びやかで、丸みとコクのある舌触りです。

「カリタ・ハイカットミル」と「マルタ・ネルフィルター」は、僕にとって「運命の二大アイテム」です。
正直な話、この二つに出会わなければ、世の中のほとんどの人がそうであるように、僕は珈琲の美味しさの「真の高み」を知らないまま過ごしていたはずであり、結果としてここまで深く珈琲の世界にのめり込む事もなかったと思います。

ついでに申し上げますと、ドリップポットは絶対に「ほうろう製」を使う事です。
ご存知とは思いますが、琺瑯とは金属の表面にガラス質の釉を焼き付けてコーティングしたものです。

僕はステンレス製や純銅製のポットも持っていますが、特にステンレスポットで珈琲を淹れると、珈琲に「金属臭」と言いますか、「金っ気」が付いてしまい、まずくて飲めなくなります。
特にステンレスポットを洗う際にスポンジ等で金属表面を強くこすってしまうと、てきめんに不安定な金属イオンが発生してしまいます。この金っ気は一度発生すると、いくら濯いでも容易には取れません。
そもそもどんな浄水や岩清水でも、ステンレスのコップやアルミの柄杓で飲むと、とっても金属臭くて、まったく美味しくないものです。

その点、金属と違って、琺瑯(ガラス質)は酸性やイオンに対して非常に安定していますので、いくらこすり洗いをしてもポットから金臭さが出る心配が一切ありません。
そのため、ステンレスポットはお蔵入りしてしまい、もう何年も使っていません。

大繁盛している喫茶店などでは耐久性に劣る琺瑯製のポットよりも丈夫なステンレス製を使っていたり、雰囲気最優先のカフェなどでは見栄えの良い銅製のポットを使う事もあり得るのかも知れませんが、味覚最優先の珈琲マニアが自分用途で使うなら「琺瑯製」以外にはあり得ないと思います。

また、上でも書いたとおり、もしペーパードリップをする場合は、絶対に真っ白な「酸素漂白タイプ」を使う事です。
無漂白の茶色いクラフト風「みさらしタイプ」はダンボールのような紙の臭いが強くて全く駄目で最悪です。あの臭いは事前の湯通し程度では全く消えず、とても飲めたものではありません。

加えて、台所や厨房で使う洗剤は、当たり前のことですが絶対に「無香料タイプ」を使うことです。
珈琲カップや抽出器具に安い人工香料の臭いが付着してしまっては、どんな極上珈琲も全く飲めた物ではなくなります。
と言うより、本当に嗅覚の優れた人なら、あの鼻が曲がるほど異常にどぎつい「花」や「果物」を模した下卑た強い人工香料の醜悪な臭いを嗅いで平気で居られるとは到底思えません。僕などひと嗅ぎしただけですぐに気持ち悪くなってしまいます。
安い人工香料入りの合成洗剤を家の中に置いておくこと自体が嗅覚の鈍い証拠であり、その時点で既に「珈琲マニア失格」だと思います。

ですので、本当に珈琲の味が判り、人並み以上に味覚が敏感な人なら、絶対に「金属地肌ポット」や「無漂白ペーパー」や「香料入り洗剤」は使わないと思います。
もし、得意になって珈琲趣味を自慢しながらも、ステンレス製のポットを愛用していたり、みさらし無漂白ペーパーを常用していたり、強い香料の合成洗剤を使っているような人がいたとしたら、その人は「実は非常に鼻も舌も鈍感な人」であり、「並以下の味覚しか持たない似非珈琲マニア」と思って良いと思います。


さて、焙煎度の話に戻りますが、世の中には「超浅煎り」となるライトローストやシナモンローストという物もあります。
「浅煎り」は大好きなのですが、これが「超浅煎り」になりますと、これまた今度は浅すぎて珈琲の魅力の全部を引き出していないと思いますし、珈琲らしい味にもなっていないと感じてしまいます。

また、先にも述べたように「ドゥミ・タッス」や「エスプレッソ」や「アイスコーヒー」は別です。
これらは逆にフルシティ以上に深く焙煎する必要があるのは言うまでもない事です。
ちなみに僕は「ドゥミ・タッス」も「エスプレッソ」も「アイスコーヒー」も大好きです。
エスプレッソは9気圧マシンを買ってその美味しさにとても感動し、その世界を極めたくなり半年間ほど徹底してエスプレッソしか飲まなかった時期もあります。

特に、「良く出来た深煎り豆」ならレギュラーではなく、ぜひドゥミタスやエスプレッソで飲んだ方が遥かに美味しいと思います。特にドゥミは深煎り豆と非常に相性が良いです。
時折、ドゥミタスを単なる濃くて苦いだけの少量の珈琲だと誤解している方もいますが、お酒で言えば「ワイン」と「ブランデー」位に、レギュラー珈琲とは根本的にまったく違うジャンルの珈琲です。
最高レベルのデミタスは、まさしく「コニャック高級ブランデー」に匹敵する存在です。めくるめく奥深く濃密な味わいと至福に包まれる長い味の余韻を楽しませてくれます。
飲んでいる時よりも、飲み終わってから口中に長らく続く甘い余韻の時間が、むしろ本命と言えるほどです。

ただし、それらはまず中央に「レギュラー珈琲」があった上での事であって、やはり「これぞ珈琲の魅力そのもの」「これこそ珈琲の王道を行く味」という究極の領域を求めて行きますと、やはり「レギュラー珈琲」でしか体験できないと思います。

なぜなら、口中いっぱいに湧き立ち、鼻腔にあふれ返る珈琲の素晴らしい芳香や、舌から喉へかけて幾重にも折り重なる繊細な味やニュアンスのすべては、珈琲成分を湯で溶き伸ばすようにしてある程度薄めに淹れないと出にくい(口中で展開しにくい)と思うからです。

珈琲は「やや薄め」に淹れる事で、味もきれいに展開し口中いっぱいに広がり易くなり、芳香も鼻腔内に豊かに立ち上がり易くなります。
そしてやや薄めに淹れる珈琲には「浅煎り」の豆が非常に相性が良いのです。
つまり、「焙煎」と「抽出」の両方で、浅煎りは珈琲豆の本来のキャラクターを最も生かすロースト法なのです。

素晴らしい逸品豆になればなるほど、その類まれなる芳香味を壊さぬようぜひ焙煎度は「ミディアム~シティ」であること。


それが日本一美味しい珈琲を見つけるための「第三歩目」になります。




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理想の珈琲の定義 (2)
僕にとっての「理想の珈琲」に通じる四つの定義。
その第2の条件は、

<2>ティピカ種の豆であること

です。

ご存知の通り、珈琲の三大品種はアラビカ種、ロブスタ種(カネフォラ種)、リベリカ種です。
Wikipediaによれば、現在、世界で栽培されている珈琲の75~80%がアラビカ種で、残りの約20%がロブスタ種、1%未満がリベリカ種だそうです。
さらに品種を細かく見ていくと、最終的な栽培品種は200種類以上存在しているそうです。

一般に珈琲の起源と言えばエチオピアで発見されたアラビカ種のこと。
ちなみに「ティピィカ」(C.arabica'Typica')は、そのアラビカ種の原種に最も近いと言われている品種の代表です。

珈琲に興味を持ち始めた当初は「生産国名」「生産地名」「グレード」などで豆の味を覚え、評価し、好みを判断していました。
ですが、珈琲経験を積んで行くと、一年もしないうちに自分がすごく美味しいと思う珈琲豆は「生産国」「生産地」「グレード」などの狭い枠を超えて、そのほぼすべてが「ティピカ種」の豆である事に気付きました。

もちろん今や熱帯各国に広まって栽培されているティピカですので、生産国の風土や海抜、生産者の農法や精製法によって香味は当然に大きく違います。
ですが、ティピカの素性の良さ、その味わいの深さと豊かさは明らかに「別格」です。
お米の品種で例えて言えばお米の王様「コシヒカリ」、ワイン醸造用のブドウ品種で言えば「ピノ・ノワール」のようなものでしょう。

個人的には「日本一の究極の珈琲」は間違いなくこのティピカ種の中にあると確信しています。
ですから、例え高価なオークションロットやCOE入賞豆などであっても、ティピカ以外の豆にはあまり食指が動かず、期待が湧きません。
実際、他品種はどんなに鳴り物入りの高価な豆でも、飲んでみると確かに凄い豆だし桁違いに美味しいとは思えても、なぜか「珈琲の王道を行く味ではないな」と思ってしまう事がほとんどです。
僕にとっては「美味しいけど、何かが違う」のです。
飲んでいる時はもの凄い珈琲だとは思っても、でも数時間もすると必ずある種の違和感や失望感が頭を持ち上げてきます。

ですが、美味しいティピカ種の場合は、これぞまさに「珈琲の王道を行く味」そのものと感じます。
優良な栽培をすればするほど、上手な焙煎をすればするほど、その美味しさはまさに「天井知らず」です。
美味しさがまっすぐ上に無限に伸びて行く印象です。
真に優れたティピカの場合だけは、全身全霊で決定的に満足させられてしまい、何かの疑問や疑念が湧くようなことが一切ありません。
このような完璧な至福に包まれる感覚は、他の品種では一度も経験がないのです。

そして、他の品種豆はどんなに美味しい豆でも、結局、「単に鼻と舌で味わい終わる」「数日経つと記憶が薄れる」レベルの味なのですが、絶品ティピカは単なる一過性の味覚体験程度では終わらず、飲む者の「魂を激しく揺さぶる味」であり、「心の琴線を鷲づかみして来る香り」であり、「時を経るほど美味の記憶が大きくなる」レベルの美味なのです。
それは単なる「おいしい」と言う味覚や感覚ではなく、むしろ、何かの媚薬や麻薬に近い「危ない成分」が含まれているのではないかとさえ思えてしまうほどです。

特にその悩殺的な香りの素晴らしさは、まさに「似たものがない」「比類がない」強烈な陶酔パワーを秘めたものです。
ですから、珈琲を飲んで、「ワインの香り」とか「チョコレート風味」とか「柑橘の匂い」とか「花のフレーバー」とか、その風味を他の何かに例えて得意になっている珈琲初級者がよくいますが、その香味を他の何かに例える事ができるようなレベルの珈琲は、実はまだまだ「中の下」以下の珈琲だと思います。

真に美味しいティピカと出会えば、その香味は過去に類例がない非常に高いレベルゆえ、安易な文字や言葉でその香味を賞賛したり、何か他の日常的な飲食物に喩えて表現したりする事は到底不可能であり、めくるめく逡巡した末に、結局、その香味のすべてを表現できる相応しい言葉など見つかるはずもなく、ただただ「言葉を失う」「絶句する」だけの状態になるはずだからです。
と言うよりも、そのあまりの美味しさの衝撃に、そもそもほとんど思考停止となり、「気絶」や「失神」に近い精神と肉体の状態になるはずです。

ティピカ種は言うなれば「選ばれし豆」であり、その香味は「珈琲の魅力そのもの」であり、持って生まれた「ポテンシャル」の容量もあまりにも桁外れで、他の品種とは全てが大きくかけ離れて違う印象を受けます。

ちなみに、この道何十年と言う老舗の珈琲店主の中には「昔の珈琲豆はもっとずっと美味しかった」とか「以前の豆は各国別にもっと味の個性が際立っていた」と嘆く方が少なくないそうです。
「美味しかった昔の珈琲豆」とは、僕の想像ですが、おそらくは今は激減してしまった「ティピカ」の事を指しているのではないでしょうか。

実際、珈琲に限らずですが、近年、あらゆる農作物は経済効率と自由競争の名の下に世界中でどんどん人為的な品種交配が繰り返され、「新品種」が誕生しています。
珈琲はもともと長年の月日を経て自然交配や突然変異などの自然現象で誕生した「新品種」も多いのですが、それらだけでは飽きたらず、さらなる利潤追求の結果、珈琲業界としては数値評価しづらい「味」よりも、毎年沢山の実を付ける生産効率の良い「多産」品種、大規模プランテーション農場で機械で収穫しやすい「低木」品種、シェードツリーの要らない「日向性」品種、病虫害に強い「耐病性」品種などをあれこれ研究・開発し、それらの「新品種」を次々に優先して作付けして来ました。

さらには、味は良いが病虫害に弱い「アラビカ種」に、多産で病虫害に強いもののクセも強い味の「ロブスタ種」を掛け合わせた「ハイブリッド種」もあります。「アラビカ種」と「ロブスタ種」は、本来なら完全な別種であり、自然のままでは受粉(交雑)しない別種なのですが利益のためには何でもするのが現代農業経営者の真骨頂という物なのでしょう。
この「ハイブリッド種」は病虫害にとても強く栽培は楽なものの、「味」は非常に犠牲になっています。

結局のところ、ティピカやブルボンなどの「伝統的在来種」は素晴らしく美味しいのですが、非常に低収量で隔年でしか実がならなかったり、強い直射日光や病虫害にもとても弱く、生産性が上がらないという弱点があり、そのため、利潤競争の結果、これら生産性の低い伝統品種は駆逐され、その栽培面積は激減してしまったのです。

さらに、それら味を犠牲にした新品種やハイブリッド種の増加だけでなく、化学肥料などの多用で各国の珈琲農園の土壌が似通った養分を持つようになり各国の風土の個性が豆の香味に反映されづらくなって来ていることが珈琲の無国籍化や無個性化につながっているとしか思えません。
また、時間と手間のかかるサンドライ(天日乾燥)方式から、機械の温風による短時間強制乾燥方式への移行も、豆の風味を薄れさせてしまい、やはり無個性化につながっているのは間違いないでしょう。

特に、一、二を争う最大生産国であるブラジルやコロンビアで、近年、そのような生産効率重視の珈琲の新品種化、ハイブリッド化、近代農法導入による香味の無個性化、などなどが積極的に推進された影響は非常に大きいでしょう。
その結果、果たして珈琲の「香」と「味」はどうなったのでしょうか?

ティピカ全盛の頃は美味しい珈琲の代表格であったコロンビアなどは、政府推奨のエメラルドマウンテンやカップオブエクセレンス受賞豆なども含め、僕には「珈琲の味がしない」としか思えない豆ばかりで、その凋落振りには目を覆うばかりです。
それでいてコロンビアやブラジルのCOEなどでは、なぜかそんな新品種ばかりが上位に選ばれるのですから…何か戦略的な意図を感じざるを得ません。

繰り返しますが、近年登場した新品種やハイブリッド種は「美味」のための品種改良品ではない点が最も問題です。
それは一本の木から、今までの何倍もの収量が得られるように交配して作出された非常に多産な新品種なのです。
一見、良い事のように誤解する人がいるかも知れませんが、一本の木の中を流れる栄養分の総量は変わらないままに数倍の実(種子)が成るようにしたと言う事は、つまりは香りも味も数倍に薄められた豆が収穫されるという事を意味します。
そうして作られた新品種の珈琲とはどういう味なのか、これ以上はもう多くを語らずとも、すべてご賢察頂けると思います。

ちなみに、日本の果樹園では林檎とか桃などは、花が咲く頃にわざわざ「摘蕾」や「摘果」と言って花のつぼみや幼い実を7~8割も摘み取ってしまいます。つまり一本の樹に成る果実の数を人為的に極端に減らす事で一個ずつの果実に数倍も多くの栄養を集中させ、より甘く、より大きく、より美味しい果実が育つようにしているのです。
こんな事、すべての果樹栽培においては「イロハのイ」であり、必須厳守事項であり、極めて当たり前すぎる「常識中の常識」です。

しかし、その果樹栽培における超常識の、まさに「真逆」を行っているのが、近年の珈琲栽培業界の実態なのです。

どうです?
「どうせ消費者に珈琲の味なんて判りはしない」とか、「広告で美味しいと書けば飲んだ消費者も美味しいと思うもの」とか、「スペシャリティとかCOEとか書けば客は喜んで買って行く」とか、「無知な素人はだまされている事にさえ気付かない」とか…どこからかそういう冷笑が聞こえて来る気がしませんか?

ただし、ブラジルもコロンビアもごく一部では、まだ頑なに伝統的在来品種の純血を守り抜き、伝統的な農法を貫いている生産者や地域もあるのは救いです。

また、スペシャリティやCOEの豆なら、何でも無条件にありがたがって絶賛している人が少なくありませんが、それも甚だ疑問です。
なぜなら、スペシャリティの得点審査では、各農園が選りすぐった最良のコンディションのニュークロップ(新豆)が使われます。そのサンプルで、全体の評価(値段)が決定されてしまうのですから、一番良いコンディションの豆を選び抜いて出すのは当然でしょう。
しかし、もしもサンプルですごく良い味が出ていても、いざ日本へ入荷する本ロットでは、必ずしも同じ味、同じコンディションとは限らないようです。猛烈な暑さの赤道直下を船便でえんえんと輸送され、さらに税関や検査で何ヶ月も足止めされたり、検疫で危険な殺虫薬品で何日もかけて燻蒸されたりすれば、香りや味が劣化しない方がむしろおかしいと思えます。

さらに、珈琲の生豆は見た目がよく似通っていることもあり、食品業界のお家芸とさえ言える「産地の偽装」や「安物すり替え詐欺」などの可能性も払拭できず、実際、サンプル品と本当に同じものなのか、本気で疑いたくなるケースも随分と多くあるようです。
実際、すり替えられていても、豆のDNA検査でもしない限り、小さな一個人店の店主では確認の方法がないでしょう。
ですから高価なスペシャリティ豆を買ったと思って喜んでいても、中身は激安のコマーシャル豆だった・・・しかし店も客も味が全然判らずスペシャリティ珈琲という「ラベル」ですっかり自己満足しているだけだった・・・などという笑えない話も相当数ある気がします。

また、もし万一、幸運にもサンプル品と同等の品質の豆が届いたとしても歓迎できるとは限りません。
なぜなら、スペシャルティ豆は香りに特徴のある珈琲がとても多いのです。それが選考基準のひとつですから当然の結果なのでしょう。
特に果実味や花の香りを売りにしている「変化球」的な珈琲も少なくありませんが、しかし珈琲に花の匂いや柑橘の香り、フルーツの味を強く求める奇特な人など果たしてどれだけいるのでしょうか。
チョコやナッツ、スパイスやハーブならまだしも、オレンジピールやレモン、ジャスミンやハイビスカスの匂いなど珈琲に合う訳がないと思ってしまいます。

珈琲を飲んで「レモンの香りが…」とか「ハイビスカス風味が…」などと得意になって語っている人を見てしまうと、「馬とか鹿のお仲間なのでは?」と思ってしまいます。
そのようなフルーティとかフローラルな味で喜ぶ人は最初からレモンティーやハイビスカスティーを飲んだ方が良いのではと思います。

要は、「頂点に立つような美味しい珈琲こそ珈琲の王道を行く味がするべき」と言うのが僕の持論です。

もちろん嗜好品ですので「新品種豆の味が好きだ」と言う人がいても大いに結構な事です。
しかし、現実には、そんなコロンビアやブラジルでさえも、拡大した新品種やハイブリッド種の栽培を縮小し、伝統的なティピカやブルボンの苗に植え直す「味」優先への回帰現象も一部で始まっているそうです。

個人的には、美味しい珈琲探しの旅は「ティピカに始まり、ティピカに終わる」と確信しています。
珈琲のプロや専門家の評価でもティピカは美味しい珈琲品種の「筆頭」に上げられています。
ですので、もし珈琲マニアを自称していながら、また、ブログ等で珈琲を熱っぽく語っていながら、会話やブログの中でティピカの「テ」の字も出て来ないような人は、珈琲マニアとしての「程度も知れたもの」と思って良いと思います。

と言うより、自称珈琲マニアとしてあれこれ色々な豆を飲んでいても、「ティピカ」と「それ以外」の香味の歴然とした違いに、果たして気付かないものなのでしょうか?
あまりにも厳然として存在する大きな落差に、気付かない事の方が不思議でしかたがありませんが、結局、味など全く判らず、ただただ通販サイトの広告文や店主の営業トークを、そのまま鵜呑みにして妄信している程度の低い人ばかりが多いのでしょう。

また、お店によっては、いまだに「ブラジル」とか「コロンビア」とか「マンデリン」とか「モカ」とか、最低限の簡易な商品表示しかしていないお店があります。
しかし、特に巨大生産国の場合は、一つの国の中でも多くの珈琲の品種が栽培されているため、客としてはこれでは豆の選びようがないと思います。
例えれば「ブラジル」などはブルボン種とカツアイ種では全く味も香りも原価も異なる訳ですし、「コロンビア」ならティピカ種とバリエダ種では全く味も香りも原価も異なります。「マンデリン」も同様ですし、「モカ」なども、最低限、イエメン産とエチオピア産では全く完全に別の珈琲として扱われるべきです。
さらに産地や農園や標高や土壌や精製法でも味が大きく変わりますから、これらの大手生産国については最低限、それらの品種、産地、農園、標高、土壌、精製法等の表示がなければ、味の推測が不可能であり、それでは怖くてとても買えませんし、値段が適正かも一切判りません。

