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日本一のコーヒー!日本一美味しい究極の珈琲を求めて自作焙煎機で自家焙煎&ドリップ研究&コーヒー飲み歩き!
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理想の珈琲の定義 (1)
まず、僕にとっての「理想の珈琲」に通じる四つの定義です。

ここ数年、この四つの条件にはまったく変更も揺るぎもなく、さらにありとあらゆる珈琲を飲めば飲むほど、さらに一層多くの珈琲経験を積むほど、ますます確信を深めています。

<1>直火焙煎された豆であること。
<2>ティピカ種の豆であること。
<3>焙煎度はミディアム~シティの豆であること。
<4>カビ毒の不安がない豆であること。


以下、個別に少し述べてみます。



<1>直火焙煎された豆であること。

いつしか「珈琲は直火焙煎が美味しい」と思い始めたのは、僕が珈琲経験を積み始めて一年位経ってから、一度、過去のお店を分類整理していて、美味しいと思ったお店のほとんどが「直火」であった事から気付いた事です。

過去に美味しいと思った豆は数多くあり、その中には「半熱風焙煎」や「完全熱風焙煎」もありました。
ですが「今でもその珈琲の味が強く記憶に残る」、「自分の理想の珈琲のメルクマールになる」、そして「月日が経てば経つほどその味の真の凄さが際立つように記憶に甦る珈琲」となると、これはもう必ず一様に「直火式焙煎機」の豆でした。

しかも、ただの直火焙煎機ではなく、美味しいお店になるほど焙煎機に必ず何らかの改造や独自のチューニングを施して使っている事が多かったです。
直火式焙煎機にしか出せない一段上のレベルの美味があり、明らかに直火使いのロースターにしか作れない一段上の「美味しい珈琲の別世界」がある事を間違いなく心の底から確信させられます。
「焙煎機の形式」がこれほど珈琲の味を決定的に左右する事を悟り、それ以来、僕はお店選びの第一条件として「直火焙煎」のお店を選ぶようになったのです。

珈琲初心者ほど「店で味が変わる」と誤解しがちですが、珈琲の味を体系化し類推して分析判断できる珈琲中級者以上の方なら「珈琲の味はほぼ焙煎機の形式で決まる」という明確な事実を熟知し非常に良く理解しています。
要は、いくら店を変えようと、どこまで都道府県を移動しようと、「直火焙煎は直火の味がする」、「熱風焙煎はどこまで行っても熱風の味がする」と言う事です。

実際、予備知識なしで入った自家焙煎店で、店主さんのドリップした一杯の珈琲を飲んで、とにかく香りや味が嫌になるほど単調でペラペラに薄っぺらであり、何とも風味の底が浅くて飲み口もひどく弱々しく、ただ色が黒いだけで香りや味にまるで実体感がなく、「珈琲と言われなければ何を飲んでいるのか判らない」ような、味も香りもごっそり抜けた珈琲感があまりにも物足りなさ過ぎる、もやもやボンヤリとして茫漠とした珈琲を出す店に出会う事がありますが、後で調べてみると、例外なく「完全熱風焙煎の店」でした。

逆に「一口目から豊かな香りが鮮烈に鼻腔にあふれ、クッキリとした実体感のある味がしっかり舌に乗って来て、彫の深い明瞭なエッジと立体感のある緻密な味が口幅いっぱいに広がり、グイグイと力強く味が前へせり出して来るような、それでいて味に晴れやかで心地良い開放感と抜けの良さがあり、後口がスッキリとして停滞感や濁りの全くない素晴らしい珈琲」を出す店は、僕の経験では、すべて「直火焙煎の店」でした。

今では初訪問のお店でも、出された珈琲を一口飲めば、焙煎機が「完全熱風」か「直火」か、ほとんど当てられる自信があります。
それほどに「焙煎方式による味の違い」は如何ともしがたい厳然とした大きな差を生むと言う事です。

なぜなら「焙煎」とは「加熱する」調理行為です。
多少でも料理に詳しい人ならご存知のはずですが、料理における加熱の方法には、大きく分けて「対流」「伝導」「輻射」の三つの性格の異なる方法があり、同じ食材でもそれぞれ全く別物の仕上がりになります。
敢えて非常に大まかに言えば、「完全熱風式=熱気の対流」での加熱であり、「半熱風式=金属ドラムからの熱伝導」であり、「直火式=炎からの輻射熱」がそれぞれのメインの熱源になっているのです。

つまり、この三種類の焙煎機は一言で同じ「焙煎機」とは言えないほどに、想像以上に「加熱の仕組み」が全く異なっている訳なのです。
ですから、三種類の焙煎機で、当然に「仕上がる味」も想像以上に全く異なって来る訳です。
逆に言えば、どの形式の焙煎機を使うかで、ほとんど「珈琲の味」も一切動かし難く自動的に決定されてしまうのが「現実」なのです。
僕が言う「直火焙煎は直火の味がする」、「熱風焙煎はどこまで行っても熱風の味がする」とは、そう言う事です。

焙煎機の方式が生む大きな味の違いは、旧型の焙煎機でも最新型でも全く同様に存在しますし、操作の技術や経験の積み重ねで埋められる性格のものでは絶対にありません。
試しに「豆」を買って帰って、自宅で豆量や抽出法をいろいろ工夫してみても「焙煎方式による味の落差」はあまりにも大きすぎるため、全く埋められず、全く誤魔化せません。
つまり、「焙煎方式が生む味の落差」はもっとずっと非常に根本的で重い問題であり、ドリップ・テクニックや豆量による濃度調整で補正やリカバリーが出来る範囲ではないという事です。

よく、珈琲の美味しさを決定する要素の構成比率として、「生豆7割、焙煎2割、抽出1割」とか「生豆6割、焙煎3割、抽出1割」とか、様々な意見を耳にします。
珈琲店は、自店を正当化するために、自店に都合の良い理論だけを主張する顕著な傾向がありますので、焙煎に自信のない店ほど「生豆の品質が最も重要」と言いますし、自家焙煎でない店に至っては「抽出が味の半分を占める」などと述べたりします。

僕の考えとしては、僕は今まで、1キロ当たり、500円~1万円位までの様々な産地の様々な生豆を入手し、9種類以上の焙煎機を駆使して浅煎り~極深煎りまで自家焙煎し、ありとあらゆる抽出法で無数の抽出をして来ましたが、それらの過去の珈琲経験から、美味しい珈琲の構成要素は「生豆35%、焙煎39%、抽出26%」位に考えるのが最も妥当ではないかと、今のところ思っています。

ちなみに、世間の多くの珈琲焙煎店は「抽出」を「1割」などと随分と低く言いますが、現実にはそんなに低い訳がありません。
全く同じ焙煎豆を使っても、抽出法の違い、器具の能力、ミルの性能、粒度の選定、微粉やチャフの処理、抽出する湯の水質や温度、抽出する人の技量等によって珈琲の味は劇的に左右され、間違いなく「抽出26%」と言える位の大きく決定的な影響力があります。
特に「ミルの性能」による珈琲の味の優劣は、想像以上に劇的であり、あまりにも衝撃的で、極めて絶対的です。

また、例えればもし同じ85℃の湯で抽出する場合でも、(a)沸騰させていない85℃の湯と、(b)1分間沸騰させてから85℃に冷ました湯と、(c)10分間沸騰させてから85℃に冷ました湯とでは、珈琲の味はまったく違ったものになります。
(a)は口当たりが柔らかく雑味の多いとりとめのない味になり、(b)はスラリとした芯のある力強くて円い味になり、(c)は硬くてのっぺりした無機質っぽい四角い味になります。
僕は、同じ豆と水で淹れた珈琲なら(a)(b)(c)のどの湯で淹れたか100%当てられる自信があります。

また、ドリップポットに「フタ」をするかしないかでもはっきりと味が変化します。
フタをすると抽出の3分間中の湯の温度低下が少ないため同じ味ばかりがピンポイント的に抽出された味幅の狭い単層的な味になります。
一方、フタをしないと3分の間に湯の温度低下が大きくなり、珈琲豆は様々な温度帯の湯で抽出されることになるため、味の様々な要素が溶け出た幅のある裾野の広いふくよかな味になります。
つまり、それほど「抽出で味はいかようにも大きく激変する」と言う事です。

そもそも、自家焙煎店で飲んだ珈琲が予想外に非常に美味しかった場合など、皆さんも帰りがけにその「同じ銘柄&同じ焙煎ロットの豆」を小売りしてもらい自宅用に買って帰る事がかなりの高確率であると思います。
ですが、もし貴方が少しでも珈琲の味が判る方なのであれば、豆を買ったその日のうちにお店と同じドリップ法(店がネルならネル、店がプレスならプレス等)で自宅で抽出しても、ほとんどの場合「お店で飲んだ味とはなぜか大きく違ってしまう」、「どうやってもあの美味しさが再現できない」と言う苦い経験を必ずしているはずです。

しかし、それは不思議でも不条理でも何でもなく、むしろ「当然」であり「必然」のことです。
その理由は極めて簡単明瞭で、珈琲の味作りに於いては、例え同じ抽出法を採用したとしても、抽出者の「技量の違い」を始め、「ミルの違い」「メッシュの違い」「豆量の違い」「水質の違い」「湯温の違い」「ポットの違い」「蓋の有無の違い」「投湯法の違い」「抽出時間の違い」「室温の違い」等が想像以上に大きく決定的に影響してしまうからなのです。
そうでなければ、同一ロットの豆を使って同一日に同一法の抽出をしたにもかかわらず、「お店での抽出」と「自宅での抽出」で、大きく味が変容してしまう理由が説明できません。

この現象は、特に80点以上の絶品クラスの珈琲店の味の再現性に於いて、より顕著で一層明瞭になります。
なぜなら、80点以上の絶品クラスの珈琲を生むお店の「抽出」とは、プロ用の道具や高性能ミル等の「ハード面」はもちろんのこと、日々向上心に燃える店主が長年に亘って連綿と研鑽し磨き上げて来た「プロ職人の匠の抽出技術」があってこそ、初めて到達し得る世界だからです。
ですから、僕達のようなアマチュアが、いかにお店と同じ焙煎豆を使い自宅でお店の抽出手法や道具だけ真似たところで、にわか仕込みの「猿マネ」の抽出では80点以上の絶品クラスの珈琲の味が簡単に出せる訳がないのです。

逆に、その一方で、世の大多数の自家焙煎珈琲店が出している「20点クラスの劣悪珈琲」であれば、その辺にいる小学生に「おままごと」感覚で抽出させてみても、誰でも容易にそのレベルをクリアでき、簡単に味が再現できてしまう事でしょう。
実際、そんなこともあって、彼ら20点クラスの劣悪珈琲店達の間では「抽出は誰でも簡単だ」「抽出のウエイトは1割だ」などと抽出が不当に軽い扱いを受けたり、あらぬ大きな誤解がまかり通ってしまっている訳です。
逆に言えば、「抽出のウエイトは1割」だなどと宣っている自家焙煎店=20点クラスの劣悪珈琲を出している凡百の自家焙煎店だと言う何よりの証明になります。

日曜大工が趣味のお父さんに「小さな犬小屋」(20点クラスの珈琲)は作れたとしても、最高の建材とプロ用の道具をいくら与えたところで「高級大型注文住宅」(80点以上の珈琲)は絶対に建てられないのと同じ事です。
高級大型注文住宅(80点以上の珈琲)の世界は「この道数十年のプロの“匠”大工職人」達の独壇場だという事です。
ハイレベルの領域のプロのステージになればなるほど、偽物と本物の「実力差」「技術差」「経験差」が歴然としてハッキリして来るのです。