同様に、程度の低い珈琲初心者が、珈琲の感想として「ブラジルらしい味」とか「コロンビアならではの香り」とか「マンデリン特有のコク」とか、味が判った振りして得意になって語る姿を時折見かけたりしますが、これも何とも無知で非常に見苦しい事です。
これらのメジャー生産国は、同じ国の珈琲であっても品種や産地や農園や精製法によって香味は極めて大きく異なり、さらに焙煎機の形式やロースト度によっても香味は全くの別物になるのですから、「~らしい」とか「~ならでは」とか「~特有の」と言う表現は、絶対に「不可能」なのです。
それを臆面もなく口に出すと言う事は、自身が「珈琲の事を何も知らない」かつ「味が一切判らない」事の恥ずべき露呈以外の何物でもありません。

ギリシャの高名な哲学者であるソクラテスも「無知の知」という言葉によって、「真の知への探求は、まず自分が無知である事をよく知る事から始まる。」と説き、無知である人物よりも、その無知である事を認識しようとしない人物のことを強く戒めています。
見苦しい似非珈琲マニアとして出鱈目話を吹聴し、「知らないのに知っているふりをし、判ってもいないのに判っているふりをする」、そんな正視に堪えない醜態を晒すのはもういい加減にやめて欲しいものです。

ただし、血統の良い美味しいティピカ種の珈琲豆は、例外なく「かなり高価」です。
そのため、高価格に起因するいくつかの弱点が潜んでいます。

まず、「高価なために買う人が少なく、さほど量が売れない」と言う弱点があります。
つまり、焙煎機は一回の適正焙煎量がほぼ決まっていますので、たとえば一回あたり同じ5kgを焙煎したとしても、他の安い豆は4~5日ですぐに売り切れるところが、高価なティピカは少しづつしか売れず、どうしても長期間の在庫になりやすいと言う事です。
特に昨今のようなデフレ不況の中では高い豆は敬遠され、売れ行きは落ちているようです。
そのため、お店から買った時点で既に香味のピークを大幅に過ぎている古い豆に当たってしまい、多くの客がそう言う豆を飲んで、「この銘柄豆はやたらと高かったのに全然駄目だ」と誤解してしまう不幸なケースがかなりあると思います。

では、自分で焙煎する自宅焙煎なら、間違いなく新鮮な高級ティピカを「本来の姿」で飲めるかと言うと、これまたそんなに簡単ではありません。
高価なティピカは、そもそも輸入商社や生豆屋さんの倉庫にある「生豆」自体からして、同じくあまり量が出ず、長期在庫になり易いようなのです。

実際、僕の経験からも高級ティピカの生豆を通販で買った場合、どう見ても収穫から3~4年は経っている「白っぽく枯れた豆」が送られて来る事が少なくありません。多少、生豆を見慣れている人なら、一目で長期在庫品を送って来た事がすぐに判るほどです。
そういう豆は焙煎しても、収穫し立ての緑色の濃いニュークロップと比較すれば、香りは明らかに衰え、味もすっかり弱った珈琲になり、本当の実力の3割も出せなくなっている事が多いです。

産地や銘柄によっては、むしろ熟成させて「オールド」に出来るティピカもありますが、繊細な香味のカリブ海系のティピカなどは、総じてニュークロップの方が明らかに美味しく、熟成には全く向かない気がします。
ですので、せっかくの高級ティピカの生豆を買う場合は、相場より少し位高くてもニュークロップである事が確認できる店舗から購入する事を強くお薦めします。

また、高級ティピカは、その高価さゆえ「偽物」もかなり出回っています。この点も要注意です。
特に高価格のブルーマウンテンなどは年間の収穫量よりも年間の販売量の方がずっと多くなるそうです。つまり偽物が売られていると言う事です。

すべて偽物だとさすがにバレる可能性がありますので、偽物を半分くらい混ぜて100%ブルマンとして売ったりしている例が多いようです。偽物はブルマンと香味が似ているカリブ系の安豆が使われたりしているようです。
同じく高級豆のハワイ・コナも、長年にわたり大規模に南米産の安豆を混ぜて増量していた事を告発する偽装暴露事件が以前にありました。

僕も実際に、最高規格のブルーマウンテンNo.1などは豆のスクリーンサイズ(大きさ)が17~18が最低96%以上と厳格に定められているにも関わらず、15とか16の小さな安豆がどう見ても3割以上も入っていた事や、キューバの最高級豆であるクリスタルマウンテンを注文したら、その二段階も下の安いグレードである小さなサイズのTLが届いたり、店で高価なイエメンモカの表示を見て買ったのに家で袋を開けてみたら中身はエチオピアの安物モカだった事などなど、詐欺そのものの酷い経験を何度もさせられています。

今までで一番酷かった僕の「偽物被害体験」は、研究熱心なこだわりの自家焙煎を謳う某・自家焙煎店の「通販」で、やはりイエメンモカを購入したケースなのですが、郵送で届いた珈琲の袋を開けてみたところ何と恐ろしい事に、一般市場に流通している珈琲の中では最もありふれた最低価格帯の超廉価豆である「ブラジル・サントス」(豆面と香りと味で判ります)が入れられて来た時です。
いやはや、まさに「ここまでやるか?」の世界です。
イエメンモカとサントスでは市場価格に数倍の大差があるだけでなく、いくら何でも豆面やサイズ、味や香りを始め、豆としての格やレア度に極度に大きな違いがあり過ぎます。
これではまるで通販で高価な「鰻」を買ったら、小さな「ドジョウ」が届いたようなものです。
客を完全に舐め切り、徹底して馬鹿にし、こんなバレバレの悪業を臆面もなく平然と実行して全国の客からお金を巻き上げ続けているのですから、これではもう「偽装」や「詐称」の範囲を完全に逸脱した、事実上の悪質な「送り付け詐欺」です。

その時は、あまりにも極低レベルなクズ珈琲屋と関わってしまった自分が情けなくて文句さえ言う気力も起きず、また、もし言ったところでこのような人非人の故意犯であれば「たまたま送る品を間違えただけ」と頑としてとぼけ通すマニュアル対応が返って来るのは明白です。
サイト上では散々自店の珈琲焙煎に対する熱心な研究、高品質や美味を語っていながら、現実にやっている事は珈琲焙煎の研究ではなく、日夜、「客を如何に上手く騙すかの手口」だけを長年に亘って熱心に研究し続けているのでしょう。

また、ティピカとして流通している豆の中には、単に生産者が「ティピカ」と主張しているだけで、公正な検査機関や第三者機関による証明がない場合も少なくないようです。
ある程度であれば、豆の形やサイズから「ティピカか否か」を判断する事もできますが、結局、最後に信用できるのはティピカとそれ以外の味を明確に峻別できる自分の味覚だけと言う事になります。

また、偽装とは違いますが、病虫害に強く多産で生産効率が高いのに味がイマイチである「新品種」や「ハイブリッド種」は、当然にかなり安く流通されていますので、これを激安で仕入れ、何とかあの手この手で無知な客に思いっきり高く売り付けようとする悪どい珈琲店も後を絶ちません。

今や希少価値のある上質なティピカは非常に美味しいけれど仕入れ値が高価です。
お店としては、どれだけ美味しくても、高く仕入れた物を高く売ったのでは大した儲けにはなりません。
「安く仕入れた物を口先三寸で無知な相手に高く売り付ける事」こそが悪どい商売人達の王道の常套手段であり、古来より「商いの最強奥義」として代々受け継がれてきた伝統技法なのです。
それには超多産・低コスト生産ゆえに超安値で仕入れられる「新品種」や「ハイブリッド種」などの新品種豆が素材としてまさにぴったりなのです。

実際、自家焙煎珈琲店の一番の売れ筋価格帯は100gあたり500円前後の豆でしょう。
買う客の95%は珈琲の知識も全くなく味も一切判らない人達ですから、本来なら一番大切な「豆の品種」には一切関心を示さず、単に500円前後の「お手頃の価格」の豆、かつ、ブラジルやコロンビアなど「名前を聞いた事のある国」の豆を選んで買います。
当然、そんなレベルの客ばかり相手にしていれば、店としては同じ100gあたり500円の売値であれば仕入れ値が安い「新品種」や「ハイブリッド種」ほど「利幅」が非常に大きく載せられますので、それらを美辞麗句の虚飾の解説文で煽り、店主の「イチオシお薦め名柄」として商品棚の最前列に置く訳です。
何のことはない、お店の「イチオシお薦め名柄」の真の意味は、お店にとって「一番儲かるオイシイ銘柄」という意味に他ならないのです。

それら「超多産・低コストの新品種」の生豆の仕入れ値は、もちろん銘柄で変わりますが、平均すれば100gあたり大体60~80円前後でしょう。
自家焙煎店はそれを焙煎して100gあたり400~600円前後で売っている訳です。
熱風焙煎の店なら、わずか10分ほどですぐに焙煎完了、焙煎後は豆の水分が減って20%ほど目減りしますが、100gあたり400~600円前後で売れば簡単に5~7倍の売値に化けるのです。おそらく原価率の低さでは飲食業界随一でしょう。
さらに、その豆を10g程使って店内で飲ませれば一杯400~600円前後の珈琲になるのです。なんと生豆代のほぼ50~100倍の売値!驚異の原価率1~2%!
これでは笑いが止まりません。

上で書いたとおり無理やり超多産化された新品種の珈琲豆は、当然に珈琲感が異常に薄く、香りは無いに等しく、味もスカスカと、まさしく散々ですが、何しろ一般大衆にとってみればそれらの珈琲感の貧弱さこそが、むしろ(味がしないので)「飲みやすい」「スーッと飲める」「胃にやさしい感じ」だなどと、驚くことに正誤転倒のあらぬ高評価や信じがたい善意解釈に化けかねないのです。
いやはや本当に心の底から悲しいことですが、何とも苦渋に満ちた難儀な嫌な時代になったものです。

もちろん珈琲は「嗜好品」ですから、そういう「極薄の無味無臭的な珈琲の味が好きだ」という人が居たとしても仕方のない事です。
しかし、それならそれで、同じく激安の「新品種」や「ハイブリッド種」をブレンドして製品化している「大手珈琲企業」や「中堅珈琲メーカー」の珈琲であれば、「全く同じ味の珈琲が1/5~1/2の超格安良心価格」で買えてしまう訳です。

スーパーマーケットの棚に並んでいる大手メーカーの珈琲豆の99%は、激安の「新品種」や「ハイブリッド種」や「ロブスタ豆」を使った普及商品です。美味や趣味性よりも買いやすさとコストの安上りさを最優先しているのです。
ところが、そんなスーパーマーケットの普及品とは違う美味しい絶品珈琲豆を求めてわざわざ個人の自家焙煎珈琲店へ行ったはずなのに、その個人の自家焙煎珈琲店でも知らないうちにまた「新品種」や「ハイブリッド種」や「ロブスタ豆」を使った普及商品の豆を「5倍~2倍もの超ボッタクリ価格」で買わされたのでは、これでは「ただの馬鹿」です。

自称・珈琲マニアは、珈琲の味ではなく、ただただカッコを付けるためだけの自身のファッションや自己満足ライフスタイルの一部として「珈琲趣味」を語りたがる面があります。
もともとそんな目的の人々ですから他者に自慢できそうな「高価格の豆」や「高人気の店」などの珈琲に率先して群がり、盲目的に信奉し、皆、自分がその珈琲の真価を完璧に理解している「振り」をしたがります。
逆に、当然ですが、「スーパーの普及品の珈琲を愛飲しています」とか「量販店の激安珈琲が美味しいと思います」などとは口が裂けても決して言わないわけです。
むしろ、当然ながらスーパーの普及品や業販店の激安品の珈琲は「徹底的にけなし」「過激にこき下ろす」事で、自分の「自称珈琲マニアとしてのランク」や「自己満足ライフスタイルの見かけのクオリティ」を必死に上げたい訳です。

しかし、僕に言わせれば、世の95%の自家焙煎珈琲店と業販店の激安珈琲とは「実は全く同じレベルの味」がします。
なぜなら、「同じ新品種・ハイブリッド種」を、「同じくハンドピックを一切せず」に、「同じく熱風焙煎で仕上げる」のですから、生み出される結果としての味も極めて当然に「同じ味」になる訳です。
少し考えてみれば当然の結果だと誰にでも判ることです。仕入れや製造過程に「奇跡が起きる要素」など、どこにも一切存在しないのですから、同じ味にならない訳がありません。

本来であれば、自称珈琲マニアが鼻高々で買ってご満悦の「自家焙煎珈琲」と、常に見下し馬鹿にしたがる「量産珈琲」とは、一口飲めば味わいに「雲泥の激差」「天地の大差」が存在しなくてはならないはずです。
ですが、試しに自家焙煎店9軒の「100gで500円」の珈琲と量販店の「100gで100円」の珈琲1品をブラインドテスト形式で自称珈琲マニアに飲み比べさせた場合、果たしてどれが量販店の「100gで100円」の珈琲か正確に峻別できる人が一体何人いるのでしょうか。
もしも、本当に両者の味に「雲泥の激差」「天地の大差」があるのであれば、全員が100%即座に正解できるはずです。
しかし、現実にはほとんどの自称珈琲マニアは揃って口をつぐんでしまう事でしょう。
もし外れたら罰金1000万円という条件を付けた場合、答えられる人など間違いなく「絶無」だと思います。
つまり、自称珈琲マニア達は、実際の味ではなく、単に「自家焙煎」とか「珈琲専門店」という語感イメージにより捏造された妄想の脳内イメージだけで珈琲を区分けしている人々であるという何よりの証明でしょう。

実際に、大手メーカーとほとんどの個人焙煎店の珈琲の味に、もともと大差など一切ありません。現実はまさにドングリの背比べであり、個人焙煎店の「100gで500円」の珈琲が、ただ単に馬鹿らしく「割高」に売られているだけなのです。
当然に同じレベルの味なら少しでも安いところで買うべきです。

結局、コストパフォーマンスを考えれば、業務系スーパーや量販店の量産珈琲を買う事が、珈琲好きとして「一番賢明な選択」「最も賢者である証明」そのものと言うことになります。
実際に、業務系スーパーや量販店などで売られている珈琲の多くは100gあたり100円~150円と超激安ですが、大規模仕入れ・大規模生産のメリットを最大限に活かした有能経営ゆえの「絶品のコストパフォーマンス」を持つ非常に良心的な「ノンブランド」珈琲が決して少なくありません。

繰り返しになりますが、無料のブログや無料のクチコミサイト、無料の掲示板などで日々せっせと無益なカキコミをしている人々のほとんどは、珈琲の味ではなく、ただカッコ付けたいためだけの自身のファッションや、自己満足ライフスタイルの一部として「自家焙煎珈琲店」を信仰し、馬鹿らしい割高珈琲をせっせと購入し、その結果得られる「ご利益」として高額な珈琲や人気珈琲店の訪問レビューなどをネット上で自慢して悦に入っているだけの人達です。
そんな極低レベルな「レビュー自慢合戦」や「経験値PR合戦」など、全く無益で無意味な「不毛の消耗行為」である事は言うまでもありません。

ですので、もしも貴方が、日常用としてコスパに優れたそれなりに美味しい珈琲を賢く探したいのであれば、むしろネット情報は、金輪際、一切読まず、ただただ町中のスーパーや業販店を巡り、「100gで100~150円前後」の珈琲を複数種類購入して、味比べをする事が最も賢い方法であると間違いなく確信します。

その際、激安にもかかわらず優良な味の量産珈琲の見付け方として、僕が実践している「裏技三種」をここでご参考までに披露したいと思います。

(1)まずは「アラビカ種」だけで味をまとめた珈琲を選びましょう。
御存知の通り珈琲には「アラビカ種」と「ロブスター種」がある訳ですが、激安のロブスター種は独特の癖があり、味がドンヨリと鈍く重くなるため、あまりお薦めできません。
香味の優れたアラビカ種の豆だけで製造された商品を選ぶためには、包装袋の裏面の原材料欄をよくチェックして、ロブスター豆の主な生産国である「ベトナム」や「インドネシア」などの産地名が書かれていない商品を選ぶと良いのです。
ただし、エスプレッソ用やアイスコーヒー用など「深く濃く淹れるタイプ」の豆の場合、「味の重い」ロブスターを適量ブレンドする事でむしろ良い役割を演じる場合もあります。

(2)鉄則としてサラサラの「粉」に挽かれた品は既に流通過程で大部分の風味が揮発していますのでダメです。ぜひ、「豆」のままの品を選び自宅で淹れる直前にミルで挽いて下さい。
そして、その「豆のまま」売られている商品の選び方ですが、売り場で袋を軽く振って「ゴゾゴソ」と重い音だけがする品が良品です。
逆に「ガササッササッ」と軽い粉の音が混じった珈琲はダメです。なぜならその軽い粉の音がする珈琲は割れ豆の小破片が混じった商品なのです。
大手工場で大量生産される珈琲は製造ラインのパイプの中を豆が高速で移動する際などに曲がり角などにぶつかり頻繁に「豆が割れる」現象が発生します。
それをそのまま焙煎すると割れた少破片は丸豆と比べて体積が極端に小さいため「真っ黒に焦げてしまう」のです。当然にその珈琲はその少破片が出す「焦げ臭さ」が充満した酷い味になります。
また、そのような美味の大きな障害になる焦げた小破片を取り除かずにそのまま含めて商品化してしまうそのメーカーの姿勢も大問題です。「一事が万事」なのですからそのメーカーは珈琲作りの他の要素も全てダメだと思います。
ですので豆のままで珈琲を買ったら、開封して袋の底を確認して下さい。割れ豆の小破片が少ない品ほど「まともな味作り」がなされた確実な優良珈琲です。

(3)商品の名前に著名な「観光都市名」や有名な「政令都市名」が冠された商品はほとんどダメです。
また、やたらとカッコ付けた商品名であったり、自社の誕生ストーリーや味作りを美辞麗句や大言壮語で煽る解説が長々と袋に書かれた商品も同じくダメです。
それらはイメージで客を取り込む気が満々の「ダマシ」商品の典型的な特徴であり、徹底回避すべき「ハッタリ」商品の顕著な事例そのものです。
中身はただのつまらない普及品やしがない廉価品なのに、あれこれ演出して高級品や伝統品を装うことで、思いっきり「過当な利幅」が載せられた本当に馬鹿らしい商品がほとんどです。当然、コストパフォーマンスは最悪です。
逆に言えば、そういう買い手の心理に巧みに取り入ろうとする誇大広告商法に一切頼らない、「簡易な包装や質素なデザインのノンブランド珈琲」にこそまじめに味だけで真摯に勝負している「当たり」の商品が多いです。

優良な味の量産珈琲の見付け方として、僕がお薦めする「裏技三種」は以上ですが、僕の経験からは街中のデパートやスーパーマーケットよりも、郊外のホームセンター、業務系スーパー、ディスカウント量販店などの方が、より多くの優良な味の「ノンブランド量産珈琲」が置かれていました。
ぜひ、長きにわたってコスパ良く愛飲できるお気に入りの優良銘柄を見つけてみて下さい。

さて、豆の品種の話に戻りますが、豆の品種表示がない「ブレンド」は自家焙煎店にとって実は最大の稼ぎ頭です。
なぜなら豆の表示義務がないので激安の「新品種」や「ハイブリッド種」や「ロブスタ豆」が使用されている事実を完全に隠して売る事ができるからです。特にくれぐれも要注意です。

実際、ブレンド名だけかっこ良くても、いったいどのレベルの豆が入っているのか判った物ではありません。お店によっては、不人気で激安の「ハイブリッド種の寄せ集め」や「新品種のごちゃ混ぜ」を美辞麗句で飾り立てているだけと言う可能性も大です。
同様に、豆の味や銘柄が判らなくなるまで真っ黒に超深く焙煎された「エスプレッソ用」や「アイスコーヒー用」などの豆も要注意です。
くれぐれも「ゴミ豆の墓場」のような商品を、誇大広告に騙され、高額で売り付けられないように注意しましょう。

これほど巨額に儲かる「ハイブリッド種や新品種豆の販売」、そうなると実店舗での売上だけでは飽き足らず、インターネット上のあちこちに派手な広告を出したり、大手ショッピングサイトへ出店したりするショップも激増中です。
実際、そういう「商魂丸出し」の自家焙煎店の多くは「今月のイチオシ美味銘柄」とか「店主の厳選セレクション」とか「当店自信の限定品」とかの大げさなタイトルと、珈琲マニアが泣いて喜びそうな過剰な美辞麗句で飾り立てて、とにかくやたらと目立つ位置に「新品種」や「ハイブリッド種」の商品を掲載しています。

その様子は冷静な第三者から見ると、まさに偽物のイミテーションの毛鉤(けばり)を使った「魚釣り」そのものです。
実際、頭の良い魚は不自然に派手な装飾が施された毛鉤が明らかにイミテーションである事を見破り決して近づきませんが、馬鹿で無思慮な魚は派手な装飾(広告)にコロリと騙されて「偽物の餌」に喰付き、易々と釣り上げられてしまう訳です。

そういう店主に限って焙煎の研究はした事がなくても、ネットでの広告コピーやWEB販促ノウハウだけは、まさに「釣りキチ」の如く非常に熱心に研究します。
大衆魚(自称珈琲マニア)の習性を調査研究し、大衆魚が喜びそうな派手で目立つ毛鉤デザイン(広告文)を巧みに編み出す訳です。
実際、激安の「新品種」や不人気の「ハイブリッド種」を言葉巧みに高品質で美味しい人気豆と錯覚させ、客を「おいしそう」「お得そう」「買わなきゃ損」という心理に巧みに追い込んで行き、過当な価格で売りつけ「ベラボウな利幅」を確保するその演出ノウハウや話法テクニックは実に大したものです。

取り扱っている豆も、単に総輸入元の商社から卸売りしてもらっただけの豆なのに、まるで自店が生産地まで出かけてさんざん苦労をしてその絶品豆を発見し、あらゆる万難を排除して生産者と交渉の末、やっとの思いで買い付け、独占して限定輸入したかのような事が書いてあったりします。
ですが、農作物の輸入は検疫や税関の手間、そして残留農薬や海難事故のリスクを考えたら、一個人店がおいそれと手が出せる訳がありません。

珈琲豆輸入元の商社は国内に数えるほどしかありませんので、国内のどの珈琲店も「同じルートで入った同じ豆」を使っているのが普通です。貼られている現地農園や生産者の写真も、ほとんどすべて商社のHPからの転用です。
日本中の珈琲店のどの店にもある凡庸でありふれた豆なのに、まるで自店でしか買えない「激レア豆」のように錯覚させる書き方には、そこまでして騙したいのかと、思わず失笑してしまいます。
くれぐれも買う前に他店もよく比較してみる事です。全く同じ豆がはるかに安く売っている例はよくある事です。

実際の話ですが、僕が市場流通品の中で最も低価格の一つと思っている南米産の「某・新品種豆」がネット通販でいくら位で売られているのか、ネットで少し調べてみた時の話をしたいと思います。
その豆は生産量・輸入量ともに多く、低価格帯珈琲の定番商品でしたので、日本中の多くの珈琲店で売られています。そのため「売値比較」にはまさに持って来いの豆でした。
その結果ですが、30軒位の自家焙煎店のウェブサイトをチェックしたところ、ほんどの自家焙煎店では100gあたり300円前後の価格設定でした。中には200円程で売っている質実で良心的なお店もありました。
しかし、逆にその一方で、大言壮語と美辞麗句で捲くし立てて、驚くことに同じ豆を何と「800円」もの超絶暴利で売っている悪徳店も「実在」していました。

その800円もの超絶暴利店の変に凝った胡散臭いデザインのサイトを見て「いかにも怪しい」と直感したのですが、売られている商品のラインナップを見ると、他店では100g当たり300円程度で売られている南米等のつまらない「新品種豆」やしがない「ハイブリッド種豆」が、大言壮語と美辞麗句でまくし立てられ、何と軒並み100g当たり800円以上の超絶暴利プライスで売られていたのです。
いやはや、少しでも珈琲に詳しい人が見れば、呆れて開いた口が全く塞がらないところです。
僕は「こんな暴利の価格設定で果たして買う客がいるものなのか?」と驚きましたが、しかし、その店は既にそこそこの年数を営業している店であり、それは「買う客が実在する」事を意味します。
僕は呆れると同時に、不思議でなりませんでしたが、世の多くの一般客や自称珈琲マニアなどの「豆の品種」や「仕入れの原価」が一切判らない客にとってみれば、「この珈琲は800円もするのだから凄く美味しい(はず)」と思い込んで買ってしまうのかも知れません。
しかし、その行動心理こそが、客の「良い珈琲は値段も高いはず」という心理を見事に逆手に取った悪徳珈琲店お得意の「蜘蛛の巣型商法」の典型なのです。

念のため申し上げますが、自家焙煎珈琲店のウェブサイトを開いて、もしやたらと真っ白な空間や漆黒の塗りつぶしページを多用したアーティスト気取りのサイトやクリエイター風のデザインであったり、無垢な夢見る「ポエム」やお子様向け「絵本」等のタイトル風のロマンを騙る店名であったり、動物や鳥や大自然などを愛するナチュラリストを装うようなサイトで、品種不明の珈琲が妙に高値プライスで並び、かつ、実店舗の写真も載せず、焙煎機の型式も明かしていないサイトであったなら、僕ならその店の珈琲は「絶対に買いません」。「一切絶対に!」です。
なぜなら、もし買えば、もう「完璧に騙される」のが丸見えだからです。

ろくな修行経験もなく、実力もなく、珈琲が全く大したことがない味の店は、もったいぶってわざと手札を明かさず、なんだか気になる秘密のベールに包まれたような印象や、何かやりそうなアーティスト風のイメージ戦略などの虚像で客を集め、心象や話術で取り込む方向へ走るのです。
わざと露出や情報を少なくして、秘密めいた、謎めいた店を気取っているのです。
もしくは、いかにも客の共感を呼びそうな子供の頃の夢や人生のロマンを連想させる店名や、生命や動物や自然をこよなく愛する優しいロハス店主や善意のエコロジストのお店を装うことで、客に共感や安心感、親近感などを植え付け、相手の財布の紐を緩めさせようとしているのです。

そして、それらの悪徳珈琲店は、そういう秘密めいた虚像アーティストやロマンチックな店名や地球に優しいロハスなお店に引き寄せられて来るタイプの客は、「味が一切判らない」「珈琲の事を全く何も知らない」種類の客である事も非常に良く熟知しています。
当然、他店では300円で売られている珈琲がその店では一律「800円以上」に化けるのでしょう。
僕達としては、それら「胡散臭いサイトの作り」や「偽善的で凝った店名」を見た段階で、その店が既に珈琲の味を売る店ではなく、「夢を売る」「嘘を売る」タイプの店なのだと察知し、くれぐれも賢明なる回避をしなくてはなりません。

わずか300円の珈琲がいきなり2.7倍もの800円の暴利プライスで売られるという事は、まるで150万円の軽自動車が400万円もの暴利プライスで売られているのと同じことです。
しかし自動車であれば、例えどんな一般人でも「見た目」という視覚情報から、「こんな小さな車が本当に400万円もするのか?」とか、「馬力もないし内装もチャチだ、いくら何でも高すぎでは?」などの疑念が湧き、誰も買わないはずです。
しかし、珈琲の外見は「ただ茶色いだけの小さな豆粒」ですので、視覚情報が極端に少なく一般客には「高級品も激安品も全て同じに見える」という何とも「非常に客を騙しやすい」恐ろしい特徴があります。
ましてや「粉」に挽かれて売られてしまえば、高額豆も激安豆も見た目では一切見分けが付かなくなります。
そして、悪徳珈琲店は珈琲の「まさにその特徴」にこそ目を付け、多くの業種や商品の中からわざわざ珈琲を悪徳商売の道具に選んでいるのです。

実際、珈琲の生豆で見た場合、最安値価格帯の豆はわずか1kg500円程ですが、最高価格帯の豆は1kg5000円以上します。オークションロットなどですと1kg8000円以上という豆もあります。
つまり、珈琲とは安い豆と高い豆の差が10倍~16倍以上もある商品であるにも関わらず、何と見た目では一般客にはその区別が全く付かない商品なのです。
そして、一般人や自称珈琲マニアは「飲んでも味が判らない」ため、「価格と味の大幅な落差」に起因する売った後のクレームの心配もありません。
かように、「珈琲」とは、悪徳珈琲店にとってその恐るべし「辣腕」を思う存分に振るえる全ての舞台装置が揃っている稀有なる商品であることをよく肝に命じておいて下さい。

前回も申し上げましたが、そういう悪徳珈琲店にとっては、「中途半端な珈琲の知識と興味のある人間」(=自称珈琲マニア)が「一番美味しい太った鴨」であり、最も狙われやすい「最高の御馳走」「彼らのメインディッシュ」なのです。
なぜなら一般客はどれだけ煽ったところで珈琲に使う金額など高が知れていますが、「自称珈琲マニア」は、「この珈琲を飲まずしてCOEは語れないでしょう」とか、「珈琲通の皆様が特に好んで購入している銘柄です」とか、「特別ロットが限定で入荷しましたぜひ違いが判る貴方様へ」などなど、ちょっと煽ったり自尊心をくすぐったりしてあげれば、一般人から見れば到底信じられないような金額を一切迷わず喜々として即座に珈琲に使ってくれるからです。

別の言い方をすれば、悪徳珈琲店は、珈琲に関して全く無知ではあるけれど美味しい珈琲が飲みたい(美味しい珈琲を飲んでネット上で思いっ切り自慢して羨望の眼差しで見られたい)と言う自称珈琲マニア達の「夢」や「願望」を片っ端から喰い物にする「獏」(ばく:人の夢を喰って生きる醜い想像上の生き物)なのです。
自ら進んで危険な「獏」に近づき「貴方の大切な夢」を無残に喰い荒らされないよう、くれぐれも「要注意の上にも要注意」です。

一般客にとって唯一の防御策としては、購入時には必ず、絶対に、イの一番に、念入りに「豆の品種」をくれぐれも良く確認することです。
もし商品に豆の「品種」(商品や生産国や農園の名前ではなく、豆のDNAによる品種の事です)が明記されていなかったら、必ず、絶対に、イの一番に、念入りに店主さんへ確認しましょう。通販の場合は同じくメールで必ず確認して下さい。必ずです。
というより、そもそも珈琲豆の購入にあたって「豆の品種を一切確認せずに買う」という行為自体が、僕にとってはあまりにも信じられない愚行にしか思えないのですが。
もしも貴方が珈琲初心者で、まだ「品種」の事は良く判らないというのであれば、店主さんへ単に「この豆はティピカですか?」の一言を尋ねるだけで良いです(ブラジルの場合は「ブルボンですか?」と尋ねて下さい)。
その一言で、全てが白日の下へ晒され、全てが「クリア」になります。

実際、「自称珈琲マニア」は、つくづく騙されやすいと言いますか、あまりにも馬鹿にされていると言いますか、裏では業者に爆笑されているのさえ判らず、せっせと騙されてボッタクリ価格で只のつまらない新品種豆を購入し、必死になって何とか良い箇所を見つけ、それをブログや口コミサイトへ投稿して悦に入っているのですから、いやはや何とも難儀なことです。

中には、大して珍しくもないちょっとしたマイナー豆を、何だかんだと捏造した誕生ストーリーと大言壮語のふれ込みを付けて、まるで「珈琲業界を揺るがす世界一のレア豆」の如き豆に錯覚させ、生豆の原価の20~30倍もの信じられない法外な高価格で販売している所もあったりします。
しかし、世の中には、そんな「あり得るはずのない高価格商法」に易々とひっかかってしまう人が、本当に実在するのですから、いやはや何とも恐ろしい事です。
もし真に珈琲に詳しい人であれば「明らかにおかしい」と判るはずなのですが…。

当然、虚飾や先入観を排して冷静に飲めば、お味の方は良心的なお店で100gあたり600円前後で売られているよく仕上がった豆と大差などありません。ある訳がありません。
それでも、本人は騙されている自覚さえないまま、高価格豆を飲んだ事を誰かに自慢したくて仕方がなく、こともあろうかブログや口コミサイトなどに大得意になって書き込みしたりしているのですから本当に始末に負えません。
まさしく「コーヒー通」ならぬ「コーヒー痛」の方々です。

これでは真面目に正直な商売をして「薄利」で頑張ってくれている良心的な自家焙煎店が、あまりにも不憫で可哀想です。

以前、とある「カリスマ・セールスマン」が残したこんな逸話があります。
その人は、自分にコンビニで売っている100円の和菓子とちょっと豪華な箱を渡してくれれば、その和菓子をその豪華な箱に入れて「1万円」で売って来る自信がある、と常に周囲に豪語していたそうです。
それだけ自分の巧みな話術に絶対の自信があり、かつ、営業トーク次第で100倍の値段でも買う「カモ」が世の中には実際に多い事を経験して出た言葉なのでしょう。

恐ろしい事に、そのカリスマセールスマンの優秀なお弟子さん達が、今の「珈琲業界」にも多数潜伏しているような気がしてならないのは、僕の考えすぎでしょうか。

まあ、高価格ボッタクリ商法の元祖であり本家本元でもある「最強ダマシの王者=ワイン」と「自称ワインマニアの超鴨ネギぶり」に比べれば、それでも珈琲はまだ多少はマシな業界かとは思いますが。

また、そもそも珈琲豆を海外から輸入して来る輸入商社自体に「問題あり」と思う事もあります。
輸入商社は自分が現地で買い付けて来た珈琲を国内の自家焙煎店へ卸し売りする訳ですが、すでに「問題」はその段階から始まっている事も少なくないのです。

輸入商社が自社の扱う豆を紹介するコメントを見ますと、読めば思わず購入したくなる超絶の煽りコメントがずらりと並んでいたりします。
自家焙煎店の中には、輸入商社のそんな「超絶煽りコメント」をすべて鵜呑みにして、言われるがままに劣悪豆を買っている程度の低いお店も少なくないのでしょう。

まずは自家焙煎店のWEBページを見てみて下さい、もし商社の豆紹介の文章をそのままコピーして使っているようなら、自分で良い豆を選ぶ味覚や能力がない店である可能性が極めて大きいです。
そうして騙されて劣悪豆を大量に購入してしまった自家焙煎店は、まさに「ババ抜き」ゲームの如く、今度は消費者に対して「ババ」を高く売り付ける側に回る訳です。

僕もいろいろな生豆を購入して自宅で焙煎しますが、中にはどんなに工夫して焙煎しても全く美味しくない「三流豆」や、背筋が凍る毒カビ(アフラトキシン、オクラトキシン)の生えた豆が平然と混じった「恐怖豆」に出くわす事があります。
ところが、輸入商社のサイトでそれらの豆の紹介文を読むと、最高レベルの豆として推奨する紹介文や絶賛するカッピングコメントが臆面もなく並んでいたりするのですから、心の底から呆れ果ててしまいます。

ですので、真に「珈琲の王道を行く美味しさ」を持つ豆と出会いたいならば、過剰な広告宣伝やふざけた説明文には一切目もくれず、店主の巧みな営業話術にも一切耳を貸さず、ティピカに強い実績を持つ実力のある良心的で清潔な自家焙煎店で、くれぐれも一切迷わず、純度の高い「100%ティピカ種」の豆を選び購入することです。
そして「真のティピカ」を正確に峻別できる鼻と舌を持つ事です。

それが日本一美味しい珈琲を見つけるための「第二歩目」になります。




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理想の珈琲の定義 (1)
まず、僕にとっての「理想の珈琲」に通じる四つの定義です。

ここ数年、この四つの条件にはまったく変更も揺るぎもなく、さらにありとあらゆる珈琲を飲めば飲むほど、さらに一層多くの珈琲経験を積むほど、ますます確信を深めています。

<1>直火焙煎された豆であること。
<2>ティピカ種の豆であること。
<3>焙煎度はミディアム~シティの豆であること。
<4>カビ毒の不安がない豆であること。


以下、個別に少し述べてみます。



<1>直火焙煎された豆であること。

いつしか「珈琲は直火焙煎が美味しい」と思い始めたのは、僕が珈琲経験を積み始めて一年位経ってから、一度、過去のお店を分類整理していて、美味しいと思ったお店のほとんどが「直火」であった事から気付いた事です。

過去に美味しいと思った豆は数多くあり、その中には「半熱風焙煎」や「完全熱風焙煎」もありました。
ですが「今でもその珈琲の味が強く記憶に残る」、「自分の理想の珈琲のメルクマールになる」、そして「月日が経てば経つほどその味の真の凄さが際立つように記憶に甦る珈琲」となると、これはもう必ず一様に「直火式焙煎機」の豆でした。

しかも、ただの直火焙煎機ではなく、美味しいお店になるほど焙煎機に必ず何らかの改造や独自のチューニングを施して使っている事が多かったです。
直火式焙煎機にしか出せない一段上のレベルの美味があり、明らかに直火使いのロースターにしか作れない一段上の「美味しい珈琲の別世界」がある事を間違いなく心の底から確信させられます。
「焙煎機の形式」がこれほど珈琲の味を決定的に左右する事を悟り、それ以来、僕はお店選びの第一条件として「直火焙煎」のお店を選ぶようになったのです。

珈琲初心者ほど「店で味が変わる」と誤解しがちですが、珈琲の味を体系化し類推して分析判断できる珈琲中級者以上の方なら「珈琲の味はほぼ焙煎機の形式で決まる」という明確な事実を熟知し非常に良く理解しています。
要は、いくら店を変えようと、どこまで都道府県を移動しようと、「直火焙煎は直火の味がする」、「熱風焙煎はどこまで行っても熱風の味がする」と言う事です。

実際、予備知識なしで入った自家焙煎店で、店主さんのドリップした一杯の珈琲を飲んで、とにかく香りや味が嫌になるほど単調でペラペラに薄っぺらであり、何とも風味の底が浅くて飲み口もひどく弱々しく、ただ色が黒いだけで香りや味にまるで実体感がなく、「珈琲と言われなければ何を飲んでいるのか判らない」ような、味も香りもごっそり抜けた珈琲感があまりにも物足りなさ過ぎる、もやもやボンヤリとして茫漠とした珈琲を出す店に出会う事がありますが、後で調べてみると、例外なく「完全熱風焙煎の店」でした。

逆に「一口目から豊かな香りが鮮烈に鼻腔にあふれ、クッキリとした実体感のある味がしっかり舌に乗って来て、彫の深い明瞭なエッジと立体感のある緻密な味が口幅いっぱいに広がり、グイグイと力強く味が前へせり出して来るような、それでいて味に晴れやかで心地良い開放感と抜けの良さがあり、後口がスッキリとして停滞感や濁りの全くない素晴らしい珈琲」を出す店は、僕の経験では、すべて「直火焙煎の店」でした。

今では初訪問のお店でも、出された珈琲を一口飲めば、焙煎機が「完全熱風」か「直火」か、ほとんど当てられる自信があります。
それほどに「焙煎方式による味の違い」は如何ともしがたい厳然とした大きな差を生むと言う事です。

なぜなら「焙煎」とは「加熱する」調理行為です。
多少でも料理に詳しい人ならご存知のはずですが、料理における加熱の方法には、大きく分けて「対流」「伝導」「輻射」の三つの性格の異なる方法があり、同じ食材でもそれぞれ全く別物の仕上がりになります。
敢えて非常に大まかに言えば、「完全熱風式=熱気の対流」での加熱であり、「半熱風式=金属ドラムからの熱伝導」であり、「直火式=炎からの輻射熱」がそれぞれのメインの熱源になっているのです。

つまり、この三種類の焙煎機は一言で同じ「焙煎機」とは言えないほどに、想像以上に「加熱の仕組み」が全く異なっている訳なのです。
ですから、三種類の焙煎機で、当然に「仕上がる味」も想像以上に全く異なって来る訳です。
逆に言えば、どの形式の焙煎機を使うかで、ほとんど「珈琲の味」も一切動かし難く自動的に決定されてしまうのが「現実」なのです。
僕が言う「直火焙煎は直火の味がする」、「熱風焙煎はどこまで行っても熱風の味がする」とは、そう言う事です。

焙煎機の方式が生む大きな味の違いは、旧型の焙煎機でも最新型でも全く同様に存在しますし、操作の技術や経験の積み重ねで埋められる性格のものでは絶対にありません。
試しに「豆」を買って帰って、自宅で豆量や抽出法をいろいろ工夫してみても「焙煎方式による味の落差」はあまりにも大きすぎるため、全く埋められず、全く誤魔化せません。
つまり、「焙煎方式が生む味の落差」はもっとずっと非常に根本的で重い問題であり、ドリップ・テクニックや豆量による濃度調整で補正やリカバリーが出来る範囲ではないという事です。