ですので、もしも本当に本気で本心から80点以上の絶品珈琲を追求している自家焙煎店であれば、絶対に「抽出」を軽んじたりしていません。
むしろ、どんどん実力のステージを上げて行くほどに、どんどん頂点の味に近づいて行くほどに、俄然、「抽出」の重要性が一気にクローズアップされ、珈琲の味の決定に如何に大きなウエイトを持つかに嫌と言うほど気づいているはずなのです。

繰り返しますが、珈琲の味は「生豆」「焙煎」「抽出」の三要素のバトンリレーで創られるのであり、それらの要素の「掛け算」で最終的な「味」に仕上がる仕組みですから、一つでも「低レベル」の要素があると、結果も強制的に「低レベル」の味に落ちてしまう訳です。
ですから、「生豆」と「焙煎」に加えて、同じく「抽出」も一流のプロ水準で完璧に仕上げない限り、80点以上の絶品珈琲はカップの中に決して誕生し得ないのです。
「生豆」や「焙煎」をどんなに完璧に仕上げ、鼻高々に自画自賛したところで、もしアンカー選手の「抽出」が全くダメなら、そのバトンリレーの成績は全く飲むに値しない悲惨で無残な低順位で終わる事になります。
「ゴール」はあくまで「珈琲カップの中」にあるのです。

また、もう一つの理由として、なぜ世の多くの自家焙煎店が声を大にして「抽出1割」などと言うかといえば、これはもう、珈琲店としては「抽出器具では儲けにくいから」という理由も非常に大きいです。
なぜなら抽出器具はすべて極めてシンプルな構造の簡単な物ばかりですから、大げさな偽計や虚説を捏造したり、客の無知さや虚栄心に付け込んで、原価の数十倍の暴利で売り付けると言う事が難しいのです。
つまり、抽出器具の販売は「店としては全然儲からない」「商売として全く旨みがない」訳です。

電動ミルや水出し器具などは割と高価ですが、もともとの仕入れ値も高いですし、そういう工業製品は同じ品番の物であれば他店での販売価格とすぐに比較されて安い店で買われてしまうため、電動ミルや水出し器具等の工業製品は価格に暴利を乗せづらく「ダマシ売り」がやりにくく、やはり商売としての旨みが全くありません。

ところが「生豆」の原価は一般素人客には全く知られていない世界ですし、「焙煎」の原価や「技術」の高低なども極めて曖昧で不明朗な物ですから、どんな偽計や虚説も捏造しやすく、客の無知さと虚栄心にも大いに付け込みやすく、針小棒大の暗示や催眠術にもかけやすい訳です。
現実に、多くの店で100g当たり300円程度で売られているブラジルやペルー等のしがない激安豆を、大言壮語と美辞麗句でまくし立て100g当たり800円以上の超暴利で売っている悪どい欺瞞店等が実在しているのですから、何とも驚き、実に呆れ果ててしまいます。
つまり、原価の判りずらい物ほど、「商売としては非常に旨味が多く、驚くほどの暴利も簡単に乗せられる」と言う事です。

ですから、「生豆」と「焙煎」が珈琲の味のほとんど「9割」を決定すると強く主張し、無知な客にそう信じ込ませる事で、自店の焙煎豆を驚くほどの暴利で売り付け、非常に甘い汁をたっぷり吸える事ができるようになる訳です。
何しろ客には原価が一切判らない訳であり、適正価格の想像すらできない訳ですから、「世界最高品質の生豆を使用し、業界最高水準の焙煎で仕上げた」と一言添えるだけで、実にスムーズに「言い値」が通り、店に棚ボタ式に巨額暴利がころがり込む訳です。

つまり、「珈琲の味は生豆と焙煎で9割が決まる」などという妄言は、単に珈琲店としては、客が持っているお金を、低利益率の抽出器具などではなく、もっとはるかに儲かる高利益率の「豆」のほうにより多く使うように仕向けたいだけの「赤面物の大嘘」であり、自店が最大限に儲けるために考案された「欺瞞に満ちた虚説偽計」だということです。

実際、ほとんどの珈琲店は「何が真実か」とか「何が正しいか」には全く興味などなく、単に自店の扱っている商品ばかりを正当化し、自店の商売に都合の良い事や有利な理論ばかりを主張する顕著な傾向があります。
例えれば、自店がスペシャリティ豆を多く扱っていれば「スペシャリティ以外の豆は全部駄目だ」みたいな寝言を述べたり、フレンチプレス抽出の店は「プレス以外の抽出では珈琲の味を100%生かせない」等の大嘘を付いたり、オーダー少量焙煎の店は「珈琲は二週間で古くなり酸化してまずくなる」等の妄言を得意になって吐いたりします。

いずれも「珈琲の真実や真理」とは一切関係なく、単に自店の扱う商品を美化したり、正当化するためだけのふざけた虚言ですので、決して騙されてはいけません。
「生豆と焙煎が珈琲の味のほとんど9割を決定する」と言う虚説も、間違いなくその一環です。
繰り返しますが、僕は、美味しい珈琲の構成要素は「生豆35%、焙煎39%、抽出26%」位が最も妥当ではないかと、今のところ思っています。

ちなみに、「焙煎後、どのように保管され、何日を経過した豆か?」(=焙煎豆の熟成コンディション)という要素も珈琲の味の優劣を劇的に大きく左右する非常に重要な要素です。
現実に、すべての焙煎豆は、焙煎直後から日々刻々と香りと味わいが大きく経時変化します。いわゆる焙煎後の「熟成」という現象です。
その変化のスピードやグラフも多種多様、いつピークやボトムが来るかも実に様々です。
要は、こと「珈琲の味作り」を行うに於いて、「熟成」は絶対に無視できない非常に大切な極めて大きな決定要因なのです。
ただ、この「熟成」という現象を「焙煎要素」に入れるべきか、それとも「抽出要素」として扱うべきか、判断が非常に分かれるところです。

つまり、もし、焙煎された豆が常にその日のうちに全て売り切れるのであれば、その後の抽出されるまでの保管方法や期間は全て客の責任と裁量となり、熟成は「抽出のうち」と言えます。
逆に、もし焙煎してから数日~数週間、下手すれば数ヶ月も経過した豆を客が買ってその日に抽出した場合の味は、熟成は焙煎者側の責務範囲となり「焙煎のうち」として扱われるべきでしょう。

しかし現実は、ほとんどの珈琲は「焙煎日」が明記されて売られていることなど一切ない状態で世に流通しています。
そのため客としては、一杯の珈琲を飲んだとしても、その味の個性や特徴が、果たして、一体、「焙煎」により形成されたものなのか、それとも「抽出」により出現したものなのか、僕達としては正確に判断ができない無責任な現実に放置されていると言う事です。

そしてここで何より問題になる事は、驚く事に、これほど重要な「熟成(保管)」という要素に関して世の中の自家焙煎店が何の明言も定義もしないまま、「生豆7割、焙煎2割、抽出1割」などとしたり顔で勝手な考察を述べているという事です。
つまり、この決定的に重要な「熟成(保管)」という要素をどの項目に含めるべきなのか一切明言もせず、気にも留めず、全く曖昧にしたまま、完全に無視したまま、「生豆7割、焙煎2割、抽出1割」などと、不完全で恥知らずで大馬鹿で無責任な妄言を公言している訳です。
これではさすがに辟易し、如何にも呆れ果て、強い疑念や激しい憤怒を覚えずにはいられません。

結局、このたった一事を持ってしても、世の中の個人自家焙煎店が恥知らずに強弁する「生豆7割、焙煎2割、抽出1割」などという「虚説偽計」が、いかに出任せな屁理屈で、吐き気がするほどデタラメな愚論で、悪寒がするほど無根拠である捏造話であるかが、嫌と言うほど赤裸々に証明されていると言えるでしょう。

ちなみに、オーダーを受けてから焙煎してお届けしますなどという店の場合、後述しますが、世にも最マズ最悪の「完全熱風型インスタント少量焙煎のクズ珈琲」であるケースがほとんどですので、そもそも僕達の評価の対象にさえならない事を、念のため申し添えて置きます。

結局、僕はむしろ、本来であれば、この「焙煎豆の保管方法とその期間」(=熟成)は、実は「生豆」、「焙煎」、「抽出」と同等に並び扱われるべき、珈琲の味を絶対的・衝撃的に大きく左右する動かざる「第四の決定因子」としてもっと遥かに尊重されて扱うべきであると思っています。
つまり、本来、間違いなく珈琲の味は「生豆」「焙煎」「熟成」「抽出」の四項目で評価・判断されるべきであると言う事です。

現実に、購入した豆をすぐにたった一回の最初の試飲で評価してネットに書き込むなど珈琲初心者の犯す「愚の骨頂」そのものです。
少なくとも珈琲中級者以上の方であれば、焙煎豆の「熟成(保管)」による経時変化をとても良く理解しており、それを大前提として、意図的に数週間に亘っての試飲を行い、日々刻々と大きく変化してゆく香りと味を観察日記的に時系列で評価・判断しているものです。

ただし、現実にはこの「熟成(保管)」の項目に関して、客の関心や世間での認知度があまりにも低レベルすぎるため、ここでは敢えて議論する事もせず、深くは触れず、悲しいですが意図的に省略して話を進めたいと思います。
つまり、今回、僕はこの「熟成(保管)」を一応「最高のコンディション」(変数上は100点)と仮定して評価を行うこととし、上記の三要素だけに絞って%数字を表示しています。

さて結局、これらの三者の中では、「焙煎」が39%で一番大きくなっています。
もちろん、珈琲の味は「生豆、焙煎、抽出」の三つのバトン・リレーであり、それらの要素の掛け算で最終的な「味」に仕上がる仕組みですから、一つでもゼロがあると結果もすべてゼロになる訳です。
しかし、その珈琲の最終的な味を導く乗算方程式における「最大変数」は、やはり間違いなく「焙煎」であると思っていると言う事です。
なぜなら、よほど故意に腐敗した豆やカビだらけの豆を仕入れたり、わざと阿呆な超滅茶苦茶ドリップ法を実行すれば話は別ですが、普通に生豆を買ったり、普通に抽出を励行している限り、その二つの変数が「ゼロ」になる事はあり得ないと思うからです。

実際、普通に流通している生豆としては最低最安クラスになる1キロ500円の生豆は「不味すぎて飲めないか?」と問われれば、答えは全くNoであり、上手く焙煎と抽出をすれば十分にお金を取れる美味に仕上がります。
また、まじめに抽出をしたにも関わらず、最大に失敗してしまった時の珈琲は「不味すぎて飲めないか?」と問われれば、答えはやはりNoであり、ひどく落胆はしても飲めずに捨てるほどまずい珈琲にはなりません。
しかし、まじめに焙煎をしていても、最大に失敗した時の珈琲は「不味すぎて飲めないか?」と問われれば、答えは紛れもなく“Yes”なのです。

見た目からして黒コゲの豆は論外ですが、見た目はさほど悪くなくても、完全な芯焦げを起こしていてあまりにも焦げ苦臭過ぎたり、逆に芯残りで青臭いエグ味や舌が痺れる渋味がきつ過ぎたり、もしくは排気不足で辛苦い燻り臭が付着しまくった燻煙珈琲だったり、逆に排気過多で香味スッカスカの蝋細工のような砂噛珈琲だったりして、吐き出したくなるほどまずい事がありえるのが「焙煎の怖さ」なのです。
知識のある人間が一生懸命やっていても、意図せずして最悪のケースに該当した場合には、一切の容赦なく「飲めないほどまずくなる」のは「焙煎だけ」です。

つまり、珈琲の味を決める乗算方程式において、変数が「ゼロ」にまで落ち、算出結果までゼロに導いてしまうほど、変動率の幅が過激に広く、最も変数の感応性が敏感なのは「焙煎」だけであると言う事です。
諺にもあるように「谷深ければ山高し、山高ければ谷深し」なのですから、逆に言えば「焙煎の優劣」が最も美味しい珈琲を作る上で、最重要のファクターである証明とも言える訳です。
豆の味は「銘柄」を見ればかなりの程度正確に予測できますし、抽出もよほどおかしな事をしない限り変動幅は予測可能の範囲に収まります。
そう言う意味で、やはり「焙煎が最も味を左右し、かつ、安定して良い物を作るのも一番難しい」と思えるのです。
そして、上で述べたとおり、その「焙煎」は、何より「焙煎機の型式」によって決定的に左右され、想像する以上に「焙煎機の性能」に大きく深く依存しているのです。

ですから、だからこそ、自分の好みの珈琲店を探すためには、まず絶対に、何より真っ先に、いの一番に、そのお店の「焙煎機の型式」を確認すべきなのです。
そして、もし貴方が「味」に徹底してこだわる人なのであれば、これはもう、圧倒的に、絶対的に、運命的に、選ぶべき店は「直火焙煎機の店」以外にはないと確信します。

ちなみに「直火」と書いて、アマチュアの人は「じかび」と読みますが、プロの間では「ちょっか」と読みます。

では、なぜ「直火式焙煎機」が美味しいのか、自分なりに少し理由を考えてみました。
まず、珈琲の焙煎は「料理」であり「調理」であると言う事です。

例として肉料理が判り易いと思います。
シチューやカレーを作る時に、最初に強火のフライパンで肉の六面をまんべんなく焦がし炒めます。
これは肉の表面を焦がして凝固させることで表面に壁を作り、美味しい肉汁を肉の中にしっかり閉じ込めるための大切な工程です。
それから鍋に入れ湯の中でコトコトと煮て、肉の中までしっかり熱を通して行くわけです。

これが最初に炒めず、ナマの肉をそのまま鍋で煮始めると、加熱されるにつれ肉汁は肉の外へどんどん流れ出して行ってしまいます。結果として、どんなに高価な高級肉でも、全く旨みもコクもない「スッカスカ」のひどいダシガラ肉になってしまいます。
僕も敢えて実験でそう言う牛肉シチューを作ってみたことがありますが、とてもまずくて食べられませんでした。

「熱を通す」だけが目的なら、肉を最初から湯の中へ入れて煮るだけでも充分なはずですが、シチューやカレーの箱に必ず「最初にフライパンで肉を強火でまんべんなく炒める」と書いてあるのは、料理を美味しく作るための鉄則であり、そう言う最重要の必須事項であった訳です。

これを珈琲豆の焙煎に当てはめてみれば、もうお判りでしょう。
そうです、直火式焙煎機は本格的な焼き工程に入ると、まず1000℃以上の直火からの熱で豆の表面をなめるように直接「焼き」ます。
つまり先に豆の表面を凝固させ豆の旨味や成分を中に閉じ込めてから、中心部への加熱に入るのです。
ですから珈琲の味や香りが、焙煎中の加熱により外へ抜けることが極めて少ないのです。

ところが熱風式は最初に180℃前後の熱風の中へ生豆を投入し、徐々に温度を上げて230℃前後の熱風のあふれる釜の中で、全体を均一に加熱します。
熱風(気体)による加熱調理は比較的穏やかに進むうえ、強い熱風は珈琲の香りをかっさらって飛ばしてしまいます。
これでは加熱が進むと、凝固していない豆の表面から味も香りも抜け去り放題です。

シチューの場合は、抜けた肉の旨味はスープに溶けて残るのでまだ良いのですが、珈琲焙煎の場合は抜けた味や香りの成分は、そのまま強い熱風に乗って強制的にすべて煙突から室外へ排出されてしまいます。そのため熱風焙煎では、どうしても味や香りの抜けたスカスカの珈琲豆が出来上がってしまいやすいのでしょう。
結果として、熱風式焙煎では「旨味や香りのギュッと詰まった珈琲」を作るには限界があると思っています。

熱風焙煎は、豆が丸々プックリと美しく膨らみとても美味しそうに見えますが、実際に飲んでみると例外なく豆の風味が薄く、味が大人しく、珈琲マニアが美味追究の対象として腰を据えて飲むにはどうしても物足りなさを覚えます。
中には、珈琲の成分がすっかり抜け切っており、まるでキッチンラップ越しに珈琲を味わうような、味も香りもスカスカに抜けたひどい豆を出す自家焙煎店も決して珍しくありません。


それらの焙煎方式の違いをクルマに例えれば、ちょうど下記のようなイメージでしょうか。

 ◆直火式焙煎機 → ピュアスポーツカー(車マニア向け)
 ◆半熱風焙煎機 → セダンやミニバン等の大衆車(一般人向け)
 ◆熱風式焙煎機 → バス等の公共交通機関(大量消費用途)

直火式焙煎機(スポーツカー)は、その構造上どうしても焙煎容量(乗車定員)が少なく、一部の才能ある人以外はその真の高性能をすべて引き出す操作(運転)は困難です。
ですが、真のプロにより完全に使いこなされた直火式焙煎機(スポーツカー)は、どんなマニアも唸らせ納得させるだけの究極の味(走り)を体験させてくれます。

しかし、極めて悲しい現実として、大多数の一般人にとってみれば「車」など値段が安く、燃費も良くて、便利に動けばいい程度のものでしかないのです。
「珈琲」も同じです。珈琲に大して興味のない一般人は珈琲の味などよりも安さと手軽さを求めています。
インスタント珈琲や缶珈琲のCMがテレビを席巻し、スーパーで「粉」に挽き済みの珈琲やドリップバッグに加工された珈琲が棚をズラリと占領しているのですから。
ですから、半熱風式や完全熱風式焙煎機の存在意義を頭から全て否定するつもりは毛頭ありません。

ですが、もし、もし貴方が珈琲の心底奥深い魅力にとことん取り憑かれ、究極珈琲との奇跡の千載一遇を熱望して日夜世間を彷徨するほどの「真の珈琲マニア」を自認する方なのであれば、これはもう、話は「全く別」です。
そういう「真の珈琲マニア」を自認する方にとっては、この直火型焙煎機のお店を選ぶことは絶対に譲れない「超必須の絶対的第一条件」だと思います。

なぜなら「直火型焙煎機の味=珈琲マニアの求める珈琲」だと絶対的に確信できるからです。
安いだけの無個性な大衆車や、日常の大量輸送が可能なだけの鈍重なバスを、熱く語るカーマニアなどいないでしょう。

珈琲マニアも同じはずです。
真に珈琲の美味を追究して行けば、最終的には極めて当然に「直火焙煎の店」(スポーツカー)に行き着くはずです。

ですので、僕もここ数年は、直火式焙煎機のお店以外では珈琲豆は買わないようにしています。
僕にとっては「全くの無駄」だからです。

もちろん直火焙煎機のお店がすべて美味しい訳ではありません。
当たり前のことですが、直火焙煎機の導入がゴールではないからです。
むしろ、直火焙煎の操作は難易度がとても高く、もし腕のない人が使えば焼きムラが酷かったり、強い焦げ臭さや燻り臭でとても飲めないまずい珈琲になってしまいます。実際、そう言う酷い店も多いと思います。

しかし、もしそのお店が「日本一美味しい珈琲」を競う全国規模の壮大なるレースに参加する意思があるというのならば、まずは直火焙煎機であることが、最低限のスタートラインだとは思います。

そういう意味では、「直火」でないお店はまだスタートラインにさえ立っていないという気がしてしまうのです。




以下、「完全熱風」「半熱風」「直火」の三種類の焙煎方式の違いについて、僕なりの考察や感想を述べてみたいと思います。

まず、完全熱風式焙煎は、何しろ「熱気の対流」で焙煎するため、豆の360度の隅々まで熱が均一にとても良く回り込むため、どんなに下手に焙煎しても豆がプックリと見事に良く膨らみます。そして煎りムラのない驚くほど均一な美しい焼き色に仕上がります。
つまり、焙煎が非常にヘタクソな店でも、いくらでも「見た目のごまかし」が利くのです。
その丸々と膨らんだ豆の見た目の豊満さと均一な焼き色の美しさにコロリと騙され、「この店は焙煎がすごく上手」とか「飲んでもおいしい(はず)」とか、大きな勘違いをしてしまう珈琲初心者が後を絶ちません。
しかし、豆に大量の熱風を吹き付け続けるため、豆の持つ肝心の味や大切な香りの成分が、熱風と共にゴッソリと抜け去ってしまいます。
この点が熱風焙煎の持つ最大の欠点です。

この欠点は何も珈琲に限った事ではありません。
実際に「煎り胡麻」「きなこ」「煮干」「米」など、熱風や温風で焙煎や乾燥をした商品は、同様の理由により軒並み風味が飛んでしまっていて「明らかにまずい」です。
特に、熱風焙煎の「煎り胡麻」や「きなこ」は味や香りが全くスカスカで、直火焙煎のものより明らかに香ばしさや旨味がない事は誰でも経験で気づいているはずです。
「煮干」や「白米」も、温風による機械乾燥より、直射日光による天日乾燥の方が数倍以上も圧倒的に美味しいです。
これらの一事をもってしても味作りの上で「熱風の駄目さ」と「直火の優秀さ」が明らかに判ろうかと言うものです。

ではなぜ食品メーカーが「熱風」を使うかと言えば、単に「早く仕上がる」「大量に仕上がる」「作業が簡単」という面で選ばれているだけです。
つまり、「味」を犠牲にして、単なる効率化やコスト安だけを理由に「熱風式」を選んでいるのです。
そして、珈琲業界でも全く同様の「悲劇」が起きている訳です。

また、珈琲の袋を開けた時に、一斉にすごく香りが湧き上がるのも熱風式の豆に良く見られる特徴のひとつです。
しかし、それは豆の細胞組織が熱風による焙煎のせいで必要以上に膨らみ過ぎ、破裂して崩壊し、パンパンに膨らんだ豆の亀裂から抜けてしまった香りが袋の中に一時的に充満していただけです。

つまり、やたらとプックリ大きく豊満に膨らんでいる豆は、豆の中に香りや味を閉じ込めるのに失敗したヘタクソな焙煎の典型例の可能性が非常に高いのです。
「熱風焙煎」は、焙煎当日から既に風味が抜けてスカスカ気味なのですが、さらにそういう豆は数日もしないうちに香りも味も抜け切って「味がしない」ひどい豆になってしまう事が少なくありません。
実際、今までよりかなり豆の量を増やさないと、味がとても薄く感じる物足りない珈琲しか淹れられなくなります。

特にわずか3~6分でインスタントチックに急速焙煎してしまう高速型の熱風焙煎機には、香りや味が二週間ももたずに急激に劣化してしまう極端に寿命の短い豆が非常に多いので要注意です。
「注文を受けてその場で焙煎するので超新鮮」とか「少量からお好みの焙煎度でオーダーメイド」等の宣伝文句で客を集め、生豆を入れた機器の下から高温の熱風が吹き上がり、その中で生豆が踊るようにして僅か数分で即席焙煎されるシロモノです。
珈琲の事を何も知らず、味も一切判らない珈琲初心者は、目の前で焙煎されるパフォーマンスを見て、それを「焼き立て珈琲」だと喜んで買って行くようですが、何とも「悲劇」というか、むしろ「喜劇」というか、いやはや「無知」とは実に恐ろしい事です。