よく、珈琲の美味しさを決定する要素の構成比率として、「生豆7割、焙煎2割、抽出1割」とか「生豆6割、焙煎3割、抽出1割」とか、様々な意見を耳にします。
珈琲店は、自店を正当化するために、自店に都合の良い理論だけを主張する顕著な傾向がありますので、焙煎に自信のない店ほど「生豆の品質が最も重要」と言いますし、自家焙煎でない店に至っては「抽出が味の半分を占める」などと述べたりします。

僕の考えとしては、僕は今まで、1キロ当たり、500円~1万円位までの様々な産地の様々な生豆を入手し、9種類以上の焙煎機を駆使して浅煎り~極深煎りまで自家焙煎し、ありとあらゆる抽出法で無数の抽出をして来ましたが、それらの過去の珈琲経験から、美味しい珈琲の構成要素は「生豆35%、焙煎39%、抽出26%」位に考えるのが最も妥当ではないかと、今のところ思っています。

ちなみに、世間の多くの珈琲焙煎店は「抽出」を「1割」などと随分と低く言いますが、現実にはそんなに低い訳がありません。
全く同じ焙煎豆を使っても、抽出法の違い、器具の能力、ミルの性能、粒度の選定、微粉やチャフの処理、抽出する湯の水質や温度、抽出する人の技量等によって珈琲の味は劇的に左右され、間違いなく「抽出26%」と言える位の大きく決定的な影響力があります。
特に「ミルの性能」による珈琲の味の優劣は、想像以上に劇的であり、あまりにも衝撃的で、極めて絶対的です。

また、例えればもし同じ85℃の湯で抽出する場合でも、(a)沸騰させていない85℃の湯と、(b)1分間沸騰させてから85℃に冷ました湯と、(c)10分間沸騰させてから85℃に冷ました湯とでは、珈琲の味はまったく違ったものになります。
(a)は口当たりが柔らかく雑味の多いとりとめのない味になり、(b)はスラリとした芯のある力強くて円い味になり、(c)は硬くてのっぺりした無機質っぽい四角い味になります。
僕は、同じ豆と水で淹れた珈琲なら(a)(b)(c)のどの湯で淹れたか100%当てられる自信があります。

また、ドリップポットに「フタ」をするかしないかでもはっきりと味が変化します。
フタをすると抽出の3分間中の湯の温度低下が少ないため同じ味ばかりがピンポイント的に抽出された味幅の狭い単層的な味になります。
一方、フタをしないと3分の間に湯の温度低下が大きくなり、珈琲豆は様々な温度帯の湯で抽出されることになるため、味の様々な要素が溶け出た幅のある裾野の広いふくよかな味になります。
つまり、それほど「抽出で味はいかようにも大きく激変する」と言う事です。

そもそも、自家焙煎店で飲んだ珈琲が予想外に非常に美味しかった場合など、皆さんも帰りがけにその「同じ銘柄&同じ焙煎ロットの豆」を小売りしてもらい自宅用に買って帰る事がかなりの高確率であると思います。
ですが、もし貴方が少しでも珈琲の味が判る方なのであれば、豆を買ったその日のうちにお店と同じドリップ法(店がネルならネル、店がプレスならプレス等)で自宅で抽出しても、ほとんどの場合「お店で飲んだ味とはなぜか大きく違ってしまう」、「どうやってもあの美味しさが再現できない」と言う苦い経験を必ずしているはずです。

しかし、それは不思議でも不条理でも何でもなく、むしろ「当然」であり「必然」のことです。
その理由は極めて簡単明瞭で、珈琲の味作りに於いては、例え同じ抽出法を採用したとしても、抽出者の「技量の違い」を始め、「ミルの違い」「メッシュの違い」「豆量の違い」「水質の違い」「湯温の違い」「ポットの違い」「蓋の有無の違い」「投湯法の違い」「抽出時間の違い」「室温の違い」等が想像以上に大きく決定的に影響してしまうからなのです。
そうでなければ、同一ロットの豆を使って同一日に同一法の抽出をしたにもかかわらず、「お店での抽出」と「自宅での抽出」で、大きく味が変容してしまう理由が説明できません。

この現象は、特に80点以上の絶品クラスの珈琲店の味の再現性に於いて、より顕著で一層明瞭になります。
なぜなら、80点以上の絶品クラスの珈琲を生むお店の「抽出」とは、プロ用の道具や高性能ミル等の「ハード面」はもちろんのこと、日々向上心に燃える店主が長年に亘って連綿と研鑽し磨き上げて来た「プロ職人の匠の抽出技術」があってこそ、初めて到達し得る世界だからです。
ですから、僕達のようなアマチュアが、いかにお店と同じ焙煎豆を使い自宅でお店の抽出手法や道具だけ真似たところで、にわか仕込みの「猿マネ」の抽出では80点以上の絶品クラスの珈琲の味が簡単に出せる訳がないのです。

逆に、その一方で、世の大多数の自家焙煎珈琲店が出している「20点クラスの劣悪珈琲」であれば、その辺にいる小学生に「おままごと」感覚で抽出させてみても、誰でも容易にそのレベルをクリアでき、簡単に味が再現できてしまう事でしょう。
実際、そんなこともあって、彼ら20点クラスの劣悪珈琲店達の間では「抽出は誰でも簡単だ」「抽出のウエイトは1割だ」などと抽出が不当に軽い扱いを受けたり、あらぬ大きな誤解がまかり通ってしまっている訳です。
逆に言えば、「抽出のウエイトは1割」だなどと宣っている自家焙煎店=20点クラスの劣悪珈琲を出している凡百の自家焙煎店だと言う何よりの証明になります。

日曜大工が趣味のお父さんに「小さな犬小屋」(20点クラスの珈琲)は作れたとしても、最高の建材とプロ用の道具をいくら与えたところで「高級大型注文住宅」(80点以上の珈琲)は絶対に建てられないのと同じ事です。
高級大型注文住宅(80点以上の珈琲)の世界は「この道数十年のプロの“匠”大工職人」達の独壇場だという事です。
ハイレベルの領域のプロのステージになればなるほど、偽物と本物の「実力差」「技術差」「経験差」が歴然としてハッキリして来るのです。

ですので、もしも本当に本気で本心から80点以上の絶品珈琲を追求している自家焙煎店であれば、絶対に「抽出」を軽んじたりしていません。
むしろ、どんどん実力のステージを上げて行くほどに、どんどん頂点の味に近づいて行くほどに、俄然、「抽出」の重要性が一気にクローズアップされ、珈琲の味の決定に如何に大きなウエイトを持つかに嫌と言うほど気づいているはずなのです。

繰り返しますが、珈琲の味は「生豆」「焙煎」「抽出」の三要素のバトンリレーで創られるのであり、それらの要素の「掛け算」で最終的な「味」に仕上がる仕組みですから、一つでも「低レベル」の要素があると、結果も強制的に「低レベル」の味に落ちてしまう訳です。
ですから、「生豆」と「焙煎」に加えて、同じく「抽出」も一流のプロ水準で完璧に仕上げない限り、80点以上の絶品珈琲はカップの中に決して誕生し得ないのです。
「生豆」や「焙煎」をどんなに完璧に仕上げ、鼻高々に自画自賛したところで、もしアンカー選手の「抽出」が全くダメなら、そのバトンリレーの成績は全く飲むに値しない悲惨で無残な低順位で終わる事になります。
「ゴール」はあくまで「珈琲カップの中」にあるのです。

また、もう一つの理由として、なぜ世の多くの自家焙煎店が声を大にして「抽出1割」などと言うかといえば、これはもう、珈琲店としては「抽出器具では儲けにくいから」という理由も非常に大きいです。
なぜなら抽出器具はすべて極めてシンプルな構造の簡単な物ばかりですから、大げさな偽計や虚説を捏造したり、客の無知さや虚栄心に付け込んで、原価の数十倍の暴利で売り付けると言う事が難しいのです。
つまり、抽出器具の販売は「店としては全然儲からない」「商売として全く旨みがない」訳です。

電動ミルや水出し器具などは割と高価ですが、もともとの仕入れ値も高いですし、そういう工業製品は同じ品番の物であれば他店での販売価格とすぐに比較されて安い店で買われてしまうため、電動ミルや水出し器具等の工業製品は価格に暴利を乗せづらく「ダマシ売り」がやりにくく、やはり商売としての旨みが全くありません。

ところが「生豆」の原価は一般素人客には全く知られていない世界ですし、「焙煎」の原価や「技術」の高低なども極めて曖昧で不明朗な物ですから、どんな偽計や虚説も捏造しやすく、客の無知さと虚栄心にも大いに付け込みやすく、針小棒大の暗示や催眠術にもかけやすい訳です。
現実に、多くの店で100g当たり300円程度で売られているブラジルやペルー等のしがない激安豆を、大言壮語と美辞麗句でまくし立て100g当たり800円以上の超暴利で売っている悪どい欺瞞店等が実在しているのですから、何とも驚き、実に呆れ果ててしまいます。
つまり、原価の判りずらい物ほど、「商売としては非常に旨味が多く、驚くほどの暴利も簡単に乗せられる」と言う事です。

ですから、「生豆」と「焙煎」が珈琲の味のほとんど「9割」を決定すると強く主張し、無知な客にそう信じ込ませる事で、自店の焙煎豆を驚くほどの暴利で売り付け、非常に甘い汁をたっぷり吸える事ができるようになる訳です。
何しろ客には原価が一切判らない訳であり、適正価格の想像すらできない訳ですから、「世界最高品質の生豆を使用し、業界最高水準の焙煎で仕上げた」と一言添えるだけで、実にスムーズに「言い値」が通り、店に棚ボタ式に巨額暴利がころがり込む訳です。

つまり、「珈琲の味は生豆と焙煎で9割が決まる」などという妄言は、単に珈琲店としては、客が持っているお金を、低利益率の抽出器具などではなく、もっとはるかに儲かる高利益率の「豆」のほうにより多く使うように仕向けたいだけの「赤面物の大嘘」であり、自店が最大限に儲けるために考案された「欺瞞に満ちた虚説偽計」だということです。

実際、ほとんどの珈琲店は「何が真実か」とか「何が正しいか」には全く興味などなく、単に自店の扱っている商品ばかりを正当化し、自店の商売に都合の良い事や有利な理論ばかりを主張する顕著な傾向があります。
例えれば、自店がスペシャリティ豆を多く扱っていれば「スペシャリティ以外の豆は全部駄目だ」みたいな寝言を述べたり、フレンチプレス抽出の店は「プレス以外の抽出では珈琲の味を100%生かせない」等の大嘘を付いたり、オーダー少量焙煎の店は「珈琲は二週間で古くなり酸化してまずくなる」等の妄言を得意になって吐いたりします。

いずれも「珈琲の真実や真理」とは一切関係なく、単に自店の扱う商品を美化したり、正当化するためだけのふざけた虚言ですので、決して騙されてはいけません。
「生豆と焙煎が珈琲の味のほとんど9割を決定する」と言う虚説も、間違いなくその一環です。
繰り返しますが、僕は、美味しい珈琲の構成要素は「生豆35%、焙煎39%、抽出26%」位が最も妥当ではないかと、今のところ思っています。

ちなみに、「焙煎後、どのように保管され、何日を経過した豆か?」(=焙煎豆の熟成コンディション)という要素も珈琲の味の優劣を劇的に大きく左右する非常に重要な要素です。
現実に、すべての焙煎豆は、焙煎直後から日々刻々と香りと味わいが大きく経時変化します。いわゆる焙煎後の「熟成」という現象です。
その変化のスピードやグラフも多種多様、いつピークやボトムが来るかも実に様々です。
要は、こと「珈琲の味作り」を行うに於いて、「熟成」は絶対に無視できない非常に大切な極めて大きな決定要因なのです。
ただ、この「熟成」という現象を「焙煎要素」に入れるべきか、それとも「抽出要素」として扱うべきか、判断が非常に分かれるところです。

つまり、もし、焙煎された豆が常にその日のうちに全て売り切れるのであれば、その後の抽出されるまでの保管方法や期間は全て客の責任と裁量となり、熟成は「抽出のうち」と言えます。
逆に、もし焙煎してから数日~数週間、下手すれば数ヶ月も経過した豆を客が買ってその日に抽出した場合の味は、熟成は焙煎者側の責務範囲となり「焙煎のうち」として扱われるべきでしょう。

しかし現実は、ほとんどの珈琲は「焙煎日」が明記されて売られていることなど一切ない状態で世に流通しています。
そのため客としては、一杯の珈琲を飲んだとしても、その味の個性や特徴が、果たして、一体、「焙煎」により形成されたものなのか、それとも「抽出」により出現したものなのか、僕達としては正確に判断ができない無責任な現実に放置されていると言う事です。

そしてここで何より問題になる事は、驚く事に、これほど重要な「熟成(保管)」という要素に関して世の中の自家焙煎店が何の明言も定義もしないまま、「生豆7割、焙煎2割、抽出1割」などとしたり顔で勝手な考察を述べているという事です。
つまり、この決定的に重要な「熟成(保管)」という要素をどの項目に含めるべきなのか一切明言もせず、気にも留めず、全く曖昧にしたまま、完全に無視したまま、「生豆7割、焙煎2割、抽出1割」などと、不完全で恥知らずで大馬鹿で無責任な妄言を公言している訳です。
これではさすがに辟易し、如何にも呆れ果て、強い疑念や激しい憤怒を覚えずにはいられません。

結局、このたった一事を持ってしても、世の中の個人自家焙煎店が恥知らずに強弁する「生豆7割、焙煎2割、抽出1割」などという「虚説偽計」が、いかに出任せな屁理屈で、吐き気がするほどデタラメな愚論で、悪寒がするほど無根拠である捏造話であるかが、嫌と言うほど赤裸々に証明されていると言えるでしょう。

ちなみに、オーダーを受けてから焙煎してお届けしますなどという店の場合、後述しますが、世にも最マズ最悪の「完全熱風型インスタント少量焙煎のクズ珈琲」であるケースがほとんどですので、そもそも僕達の評価の対象にさえならない事を、念のため申し添えて置きます。

結局、僕はむしろ、本来であれば、この「焙煎豆の保管方法とその期間」(=熟成)は、実は「生豆」、「焙煎」、「抽出」と同等に並び扱われるべき、珈琲の味を絶対的・衝撃的に大きく左右する動かざる「第四の決定因子」としてもっと遥かに尊重されて扱うべきであると思っています。
つまり、本来、間違いなく珈琲の味は「生豆」「焙煎」「熟成」「抽出」の四項目で評価・判断されるべきであると言う事です。

現実に、購入した豆をすぐにたった一回の最初の試飲で評価してネットに書き込むなど珈琲初心者の犯す「愚の骨頂」そのものです。
少なくとも珈琲中級者以上の方であれば、焙煎豆の「熟成(保管)」による経時変化をとても良く理解しており、それを大前提として、意図的に数週間に亘っての試飲を行い、日々刻々と大きく変化してゆく香りと味を観察日記的に時系列で評価・判断しているものです。

ただし、現実にはこの「熟成(保管)」の項目に関して、客の関心や世間での認知度があまりにも低レベルすぎるため、ここでは敢えて議論する事もせず、深くは触れず、悲しいですが意図的に省略して話を進めたいと思います。
つまり、今回、僕はこの「熟成(保管)」を一応「最高のコンディション」(変数上は100点)と仮定して評価を行うこととし、上記の三要素だけに絞って%数字を表示しています。

さて結局、これらの三者の中では、「焙煎」が39%で一番大きくなっています。
もちろん、珈琲の味は「生豆、焙煎、抽出」の三つのバトン・リレーであり、それらの要素の掛け算で最終的な「味」に仕上がる仕組みですから、一つでもゼロがあると結果もすべてゼロになる訳です。
しかし、その珈琲の最終的な味を導く乗算方程式における「最大変数」は、やはり間違いなく「焙煎」であると思っていると言う事です。
なぜなら、よほど故意に腐敗した豆やカビだらけの豆を仕入れたり、わざと阿呆な超滅茶苦茶ドリップ法を実行すれば話は別ですが、普通に生豆を買ったり、普通に抽出を励行している限り、その二つの変数が「ゼロ」になる事はあり得ないと思うからです。

実際、普通に流通している生豆としては最低最安クラスになる1キロ500円の生豆は「不味すぎて飲めないか?」と問われれば、答えは全くNoであり、上手く焙煎と抽出をすれば十分にお金を取れる美味に仕上がります。
また、まじめに抽出をしたにも関わらず、最大に失敗してしまった時の珈琲は「不味すぎて飲めないか?」と問われれば、答えはやはりNoであり、ひどく落胆はしても飲めずに捨てるほどまずい珈琲にはなりません。
しかし、まじめに焙煎をしていても、最大に失敗した時の珈琲は「不味すぎて飲めないか?」と問われれば、答えは紛れもなく“Yes”なのです。

見た目からして黒コゲの豆は論外ですが、見た目はさほど悪くなくても、完全な芯焦げを起こしていてあまりにも焦げ苦臭過ぎたり、逆に芯残りで青臭いエグ味や舌が痺れる渋味がきつ過ぎたり、もしくは排気不足で辛苦い燻り臭が付着しまくった燻煙珈琲だったり、逆に排気過多で香味スッカスカの蝋細工のような砂噛珈琲だったりして、吐き出したくなるほどまずい事がありえるのが「焙煎の怖さ」なのです。
知識のある人間が一生懸命やっていても、意図せずして最悪のケースに該当した場合には、一切の容赦なく「飲めないほどまずくなる」のは「焙煎だけ」です。

つまり、珈琲の味を決める乗算方程式において、変数が「ゼロ」にまで落ち、算出結果までゼロに導いてしまうほど、変動率の幅が過激に広く、最も変数の感応性が敏感なのは「焙煎」だけであると言う事です。
諺にもあるように「谷深ければ山高し、山高ければ谷深し」なのですから、逆に言えば「焙煎の優劣」が最も美味しい珈琲を作る上で、最重要のファクターである証明とも言える訳です。
豆の味は「銘柄」を見ればかなりの程度正確に予測できますし、抽出もよほどおかしな事をしない限り変動幅は予測可能の範囲に収まります。
そう言う意味で、やはり「焙煎が最も味を左右し、かつ、安定して良い物を作るのも一番難しい」と思えるのです。
そして、上で述べたとおり、その「焙煎」は、何より「焙煎機の型式」によって決定的に左右され、想像する以上に「焙煎機の性能」に大きく深く依存しているのです。

ですから、だからこそ、自分の好みの珈琲店を探すためには、まず絶対に、何より真っ先に、いの一番に、そのお店の「焙煎機の型式」を確認すべきなのです。
そして、もし貴方が「味」に徹底してこだわる人なのであれば、これはもう、圧倒的に、絶対的に、運命的に、選ぶべき店は「直火焙煎機の店」以外にはないと確信します。

ちなみに「直火」と書いて、アマチュアの人は「じかび」と読みますが、プロの間では「ちょっか」と読みます。

では、なぜ「直火式焙煎機」が美味しいのか、自分なりに少し理由を考えてみました。
まず、珈琲の焙煎は「料理」であり「調理」であると言う事です。

例として肉料理が判り易いと思います。
シチューやカレーを作る時に、最初に強火のフライパンで肉の六面をまんべんなく焦がし炒めます。
これは肉の表面を焦がして凝固させることで表面に壁を作り、美味しい肉汁を肉の中にしっかり閉じ込めるための大切な工程です。
それから鍋に入れ湯の中でコトコトと煮て、肉の中までしっかり熱を通して行くわけです。

これが最初に炒めず、ナマの肉をそのまま鍋で煮始めると、加熱されるにつれ肉汁は肉の外へどんどん流れ出して行ってしまいます。結果として、どんなに高価な高級肉でも、全く旨みもコクもない「スッカスカ」のひどいダシガラ肉になってしまいます。
僕も敢えて実験でそう言う牛肉シチューを作ってみたことがありますが、とてもまずくて食べられませんでした。

「熱を通す」だけが目的なら、肉を最初から湯の中へ入れて煮るだけでも充分なはずですが、シチューやカレーの箱に必ず「最初にフライパンで肉を強火でまんべんなく炒める」と書いてあるのは、料理を美味しく作るための鉄則であり、そう言う最重要の必須事項であった訳です。

これを珈琲豆の焙煎に当てはめてみれば、もうお判りでしょう。
そうです、直火式焙煎機は本格的な焼き工程に入ると、まず1000℃以上の直火からの熱で豆の表面をなめるように直接「焼き」ます。
つまり先に豆の表面を凝固させ豆の旨味や成分を中に閉じ込めてから、中心部への加熱に入るのです。
ですから珈琲の味や香りが、焙煎中の加熱により外へ抜けることが極めて少ないのです。