美味しい珈琲の焙煎は15~20分の時間をかけるべきなのは常識です。
加熱により「美味しさ成分」が充分に豆の中に出来上がるのにそれ位の時間が必要だからです。それを無理やり急速焙煎で3~6分で終えてしまえば美味しい訳がありません。
例えれば「炊飯」でも、美味しいご飯を炊くコツは25~30分かけてしっかり加熱する事です。
珈琲を3~6分で焙煎するという事は、米を5~8分で炊く事に相当します。そんなご飯が激マズなのは言うまでもない事ですが、それを「これは炊き立てご飯だから最高に美味しい(はず)」と信じ込んで喜んで食べているのと同じ事なのです。どうして気が付かないのでしょうか。

「急速型熱風焙煎」の味は、たとえ焙煎2~3日後の「焼き立て」「味のピーク」状態の豆であっても、濃厚な香りや細かい味が一切なく、飲み口が軽薄で厚みに乏しい、何とも「簡易な構造」をした独特の安っぽい味です。
どの銘柄豆も全体を同じような軽めのほろ苦味が支配しており、ちょうど無個性の激安ブラジル・サントスを7割位ブレンドしてしまったような、ただノッペリとして平坦な軽いほろ苦味中心の実につまらない味になります。
そして何より「旨味」と「甘み」がゼロである事に気付きます。
美味しい珈琲の双璧要素である「旨味」と「甘み」が完全に欠落しているのです。極めて短時間での焙煎のため、それらの生成が出来ない(不十分)のでしょう。
ご飯も急速炊飯すると芯が残り旨味や甘味が全く出なくなるのと同じ現象です。

そして「どこかで飲んだ味」といつも思うのですが、すぐにそれは「大手のカフェ・チェーン店」や「ファストフード店の珈琲」の味そのものである事に気付きます。実際、「全く同じ方式の焙煎」をしているのですから、当然そうなるのでしょう。
良く言えば、味に一切こだわらない大衆がヒョイと手軽に飲みやすい「従順で無個性でイージーな味」なのですが、それは珈琲マニアが求める路線の味では全くありませんし、かといって一般客にとっても大手珈琲チェーンで豆を買えば「ほぼ半額以下」で「全く同じ味」の豆が買える訳ですので、わざわざ個人店で「割高価格」で買う事の意味など絶無です。

味の判らない「珈琲初心者」ほど、熱風焙煎の豆の見た目の立派さと、開封時の香りの強さでコロリと簡単に騙され、低品質の劣悪豆を買って喜んでいます。
味や香りで判断できず、見た目やパフォーマンスに騙されるのは実に嘆かわしく、極めて愚かな事です。

しかもそんな「珈琲初心者」に限って、最悪な事に、熱心にブログや掲示板や口コミサイトへ投稿したりしているのですから困りものです。
また、悪徳なお店になると、自分で煽りの投稿や連続書込みをして、熱心にサクラや宣伝工作活動にいそしんだりしています。
そんな誤った珈琲の評価やお店の自作自演を鵜呑みにした他の「珈琲入門者」が連鎖的に同じ過ちの轍を踏み、さらに次々に拡大再生産的に低品質の劣悪豆を絶賛する潮流が起き、いつの間にか「世の多数派」になってしまうのですから、実に恐ろしい事であり、何とも情けない事であり、本当に始末に負えません。

真に良質な豆は「ハゼの際に細胞壁が破壊され過ぎていない豆」なのです。
そう言う豆は、見た目は必要以上にパンパンに膨らんでおらず、むしろ多少の小じわが残っている事が多いですし、香りも袋の開封時ではなく、豆をミルで挽いた時、そして湯を差した瞬間にこそ、初めて素晴らしく馥郁な香りがとめどなく湧き上がるものです。
くれぐれも騙されないように注意して下さい。

もちろん完全熱風式焙煎にも良いところはあります。
熱風式焙煎機は温度管理が簡単で誰にでも比較的操作がしやすいうえ、構造的に大型化しやすく何百キロと言う大量の生豆を一度に短時間でムラなく焙煎できる点が最大のメリットです。
ですので毎日何トンという珈琲を焙煎する専業メーカーや大手の珈琲企業は、こぞって完全熱風焙煎機を使用しています。

ですが、逆に一日に数キロ程度しか焙煎しないような小さな個人の自家焙煎店で、敢えて完全熱風焙煎機を選ぶ理由はいったい何なのでしょうか?
難しい直火での焙煎技術に自信がなく、単に操作が楽な熱風式を選んだだけとしか思えないのです。

それに、直火焙煎機は穴開きドラムからチャフが漏れ落ちて燃えるため、豆が焦げ臭くなりやすいだけでなく、燃えカスでバーナーが詰まりやすく、掃除や手入れが「熱風焙煎機」の何倍も大変で非常に面倒なのです。ですから、掃除や手入れなど地味な仕事を嫌がる怠惰な店では、あれこれ手間のかかる直火焙煎機は絶対に使い続けられません。
そう考えると、熱風焙煎機を選ぶ理由は、操作の簡単さだけでなく、「掃除が非常に楽だから」「手入れをさぼれるから」という事もあるかと思います。
逆に言えば「直火」のお店は、毎日の掃除や手入れがどれほど大変でも「美味しさには決して変えられない」という断固たる決意で、日々の焙煎に臨んでいるという事です。

果たして、皆さんはどちらのお店の珈琲豆を買いたいと思いますか?

もちろん熱風焙煎のお店としては直火でない理由について「自分に腕がないから」「メンテナンスをさぼれるから」とは口が裂けても言わないでしょう。
自店の焙煎機が熱風式である事実について一切触れようとせず徹底して隠し通すか、もしくは、開き直って何らかのもっともらしい理由を捏造し「あえて半熱風や完全熱風を選んだ」という様な言い訳を必死になって主張すると思います。

しかし、くどいようですが、個人焙煎店の豆だろうと業務用の珈琲工場の豆だろうと「熱風は熱風の味」がします。
もしブラインドテストをすれば、スーパーマーケットの1g1円程度の安い業務用熱風珈琲と区別が付く人が果たしていったい何人いるのでしょうか。
それでいて「自家焙煎」を名乗るだけで、業務用珈琲の2~5倍もの価格で豆を売っているのですから・・・・いくら何でもこれでは、さすがにいろいろと疑問に思わざるを得ません。

念のために、同じ完全熱風でも「個人焙煎店」と「専業メーカー」の味の違いについて話をしたいと思います。
実は、「完全熱風式」の珈琲の中にもピンからキリまであります。というより、むしろ美味しい珈琲とまずい珈琲の落差が想像以上に激しいです。
上手に仕上げれば「すっきりして軽く柔らかな味」ですが、下手なお店の場合は「味も香りもふっ飛んだ薄っぺらでスッカスカの酷い味」になっている最悪の珈琲がとても多いのです。
また、どんなに上手に仕上げたとしても、豆の個性や素性が消され気味になり、どの豆を飲んでも「うっすらと霞がかかったような」「インパクトの弱い十把一絡げ的な」味になりがちと言う欠点は残ります。

下手な店は熱風を豆に当てすぎてスカスカの味に仕上げてしまう訳ですが、それを避けるため短時間で焙煎を切り上げると、今度は芯が生焼けになりひどい「青臭さ」や、吐き出したくなるような「渋えぐさ」が出てしまいます。
下手な店や未熟な店は最良の焙煎ポイントがなかなか把握できず、「青臭さ」や「渋えぐさ」が出て全く飲めないほど不味くなるよりは、熱風をたっぷり豆に浴びせてスカスカにした方がまだ「ダマシ」が効くだろうとの幼稚な判断から、生焼けだけは避けようと「長めの焙煎」をしたがる傾向があり、その結果として一様にやたらとスカスカの珈琲が多くなっているのだと思います。
中には、嫌な青臭さが残るのも、スカスカになるのも、両方避けようとして排気ダンパーを閉め気味のまま長時間の焙煎をしている熱風店もありますが、そう言う店は、閉じ篭った煙でやたらと「いぶり臭い」珈琲になってしまっていてやはり論外です。

いろいろと熱風焙煎の珈琲を飲み比べた結果、傾向として、どうやら熱風式は数十kg以上の大型焙煎機の方が美味しい場合が多く、逆に12kg以下の中小型の熱風焙煎機で美味しい店は極めて少ないと思うようになりました。
もともと熱風焙煎の特徴や構造は「大型化」に非常に向いていて、実際、数10kg以上の大型焙煎機でこそ、その本領が発揮できるからだと思います。
また、工場に設置されているような大型の業務用焙煎機の多くは、火力調整や排気ファンの回転数などをコンピューターで制御できる高度な機能が付いていたりする事も「味の安定」に決定的な差を生んでいると思います。

そして、実はこの釜の「大」「小」が、そっくりそのまま「専業メーカー」と「個人店」を意味してしまうのです。
現実に、個人店の熱風焙煎機はほとんどが12kg以下の釜ですから、個人の完全熱風焙煎店で「スカスカの薄っぺら珈琲」に出会う確率が非常に高いのだと思います。
そして、僕が、完全熱風焙煎機を導入している小規模な個人店を避けている理由も、まさにここにあります。
実際、同じ「完全熱風」なら、一部の超激安の業務用珈琲を除き、個人店より専業メーカーや大手企業の大量生産珈琲の方が「はるかに美味しい」場合がとても多いと確信しています。

よく「専業メーカーや大手企業の珈琲は味が劣る、個人店の珈琲は味が良い」などと、とんでもなく大きな誤解をしている珈琲初心者の方がいたりしますが、くれぐれも安易に間違えないようにすべきです。
もし専業メーカーや大手企業の不味い珈琲があったとしたら、それは大手だからまずいのではなく、風味が飛んで酸化もしやすい「粉」に挽いてから数ヶ月も経った珈琲をスーパーマーケットで買う事が「不味さ」のすべての原因です。
くれぐれも「まずさの原因」を取り違え、無責任に混同して語らないで欲しいものです。

実際に「焙煎一ヶ月以内の豆のまま」の専業メーカーの珈琲を買って、家で挽いて飲んでみれば、熱風焙煎としては驚くほど美味しく、素晴らしくバランスが取れ、練りに練った見事な味作りがされている事に気が付くはずです。
特に「ブレンド珈琲」に関する味作りやノウハウは、大人(企業)と赤ん坊(個人店)以上の歴然とした段違いの大きな差があり、専業メーカーや大手企業に比較すれば個人店のブレンドは、まさに「児戯」そのものと感じられてしまいます。

専業メーカーや大手企業は、個人店の数十倍の規模の立派な設備、数百倍のキャリアとノウハウの蓄積、数千倍の安定仕入れと年間売上高を擁しているのですから、同じ「熱風焙煎」の土俵で勝負する限り、一日に数キロしか焙煎しない開業数年程度のほそぼそとした個人店など、味作りの熟練や焙煎の実力において、専門企業の足元にも及ぶ訳がないのです。

特に、何十年もの歴史を持つ小中規模の珈琲専業メーカーの品質や味作りには侮れないものがあります。
全国区の知名度もなく、業界での占有率もなく、テレビCMや派手な宣伝力もない分、純粋に「品質と味だけ」で長年にわたり地道に勝負している素晴らしい会社が少なくない気がします。
いわゆる「ダマシ」が極めて少なく、特に100gで200円以下の比較的低価格帯の珈琲では、ずば抜けたコストパフォーマンスを持つ驚くような「掘り出し物」に出会える事が少なくありません。
そういう「掘り出し物」の見付け方として、30~100キロ以上の中・大型焙煎機使用の工場での生産であり、虚飾のないシンプルな包装袋に入り、低価格ながらもきちんとアラビカ種の香味でまとめてある物を選ぶ事です。
そして、必ず最低限の遵守事項として、絶対に「粉」ではなく「豆」で買う事です。
ただし、あくまで「熱風としては美味しい方」「意外にお買得の掘り出し物」と言う事であり、残念ながらあくまで熱風の範疇であり「感動」には程遠い味ではありますが。

逆に、地方の中小専業メーカーなどで、有名な「観光都市名」や「県庁都市名」が大々的に冠された商品名であったり、やたらと自社の歴史や味自慢が自画自賛されている物は「ダマシ」が多いです。
また、袋の原材料欄にベトナム等のロブスター生産国名があるものは、いわゆるロブスター臭の強い安さ一辺倒の「激安業務用」珈琲の可能性が極めて高いです。

また、個人店は大手の安価な珈琲と差別化したいために、「完全なハンドピックを二度実施」とか「最高品質の生豆に徹底してこだわる」とかなどのセールストークをよく口にしますが、僕はほとんど信じておらず、単に「口で言っているだけ」「文で書いているだけ」の可能性が極めて大きいと思っています。

なぜなら、店主さんの年齢層的に老眼の人が多いと思われますので、一日に何時間にも及ぶ細かいハンドピック作業が、毎日完璧に出来ているとはどうしても思えないからです。
「やっている」と「出来ている」では、結果は大違いで全くの別物だと言う事です。

また、「最高品質の豆は最高に高額」なはずですから、何億円と言う資産のある大手ならともかく、吹けば飛ぶような小規模個人店が、高額な豆ばかりを仕入れられるほどの「大金」を持っているとは到底考え辛いからです。

個人店の珈琲は専業メーカーや大手企業のほぼ2~5倍の高価格で売られていますので、使っている原料豆がよほど高品質なのだろうなどと勝手な善意解釈をしている無知な珈琲初心者がいたりして閉口しますが、原料となる生豆の原価率など、ブラジルやコロンビアなどを例に取れば売値の「たった20%程度」です。
生豆の原価率がこれほど低いのですから、「生豆の品質」が珈琲を大手の2~5倍の売値にも跳ね上げる理由になどなる訳が一切ありません。
ほとんどの場合、売値の「80%前後」は、店主が胸先三寸で決めた「自店の粗利益」が大きく乗せられているだけなのです。無知な客はそんな大きな粗利益に「貢いでいる」だけです。

それに全く同じ農場、全く同じロットの生豆でも、大手は現地から直接に数10トン単位で大量一括仕入れして来るので非常に安く手に入りますが、小さな個人店は商社や問屋を通して中間マージンが膨らみ、しかも60キロ程度の割高な小袋を仕入れていますから、同じ銘柄の珈琲豆でもずっと「割高」な仕入価格になります。
要は、個人店は「良い豆だから高い」のではなく、「商売の規模が小さいから割高になっている」だけである真実を、客側はくれぐれもきちんと理解すべきです。

同じ大画面テレビを買うにも、町の小さな個人の電気屋さんだと売値がやたらと高いですが、大手家電量販店だと激安低価格で売られているのと全く同じ理由です。
電器メーカーは、年間販売量が極端に少ない個人店を直接相手にしませんので、問屋や卸売りを何社も通すルートで仕入れるしかなく、仕入れ価格が極端に割高になるせいですが、当然ながら、個人の電気屋さんで買ったテレビが特別にきれいに映る事などある訳がなく、まったく同じメーカー、同じ性能、同じ品質のものを「割高」に売っているだけなのです。

では、個人の自家焙煎店の存在意義とは、そのアドバンテージとはいったい何なのかと考えれば、やはり、これはもう、大手が進出しずらい「直火」で珈琲を焙煎し、客へ「直火の味」を提供できると言う一点にのみ尽きるでしょう。
直火焙煎は究極の味が作れますが、しかし、バーナーで直接に豆を焙る必要があるため、構造的にあまり大きく出来ず、一度に大量の豆を焙れないのです。
つまり、一日の生産量が何トンにもなる大手珈琲メーカーの場合、容量の小さな直火焙煎機では生産が到底間に合わないのです。

逆に一日の焙煎量が10~20キロ程度しかない個人焙煎店であれば、その極小ロット焙煎の特性を生かし、大手が使いたくても使えない「直火焙煎」で思う存分に丁寧な味作りが出来る訳です。
実際に直火焙煎の珈琲は、まさに個人店の「独壇場」です。

そう考えると、やはり小規模な個人店は、大手が参入できない直火焙煎の土俵に店を構え、直火特有の「一段階上のレベルの美味しさ」で売って行くしかないと思います。
熱風焙煎の店がいくら頑張っても旅客機で言う「エコノミーシート」の味しか出せないところを、直火焙煎の店は潜在能力的には「ファーストクラス」の味が出せる位置にいるのは間違いないのですから。

ちなみに、昔、僕がチェーン店の中では「突出して美味しい」と思っている「唯一」の珈琲チェーンがありました。
ずっと「これ程の大手なら熱風焙煎のはず」と思っていたのですが、それにしてはあまりにも「直火の傑作」的な美味しさにあふれているので飲むたびにいつも不思議で仕方がなく、ある日、「その珈琲会社のWebサイト」を見て驚きました。
驚く事に全国規模の大手チェーン店でありながら「味のため」だけにありとあらゆる万難を排して「直火焙煎」を採用していたのです。

いくら突出して美味しくても、まさか大手ではと思っていたのですが、なんと「驚きの直火」。
やはり真のプロであれば「焙煎機の形式」で珈琲の味のほとんどが決定される事を、嫌というほど実感し熟知していたのでしょう。
ただ、当時、確かに珈琲は絶品だったのですが、あまりの店内喫煙率の酷さから足が遠のき、その後ほどなくして残念ながらこのチェーンには全く行かなくなってしまいましたが。

それにしても、当時、そこまで「直火の味」に拘り、研究し、努力し、実行し、嘘や偽りのない正直な珈琲商売を成功させている全国規模の大手も存在したのですから、まだまだ日本の珈琲文化のレベルも捨てたものではありません。
逆に、操作が一番簡単で楽だからと安易に「熱風焙煎」を選び、大切な味を犠牲にして知らんぷり、先を争って偽計と虚説で無知な素人客を誘い込み、風味がスカスカの劣悪豆を割高く売りつける事にばかり日々奔走している浅ましく見苦しい個人店の何と多い事でしょうか。
業界の先人たちが苦労して築いて来た日本の珈琲文化にぶら下がっているだけの、そんな不徳な個人店には小一時間ほど説教でもしたくなるのは決して僕だけではないはずです。

ただ、つい最近になって某ショッピングモール内の完全禁煙のフードコートにその珈琲チェーンが出店しているのを見かけ、非常に久しぶりにブレンドを飲んでみたのですが…大変残念ながら以前の美味とは全く異なってしまっていて、ただただロブスター臭いだけの悲惨な酷い味になってしまっていました。
さらに不味くなっただけでなく、飲んだ後の体調にも悪い変化が起きる始末で、良い思い出は無残に砕け散り、変わり果てた珈琲の不味さに時の流れを嫌と言うほど痛感させられてしまいました。




さて、次に、「半熱風式焙煎機」についてです。
半熱風式は、その名前の通り、直火式と完全熱風式の中間の性格と言われる事が多いようです。
うかつに「中間」などと表現すると、直火と熱風の「いいとこ取り」のように思う人もいるのかも知れませんが、しかし、現実はむしろ逆で、両者の「悪いとこ取り」とまでは言いませんが、あくまで個人的な嗜好としては「半熱風焙煎が一番おいしくない」と思っています。

「美味しくない」と言うと語弊があるかも知れませんが、要は「半熱風」と聞いただけで、もうあまり気が進まないと言いますか、さして興味が湧かないと言いますか、わざわざ飲むほどの気にならないのです。
僕の経験からは「半熱風は大きく外れない代わりに、絶対に大きく当たる事もない味」のイメージなのです。

実際、「半熱風焙煎」は、上手な店と下手な店の差はあまり目立たない感じで、「飲まなくても大体想像が付く味」と言いますか、まさに「ドングリの背比べ」と言う感じであり、どのお店も似たり寄ったりのレベルと感じます。
良く言えば「中堅社員的な安定感のある味」ですが、悪く言えば「何ともつまらない凡庸な味」であり、味が寸詰まりと言いますか、妙に停滞しがちで、きれいに伸びて行かず、まったく広がって行かず、鮮烈さや躍動感が一切感じられない味になっている事がほとんどです。
味の幅も狭くて、展開の時間も短かく、すぐに頭打ちになる感じです。
まるで、窓が一つもない、息の詰まる狭苦しいワンルームマンションを連想させられる閉塞感のある味の珈琲がとても多いと感じてしまいます。

しかし、世間一般的に、日本で「珈琲の名店」などと言われている自家焙煎店を見てみますと、意外にも「半熱風焙煎機」を使っているお店が少なくない事に驚きます。
ですが、実際にそれらのお店で珈琲を飲んだり、豆を買ったりしても、やはり上記の通りであり、全くときめきのない、なんとも意外性や発展性の乏しい味であったり、非常につまらない閉じ篭もった寸詰まりの息苦しい味の珈琲であったりが、実に多いと感じてしまいます。
何とも不思議ですが、そういうお店は「味以外」の面で、客の心をつかむ何らかのノウハウや人気の秘密があるとしか思えません。

そう感じてしまう正確な原因は判りませんが、かなり多くの半熱風店を飲んで来ても、味は大同小異で、結局ほとんどすべて同じ感想になる事実を鑑みますと、焙煎者の力量などが原因なのではなく、やはり「半熱風焙煎機」の構造や仕組みに起因する問題なのだと思えてなりません。
そう考えると、おそらくは焙煎のメイン熱源が「金属ドラムからの伝導熱である事」か、もしくは、「ドラム内の空気が篭りやすい構造である事」に、何か根本的に大きな原因があるような気がします。
いわゆる「抜けの悪い味」「伸びのない味」である事を考えますと、どちらかと言えば「ドラム内の空気が篭りやすい構造」である点が、個人的には「かなり怪しい」と思っています。

ちなみに、僕は「焼き魚」を食べると、その魚が「上火」で焼かれたものか、それとも「下火」で焼かれたものか、それとも「上下同時」に焼かれたものか、かなりの確率で当てられる自信があります。
焼かれた魚の「美味しい順」で言えば、「下火」焼きが圧倒的に一番美味しく、次に「上下火」が普通で、「上火」は一番まずいです。

なぜなら、生魚には独特の生臭さがありますので、下からの火で焼いて、魚の上面から蒸気と一緒にその生臭みを蒸散させないと生魚の独特の臭みが抜けず、嫌な生臭さが身に残ってしまい「まずく」なるのです。
試しにグリラー等で上からの火で魚を焼くと、先に上面が焼き固まってしまい、蒸散すべき生臭さや他の不要成分が身に残ってしまいます。そうなると、生臭い上に味もくぐもってしまい「行き場を失った不要成分が閉じ篭って停滞した」ような、何ともすっきりしない閉塞感のある味になります。