ところが熱風式は最初に180℃前後の熱風の中へ生豆を投入し、徐々に温度を上げて230℃前後の熱風のあふれる釜の中で、全体を均一に加熱します。
熱風(気体)による加熱調理は比較的穏やかに進むうえ、強い熱風は珈琲の香りをかっさらって飛ばしてしまいます。
これでは加熱が進むと、凝固していない豆の表面から味も香りも抜け去り放題です。

シチューの場合は、抜けた肉の旨味はスープに溶けて残るのでまだ良いのですが、珈琲焙煎の場合は抜けた味や香りの成分は、そのまま強い熱風に乗って強制的にすべて煙突から室外へ排出されてしまいます。そのため熱風焙煎では、どうしても味や香りの抜けたスカスカの珈琲豆が出来上がってしまいやすいのでしょう。
結果として、熱風式焙煎では「旨味や香りのギュッと詰まった珈琲」を作るには限界があると思っています。

熱風焙煎は、豆が丸々プックリと美しく膨らみとても美味しそうに見えますが、実際に飲んでみると例外なく豆の風味が薄く、味が大人しく、珈琲マニアが美味追究の対象として腰を据えて飲むにはどうしても物足りなさを覚えます。
中には、珈琲の成分がすっかり抜け切っており、まるでキッチンラップ越しに珈琲を味わうような、味も香りもスカスカに抜けたひどい豆を出す自家焙煎店も決して珍しくありません。


それらの焙煎方式の違いをクルマに例えれば、ちょうど下記のようなイメージでしょうか。

 ◆直火式焙煎機 → ピュアスポーツカー(車マニア向け)
 ◆半熱風焙煎機 → セダンやミニバン等の大衆車(一般人向け)
 ◆熱風式焙煎機 → バス等の公共交通機関(大量消費用途)

直火式焙煎機(スポーツカー)は、その構造上どうしても焙煎容量(乗車定員)が少なく、一部の才能ある人以外はその真の高性能をすべて引き出す操作(運転)は困難です。
ですが、真のプロにより完全に使いこなされた直火式焙煎機(スポーツカー)は、どんなマニアも唸らせ納得させるだけの究極の味(走り)を体験させてくれます。

しかし、極めて悲しい現実として、大多数の一般人にとってみれば「車」など値段が安く、燃費も良くて、便利に動けばいい程度のものでしかないのです。
「珈琲」も同じです。珈琲に大して興味のない一般人は珈琲の味などよりも安さと手軽さを求めています。
インスタント珈琲や缶珈琲のCMがテレビを席巻し、スーパーで「粉」に挽き済みの珈琲やドリップバッグに加工された珈琲が棚をズラリと占領しているのですから。
ですから、半熱風式や完全熱風式焙煎機の存在意義を頭から全て否定するつもりは毛頭ありません。

ですが、もし、もし貴方が珈琲の心底奥深い魅力にとことん取り憑かれ、究極珈琲との奇跡の千載一遇を熱望して日夜世間を彷徨するほどの「真の珈琲マニア」を自認する方なのであれば、これはもう、話は「全く別」です。
そういう「真の珈琲マニア」を自認する方にとっては、この直火型焙煎機のお店を選ぶことは絶対に譲れない「超必須の絶対的第一条件」だと思います。

なぜなら「直火型焙煎機の味=珈琲マニアの求める珈琲」だと絶対的に確信できるからです。
安いだけの無個性な大衆車や、日常の大量輸送が可能なだけの鈍重なバスを、熱く語るカーマニアなどいないでしょう。

珈琲マニアも同じはずです。
真に珈琲の美味を追究して行けば、最終的には極めて当然に「直火焙煎の店」(スポーツカー)に行き着くはずです。

ですので、僕もここ数年は、直火式焙煎機のお店以外では珈琲豆は買わないようにしています。
僕にとっては「全くの無駄」だからです。

もちろん直火焙煎機のお店がすべて美味しい訳ではありません。
当たり前のことですが、直火焙煎機の導入がゴールではないからです。
むしろ、直火焙煎の操作は難易度がとても高く、もし腕のない人が使えば焼きムラが酷かったり、強い焦げ臭さや燻り臭でとても飲めないまずい珈琲になってしまいます。実際、そう言う酷い店も多いと思います。

しかし、もしそのお店が「日本一美味しい珈琲」を競う全国規模の壮大なるレースに参加する意思があるというのならば、まずは直火焙煎機であることが、最低限のスタートラインだとは思います。

そういう意味では、「直火」でないお店はまだスタートラインにさえ立っていないという気がしてしまうのです。




以下、「完全熱風」「半熱風」「直火」の三種類の焙煎方式の違いについて、僕なりの考察や感想を述べてみたいと思います。

まず、完全熱風式焙煎は、何しろ「熱気の対流」で焙煎するため、豆の360度の隅々まで熱が均一にとても良く回り込むため、どんなに下手に焙煎しても豆がプックリと見事に良く膨らみます。そして煎りムラのない驚くほど均一な美しい焼き色に仕上がります。
つまり、焙煎が非常にヘタクソな店でも、いくらでも「見た目のごまかし」が利くのです。
その丸々と膨らんだ豆の見た目の豊満さと均一な焼き色の美しさにコロリと騙され、「この店は焙煎がすごく上手」とか「飲んでもおいしい(はず)」とか、大きな勘違いをしてしまう珈琲初心者が後を絶ちません。
しかし、豆に大量の熱風を吹き付け続けるため、豆の持つ肝心の味や大切な香りの成分が、熱風と共にゴッソリと抜け去ってしまいます。
この点が熱風焙煎の持つ最大の欠点です。

この欠点は何も珈琲に限った事ではありません。
実際に「煎り胡麻」「きなこ」「煮干」「米」など、熱風や温風で焙煎や乾燥をした商品は、同様の理由により軒並み風味が飛んでしまっていて「明らかにまずい」です。
特に、熱風焙煎の「煎り胡麻」や「きなこ」は味や香りが全くスカスカで、直火焙煎のものより明らかに香ばしさや旨味がない事は誰でも経験で気づいているはずです。
「煮干」や「白米」も、温風による機械乾燥より、直射日光による天日乾燥の方が数倍以上も圧倒的に美味しいです。
これらの一事をもってしても味作りの上で「熱風の駄目さ」と「直火の優秀さ」が明らかに判ろうかと言うものです。

ではなぜ食品メーカーが「熱風」を使うかと言えば、単に「早く仕上がる」「大量に仕上がる」「作業が簡単」という面で選ばれているだけです。
つまり、「味」を犠牲にして、単なる効率化やコスト安だけを理由に「熱風式」を選んでいるのです。
そして、珈琲業界でも全く同様の「悲劇」が起きている訳です。

また、珈琲の袋を開けた時に、一斉にすごく香りが湧き上がるのも熱風式の豆に良く見られる特徴のひとつです。
しかし、それは豆の細胞組織が熱風による焙煎のせいで必要以上に膨らみ過ぎ、破裂して崩壊し、パンパンに膨らんだ豆の亀裂から抜けてしまった香りが袋の中に一時的に充満していただけです。

つまり、やたらとプックリ大きく豊満に膨らんでいる豆は、豆の中に香りや味を閉じ込めるのに失敗したヘタクソな焙煎の典型例の可能性が非常に高いのです。
「熱風焙煎」は、焙煎当日から既に風味が抜けてスカスカ気味なのですが、さらにそういう豆は数日もしないうちに香りも味も抜け切って「味がしない」ひどい豆になってしまう事が少なくありません。
実際、今までよりかなり豆の量を増やさないと、味がとても薄く感じる物足りない珈琲しか淹れられなくなります。

特にわずか3~6分でインスタントチックに急速焙煎してしまう高速型の熱風焙煎機には、香りや味が二週間ももたずに急激に劣化してしまう極端に寿命の短い豆が非常に多いので要注意です。
「注文を受けてその場で焙煎するので超新鮮」とか「少量からお好みの焙煎度でオーダーメイド」等の宣伝文句で客を集め、生豆を入れた機器の下から高温の熱風が吹き上がり、その中で生豆が踊るようにして僅か数分で即席焙煎されるシロモノです。
珈琲の事を何も知らず、味も一切判らない珈琲初心者は、目の前で焙煎されるパフォーマンスを見て、それを「焼き立て珈琲」だと喜んで買って行くようですが、何とも「悲劇」というか、むしろ「喜劇」というか、いやはや「無知」とは実に恐ろしい事です。

美味しい珈琲の焙煎は15~20分の時間をかけるべきなのは常識です。
加熱により「美味しさ成分」が充分に豆の中に出来上がるのにそれ位の時間が必要だからです。それを無理やり急速焙煎で3~6分で終えてしまえば美味しい訳がありません。
例えれば「炊飯」でも、美味しいご飯を炊くコツは25~30分かけてしっかり加熱する事です。
珈琲を3~6分で焙煎するという事は、米を5~8分で炊く事に相当します。そんなご飯が激マズなのは言うまでもない事ですが、それを「これは炊き立てご飯だから最高に美味しい(はず)」と信じ込んで喜んで食べているのと同じ事なのです。どうして気が付かないのでしょうか。

「急速型熱風焙煎」の味は、たとえ焙煎2~3日後の「焼き立て」「味のピーク」状態の豆であっても、濃厚な香りや細かい味が一切なく、飲み口が軽薄で厚みに乏しい、何とも「簡易な構造」をした独特の安っぽい味です。
どの銘柄豆も全体を同じような軽めのほろ苦味が支配しており、ちょうど無個性の激安ブラジル・サントスを7割位ブレンドしてしまったような、ただノッペリとして平坦な軽いほろ苦味中心の実につまらない味になります。
そして何より「旨味」と「甘み」がゼロである事に気付きます。
美味しい珈琲の双璧要素である「旨味」と「甘み」が完全に欠落しているのです。極めて短時間での焙煎のため、それらの生成が出来ない(不十分)のでしょう。
ご飯も急速炊飯すると芯が残り旨味や甘味が全く出なくなるのと同じ現象です。

そして「どこかで飲んだ味」といつも思うのですが、すぐにそれは「大手のカフェ・チェーン店」や「ファストフード店の珈琲」の味そのものである事に気付きます。実際、「全く同じ方式の焙煎」をしているのですから、当然そうなるのでしょう。
良く言えば、味に一切こだわらない大衆がヒョイと手軽に飲みやすい「従順で無個性でイージーな味」なのですが、それは珈琲マニアが求める路線の味では全くありませんし、かといって一般客にとっても大手珈琲チェーンで豆を買えば「ほぼ半額以下」で「全く同じ味」の豆が買える訳ですので、わざわざ個人店で「割高価格」で買う事の意味など絶無です。

味の判らない「珈琲初心者」ほど、熱風焙煎の豆の見た目の立派さと、開封時の香りの強さでコロリと簡単に騙され、低品質の劣悪豆を買って喜んでいます。
味や香りで判断できず、見た目やパフォーマンスに騙されるのは実に嘆かわしく、極めて愚かな事です。

しかもそんな「珈琲初心者」に限って、最悪な事に、熱心にブログや掲示板や口コミサイトへ投稿したりしているのですから困りものです。
また、悪徳なお店になると、自分で煽りの投稿や連続書込みをして、熱心にサクラや宣伝工作活動にいそしんだりしています。
そんな誤った珈琲の評価やお店の自作自演を鵜呑みにした他の「珈琲入門者」が連鎖的に同じ過ちの轍を踏み、さらに次々に拡大再生産的に低品質の劣悪豆を絶賛する潮流が起き、いつの間にか「世の多数派」になってしまうのですから、実に恐ろしい事であり、何とも情けない事であり、本当に始末に負えません。

真に良質な豆は「ハゼの際に細胞壁が破壊され過ぎていない豆」なのです。
そう言う豆は、見た目は必要以上にパンパンに膨らんでおらず、むしろ多少の小じわが残っている事が多いですし、香りも袋の開封時ではなく、豆をミルで挽いた時、そして湯を差した瞬間にこそ、初めて素晴らしく馥郁な香りがとめどなく湧き上がるものです。
くれぐれも騙されないように注意して下さい。

もちろん完全熱風式焙煎にも良いところはあります。
熱風式焙煎機は温度管理が簡単で誰にでも比較的操作がしやすいうえ、構造的に大型化しやすく何百キロと言う大量の生豆を一度に短時間でムラなく焙煎できる点が最大のメリットです。
ですので毎日何トンという珈琲を焙煎する専業メーカーや大手の珈琲企業は、こぞって完全熱風焙煎機を使用しています。

ですが、逆に一日に数キロ程度しか焙煎しないような小さな個人の自家焙煎店で、敢えて完全熱風焙煎機を選ぶ理由はいったい何なのでしょうか?
難しい直火での焙煎技術に自信がなく、単に操作が楽な熱風式を選んだだけとしか思えないのです。

それに、直火焙煎機は穴開きドラムからチャフが漏れ落ちて燃えるため、豆が焦げ臭くなりやすいだけでなく、燃えカスでバーナーが詰まりやすく、掃除や手入れが「熱風焙煎機」の何倍も大変で非常に面倒なのです。ですから、掃除や手入れなど地味な仕事を嫌がる怠惰な店では、あれこれ手間のかかる直火焙煎機は絶対に使い続けられません。
そう考えると、熱風焙煎機を選ぶ理由は、操作の簡単さだけでなく、「掃除が非常に楽だから」「手入れをさぼれるから」という事もあるかと思います。
逆に言えば「直火」のお店は、毎日の掃除や手入れがどれほど大変でも「美味しさには決して変えられない」という断固たる決意で、日々の焙煎に臨んでいるという事です。

果たして、皆さんはどちらのお店の珈琲豆を買いたいと思いますか?

もちろん熱風焙煎のお店としては直火でない理由について「自分に腕がないから」「メンテナンスをさぼれるから」とは口が裂けても言わないでしょう。
自店の焙煎機が熱風式である事実について一切触れようとせず徹底して隠し通すか、もしくは、開き直って何らかのもっともらしい理由を捏造し「あえて半熱風や完全熱風を選んだ」という様な言い訳を必死になって主張すると思います。

しかし、くどいようですが、個人焙煎店の豆だろうと業務用の珈琲工場の豆だろうと「熱風は熱風の味」がします。
もしブラインドテストをすれば、スーパーマーケットの1g1円程度の安い業務用熱風珈琲と区別が付く人が果たしていったい何人いるのでしょうか。
それでいて「自家焙煎」を名乗るだけで、業務用珈琲の2~5倍もの価格で豆を売っているのですから・・・・いくら何でもこれでは、さすがにいろいろと疑問に思わざるを得ません。

念のために、同じ完全熱風でも「個人焙煎店」と「専業メーカー」の味の違いについて話をしたいと思います。
実は、「完全熱風式」の珈琲の中にもピンからキリまであります。というより、むしろ美味しい珈琲とまずい珈琲の落差が想像以上に激しいです。
上手に仕上げれば「すっきりして軽く柔らかな味」ですが、下手なお店の場合は「味も香りもふっ飛んだ薄っぺらでスッカスカの酷い味」になっている最悪の珈琲がとても多いのです。
また、どんなに上手に仕上げたとしても、豆の個性や素性が消され気味になり、どの豆を飲んでも「うっすらと霞がかかったような」「インパクトの弱い十把一絡げ的な」味になりがちと言う欠点は残ります。

下手な店は熱風を豆に当てすぎてスカスカの味に仕上げてしまう訳ですが、それを避けるため短時間で焙煎を切り上げると、今度は芯が生焼けになりひどい「青臭さ」や、吐き出したくなるような「渋えぐさ」が出てしまいます。
下手な店や未熟な店は最良の焙煎ポイントがなかなか把握できず、「青臭さ」や「渋えぐさ」が出て全く飲めないほど不味くなるよりは、熱風をたっぷり豆に浴びせてスカスカにした方がまだ「ダマシ」が効くだろうとの幼稚な判断から、生焼けだけは避けようと「長めの焙煎」をしたがる傾向があり、その結果として一様にやたらとスカスカの珈琲が多くなっているのだと思います。
中には、嫌な青臭さが残るのも、スカスカになるのも、両方避けようとして排気ダンパーを閉め気味のまま長時間の焙煎をしている熱風店もありますが、そう言う店は、閉じ篭った煙でやたらと「いぶり臭い」珈琲になってしまっていてやはり論外です。

いろいろと熱風焙煎の珈琲を飲み比べた結果、傾向として、どうやら熱風式は数十kg以上の大型焙煎機の方が美味しい場合が多く、逆に12kg以下の中小型の熱風焙煎機で美味しい店は極めて少ないと思うようになりました。
もともと熱風焙煎の特徴や構造は「大型化」に非常に向いていて、実際、数10kg以上の大型焙煎機でこそ、その本領が発揮できるからだと思います。
また、工場に設置されているような大型の業務用焙煎機の多くは、火力調整や排気ファンの回転数などをコンピューターで制御できる高度な機能が付いていたりする事も「味の安定」に決定的な差を生んでいると思います。

そして、実はこの釜の「大」「小」が、そっくりそのまま「専業メーカー」と「個人店」を意味してしまうのです。
現実に、個人店の熱風焙煎機はほとんどが12kg以下の釜ですから、個人の完全熱風焙煎店で「スカスカの薄っぺら珈琲」に出会う確率が非常に高いのだと思います。
そして、僕が、完全熱風焙煎機を導入している小規模な個人店を避けている理由も、まさにここにあります。
実際、同じ「完全熱風」なら、一部の超激安の業務用珈琲を除き、個人店より専業メーカーや大手企業の大量生産珈琲の方が「はるかに美味しい」場合がとても多いと確信しています。

よく「専業メーカーや大手企業の珈琲は味が劣る、個人店の珈琲は味が良い」などと、とんでもなく大きな誤解をしている珈琲初心者の方がいたりしますが、くれぐれも安易に間違えないようにすべきです。
もし専業メーカーや大手企業の不味い珈琲があったとしたら、それは大手だからまずいのではなく、風味が飛んで酸化もしやすい「粉」に挽いてから数ヶ月も経った珈琲をスーパーマーケットで買う事が「不味さ」のすべての原因です。
くれぐれも「まずさの原因」を取り違え、無責任に混同して語らないで欲しいものです。

実際に「焙煎一ヶ月以内の豆のまま」の専業メーカーの珈琲を買って、家で挽いて飲んでみれば、熱風焙煎としては驚くほど美味しく、素晴らしくバランスが取れ、練りに練った見事な味作りがされている事に気が付くはずです。
特に「ブレンド珈琲」に関する味作りやノウハウは、大人(企業)と赤ん坊(個人店)以上の歴然とした段違いの大きな差があり、専業メーカーや大手企業に比較すれば個人店のブレンドは、まさに「児戯」そのものと感じられてしまいます。

専業メーカーや大手企業は、個人店の数十倍の規模の立派な設備、数百倍のキャリアとノウハウの蓄積、数千倍の安定仕入れと年間売上高を擁しているのですから、同じ「熱風焙煎」の土俵で勝負する限り、一日に数キロしか焙煎しない開業数年程度のほそぼそとした個人店など、味作りの熟練や焙煎の実力において、専門企業の足元にも及ぶ訳がないのです。

特に、何十年もの歴史を持つ小中規模の珈琲専業メーカーの品質や味作りには侮れないものがあります。
全国区の知名度もなく、業界での占有率もなく、テレビCMや派手な宣伝力もない分、純粋に「品質と味だけ」で長年にわたり地道に勝負している素晴らしい会社が少なくない気がします。
いわゆる「ダマシ」が極めて少なく、特に100gで200円以下の比較的低価格帯の珈琲では、ずば抜けたコストパフォーマンスを持つ驚くような「掘り出し物」に出会える事が少なくありません。
そういう「掘り出し物」の見付け方として、30~100キロ以上の中・大型焙煎機使用の工場での生産であり、虚飾のないシンプルな包装袋に入り、低価格ながらもきちんとアラビカ種の香味でまとめてある物を選ぶ事です。
そして、必ず最低限の遵守事項として、絶対に「粉」ではなく「豆」で買う事です。
ただし、あくまで「熱風としては美味しい方」「意外にお買得の掘り出し物」と言う事であり、残念ながらあくまで熱風の範疇であり「感動」には程遠い味ではありますが。

逆に、地方の中小専業メーカーなどで、有名な「観光都市名」や「県庁都市名」が大々的に冠された商品名であったり、やたらと自社の歴史や味自慢が自画自賛されている物は「ダマシ」が多いです。
また、袋の原材料欄にベトナム等のロブスター生産国名があるものは、いわゆるロブスター臭の強い安さ一辺倒の「激安業務用」珈琲の可能性が極めて高いです。

また、個人店は大手の安価な珈琲と差別化したいために、「完全なハンドピックを二度実施」とか「最高品質の生豆に徹底してこだわる」とかなどのセールストークをよく口にしますが、僕はほとんど信じておらず、単に「口で言っているだけ」「文で書いているだけ」の可能性が極めて大きいと思っています。

なぜなら、店主さんの年齢層的に老眼の人が多いと思われますので、一日に何時間にも及ぶ細かいハンドピック作業が、毎日完璧に出来ているとはどうしても思えないからです。
「やっている」と「出来ている」では、結果は大違いで全くの別物だと言う事です。

また、「最高品質の豆は最高に高額」なはずですから、何億円と言う資産のある大手ならともかく、吹けば飛ぶような小規模個人店が、高額な豆ばかりを仕入れられるほどの「大金」を持っているとは到底考え辛いからです。

個人店の珈琲は専業メーカーや大手企業のほぼ2~5倍の高価格で売られていますので、使っている原料豆がよほど高品質なのだろうなどと勝手な善意解釈をしている無知な珈琲初心者がいたりして閉口しますが、原料となる生豆の原価率など、ブラジルやコロンビアなどを例に取れば売値の「たった20%程度」です。
生豆の原価率がこれほど低いのですから、「生豆の品質」が珈琲を大手の2~5倍の売値にも跳ね上げる理由になどなる訳が一切ありません。
ほとんどの場合、売値の「80%前後」は、店主が胸先三寸で決めた「自店の粗利益」が大きく乗せられているだけなのです。無知な客はそんな大きな粗利益に「貢いでいる」だけです。

それに全く同じ農場、全く同じロットの生豆でも、大手は現地から直接に数10トン単位で大量一括仕入れして来るので非常に安く手に入りますが、小さな個人店は商社や問屋を通して中間マージンが膨らみ、しかも60キロ程度の割高な小袋を仕入れていますから、同じ銘柄の珈琲豆でもずっと「割高」な仕入価格になります。
要は、個人店は「良い豆だから高い」のではなく、「商売の規模が小さいから割高になっている」だけである真実を、客側はくれぐれもきちんと理解すべきです。

同じ大画面テレビを買うにも、町の小さな個人の電気屋さんだと売値がやたらと高いですが、大手家電量販店だと激安低価格で売られているのと全く同じ理由です。
電器メーカーは、年間販売量が極端に少ない個人店を直接相手にしませんので、問屋や卸売りを何社も通すルートで仕入れるしかなく、仕入れ価格が極端に割高になるせいですが、当然ながら、個人の電気屋さんで買ったテレビが特別にきれいに映る事などある訳がなく、まったく同じメーカー、同じ性能、同じ品質のものを「割高」に売っているだけなのです。

では、個人の自家焙煎店の存在意義とは、そのアドバンテージとはいったい何なのかと考えれば、やはり、これはもう、大手が進出しずらい「直火」で珈琲を焙煎し、客へ「直火の味」を提供できると言う一点にのみ尽きるでしょう。
直火焙煎は究極の味が作れますが、しかし、バーナーで直接に豆を焙る必要があるため、構造的にあまり大きく出来ず、一度に大量の豆を焙れないのです。
つまり、一日の生産量が何トンにもなる大手珈琲メーカーの場合、容量の小さな直火焙煎機では生産が到底間に合わないのです。

逆に一日の焙煎量が10~20キロ程度しかない個人焙煎店であれば、その極小ロット焙煎の特性を生かし、大手が使いたくても使えない「直火焙煎」で思う存分に丁寧な味作りが出来る訳です。
実際に直火焙煎の珈琲は、まさに個人店の「独壇場」です。

そう考えると、やはり小規模な個人店は、大手が参入できない直火焙煎の土俵に店を構え、直火特有の「一段階上のレベルの美味しさ」で売って行くしかないと思います。
熱風焙煎の店がいくら頑張っても旅客機で言う「エコノミーシート」の味しか出せないところを、直火焙煎の店は潜在能力的には「ファーストクラス」の味が出せる位置にいるのは間違いないのですから。

ちなみに、昔、僕がチェーン店の中では「突出して美味しい」と思っている「唯一」の珈琲チェーンがありました。
ずっと「これ程の大手なら熱風焙煎のはず」と思っていたのですが、それにしてはあまりにも「直火の傑作」的な美味しさにあふれているので飲むたびにいつも不思議で仕方がなく、ある日、「その珈琲会社のWebサイト」を見て驚きました。
驚く事に全国規模の大手チェーン店でありながら「味のため」だけにありとあらゆる万難を排して「直火焙煎」を採用していたのです。

いくら突出して美味しくても、まさか大手ではと思っていたのですが、なんと「驚きの直火」。
やはり真のプロであれば「焙煎機の形式」で珈琲の味のほとんどが決定される事を、嫌というほど実感し熟知していたのでしょう。
ただ、当時、確かに珈琲は絶品だったのですが、あまりの店内喫煙率の酷さから足が遠のき、その後ほどなくして残念ながらこのチェーンには全く行かなくなってしまいましたが。

それにしても、当時、そこまで「直火の味」に拘り、研究し、努力し、実行し、嘘や偽りのない正直な珈琲商売を成功させている全国規模の大手も存在したのですから、まだまだ日本の珈琲文化のレベルも捨てたものではありません。
逆に、操作が一番簡単で楽だからと安易に「熱風焙煎」を選び、大切な味を犠牲にして知らんぷり、先を争って偽計と虚説で無知な素人客を誘い込み、風味がスカスカの劣悪豆を割高く売りつける事にばかり日々奔走している浅ましく見苦しい個人店の何と多い事でしょうか。
業界の先人たちが苦労して築いて来た日本の珈琲文化にぶら下がっているだけの、そんな不徳な個人店には小一時間ほど説教でもしたくなるのは決して僕だけではないはずです。

ただ、つい最近になって某ショッピングモール内の完全禁煙のフードコートにその珈琲チェーンが出店しているのを見かけ、非常に久しぶりにブレンドを飲んでみたのですが…大変残念ながら以前の美味とは全く異なってしまっていて、ただただロブスター臭いだけの悲惨な酷い味になってしまっていました。
さらに不味くなっただけでなく、飲んだ後の体調にも悪い変化が起きる始末で、良い思い出は無残に砕け散り、変わり果てた珈琲の不味さに時の流れを嫌と言うほど痛感させられてしまいました。




さて、次に、「半熱風式焙煎機」についてです。
半熱風式は、その名前の通り、直火式と完全熱風式の中間の性格と言われる事が多いようです。
うかつに「中間」などと表現すると、直火と熱風の「いいとこ取り」のように思う人もいるのかも知れませんが、しかし、現実はむしろ逆で、両者の「悪いとこ取り」とまでは言いませんが、あくまで個人的な嗜好としては「半熱風焙煎が一番おいしくない」と思っています。

「美味しくない」と言うと語弊があるかも知れませんが、要は「半熱風」と聞いただけで、もうあまり気が進まないと言いますか、さして興味が湧かないと言いますか、わざわざ飲むほどの気にならないのです。
僕の経験からは「半熱風は大きく外れない代わりに、絶対に大きく当たる事もない味」のイメージなのです。

実際、「半熱風焙煎」は、上手な店と下手な店の差はあまり目立たない感じで、「飲まなくても大体想像が付く味」と言いますか、まさに「ドングリの背比べ」と言う感じであり、どのお店も似たり寄ったりのレベルと感じます。
良く言えば「中堅社員的な安定感のある味」ですが、悪く言えば「何ともつまらない凡庸な味」であり、味が寸詰まりと言いますか、妙に停滞しがちで、きれいに伸びて行かず、まったく広がって行かず、鮮烈さや躍動感が一切感じられない味になっている事がほとんどです。
味の幅も狭くて、展開の時間も短かく、すぐに頭打ちになる感じです。
まるで、窓が一つもない、息の詰まる狭苦しいワンルームマンションを連想させられる閉塞感のある味の珈琲がとても多いと感じてしまいます。

しかし、世間一般的に、日本で「珈琲の名店」などと言われている自家焙煎店を見てみますと、意外にも「半熱風焙煎機」を使っているお店が少なくない事に驚きます。
ですが、実際にそれらのお店で珈琲を飲んだり、豆を買ったりしても、やはり上記の通りであり、全くときめきのない、なんとも意外性や発展性の乏しい味であったり、非常につまらない閉じ篭もった寸詰まりの息苦しい味の珈琲であったりが、実に多いと感じてしまいます。
何とも不思議ですが、そういうお店は「味以外」の面で、客の心をつかむ何らかのノウハウや人気の秘密があるとしか思えません。

そう感じてしまう正確な原因は判りませんが、かなり多くの半熱風店を飲んで来ても、味は大同小異で、結局ほとんどすべて同じ感想になる事実を鑑みますと、焙煎者の力量などが原因なのではなく、やはり「半熱風焙煎機」の構造や仕組みに起因する問題なのだと思えてなりません。
そう考えると、おそらくは焙煎のメイン熱源が「金属ドラムからの伝導熱である事」か、もしくは、「ドラム内の空気が篭りやすい構造である事」に、何か根本的に大きな原因があるような気がします。
いわゆる「抜けの悪い味」「伸びのない味」である事を考えますと、どちらかと言えば「ドラム内の空気が篭りやすい構造」である点が、個人的には「かなり怪しい」と思っています。

ちなみに、僕は「焼き魚」を食べると、その魚が「上火」で焼かれたものか、それとも「下火」で焼かれたものか、それとも「上下同時」に焼かれたものか、かなりの確率で当てられる自信があります。
焼かれた魚の「美味しい順」で言えば、「下火」焼きが圧倒的に一番美味しく、次に「上下火」が普通で、「上火」は一番まずいです。

なぜなら、生魚には独特の生臭さがありますので、下からの火で焼いて、魚の上面から蒸気と一緒にその生臭みを蒸散させないと生魚の独特の臭みが抜けず、嫌な生臭さが身に残ってしまい「まずく」なるのです。
試しにグリラー等で上からの火で魚を焼くと、先に上面が焼き固まってしまい、蒸散すべき生臭さや他の不要成分が身に残ってしまいます。そうなると、生臭い上に味もくぐもってしまい「行き場を失った不要成分が閉じ篭って停滞した」ような、何ともすっきりしない閉塞感のある味になります。

実はこの、本来なら魚を焼くのに全く適さない「上火焼きグリラー」で焼かれた魚の「くぐもった味」が、僕にとっては、「半熱風焙煎された珈琲豆」のくぐもった味とどこかしら強い共通点を感じさせるのです。
使う調理機により味の大部分が強制的に決定されてしまい、焼き手の技量ではどうにもカバーし切れないと言う点も、珈琲焙煎と良く似ていると思います。

「くぐもり」の正体ですが、多くの食材は、概ね180℃以上に加熱すると様々な化学変化が起こり始めます。
その際に、良い成分も、悪い成分も、素材から様々な成分が揮発しますが、僕の料理経験から言うと、その時に「ふた」をせず、それらが適度に大気中に自由運動で放出された方が良い結果になるケースが多いと感じています。
これらの成分は目に見えないものも多いので、目に見える「煙の発生」とは直接関係なく、つまり珈琲焙煎で言えば「煙が出始めたらダンパーを開けて排煙をすれば良い」という事ではありません。
僕の実際の焙煎経験からは、煙が少ないからと言って、比較的閉ざされた空間で豆を加熱し続けますと、それらの成分が大気中へ十分に抜けて行けなかったり、もし一度豆から出ても釜の中で対流するうちに再び豆の中に戻ってしまったりする気がするのです。

つまり、ドラムに開放部が少なく内部の空気が篭りやすい構造である「半熱風焙煎機」は、僕の個人的な考えでは、この点において、構造上の大きなウィークポイントがあるように思えてしまうのです。

魚を焼く事一つとっても「焼ければどんな方法でもいい」と言う甘い物では絶対にありません。
真に美味しい魚を焼く方法は「下火」と言う「一つしかない」のです。
珈琲豆の焙煎も全く同じです。
数々の理想を突き詰めていけば、珈琲焙煎に適した方法は「直火」と言う「一つしかない」と言うことです。

ちなみに、焼き魚の話の続きですが、下火で焼けば生臭さが抜けるだけでなく、生魚の水分が適度に蒸気となって上に抜けて行き、その過程で身が「ふっくら」「ほくほく」になり、非常に美味しく仕上がります。
しかし、魚の下火焼きは、焼いている途中から魚の油がどんどん垂れて来て、熱源にかかって燃え上がり、黒い油煙を激しく出してしまい、魚に煤が付着し焦げ臭くなります。
加えて、魚の皮が焼網にこびり付いて身崩れが起きやすいうえ、焼き面が下になるためどれだけ焼けたかもチェックしづらく、上手に焼くには非常に高い技術と長い経験が要求されます。

この点、特に客商売ですと、料理の「見た目」も優先されるため、魚の皮が焼網にこびり付きにくい上火焼きが非常に重宝がられるのです。
また、店舗営業で焼く場合は「速度」も重視されますので、片面ずつ焼くよりも、上下同時に焼けば時間が半分で済んでしまいます。
そのため、大変残念ながら、多くの料亭や和食店では、アルバイトでも扱える「上火グリラー」や「上下同時グリラー」などが普及しているのです。

しかし、それらのグリラーは、こと「味」の面では、下火焼きに比較し、明らかに2ランクも、3ランクも落ちます。
なぜなら上火で焼くと、身の中に生臭さや不要成分がくぐもるだけでなく、魚の上面だけがパサパサになり、逆に中心から下は水分の抜けが非常に悪く身がグジュグジュしてしまい水っぽい不味さが出た仕上がりになってしまうからです。
ですから、上火グリラーや上下同時グリラーは「見た目だけは良いが、味は想像以上に最悪」です。

さらに言えば、恐ろしい事にここ数年でそれら上火グリラーや上下同時グリラーを、さらに数段も上回るまさに大惨劇的な激不味さにせっかくの魚を調理する人類史上まれに見る「怨敵調理器具」まで登場しています。
ここ数年で急速に出回り始めた「過熱水蒸気オーブン」というシロモノです。この機器はどんなに美味しい高級鮮魚もまさに「地獄の不味さ」に仕上げます。

この機器は何と「本物の炎」や「遠赤外線」等の熱源を一切使わず、既に「火で焼く」事を完全に放棄し、水を加熱して発生させた300~400℃の超高温水蒸気を魚に吹き付けて加熱することで、何と「焼いた」事にしているのです。

その味たるや、「焼き魚」として美味い不味いを論じるどころの話ではなく、魚の美味しさ成分の全てが支離滅裂に破壊され分散してしまったような、とりとめなく焦点が定まらないボケボケの茫漠とした、まるでウレタンで出来た食品サンプルを食べているかのような、まさに得体の知れない物体を口に入れるかの如き、飲み込むのが不安になるほどの、何とも怪しい正体不明の激不味さです。

まさしく味も食感も嫌というほど擬似的で酷いイミテーションそのものであるうえ、さらに恐ろしい事に水蒸気による加熱では出しにくい魚表面の焦げ茶色の「焼き色」と、香ばしい「焼けた匂い」を装うため、生魚を発色液や燻製液に漬け込んでから焼いているため、魚表面から不自然で危険な化学物質の味や臭いがしてしまい、僕など一噛みしただけで身の危険を感じ、絶望の感情に全身が襲われ、ドス黒い不安に腹の底まで侵食され、とても食べられた物ではありません。
いやはや、せっかくの美味しい魚を、ここまで容赦なく台無しにし、ここまで徹底的に壊滅させて調理する機具がこの世の中に実在する事に強い悲憤の感情を覚えずにはいられません。

しかし、今やほとんどのスーパーマーケットの惣菜売り場で売られている「自称・焼き魚」や、街中の多くの定食屋チェーンや居酒屋チェーンで出される「自称・焼き魚」は、実はこの「過熱水蒸気」で調理されたシロモノがほとんどなのです。
いやはや、一度食べれば大トラウマ間違いなしのこれほどの大惨劇激マズ物体にも関わらず、一体どうして、果たしてなぜ、世の飲食シーンから駆逐されないのでしょうか?
いや、駆逐されないどころか、ますますあちこちで目に付く機会が増え続けているのでしょう?

実は、この過熱水蒸気で調理された魚は、何しろ超高温の気体である水蒸気で非常に均一に加熱されるため、魚の表面に火ぶくれが起きず、皮も破れず、全くムラのない驚くほど均一な美しい焼き色に仕上がります。

つまり、味は「美食の不倶戴天の怨敵の激不味さ」であっても、見た目は「焼き魚として全く瑕疵のない驚くほど美しいパーフェクトな姿」に仕上がるのです。

もうお判りでしょう、そうです、スーパーで惣菜を買ったり、定食屋チェーンや居酒屋チェーンで焼き魚を食べるような世の中の一般大衆は、実は「見た目の美しさだけで食品を選ぶ」&「味が一切全く判らない人々」がほとんどなのです。
料理や飲食物とは本来であれば「舌と鼻」で味わい評価されるべき対象であるにも関わらず、こんな擬似的な激マズの「自称・焼き魚」を食べて何とも思わないのですから、事実として世のほとんどの一般大衆は料理の「見た目」「外見」「姿」と言う視覚情報だけに頼って品物を選び、その価値レベルを評価していると言う証明に他なりません。

しかも、もし、ほんの少しでも料理の経験や知識を持つ人から見れば、これら過熱水蒸気で調理された魚は、一見しただけで、むしろその「あまりにも異常な焼き色の均一さ」、「極めて不自然な火膨れや焦げの絶無さ」に、すぐにおかしいと気付き、調理法の真偽を疑い、怪しみ、訝しんで、結果として購入には至らないはずなのです。
ですが、世の中の95%の人間は、自分で魚を焼いた経験など一切無いため、「凄くきれいに焼けている(ように装っている)魚」→「きっと美味しい焼き魚に違いない」とあらぬ大勘違いをして、実際、その強烈な視覚情報が「絶大なプラシーボ効果」を発揮して味覚や嗅覚を完全に上書きしてしまい、事もあろうかこの世の最低最悪の激マズ魚を、「美味しい美味しい」と一切何の疑念も感じずに嬉々として食べているのです。
まさに「世も末」としか思えません。

実際、こんなイミテーションの「自称・焼き魚」が、炭火焼きや下火焼きの「本物の焼き魚」の市場を次々と奪い、どんどん駆逐しているのですから、何ともおぞましき一大事であり、食文化のゆゆしきカタストロフィであり、同時に、これこそ世の中の95%の人間が「実は味など一切全く判らない」事の何よりの動かぬ証拠そのものです。

さらに、お店からして見れば、この過熱水蒸気オーブンは、何しろ機械に魚を入れたら「ボタン一つ」押すだけで、誰でも完全自動で簡単に加熱調理が終わる上、一度に大量に調理でき、煙も少なく換気もほとんど要りません。
そのため、今までのガス火オーブンからすれば、比較にならないほど取り扱いが容易で、技術や知識のないアルバイトやパートさん達の「ド素人」でも、働き始めたその日から簡単に「商品が作れる」ので人件費も節約出来ると大歓迎され、今や競ってあらゆる店舗で嬉々として導入されるようになってしまいました。

要は、結局は、つまりは、世のほとんどの飲食店や料理人は、料理のプロや専門店であるにも拘わらず、本来、最も大切なはずの「味」を一番最後に回して大いに犠牲にし、単に焼き易さや掃除の楽さ、焼きの回転率、仕上がる見た目の良さ、人件費の安さ等だけで「調理機器」を選んでいる訳です。

そして、現実に、この過熱水蒸気オーブンの普及と比例するかのように、近年「焼き魚嫌い」の子供達が激増しています。ネット検索すれば判りますが、驚くことに今や小学生の嫌いな食べ物のトップに「焼き魚」が上がっているのです。
確かにそれはそうでしょう、現状を鑑みれば日々子供達が食べさせられている焼き魚のほとんどは、長期冷凍保存された古い魚を解凍し、その多くがこの忌まわしき過熱水蒸気で調理されている訳であり、もし幸運にもその難を逃れたとしてもせいぜい電熱器かガスの上火焼き機で調理された極めて劣悪な味の物がほとんどでしょうから、この結果もまさに「むべなるかな」「当然の帰結」と言うところです。
「子供の舌は正直」という通り、まだ誤った固定観念や禍々しいプラシーボ効果等に蝕まれていないピュアな子供の味覚は、驚くほど正確に「劣悪な食材」と「間違った調理法」に対し直感的に抗い、 悲痛に拒絶し、必死に哀訴している訳です。

しかし、一方で、もし獲れたての新鮮な良質魚を炭火焼きで達人が心を込めて焼いた「本物の焼き魚」の「100点満点の超絶の美味しさ」を一度でも幼少期に経験していれば、必ずや焼き魚の真の圧倒的な美味しさに開眼し、以降、その子供が自分の大好物の五指に「焼き魚」を入れるのは絶対に間違いないと確信します。
まさに僕がそうであったように。