実はこの、本来なら魚を焼くのに全く適さない「上火焼きグリラー」で焼かれた魚の「くぐもった味」が、僕にとっては、「半熱風焙煎された珈琲豆」のくぐもった味とどこかしら強い共通点を感じさせるのです。
使う調理機により味の大部分が強制的に決定されてしまい、焼き手の技量ではどうにもカバーし切れないと言う点も、珈琲焙煎と良く似ていると思います。

「くぐもり」の正体ですが、多くの食材は、概ね180℃以上に加熱すると様々な化学変化が起こり始めます。
その際に、良い成分も、悪い成分も、素材から様々な成分が揮発しますが、僕の料理経験から言うと、その時に「ふた」をせず、それらが適度に大気中に自由運動で放出された方が良い結果になるケースが多いと感じています。
これらの成分は目に見えないものも多いので、目に見える「煙の発生」とは直接関係なく、つまり珈琲焙煎で言えば「煙が出始めたらダンパーを開けて排煙をすれば良い」という事ではありません。
僕の実際の焙煎経験からは、煙が少ないからと言って、比較的閉ざされた空間で豆を加熱し続けますと、それらの成分が大気中へ十分に抜けて行けなかったり、もし一度豆から出ても釜の中で対流するうちに再び豆の中に戻ってしまったりする気がするのです。

つまり、ドラムに開放部が少なく内部の空気が篭りやすい構造である「半熱風焙煎機」は、僕の個人的な考えでは、この点において、構造上の大きなウィークポイントがあるように思えてしまうのです。

魚を焼く事一つとっても「焼ければどんな方法でもいい」と言う甘い物では絶対にありません。
真に美味しい魚を焼く方法は「下火」と言う「一つしかない」のです。
珈琲豆の焙煎も全く同じです。
数々の理想を突き詰めていけば、珈琲焙煎に適した方法は「直火」と言う「一つしかない」と言うことです。

ちなみに、焼き魚の話の続きですが、下火で焼けば生臭さが抜けるだけでなく、生魚の水分が適度に蒸気となって上に抜けて行き、その過程で身が「ふっくら」「ほくほく」になり、非常に美味しく仕上がります。
しかし、魚の下火焼きは、焼いている途中から魚の油がどんどん垂れて来て、熱源にかかって燃え上がり、黒い油煙を激しく出してしまい、魚に煤が付着し焦げ臭くなります。
加えて、魚の皮が焼網にこびり付いて身崩れが起きやすいうえ、焼き面が下になるためどれだけ焼けたかもチェックしづらく、上手に焼くには非常に高い技術と長い経験が要求されます。

この点、特に客商売ですと、料理の「見た目」も優先されるため、魚の皮が焼網にこびり付きにくい上火焼きが非常に重宝がられるのです。
また、店舗営業で焼く場合は「速度」も重視されますので、片面ずつ焼くよりも、上下同時に焼けば時間が半分で済んでしまいます。
そのため、大変残念ながら、多くの料亭や和食店では、アルバイトでも扱える「上火グリラー」や「上下同時グリラー」などが普及しているのです。

しかし、それらのグリラーは、こと「味」の面では、下火焼きに比較し、明らかに2ランクも、3ランクも落ちます。
なぜなら上火で焼くと、身の中に生臭さや不要成分がくぐもるだけでなく、魚の上面だけがパサパサになり、逆に中心から下は水分の抜けが非常に悪く身がグジュグジュしてしまい水っぽい不味さが出た仕上がりになってしまうからです。
ですから、上火グリラーや上下同時グリラーは「見た目だけは良いが、味は想像以上に最悪」です。

さらに言えば、恐ろしい事にここ数年でそれら上火グリラーや上下同時グリラーを、さらに数段も上回るまさに大惨劇的な激不味さにせっかくの魚を調理する人類史上まれに見る「怨敵調理器具」まで登場しています。
ここ数年で急速に出回り始めた「過熱水蒸気オーブン」というシロモノです。この機器はどんなに美味しい高級鮮魚もまさに「地獄の不味さ」に仕上げます。

この機器は何と「本物の炎」や「遠赤外線」等の熱源を一切使わず、既に「火で焼く」事を完全に放棄し、水を加熱して発生させた300~400℃の超高温水蒸気を魚に吹き付けて加熱することで、何と「焼いた」事にしているのです。

その味たるや、「焼き魚」として美味い不味いを論じるどころの話ではなく、魚の美味しさ成分の全てが支離滅裂に破壊され分散してしまったような、とりとめなく焦点が定まらないボケボケの茫漠とした、まるでウレタンで出来た食品サンプルを食べているかのような、まさに得体の知れない物体を口に入れるかの如き、飲み込むのが不安になるほどの、何とも怪しい正体不明の激不味さです。

まさしく味も食感も嫌というほど擬似的で酷いイミテーションそのものであるうえ、さらに恐ろしい事に水蒸気による加熱では出しにくい魚表面の焦げ茶色の「焼き色」と、香ばしい「焼けた匂い」を装うため、生魚を発色液や燻製液に漬け込んでから焼いているため、魚表面から不自然で危険な化学物質の味や臭いがしてしまい、僕など一噛みしただけで身の危険を感じ、絶望の感情に全身が襲われ、ドス黒い不安に腹の底まで侵食され、とても食べられた物ではありません。
いやはや、せっかくの美味しい魚を、ここまで容赦なく台無しにし、ここまで徹底的に壊滅させて調理する機具がこの世の中に実在する事に強い悲憤の感情を覚えずにはいられません。

しかし、今やほとんどのスーパーマーケットの惣菜売り場で売られている「自称・焼き魚」や、街中の多くの定食屋チェーンや居酒屋チェーンで出される「自称・焼き魚」は、実はこの「過熱水蒸気」で調理されたシロモノがほとんどなのです。
いやはや、一度食べれば大トラウマ間違いなしのこれほどの大惨劇激マズ物体にも関わらず、一体どうして、果たしてなぜ、世の飲食シーンから駆逐されないのでしょうか?
いや、駆逐されないどころか、ますますあちこちで目に付く機会が増え続けているのでしょう?

実は、この過熱水蒸気で調理された魚は、何しろ超高温の気体である水蒸気で非常に均一に加熱されるため、魚の表面に火ぶくれが起きず、皮も破れず、全くムラのない驚くほど均一な美しい焼き色に仕上がります。

つまり、味は「美食の不倶戴天の怨敵の激不味さ」であっても、見た目は「焼き魚として全く瑕疵のない驚くほど美しいパーフェクトな姿」に仕上がるのです。

もうお判りでしょう、そうです、スーパーで惣菜を買ったり、定食屋チェーンや居酒屋チェーンで焼き魚を食べるような世の中の一般大衆は、実は「見た目の美しさだけで食品を選ぶ」&「味が一切全く判らない人々」がほとんどなのです。
料理や飲食物とは本来であれば「舌と鼻」で味わい評価されるべき対象であるにも関わらず、こんな擬似的な激マズの「自称・焼き魚」を食べて何とも思わないのですから、事実として世のほとんどの一般大衆は料理の「見た目」「外見」「姿」と言う視覚情報だけに頼って品物を選び、その価値レベルを評価していると言う証明に他なりません。

しかも、もし、ほんの少しでも料理の経験や知識を持つ人から見れば、これら過熱水蒸気で調理された魚は、一見しただけで、むしろその「あまりにも異常な焼き色の均一さ」、「極めて不自然な火膨れや焦げの絶無さ」に、すぐにおかしいと気付き、調理法の真偽を疑い、怪しみ、訝しんで、結果として購入には至らないはずなのです。
ですが、世の中の95%の人間は、自分で魚を焼いた経験など一切無いため、「凄くきれいに焼けている(ように装っている)魚」→「きっと美味しい焼き魚に違いない」とあらぬ大勘違いをして、実際、その強烈な視覚情報が「絶大なプラシーボ効果」を発揮して味覚や嗅覚を完全に上書きしてしまい、事もあろうかこの世の最低最悪の激マズ魚を、「美味しい美味しい」と一切何の疑念も感じずに嬉々として食べているのです。
まさに「世も末」としか思えません。

実際、こんなイミテーションの「自称・焼き魚」が、炭火焼きや下火焼きの「本物の焼き魚」の市場を次々と奪い、どんどん駆逐しているのですから、何ともおぞましき一大事であり、食文化のゆゆしきカタストロフィであり、同時に、これこそ世の中の95%の人間が「実は味など一切全く判らない」事の何よりの動かぬ証拠そのものです。

さらに、お店からして見れば、この過熱水蒸気オーブンは、何しろ機械に魚を入れたら「ボタン一つ」押すだけで、誰でも完全自動で簡単に加熱調理が終わる上、一度に大量に調理でき、煙も少なく換気もほとんど要りません。
そのため、今までのガス火オーブンからすれば、比較にならないほど取り扱いが容易で、技術や知識のないアルバイトやパートさん達の「ド素人」でも、働き始めたその日から簡単に「商品が作れる」ので人件費も節約出来ると大歓迎され、今や競ってあらゆる店舗で嬉々として導入されるようになってしまいました。

要は、結局は、つまりは、世のほとんどの飲食店や料理人は、料理のプロや専門店であるにも拘わらず、本来、最も大切なはずの「味」を一番最後に回して大いに犠牲にし、単に焼き易さや掃除の楽さ、焼きの回転率、仕上がる見た目の良さ、人件費の安さ等だけで「調理機器」を選んでいる訳です。

そして、現実に、この過熱水蒸気オーブンの普及と比例するかのように、近年「焼き魚嫌い」の子供達が激増しています。ネット検索すれば判りますが、驚くことに今や小学生の嫌いな食べ物のトップに「焼き魚」が上がっているのです。
確かにそれはそうでしょう、現状を鑑みれば日々子供達が食べさせられている焼き魚のほとんどは、長期冷凍保存された古い魚を解凍し、その多くがこの忌まわしき過熱水蒸気で調理されている訳であり、もし幸運にもその難を逃れたとしてもせいぜい電熱器かガスの上火焼き機で調理された極めて劣悪な味の物がほとんどでしょうから、この結果もまさに「むべなるかな」「当然の帰結」と言うところです。
「子供の舌は正直」という通り、まだ誤った固定観念や禍々しいプラシーボ効果等に蝕まれていないピュアな子供の味覚は、驚くほど正確に「劣悪な食材」と「間違った調理法」に対し直感的に抗い、 悲痛に拒絶し、必死に哀訴している訳です。

しかし、一方で、もし獲れたての新鮮な良質魚を炭火焼きで達人が心を込めて焼いた「本物の焼き魚」の「100点満点の超絶の美味しさ」を一度でも幼少期に経験していれば、必ずや焼き魚の真の圧倒的な美味しさに開眼し、以降、その子供が自分の大好物の五指に「焼き魚」を入れるのは絶対に間違いないと確信します。
まさに僕がそうであったように。

そして、「焼き魚」を取り巻くこの何ともおぞましき悲劇の惨状が、この憎悪すべき悲憤の図式が、今の珈琲焙煎業界にもそっくりそのまま完璧に当てはまってしまうのです。
珈琲の焙煎において、「直火焙煎機」は味は最高ですがそのぶん操作や手入れが難しい訳です。
一方、「完全熱風焙煎機」や「半熱風焙煎機」は味は全く駄目ですが、見た目は均一に美しく仕上がり、かつ、素人に毛が生えた程度の店主でも容易に操作できる訳です。
そして、珈琲業界におけるそれら「熱風焙煎機」の普及率の高さの実情を鑑みれば、何ともひどく悲しい事ですが、珈琲業界が全く同じような「美味嘲弄」の悲しく絶望的な風潮に大きく侵食されてしまっているのは間違いないでしょう。