そして、「焼き魚」を取り巻くこの何ともおぞましき悲劇の惨状が、この憎悪すべき悲憤の図式が、今の珈琲焙煎業界にもそっくりそのまま完璧に当てはまってしまうのです。
珈琲の焙煎において、「直火焙煎機」は味は最高ですがそのぶん操作や手入れが難しい訳です。
一方、「完全熱風焙煎機」や「半熱風焙煎機」は味は全く駄目ですが、見た目は均一に美しく仕上がり、かつ、素人に毛が生えた程度の店主でも容易に操作できる訳です。
そして、珈琲業界におけるそれら「熱風焙煎機」の普及率の高さの実情を鑑みれば、何ともひどく悲しい事ですが、珈琲業界が全く同じような「美味嘲弄」の悲しく絶望的な風潮に大きく侵食されてしまっているのは間違いないでしょう。

僕は先ほど、半熱風焙煎された珈琲の不味さを「上火グリラー」で焼かれた「くぐもった味の焼き魚」に例えましたが、この「過熱水蒸気オーブン」で焼かれた魚の衝撃の激不味さは、もし珈琲焙煎で例えるなら、ズバリ、インスタント型完全熱風焙煎による「風味スカスカの残骸珈琲」の激不味さそのものでしょう。それは珈琲の生豆を入れたガラス容器の下から熱風が吹き出てわずか3~5分で急速焙煎してしまうタイプの恐怖のインスタント焙煎機です。
特に、どのような最高級食材であっても「徹底的に根こそぎ駄目にする」「完膚なきまでに全て台無しにする」という一切の情け容赦の無い殲滅性において、正に「双子」の如き相似値を感じます。

現実的に、珈琲業界における「熱風焙煎機」の市場占有率の高さを鑑みれば、世の中のほとんどの一般大衆は子供の頃からずっと日々それら「熱風珈琲」のみを飲んで育って来ている訳ですから、真のプロが焙煎した最高峰の直火珈琲がこの世の中に存在する事実の片鱗さえ知らぬままに、大人になってしまう(味覚が固定してしまう)不幸な人々がほとんどであると思われます。
その呪われし厄災現象が、同じく「新鮮魚+炭火焼き+達人プロ」の至高&究極の焼き魚を一度も食べた経験がないままに大人になってしまう無残な厄運現象と、ピタリと重なって見えてならないのは、いやはや何とも、果たして僕だけなのでしょうか。


さて、珈琲焙煎の話に戻りますが、ちなみに、僕が自宅焙煎をしていて判った事は、珈琲の味は「気体の循環」や「蓄熱のカーテン」で決められる部分が想像以上に大きいと言う事です。
焙煎の初心者は「火力」と「撹拌」さえ上手に出来れば美味しく仕上がると誤解しがちですが、むしろ「火力」や「撹拌」は計器や目で見えるため、あまり大きく的を外す事がありません。
しかし、釜内部の空気中の揮発成分の濃度や循環状態や気圧、そして熱気の淀みや対流は全く目で見えないため、釜の内部の空気の状態をいかに正確に把握し適正にコントロールするかが一番難しい気がします。
実際、この「釜の内部の熱と空気の動き」こそが、珈琲の味作りに想像以上に決定的な影響力を持っているのは間違いありません。
ですので、もし自作焙煎機を作る場合などは、まず「直火方式」にするのは極めて当然の事ですが、バーナーや撹拌翼だけでなく、釜の形状による熱気の滞留具合や流れ方、気圧や排気の計量的コントロール方法等をかなり細かく煮詰めて行く必要があります。

そう言う意味で、ダンパーや排気ファンが付いていないなどで、排気の調整が一切出来ない簡易な焙煎機は「全く駄目」です。「豆はこげ茶色になる」かも知れませんが「美味しい珈琲」はまず全く作れません。そう言う焙煎機を使っている限り、美味しい珈琲は宝くじ並みの確率でしか焙煎できないはずです。
時折、自称プロの自家焙煎店でも、可変ダンパーや排気ファンや煙突の一切付いていない小型の簡易焙煎機を使っているお店があったりして実に驚きますが、同じく「味は全く駄目で一切期待できない」と確信します。

もしも万一「自宅焙煎で排気調整などしなくても毎回常に美味しい珈琲が出来る」とか「あの珈琲店はダンパーのない簡易焙煎機だけどいつ飲んでも凄く美味しい」とか言う人は、まず自分の味覚能力の異常な低さと経験値の極端な狭さを強く疑ってみるべきです。
真に100点の超絶珈琲を経験している珈琲上級者から見れば、一切の排気調整せずに仕上げた珈琲など、せいぜい40点が上限です。しかし40点までの珈琲しか知らない人にとっては、その排気調整もしていない最悪の40点珈琲がおそらくこの世で最高ランクの100点珈琲に思えるのでしょう。
いやはや何とも難儀な事ですが、もしも、排気調整機能もない簡易焙煎機で焙られた珈琲が100点珈琲に思えるようなら、今日を限りに「珈琲マニア」と言う看板は下ろし、以降はネットへの書込みも全面自粛した方が良いと思います。

そして、実はこの点においても、「完全熱風」や「半熱風」の焙煎機は、熱風=排気が密接に絡み合っているため、熱量と排気のそれぞれを完全に独立させて調節ができないと言う仕組み上の大きな弱点があるのです。カロリーアップのため熱風を強めれば、同時に排気も強くなってしまうと言う欠点です。
その点、「直火」の焙煎機は火力と排気がお互いに依存し合っていませんから、それぞれを完全に独立させて調整が可能であり、それだけ自由度の高い細やかな最適焙煎が可能になるという優れた長所があります。

なお、直火焙煎のコツとして、焙煎の最大火力の時に、直火の先端が豆に触る位の位置にドラムを置くことです。それでこそ本物の「直火焙煎」なのです。よくガス火から10cm以上もドラムが離れている自作焙煎機を見かけますが、それでは「直火」の味にはならず、むしろ「熱風」の味になりかねません。
もし直火の先端が豆に触れて簡単に豆が焦げるようなら、適正容量を超えて豆を多く入れすぎているか、ドラム回転が遅すぎるか、撹拌翼が機能不十分なのです。

また、当たり前ですが温度計を必ず設置して常にモニターし、ダンパー開閉度も数値化する必要があります。
そしてそれら温度カーブとダンパー操作の推移表を記録する必要が絶対にあるのは言うまでもない事ですが、意外にも一切記録を取らない人が少なくない事に呆れてしまいます。
きちんと記録を取って統計分析しても、それでも「味のブレ」が出るのですから、そもそも温度計測やダンパーの記録を一切していない人の珈琲の味など「味は推して知るべし」ですし、そう言う低レベルの自宅焙煎人には「珈琲焙煎を語る資格など全くない」と思います。

なお、極まれにですが、非常に良く仕上がった「半熱風焙煎」の豆に出会うことがあったり、自分でも自作の「半熱風焙煎機」でまれに非常に上手に煎れたりする事があります。
そのような豆は、最初は存外に美味しいと思うのですが、しかし、二度、三度と、繰り返し飲んで行くと、やはり「天井や壁が見えて来る」のが早いです。
開封時に美味しいと思っても、一週間位して再度飲むと明らかに「平凡」な味にダウングレードしてしまい、「やはり実力はこんなもの」と落胆させられてしまうのです。

つまり、直火と比較すると半熱風は香味の劣化スピードがとても早い事が多いのです。ですので「熟成の楽しみ」「香味の成長」という事は全く期待できません。
この点、良く仕上がった直火の豆なら、二週間を過ぎた辺りから、さらに階段を駆け上る様にメキメキと一層美味しく成長して行き、後に飲むほど美味しさへの期待が高まり胸がワクワクする事がとても多いのとは大きな違いです。

これらの感想は、外国製の高級焙煎機であるプロバットでもディードリッヒでも同じことです。
それらを導入しているお店の豆もあちこちで飲んでみましたが、国産焙煎機とまったく同じ結果です。
つまり、当たり前ですが、やはり「熱風は熱風」「半熱風は半熱風」の味がします。

さらに、これらの特徴は「家庭用焙煎機」でも、そっくりそのまま当てはまります。
僕は過去に、比較的高価な「家庭用電熱式完全熱風焙煎機」を3種類ほど遍歴して来ましたが、いずれも良い点はスイッチを入れたら全自動で焙煎が完了する「お手軽さ」だけです。
確かに豆は「こげ茶色」にはなりますが、「味は本当に最悪」で、いずれも香りも甘みも旨味もゼロで、ただただ苦虫が噛み潰されたような不快なエグ苦味だけが支配する想像を超える酷い味にしか仕上がりません。
まさしくそれは「熱風式のまずさ」と「電熱式のまずさ」の相乗効果を嫌と言うほど体験できる恐怖の世界です。

せっかく買ったので、色々と工夫したりしてそれぞれ十数回ずつ使ってみましたが、その嫌になるほどの激マズさは全く改善のしようなどなく、その度に、まさに「絶望の暗い淵に沈められるかの如き暗澹たる激マズ体験」を強制されました。いずれも即売却もしくは押入れの肥やしになっています。
結構な高価格の割に出来上がる味は子供だましも甚だしい劣悪な物であり、珈琲の焙煎機と言うより、まさに「幼児のオモチャ以下」の非常に腹立たしい物です。

世の中には、そういう電熱式完全熱風焙煎機で焼いた豆とは言え、「自分で焙煎した」と言う一点のみで完全に自己満足してしまい、大いに浮かれ舞い上がって「絶賛して愛用」している奇特な人もいるようですが、そう言う人達は味覚が完全に摩滅していて味が一切判らず、塩を砂糖だと言って舐めさせれば「甘くておいしい」と答えるような人達なのでしょう。

それに加えて、日本ではまだ珍しい個人用の珈琲焙煎機を所有した事がうれしくてうれしくてしょうがなく、大得意になって一人でも多くの相手に自慢したい幼稚な心理で、ブログ等で「おいしい珈琲が出来る」とか「この焙煎機は最高」などの蒙昧な放言を無責任に連発しているのでしょう。

しかし、もしもほんの少しでも「自分は珈琲の味が判る」と思っている人なら、絶対に、絶対に、絶対に、「家庭用電熱式完全熱風焙煎機」は買わない事です。
珈琲の味が判る人にとっては、腹が立つ事この上ない生涯の「目の仇」にしたくなる粗悪物であり、万事に忌み避けるべき不吉な「鬼門」であり、どんな極上生豆も確実に超激マズに仕上げてくれる「天敵」そのものだと確信します。



結局、真に美味しい珈琲を本気で追究して行けば、やはり最終的に「直火式」以外の選択はなくなってしまう訳ですが、しかし同時に、真に上手な直火焙煎のお店は極めてほんの一握りしかないという厳しい現実に直面します。

まず、直火焙煎のいくつかのお店は、火が遠くなりすぎていて、実態が「全く直火になっていない」お店が多い気がします。豆面から火が遠すぎると、「火」ではなく「ドラム壁からの伝導熱」や「ドラムに流れ込む熱気」で焙煎している事になり、それは実態として「半熱風」の分類になります。
実際に「この直火珈琲は駄目だな」と思った時の豆は、まさに半熱風と同じような閉塞感のある閉じ篭った味になってしまっている物が多いです。少なくとも焙煎中の最大火力時に、ガスの炎の先端がきちんと穴開きドラムに触れるようでなければ「真の直火」とは言えません。
ですので直火式の店の良さが実感できないと言う方は、単に上手な本物の直火店にまだ出会っていないのだと思います。

実際に多くの「本物(プロ用)の直火焙煎機」のガスバーナーは「ブンゼン型バーナー」という円筒状のものが採用されています。このバーナーはまるで「蝋燭」のように長細い形の「炎」が出せるのが特徴で、それが複数本並べて内部ドラム下に設置され、長い炎の先端がちょうど金属ドラムの表面を「舐める」ように直接触れる(直火)工夫がされているのです。
これこそが、これでこそ、「真の直火焙煎」なのです。

ところが、世の中にはまるで「家庭用のガスコンロ」のような「短い炎が多数に並ぶ形」の熱源タイプの焙煎機を、自信満々、鼻高々で使っている「自称・直火焙煎店」も少なくありません。しかし、それでは直火の必要条件の半分も満たしていない事になります。
それらの店は無知ゆえに「金属ドラムに穴が開いてさえいれば」直火焙煎だと本気で誤解しているのか、もしくは、世の中の多くの「自称・珈琲マニア」相手の商売ゆえに「こいつらにどうせ真の直火と似非直火の味の違いなど永遠に判る訳がない」と端から客をバカにしているのか、どちらかでしょう。
繰り返しますが、瞬間的にでも「豆が炎に直接触れる」構造でない限り、真の直火焙煎の味は出せません。

ちなみに直火の場合、「ガス火」と「炭火」がある訳ですが、炭火の場合は炎ではなく「遠赤外線」(光、電磁波)で焙煎すべきですので、ドラムと炭火が直接触れ合う必要は全くありませんが、豆が遠赤外線を十分に浴びられるよう「ドラム開口率」(穴の面積率)が最低でも70%以上は必要でしょう。
もしもドラム開口率が低すぎる場合、これまた主に「金属ドラムからの伝導熱」と「ドラムに流れ込む熱気」で豆を焙煎することになり、やはり「炭火直火」ではなく、「半熱風」の味に近くなってしまいます。

ちなみに、同じく直火と言っても、「ガス火」と「炭火」の場合、これらは想像以上に出来上がる味の傾向が全く異なります。
「炭火」の味は、一言で言えば「コク」です。味の展開がやや鈍重なところもあり細かな味の表現や豆の個性を際立たせる事は不得意ですが、まろやかでありながら極めて押し出しのある力強い味です。
まったりとした重みと厚みの伴うオイリーな口当たりと、ネットリと舌に絡み付くカラメル感のある甘み、そして何より独特の深いコクは他の焙煎法では絶対に経験できない「炭火の専売特許」的な素晴らしい魅力です。

「ガス火」の味は、一言で言えば「キレ」です。線はシャープで細くなるものの味や香りに全く濁りがなく、カミソリの如き鮮やかなキレのある繊細さと緻密さ、スムーズでありながら豊満なリッチ感のある飲み口。そして香りや味の情報量が非常に多い極めて正確な味の表現力が「ガス直火の真骨頂」でしょう。

時折、「ガスだろうと炭火だろうと火の性質に変わりはない」などと炭火焙煎のことを軽んじる人がいたりして、そのあまりの低次元の無知蒙昧ぶりに「天を仰がされてしまう」事があります。自分が全く味の違いが判らないからと言って、他の人達も同じように判らないはずだと思うのは、極めて大きな間違いです。
僕など、直火焙煎の珈琲を一口飲めば、それが「ガスか、炭火か」、ほぼ100%即座に当てられる自信があります。つまり、それ位に大きく違う味に仕上がると言う事です。

ただし、「炭火」と名乗っていても、ガスと併用して一部だけちょっと炭で焙るだけの所もありますので、もしせっかく選ぶなら100%炭火焙煎の所を選ぶべきです。
また、炭火100%の店でも、驚くことに普通のガス直火用のドラムを流用していたり、開口率のとても小さい金網ドラムで焙煎しているなど、「炭火=赤外線」の意味や効用が全く判っていない焙煎店があったりして、陰々滅々な気持にさせられる事も少なくありません。
炭火で焙煎するなら最低でもドラム開口率が70%以上は必要だと思います。(僕の自作炭火焙煎機は開口率80%です)
なぜなら炭火の最大の特徴となる「赤外線」の実体とは「目に見えない光」、つまり「光(電磁波)のエネルギー」なのですから、「光」を直接に対象物に浴びせられる構造でない限り、炭火(赤外線)焙煎の効用は期待できなくなるからです。

つまり、炭火焙煎において、小さな穴がポツポツと開いただけの金属ドラムや目の詰まった金網等の開口率の低いドラム等を使うと、それらが赤外線を遮ってしまい、豆に届く赤外線が極端に減ってしまうのです。
結果として、開口率の低い焙煎ドラムを使用している店の場合、例え熱源が100%炭火であっても、本当の「炭火焙煎の味」は全く期待できなくなり、それでは単なる熱伝導による「半熱風焙煎の味」になってしまいます。
ですので、もし「炭火焙煎」を名乗るお店で初めて珈琲を買う場合は、実物や写真で焙煎機のドラムの「開口率」を念入りに確認してから購入する必要があります。

実際、「鰻の炭火焼き」でも「炭火の焼き鳥」でも一流の店は絶対に「金網」を使いません。例え僅かでも赤外線を遮る金網は一切使わないのです。
炭火の出す赤外線を一切の遮蔽物無しで100%食材に浴びせるために、わざわざ「串」に挿して食材を焼く訳です。
そして、それでこそ本物の「炭火焼きの美味」が生まれるのです。

また、時折、炭火焼き珈琲の特徴は「豆の強い焦げ苦味にある」とか「炭の香りが加わる事にある」とか「スモーキーな燻製風になる」などと誤信している恐ろしいほど無知蒙昧な客もいたりするようですし、表面が黒光りするほど炭化した焦げ味の強い珈琲を「炭火焙煎風珈琲」とか「炭焼き調珈琲」などと意図的に紛らわしい呼称で売っている信じられない酷い店もあったりしますが、ここではそのような超低レベルな人や店は「この世に存在しない物」と仮定して話を進めたいと思います。

炭火焙煎から生まれる独特のまったりとしたコクと堂々とした重厚な飲み応えは、他の何物にも代え難い唯一無二の味であり、直火、半熱風、完全熱風に続く、「第四の味」と言えるほどに独特の個性を放つ美味しさです。
ただし、炭火焙煎は火加減の扱いが非常に面倒で難しいうえ、もし上手に焙煎が出来たとしても豆本来のネイキッドな香りや繊細な味の微妙な発露が抑えられ気味になり、特に「豆の個性」を際立たせて表現する事は、炭火による独特のコクや重厚な飲み口とのトレードオフの関係にあり、やや不得意です。

ですので、豆の個性をよりストレートに楽しむなら、やはり鮮明できめ細かい味の表現が得意な「ガス直火」が一番のお薦めです。
究極的に上手なガス直火ともなれば、珈琲豆の持つすべてのポテンシャルを100%力強く生かし、かつ、細かな味や香りのデリケートなニュアンスが隅々まで口中で立体的かつ鮮やかに展開されるような凄まじいまでの味の描写力があります。特にその豆が持つ「ネイキッドな味と香り」を際立たせて繊細に表現する力は他の焙煎法の追随を一切許さない、まさにガス直火の圧倒的な独壇場です。

なお、無知な珈琲初心者の中には「直火焙煎=重い味」と大きな勘違いをしている人も多いようですが、炭火とは異なり、本来のガス直火は決して重厚な味にはなりません。むしろ良い意味でスッキリとしてギュッと引き締まった「やせマッチョ」のような味になります。
非常に焙煎が下手な直火店の場合は、豆を強く焦がしたり、深く燻し過ぎたりしてしまい、「重苦しい嫌な燻焦味」の珈琲を出す店がありますが、そう言う珈琲店はそもそも論外です。
ガス直火を「重い味」と思っている人は、そう言う「論外な劣悪店」ばかりを飲み歩いている人なのでしょう。

むしろ、本当に極上のガス直火になると、必ず、明るくメリハリがあり、晴れやかで凛々しい感じの美味になります。味が鮮明で歯切れが良く、整然として繊細で、清澄な心地よい開放感にあふれた「冴え冴えとした美味」になるのです。

真に最高峰の「直火珈琲」は、ガス火でも、炭火でも、一口飲めば、即座に、明確に、はっきりと「違い」が判ります。まさに「珈琲の真の美味しさに開眼させられる」と言う感覚です。

香りは、漂うとか、香るとか、そんなレベルではなく、まさしく眼前で玉手箱を開いたかの如く「体が蕩けてしまいそうなほどの陶酔感と幸福感を招聘する香り」に全身が侵蝕され、クラクラとめまいがするほどです。

味は、「完全に解き放たれていてどこまでも無限に伸びて行く」、「鮮やかな味の輪郭線がめくるめく細かなグラデーションを奏で上げる」、「豆の個性がくっきりと美しく品良く隅々まで繊細に表現され尽くしている」などなど、はっきりと「もうこれ以上の世界はないな」と確信できる味です。

特にいつも思う事は、ガスでも炭火でも、「真に上手な直火焙煎は珈琲の味が全く閉じ篭らず、美しく完璧に解き放たれている」という事です。
この点が特に、半熱風や完全熱風では「一万年経っても永遠に無理」な点と感じられてしまいます。

また、良く仕上がった直火珈琲は「香りや味のピーク期間が非常に長い」事も特筆に値します。絶品の味がいつまでも保たれ、なかなか劣化しないのです。
完全熱風や半熱風の豆は、開封時にもし美味しいと思っても、一週間もしてから再度飲むと「あれ?同じ豆?」と思うほど香味が明らかに劣化してしまう事がほとんどです。
ところが、開封時に美味しいと思った直火珈琲は、一週間どころか一ヶ月位経っても開封時と同じように美味しいか、むしろ「開封時よりさらに何倍も美味しく成長している」事が少なくないのです。
どうやら「豆の細胞壁を壊さない理想の焙煎」は、直火式の独壇場のように思えてなりません。

真に「究極至高の直火珈琲」を飲めば、まさに僕がそうであったように、最初の一香り、最初の一口から、その「衝撃」はやって来ます。
そのたった一口、わずか10ccほどの液体が放つ香りと味の複雑さ、神秘さ、芳醇さ等々の衝撃に圧倒されてしまい、その珈琲豆の中に永劫の時を経て凝縮された「悠久の自己紹介ストーリー」が、舌の上でゆっくりと紐解かれ始めてから、めくるめく放出され終わり切るまで、少なくとも1分間はかかります。
その間、全ての思考が縛られてしまい、完全に意識が占領されてしまい、たったの一口が激震の如く舌を震えさせ、精神を揺さぶり、心を激しく動かし、ほぼ1分近くはまったく飲み込めないのです。
その最初の一口で、誰しもが心身ともに決定的に満足させられてしまい、しばらくの間は「放心」状態となり、ようやく我に返って二口目の口を付けるまで、少なくとも2~3分以上のインターバルが空くはずです。
そうして、その珈琲に魅入られるままに呼吸する事さえ忘れ、導かれるままに永遠の時をくぐり抜けたかの如くようやく飲み終われば、まさに茫然自失、ただただひたすら頭が下がり、ただただ顔色と言葉を失うのみ、なのです。
実際、飲み終えた後も、少なくとも10分以上は、その場を全く動けず、一つの言葉さえ発せない状態が続くはずです。

そんな、すべての珈琲マニアを一瞬で完璧に魅了し、全身全霊で決定的に満足させてくれる見事な焙煎を体験させられてしまうと、やはり「日本一の珈琲」を手に入れるには、これはもう、やはり、どうしても、絶対に「直火式」以外にはないと、改めて確信してしまうのです。

例えるなら、香味の抜けた熱風珈琲は「一円玉」です。
もし道端にお金が落ちていたとしても、それが一円玉なら、ほとんどの人は「何も感じずただ通り過ぎる」だけですし、もし拾ったとしても一時間も経たずに忘れてしまい、記憶にも全く残らず、その後の人生も「一切何も変わらない」訳です。
つまり、飲んでも、飲まなくても、「何一つ全く変わらない」、熱風珈琲は、その程度の珈琲だと言う事です。

しかし、真に極上の究極直火珈琲は、もしお金に例えるなら「一億円」です。
もし道端にお金が落ちていたとして、それが一億円の現金だったとしたなら、それを見つけた全員が、間違いなく「空前絶後の衝撃的な出来事に100%卒倒してしまう」はずです。その非日常的な桁外れの金額の大きさに、全ての思考が縛られ、完全に意識が占領され、しばしパニックになって動けなくなるはずです。
その後も一生涯決して忘れる事などあるはずがなく、いつまでも永遠に強烈に記憶に残り続け、その人の後の人生にも「絶大な影響」を与えてしまう大きな出来事になる訳です。

つまり、僕に言わせれば「真に美味しい究極の極上珈琲と出会う事」は、一億円の現金を目の当たりにし、それを拾うことと同じ位に、その人の生涯を通じて、決定的な影響力を持つ衝撃的な出来事になると言う事です。

実際、真に極上の直火珈琲は、飲めばその場でその凄さに衝撃を受けて言葉をなくす程の力がありますし、どれだけ時を経てもその珈琲の事がいつまでも決して頭から離れず、珈琲の奥の深さを延々と考え込まされてしまうものなのです。
当然、その一杯で完膚なきまでに満足させられてしまうものですし、しばらくは他の事にも一切意識が行かなくなり、むしろ、その余韻を楽しむために暫くは他のものを一切口にしたくなくなるものです。
決して本やテレビを見ながらとか、オシャベリをしながらとかの「ながら飲み」が出来るような安易なものでは絶対にありません。

ですから、一杯の珈琲を飲んで、もし「飲みやすい」とか「何杯でも飲めそう」と言う感想が出てしまったり、安易な「ながら飲み」が止まらないようなら、その珈琲は、100点法で言えば「5~10点未満」の珈琲なのであり、レベルで言えば「下の中」辺りに位置する珈琲なのであり、お金で言えば「五円玉を拾った」程度に該当する、酷く凡庸で非常に低レベルな極めて下層に位置する珈琲なのだと理解して下さい。




さて、あなたのお気に入りの自家焙煎店は「直火式」でしょうか?
もしあなたがネットのあちこちで派手な広告を出していたり、大手ショッピングサイトに出店している自家焙煎珈琲店から通販で買っている場合は「要注意」です。

そういう「商魂丸出し」のお店の中には、客を騙すテクニックに長けた非常に狡猾なお店もあります。
実際、きれいなイメージ写真を過剰に並べ立て、歯の浮くような美辞麗句でさんざん自店の珈琲へのこだわりを強調しておきながら、味を決定する上で一番重要な最大ファクターである「自店の焙煎機の方式」に一言も触れていないお店が少なくないのです。

珈琲マニアが泣いて喜びそうな「店主さんのこだわり」を切々と書いた長文を延々と小一時間ほども読まされたり、脚本家に考えさせたような「自店の誕生ストーリー」を大言壮語で語っていたり、いかにも善人風のやさしそうな笑顔や職人風の気難しい顔を装った店主の写真が繰り返し登場したりします。
しかし、それでいて焙煎機の情報は「一切非公開」だったりするのです。直火なのか、半熱風なのか、完全熱風なのか、一体どんな釜を使っているのかの情報が一切ない事に驚かざるを得ません。
ネット検索を色々と駆使して、他の一般客がブログなどで紹介したその店の焙煎機の情報を探り当てれば、そんなお店に限って当然のように「半熱風」や「完全熱風」だったりします。
「あ~あ、やっぱりね」と言う感じでガッカリ、まさに「正体見たり」という気分で、大きく落胆です。

これはもう、自店が「直火焙煎ではない」ことを意図的に隠しているとしか思えません。
もし本気で自店の熱風式珈琲に自信があるのならば、堂々とサイトのトップページに「熱風式焙煎機の店」と大きく書けるはずです。

それをせず派手な写真と美辞麗句だけで無知な客を煙に巻く…。
「いかに美味しい珈琲を出すか」ではなく、「羊頭狗肉」の狡猾なイメージ商法で「いかに客をダマすか」にばかり奔走する悪どい業者の何と多い事でしょうか。

もちろん、「珈琲は熱風焙煎が一番美味しい」と自信を持っているお店があっても大いに結構な事です。
しかし、その店主が、もし本当に本心から「熱風焙煎の珈琲が一番最高」と思っているのであれば、それこそ自店の最大セールスポイントその物のはずなのですから、店頭や看板やサイトの表紙に「当店は熱風式焙煎機です」「熱風焙煎機は究極最高の味です」と絶対に自分から書くはずです。これはもう「絶対に書くはず」なのです。

それなのに、果たしてなぜ一切表示せず、一体どうして一言も「熱風焙煎」と書かないのでしょうか?
もし「直火の味」を否定し、自店の「熱風の味」を絶賛するのであれば、こそこそせずに、その根拠や証拠をきちんと店頭やサイトで大々的に掲示し、ぜひ詳しく解説し見事に証明して納得させてみて欲しいものです。

自店が「熱風焙煎」である事を徹底して隠し通し、直火より熱風の方が美味しいという「根拠」や「証拠」や「統計」は一切まったく示さず(というか示せる訳がないのですが)、素人客相手だからどうせ焙煎方式による味の違いなど知らないだろうと高をくくり、何でも言った者勝ちだとばかりに、「黒を白だ」と強弁することは人として極めて恥ずかしい事です。

自店に都合の悪いことは全て徹底して隠し通し万一指摘されても一切認めようとしない非常識な困った店、言うこと成すこと全て捏造話と欺瞞だらけの大迷惑な店の珈琲など「全く飲むに値せず」である事は言うまでもありません。
珈琲業界の健全な発展のためにも、客を鴨としてしか見ず、無知な素人相手だからと大嘘を強弁し、絶賛の試飲感想を自作自演し、狡猾な偽計と大言壮語の虚説で塗り固めた劣悪珈琲を高く売りつけるタチの悪い店は、粛正され、駆逐され、淘汰され、一掃され、撲滅され、根絶やしにされるべきです。


「日本一おいしい珈琲探しの旅」で、最も一番大切な事は、まず何より一番最初に「直火式焙煎機の店」である事を必ず絶対に徹底して確認する事です。
ですのでWEBページを開いたら、何を置いても一番に「焙煎機の方式」を真っ先に確認して下さい。
逆に10分もWEBサイトを探しても焙煎機の紹介がどこにも見当たらないようなショップは、おそらく直火焙煎機ではない可能性が極めて大きいです。
そういうお店は他にどのような綺麗ごとが書かれていても全く期待薄です。

実際、多くの場合、そういうお店の珈琲はいずれもイマイチで、スーパーマーケットの大量生産品以下の珈琲を美辞麗句と大言壮語でまくし立て、5~6倍もの法外な価格で売っているだけでした。

一方で、そう言う業者の捏造した優良イメージをすっかり鵜呑みにしてしまったり、お店側のサクラが購入客を装って書いた典型的な煽りレビューにまんまと騙されている無知な半可通人が、世間にはあまりに多い事に驚かされます。
くれぐれも申し上げますが、悪徳珈琲店にとっては、半端な珈琲の知識と興味のある人間が、実は一番の「鴨」なのです。

なぜなら、珈琲にまったく興味のない人間は、いくら煽っても缶珈琲やインスタント珈琲、せいぜいスーパーマーケットの安い大量生産品の珈琲までしか飲みません。
しかし、変に半端な珈琲の知識と興味のある人間は、ちょっと煽ったり興味をくすぐったりしてあげれば、一般人から見れば到底信じられないような金額を即座に珈琲に使ってくれるからです。
それでいて味が判らないので「騙された事にさえ気が付かない」ため、後々のクレームやトラブルの心配もありません。

悪徳珈琲店にとってこんなに美味しい客はないのです。
マニアぶって「美味しい珈琲」を飲むはずが、自分が「美味しい客」になって店に呑まれてしまっているのです。

しかも味が判らない事自体は罪ではないですが、判ったつもりになって裸の王様よろしく「ここの珈琲はほんとに美味しい」などとブログや掲示板や口コミサイトなどに舞い上がって投稿を書いたりするのですから、こうなるともう本当に始末に負えません。
口先三寸で劣悪珈琲を高く売りつけている悪徳業者を糾弾するどころか、なんとも驚く事に、自ら進んでその「手先」になってしまうのです。

僕の仲間内では、そのような方々を「デコイ」と呼んでいます。
(Decoy=カモ猟等で他のカモをおびき寄せるオトリとして川辺に浮かせた実物大の模型の鳥)

そう言う「デコイさま」たちがよく使う表現として「雑味がなくすっきりクリアでスーッと飲みやすい」「胃にもたれず何杯でも飲める」「珈琲嫌いなのに初めてブラックで飲めた」などが目に付きます。
ですが、それこそがヘタクソな熱風焙煎の典型であり、珈琲の成分が抜け切った単に薄いだけのチープな珈琲の証拠なのです。どうして気付かないのでしょうか。
デガラシの麦茶のような極薄の珈琲なら、確かに「最後までブラックで飲める」「胃にもたれず何杯でも飲める」事でしょう。

味も香りもスカスカの酷い珈琲を「すっきりクリアで飲みやすい」と言い、珈琲成分の異常な薄さを「胃にもたれない」と言い、まったく味がない珈琲を「雑味がない」と言う人々。
真の珈琲愛飲家を相手にすれば非難轟轟となる事象を、すべて良い方向へ見事に勘違いしてくれる「脳内はお花畑が満開」のオメデタイ人々を前に、これでは悪徳な珈琲店から見れば笑いが止まらないはずです。

そして、そのようなデコイ様達の書いた「能天気な戯言」のせいで、それを読んだ次の「鴨2号」が、またその悪徳店で市場妥当価格の数倍で劣悪珈琲を買ってしまうという連鎖的なチェーン被害が次々に生じているのです。
実に恐ろしい事に、知らず知らずに加害者の片棒を担ぎ、悪徳珈琲店側に加担している現実に、早く気づいて止めて欲しいものです。それは「共犯」なのであり「許されない大罪」に該当します。
正直、「味の判らない人は珈琲を飲むな」とはもちろん言いませんが、「味の判らない人は珈琲を飲んでもネットには書込むな」とは言いたいです。

(それでも、大手ショッピングサイト等に出店しているワインショップ等のおぞましい極悪ダマシ催眠商法の凄まじさに比べれば、珈琲の世界のダマシなどまだ少しは可愛いものなのかも知れませんが。)

もちろん嗜好品ですから「熱風焙煎の珈琲が好き」と言う人がいても大いに結構な事です。
しかし、それはいわば真の食通を唸らせる「紀州備長炭で名人が一本ずつ丹念に焼いた焼き鳥」よりも、安物の大量生産工業食品である「工場のベルトコンベアの上で電熱器で焼かれた焼き鳥」の方が美味しいとか好きだとか言っているのと同じです。
もし万一「名人の備長炭焼き鳥」より「工場の電気焼き鳥」の方が美味しいと、本気で思っているのなら、その人は舌と脳が「幼稚園児以下のまま」なのだと思います。
真においしい物は「味の情報が非常に多い」のです。ですから大人でも「あまりにも非常に美味しい物」はたて続けにたくさん食べたり飲んだりする事ができません。それは舌や脳がその情報解析の量の多さに疲れてしまうからです。

これが幼稚園児になると、舌も脳もはるかに未発達なので、大人のさらに数倍も少ないわずかな味覚情報しか解析できません。無理に情報量の多い物を与えると、ちょうどプールの水を小さなコップに注ぐようなもので「器」(能力)的にオーバーヒートしてしまいます。
つまり、情報がギュッと詰まった「美味しい直火珈琲」より、情報がスカスカで「味がしない熱風珈琲」の方が好きだと言う人は、舌と脳の情報処理能力が低すぎる「幼稚園児以下のまま」の人である可能性が「極めて大」だと言う事です。
そう言う人は「直火珈琲の情報量の多さ」を受け入れる事が不可能なので、情報量の摩滅したプアでチープな熱風珈琲を「飲みやすい」と言って好んで選ぶのでしょう。
しかし、そんな「幼稚園児以下の人」がマニアぶって得意顔で珈琲を語る姿は、まさに「醜悪」以外の何物でもありません。

それに、そもそもとても不思議な事に、全く同じ熱風焙煎なのにデコイさま達は一様に大手珈琲企業の珈琲は低く評価したがり、個人の自家焙煎店は美味しいと思い込みたがるのです。
先入観という物は実に恐ろしいものです。僕などが飲めば大手珈琲企業の熱風珈琲と大差ない、いやむしろ大手珈琲の方が比較にならないほど美味しいとさえ思える個人熱風店が非常に多いのが真実です。
もし、まずい大手企業の珈琲があったとしたら、それは大手の珈琲だからまずいのではなく、「粉」に挽いてから半年も経った珈琲をスーパーマーケットで買う事が悪いのです。
デコイさま達が「味や物事の本質が一切判らない」「イメージだけで語っている」ことの何よりの動かぬ証拠です。

繰り返しになりますが、本当に美味しい珈琲は、飲めばその場でその凄さに衝撃を受けて言葉をなくす程の力がありますし、その珈琲の事が生涯決して忘れられず、珈琲の奥の深さを延々と考え込まされてしまうものです。
決して本やテレビを見ながらとか、オシャベリをしながらとかの「ながら飲み」が出来るような安易なものでは絶対にありません。
その一杯で完膚なきまでに満足させられてしまうものですし、むしろ余韻を楽しむために暫くは他のものを一切口にしたくなくなるものです。

もし「飲みやすい」とか「何杯でも飲めそう」と言う感想になってしまったり、安易な「ながら飲み」が止まらないようなら、その珈琲は100点法で言えば、「5~10点未満」程度の極めてレベルの低い珈琲なのだと理解して下さい。


珈琲もインターネットの普及で、怪しい魑魅魍魎が跋扈する危険な世界になってしまいました。
美味しさでホッと一息、安らぎのはずの珈琲が、お店の捏造した過剰な宣伝文や客を装ったサクラの煽りレビューに騙されたり、「デコイさま」の舞い上がった感想やうかれた投稿に左右されたりしては本当に不幸です。

悪徳な自家焙煎業者に騙されず、カモられず、誤ったネット情報に左右されず、デコイ連合への仲間入りをしない唯一の方法は、くれぐれも一番最初に「直火式焙煎機」のお店である事を絶対に確認することです。

それが日本一美味しい珈琲を見つけるための「はじめの第一歩」です。




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日本一おいしい珈琲を探して
はじめまして、Coffee Webと申します。

大学2年生の時、たまたまアルバイトを始めた都内の喫茶店。
その喫茶店で本物の珈琲の美味しさに目覚めました。

それ以来、「日本一の美味しい珈琲」を求めて、北海道から沖縄まで旅行しては珈琲を飲み、インターネット通販も駆使して幾多の有名店の珈琲も取り寄せて飲み比べています。

こうした長年に渡る美味しい珈琲追求の旅の果てに得た「結論」を、何らかの形として残したく、ここに書きしたためたいと思います。

最初は各店舗毎に、はたまた各豆毎に、感想やレビューを時系列で詳細に書き記そうと思ったのですが、極めてデリケートな珈琲の味は、あくまでその一杯限りの「一期一会」のもの。
そうした事にあまり意味がないと思い直し、総論のみを簡潔に書く事にしたいと思います。

以下、まずは簡単な自己紹介です。


◆1◆ 珈琲の自家焙煎歴
いつしか他者の焼いた珈琲豆ではどうにももどかしさを感じるようになり、お約束の自家焙煎に手を出しました。
主にティピカ種の豆ばかり選ぶためあまり銘柄数は多くありませんが、今まで世界中の30銘柄以上の珈琲豆を繰り返し焙煎しています。
現在、主に4社から生豆を購入しています。

◆2◆ 自家焙煎機
焙煎機は家庭用や自作品ですが既に9台を経験。
直火式、半熱風式、完全熱風式をそれぞれ複数経験し、現在は主に直火式で、熱源もガス、炭火、電気式など複数愛用中です。
豆の銘柄、目指す味、ロースト度、含水率等で使い分けています。

◆3◆ 抽出法
カリタペーパーに始まり、数々のネルフィルター、ボダムフレンチプレス、雪平鍋、サイホン、畳織茶漉し、円錐ペーパー、果ては水出しダッチコーヒー、デロンギ全自動エスプレッソマシン等を遍歴。
ドリップ用のポットもステンレス製、純銅製、琺瑯製など複数所有。
現在は琺瑯製ポットとマルタ製ネルでのドリップがメイン。

◆4◆ 水
市販のミネラルウォーターに始まり、RO逆浸透膜浄水器、ネオジウムマグネット活水器、イオン交換式軟水器などなど、数々のメーカーの様々な浄水器を遍歴。
現在は安価な軟水ミネラルウォーターを活水化したものをメインに使用。

◆5◆ ミル・グラインダー
手動ミルに始まり、電動セラミックミル、ナイスカットミル、ハイカットミル、ニューカットミルなどカリタ製の電動ミル中心に9台を遍歴。
現在はハイカットミルがメイン。

◆6◆ 愛用の珈琲カップ
欧州名窯のカップ&ソーサーを中心に60客以上を所有。
珈琲の銘柄とその日の気分で使い分けています。

◆7◆ お気に入りの自家焙煎珈琲店
今まで数え切れないほどの自家焙煎珈琲店や珈琲豆ショップを経験して来ましたが、自分にとっての「理想の珈琲」が明確に把握できてからは、有名店や新規話題店を手当たり次第に飲むと言う事は一切なくなりました。
現在は、敢えて店名は伏せますが、自分の理想に限りなく近い自家焙煎珈琲店3店ほどと、自分で焙煎した豆をメインに愛飲しています。



それぞれの項目につきましては、別ページで詳しく書いて行きたいと思います。

どうぞよろしくお願い申し上げます。

 

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