僕は先ほど、半熱風焙煎された珈琲の不味さを「上火グリラー」で焼かれた「くぐもった味の焼き魚」に例えましたが、この「過熱水蒸気オーブン」で焼かれた魚の衝撃の激不味さは、もし珈琲焙煎で例えるなら、ズバリ、インスタント型完全熱風焙煎による「風味スカスカの残骸珈琲」の激不味さそのものでしょう。それは珈琲の生豆を入れたガラス容器の下から熱風が吹き出てわずか3~5分で急速焙煎してしまうタイプの恐怖のインスタント焙煎機です。
特に、どのような最高級食材であっても「徹底的に根こそぎ駄目にする」「完膚なきまでに全て台無しにする」という一切の情け容赦の無い殲滅性において、正に「双子」の如き相似値を感じます。

現実的に、珈琲業界における「熱風焙煎機」の市場占有率の高さを鑑みれば、世の中のほとんどの一般大衆は子供の頃からずっと日々それら「熱風珈琲」のみを飲んで育って来ている訳ですから、真のプロが焙煎した最高峰の直火珈琲がこの世の中に存在する事実の片鱗さえ知らぬままに、大人になってしまう(味覚が固定してしまう)不幸な人々がほとんどであると思われます。
その呪われし厄災現象が、同じく「新鮮魚+炭火焼き+達人プロ」の至高&究極の焼き魚を一度も食べた経験がないままに大人になってしまう無残な厄運現象と、ピタリと重なって見えてならないのは、いやはや何とも、果たして僕だけなのでしょうか。


さて、珈琲焙煎の話に戻りますが、ちなみに、僕が自宅焙煎をしていて判った事は、珈琲の味は「気体の循環」や「蓄熱のカーテン」で決められる部分が想像以上に大きいと言う事です。
焙煎の初心者は「火力」と「撹拌」さえ上手に出来れば美味しく仕上がると誤解しがちですが、むしろ「火力」や「撹拌」は計器や目で見えるため、あまり大きく的を外す事がありません。
しかし、釜内部の空気中の揮発成分の濃度や循環状態や気圧、そして熱気の淀みや対流は全く目で見えないため、釜の内部の空気の状態をいかに正確に把握し適正にコントロールするかが一番難しい気がします。
実際、この「釜の内部の熱と空気の動き」こそが、珈琲の味作りに想像以上に決定的な影響力を持っているのは間違いありません。
ですので、もし自作焙煎機を作る場合などは、まず「直火方式」にするのは極めて当然の事ですが、バーナーや撹拌翼だけでなく、釜の形状による熱気の滞留具合や流れ方、気圧や排気の計量的コントロール方法等をかなり細かく煮詰めて行く必要があります。

そう言う意味で、ダンパーや排気ファンが付いていないなどで、排気の調整が一切出来ない簡易な焙煎機は「全く駄目」です。「豆はこげ茶色になる」かも知れませんが「美味しい珈琲」はまず全く作れません。そう言う焙煎機を使っている限り、美味しい珈琲は宝くじ並みの確率でしか焙煎できないはずです。
時折、自称プロの自家焙煎店でも、可変ダンパーや排気ファンや煙突の一切付いていない小型の簡易焙煎機を使っているお店があったりして実に驚きますが、同じく「味は全く駄目で一切期待できない」と確信します。

もしも万一「自宅焙煎で排気調整などしなくても毎回常に美味しい珈琲が出来る」とか「あの珈琲店はダンパーのない簡易焙煎機だけどいつ飲んでも凄く美味しい」とか言う人は、まず自分の味覚能力の異常な低さと経験値の極端な狭さを強く疑ってみるべきです。
真に100点の超絶珈琲を経験している珈琲上級者から見れば、一切の排気調整せずに仕上げた珈琲など、せいぜい40点が上限です。しかし40点までの珈琲しか知らない人にとっては、その排気調整もしていない最悪の40点珈琲がおそらくこの世で最高ランクの100点珈琲に思えるのでしょう。
いやはや何とも難儀な事ですが、もしも、排気調整機能もない簡易焙煎機で焙られた珈琲が100点珈琲に思えるようなら、今日を限りに「珈琲マニア」と言う看板は下ろし、以降はネットへの書込みも全面自粛した方が良いと思います。

そして、実はこの点においても、「完全熱風」や「半熱風」の焙煎機は、熱風=排気が密接に絡み合っているため、熱量と排気のそれぞれを完全に独立させて調節ができないと言う仕組み上の大きな弱点があるのです。カロリーアップのため熱風を強めれば、同時に排気も強くなってしまうと言う欠点です。
その点、「直火」の焙煎機は火力と排気がお互いに依存し合っていませんから、それぞれを完全に独立させて調整が可能であり、それだけ自由度の高い細やかな最適焙煎が可能になるという優れた長所があります。

なお、直火焙煎のコツとして、焙煎の最大火力の時に、直火の先端が豆に触る位の位置にドラムを置くことです。それでこそ本物の「直火焙煎」なのです。よくガス火から10cm以上もドラムが離れている自作焙煎機を見かけますが、それでは「直火」の味にはならず、むしろ「熱風」の味になりかねません。
もし直火の先端が豆に触れて簡単に豆が焦げるようなら、適正容量を超えて豆を多く入れすぎているか、ドラム回転が遅すぎるか、撹拌翼が機能不十分なのです。

また、当たり前ですが温度計を必ず設置して常にモニターし、ダンパー開閉度も数値化する必要があります。
そしてそれら温度カーブとダンパー操作の推移表を記録する必要が絶対にあるのは言うまでもない事ですが、意外にも一切記録を取らない人が少なくない事に呆れてしまいます。
きちんと記録を取って統計分析しても、それでも「味のブレ」が出るのですから、そもそも温度計測やダンパーの記録を一切していない人の珈琲の味など「味は推して知るべし」ですし、そう言う低レベルの自宅焙煎人には「珈琲焙煎を語る資格など全くない」と思います。

なお、極まれにですが、非常に良く仕上がった「半熱風焙煎」の豆に出会うことがあったり、自分でも自作の「半熱風焙煎機」でまれに非常に上手に煎れたりする事があります。
そのような豆は、最初は存外に美味しいと思うのですが、しかし、二度、三度と、繰り返し飲んで行くと、やはり「天井や壁が見えて来る」のが早いです。
開封時に美味しいと思っても、一週間位して再度飲むと明らかに「平凡」な味にダウングレードしてしまい、「やはり実力はこんなもの」と落胆させられてしまうのです。

つまり、直火と比較すると半熱風は香味の劣化スピードがとても早い事が多いのです。ですので「熟成の楽しみ」「香味の成長」という事は全く期待できません。
この点、良く仕上がった直火の豆なら、二週間を過ぎた辺りから、さらに階段を駆け上る様にメキメキと一層美味しく成長して行き、後に飲むほど美味しさへの期待が高まり胸がワクワクする事がとても多いのとは大きな違いです。

これらの感想は、外国製の高級焙煎機であるプロバットでもディードリッヒでも同じことです。
それらを導入しているお店の豆もあちこちで飲んでみましたが、国産焙煎機とまったく同じ結果です。
つまり、当たり前ですが、やはり「熱風は熱風」「半熱風は半熱風」の味がします。

さらに、これらの特徴は「家庭用焙煎機」でも、そっくりそのまま当てはまります。
僕は過去に、比較的高価な「家庭用電熱式完全熱風焙煎機」を3種類ほど遍歴して来ましたが、いずれも良い点はスイッチを入れたら全自動で焙煎が完了する「お手軽さ」だけです。
確かに豆は「こげ茶色」にはなりますが、「味は本当に最悪」で、いずれも香りも甘みも旨味もゼロで、ただただ苦虫が噛み潰されたような不快なエグ苦味だけが支配する想像を超える酷い味にしか仕上がりません。
まさしくそれは「熱風式のまずさ」と「電熱式のまずさ」の相乗効果を嫌と言うほど体験できる恐怖の世界です。

せっかく買ったので、色々と工夫したりしてそれぞれ十数回ずつ使ってみましたが、その嫌になるほどの激マズさは全く改善のしようなどなく、その度に、まさに「絶望の暗い淵に沈められるかの如き暗澹たる激マズ体験」を強制されました。いずれも即売却もしくは押入れの肥やしになっています。
結構な高価格の割に出来上がる味は子供だましも甚だしい劣悪な物であり、珈琲の焙煎機と言うより、まさに「幼児のオモチャ以下」の非常に腹立たしい物です。

世の中には、そういう電熱式完全熱風焙煎機で焼いた豆とは言え、「自分で焙煎した」と言う一点のみで完全に自己満足してしまい、大いに浮かれ舞い上がって「絶賛して愛用」している奇特な人もいるようですが、そう言う人達は味覚が完全に摩滅していて味が一切判らず、塩を砂糖だと言って舐めさせれば「甘くておいしい」と答えるような人達なのでしょう。

それに加えて、日本ではまだ珍しい個人用の珈琲焙煎機を所有した事がうれしくてうれしくてしょうがなく、大得意になって一人でも多くの相手に自慢したい幼稚な心理で、ブログ等で「おいしい珈琲が出来る」とか「この焙煎機は最高」などの蒙昧な放言を無責任に連発しているのでしょう。

しかし、もしもほんの少しでも「自分は珈琲の味が判る」と思っている人なら、絶対に、絶対に、絶対に、「家庭用電熱式完全熱風焙煎機」は買わない事です。
珈琲の味が判る人にとっては、腹が立つ事この上ない生涯の「目の仇」にしたくなる粗悪物であり、万事に忌み避けるべき不吉な「鬼門」であり、どんな極上生豆も確実に超激マズに仕上げてくれる「天敵」そのものだと確信します。



結局、真に美味しい珈琲を本気で追究して行けば、やはり最終的に「直火式」以外の選択はなくなってしまう訳ですが、しかし同時に、真に上手な直火焙煎のお店は極めてほんの一握りしかないという厳しい現実に直面します。

まず、直火焙煎のいくつかのお店は、火が遠くなりすぎていて、実態が「全く直火になっていない」お店が多い気がします。豆面から火が遠すぎると、「火」ではなく「ドラム壁からの伝導熱」や「ドラムに流れ込む熱気」で焙煎している事になり、それは実態として「半熱風」の分類になります。
実際に「この直火珈琲は駄目だな」と思った時の豆は、まさに半熱風と同じような閉塞感のある閉じ篭った味になってしまっている物が多いです。少なくとも焙煎中の最大火力時に、ガスの炎の先端がきちんと穴開きドラムに触れるようでなければ「真の直火」とは言えません。
ですので直火式の店の良さが実感できないと言う方は、単に上手な本物の直火店にまだ出会っていないのだと思います。

実際に多くの「本物(プロ用)の直火焙煎機」のガスバーナーは「ブンゼン型バーナー」という円筒状のものが採用されています。このバーナーはまるで「蝋燭」のように長細い形の「炎」が出せるのが特徴で、それが複数本並べて内部ドラム下に設置され、長い炎の先端がちょうど金属ドラムの表面を「舐める」ように直接触れる(直火)工夫がされているのです。
これこそが、これでこそ、「真の直火焙煎」なのです。

ところが、世の中にはまるで「家庭用のガスコンロ」のような「短い炎が多数に並ぶ形」の熱源タイプの焙煎機を、自信満々、鼻高々で使っている「自称・直火焙煎店」も少なくありません。しかし、それでは直火の必要条件の半分も満たしていない事になります。
それらの店は無知ゆえに「金属ドラムに穴が開いてさえいれば」直火焙煎だと本気で誤解しているのか、もしくは、世の中の多くの「自称・珈琲マニア」相手の商売ゆえに「こいつらにどうせ真の直火と似非直火の味の違いなど永遠に判る訳がない」と端から客をバカにしているのか、どちらかでしょう。
繰り返しますが、瞬間的にでも「豆が炎に直接触れる」構造でない限り、真の直火焙煎の味は出せません。

ちなみに直火の場合、「ガス火」と「炭火」がある訳ですが、炭火の場合は炎ではなく「遠赤外線」(光、電磁波)で焙煎すべきですので、ドラムと炭火が直接触れ合う必要は全くありませんが、豆が遠赤外線を十分に浴びられるよう「ドラム開口率」(穴の面積率)が最低でも70%以上は必要でしょう。
もしもドラム開口率が低すぎる場合、これまた主に「金属ドラムからの伝導熱」と「ドラムに流れ込む熱気」で豆を焙煎することになり、やはり「炭火直火」ではなく、「半熱風」の味に近くなってしまいます。

ちなみに、同じく直火と言っても、「ガス火」と「炭火」の場合、これらは想像以上に出来上がる味の傾向が全く異なります。
「炭火」の味は、一言で言えば「コク」です。味の展開がやや鈍重なところもあり細かな味の表現や豆の個性を際立たせる事は不得意ですが、まろやかでありながら極めて押し出しのある力強い味です。
まったりとした重みと厚みの伴うオイリーな口当たりと、ネットリと舌に絡み付くカラメル感のある甘み、そして何より独特の深いコクは他の焙煎法では絶対に経験できない「炭火の専売特許」的な素晴らしい魅力です。

「ガス火」の味は、一言で言えば「キレ」です。線はシャープで細くなるものの味や香りに全く濁りがなく、カミソリの如き鮮やかなキレのある繊細さと緻密さ、スムーズでありながら豊満なリッチ感のある飲み口。そして香りや味の情報量が非常に多い極めて正確な味の表現力が「ガス直火の真骨頂」でしょう。

時折、「ガスだろうと炭火だろうと火の性質に変わりはない」などと炭火焙煎のことを軽んじる人がいたりして、そのあまりの低次元の無知蒙昧ぶりに「天を仰がされてしまう」事があります。自分が全く味の違いが判らないからと言って、他の人達も同じように判らないはずだと思うのは、極めて大きな間違いです。
僕など、直火焙煎の珈琲を一口飲めば、それが「ガスか、炭火か」、ほぼ100%即座に当てられる自信があります。つまり、それ位に大きく違う味に仕上がると言う事です。

ただし、「炭火」と名乗っていても、ガスと併用して一部だけちょっと炭で焙るだけの所もありますので、もしせっかく選ぶなら100%炭火焙煎の所を選ぶべきです。
また、炭火100%の店でも、驚くことに普通のガス直火用のドラムを流用していたり、開口率のとても小さい金網ドラムで焙煎しているなど、「炭火=赤外線」の意味や効用が全く判っていない焙煎店があったりして、陰々滅々な気持にさせられる事も少なくありません。
炭火で焙煎するなら最低でもドラム開口率が70%以上は必要だと思います。(僕の自作炭火焙煎機は開口率80%です)
なぜなら炭火の最大の特徴となる「赤外線」の実体とは「目に見えない光」、つまり「光(電磁波)のエネルギー」なのですから、「光」を直接に対象物に浴びせられる構造でない限り、炭火(赤外線)焙煎の効用は期待できなくなるからです。

つまり、炭火焙煎において、小さな穴がポツポツと開いただけの金属ドラムや目の詰まった金網等の開口率の低いドラム等を使うと、それらが赤外線を遮ってしまい、豆に届く赤外線が極端に減ってしまうのです。
結果として、開口率の低い焙煎ドラムを使用している店の場合、例え熱源が100%炭火であっても、本当の「炭火焙煎の味」は全く期待できなくなり、それでは単なる熱伝導による「半熱風焙煎の味」になってしまいます。
ですので、もし「炭火焙煎」を名乗るお店で初めて珈琲を買う場合は、実物や写真で焙煎機のドラムの「開口率」を念入りに確認してから購入する必要があります。

実際、「鰻の炭火焼き」でも「炭火の焼き鳥」でも一流の店は絶対に「金網」を使いません。例え僅かでも赤外線を遮る金網は一切使わないのです。
炭火の出す赤外線を一切の遮蔽物無しで100%食材に浴びせるために、わざわざ「串」に挿して食材を焼く訳です。
そして、それでこそ本物の「炭火焼きの美味」が生まれるのです。

また、時折、炭火焼き珈琲の特徴は「豆の強い焦げ苦味にある」とか「炭の香りが加わる事にある」とか「スモーキーな燻製風になる」などと誤信している恐ろしいほど無知蒙昧な客もいたりするようですし、表面が黒光りするほど炭化した焦げ味の強い珈琲を「炭火焙煎風珈琲」とか「炭焼き調珈琲」などと意図的に紛らわしい呼称で売っている信じられない酷い店もあったりしますが、ここではそのような超低レベルな人や店は「この世に存在しない物」と仮定して話を進めたいと思います。

炭火焙煎から生まれる独特のまったりとしたコクと堂々とした重厚な飲み応えは、他の何物にも代え難い唯一無二の味であり、直火、半熱風、完全熱風に続く、「第四の味」と言えるほどに独特の個性を放つ美味しさです。
ただし、炭火焙煎は火加減の扱いが非常に面倒で難しいうえ、もし上手に焙煎が出来たとしても豆本来のネイキッドな香りや繊細な味の微妙な発露が抑えられ気味になり、特に「豆の個性」を際立たせて表現する事は、炭火による独特のコクや重厚な飲み口とのトレードオフの関係にあり、やや不得意です。

ですので、豆の個性をよりストレートに楽しむなら、やはり鮮明できめ細かい味の表現が得意な「ガス直火」が一番のお薦めです。
究極的に上手なガス直火ともなれば、珈琲豆の持つすべてのポテンシャルを100%力強く生かし、かつ、細かな味や香りのデリケートなニュアンスが隅々まで口中で立体的かつ鮮やかに展開されるような凄まじいまでの味の描写力があります。特にその豆が持つ「ネイキッドな味と香り」を際立たせて繊細に表現する力は他の焙煎法の追随を一切許さない、まさにガス直火の圧倒的な独壇場です。

なお、無知な珈琲初心者の中には「直火焙煎=重い味」と大きな勘違いをしている人も多いようですが、炭火とは異なり、本来のガス直火は決して重厚な味にはなりません。むしろ良い意味でスッキリとしてギュッと引き締まった「やせマッチョ」のような味になります。
非常に焙煎が下手な直火店の場合は、豆を強く焦がしたり、深く燻し過ぎたりしてしまい、「重苦しい嫌な燻焦味」の珈琲を出す店がありますが、そう言う珈琲店はそもそも論外です。
ガス直火を「重い味」と思っている人は、そう言う「論外な劣悪店」ばかりを飲み歩いている人なのでしょう。

むしろ、本当に極上のガス直火になると、必ず、明るくメリハリがあり、晴れやかで凛々しい感じの美味になります。味が鮮明で歯切れが良く、整然として繊細で、清澄な心地よい開放感にあふれた「冴え冴えとした美味」になるのです。

真に最高峰の「直火珈琲」は、ガス火でも、炭火でも、一口飲めば、即座に、明確に、はっきりと「違い」が判ります。まさに「珈琲の真の美味しさに開眼させられる」と言う感覚です。

香りは、漂うとか、香るとか、そんなレベルではなく、まさしく眼前で玉手箱を開いたかの如く「体が蕩けてしまいそうなほどの陶酔感と幸福感を招聘する香り」に全身が侵蝕され、クラクラとめまいがするほどです。

味は、「完全に解き放たれていてどこまでも無限に伸びて行く」、「鮮やかな味の輪郭線がめくるめく細かなグラデーションを奏で上げる」、「豆の個性がくっきりと美しく品良く隅々まで繊細に表現され尽くしている」などなど、はっきりと「もうこれ以上の世界はないな」と確信できる味です。

特にいつも思う事は、ガスでも炭火でも、「真に上手な直火焙煎は珈琲の味が全く閉じ篭らず、美しく完璧に解き放たれている」という事です。
この点が特に、半熱風や完全熱風では「一万年経っても永遠に無理」な点と感じられてしまいます。

また、良く仕上がった直火珈琲は「香りや味のピーク期間が非常に長い」事も特筆に値します。絶品の味がいつまでも保たれ、なかなか劣化しないのです。
完全熱風や半熱風の豆は、開封時にもし美味しいと思っても、一週間もしてから再度飲むと「あれ?同じ豆?」と思うほど香味が明らかに劣化してしまう事がほとんどです。
ところが、開封時に美味しいと思った直火珈琲は、一週間どころか一ヶ月位経っても開封時と同じように美味しいか、むしろ「開封時よりさらに何倍も美味しく成長している」事が少なくないのです。
どうやら「豆の細胞壁を壊さない理想の焙煎」は、直火式の独壇場のように思えてなりません。

真に「究極至高の直火珈琲」を飲めば、まさに僕がそうであったように、最初の一香り、最初の一口から、その「衝撃」はやって来ます。
そのたった一口、わずか10ccほどの液体が放つ香りと味の複雑さ、神秘さ、芳醇さ等々の衝撃に圧倒されてしまい、その珈琲豆の中に永劫の時を経て凝縮された「悠久の自己紹介ストーリー」が、舌の上でゆっくりと紐解かれ始めてから、めくるめく放出され終わり切るまで、少なくとも1分間はかかります。
その間、全ての思考が縛られてしまい、完全に意識が占領されてしまい、たったの一口が激震の如く舌を震えさせ、精神を揺さぶり、心を激しく動かし、ほぼ1分近くはまったく飲み込めないのです。
その最初の一口で、誰しもが心身ともに決定的に満足させられてしまい、しばらくの間は「放心」状態となり、ようやく我に返って二口目の口を付けるまで、少なくとも2~3分以上のインターバルが空くはずです。
そうして、その珈琲に魅入られるままに呼吸する事さえ忘れ、導かれるままに永遠の時をくぐり抜けたかの如くようやく飲み終われば、まさに茫然自失、ただただひたすら頭が下がり、ただただ顔色と言葉を失うのみ、なのです。
実際、飲み終えた後も、少なくとも10分以上は、その場を全く動けず、一つの言葉さえ発せない状態が続くはずです。

そんな、すべての珈琲マニアを一瞬で完璧に魅了し、全身全霊で決定的に満足させてくれる見事な焙煎を体験させられてしまうと、やはり「日本一の珈琲」を手に入れるには、これはもう、やはり、どうしても、絶対に「直火式」以外にはないと、改めて確信してしまうのです。

例えるなら、香味の抜けた熱風珈琲は「一円玉」です。
もし道端にお金が落ちていたとしても、それが一円玉なら、ほとんどの人は「何も感じずただ通り過ぎる」だけですし、もし拾ったとしても一時間も経たずに忘れてしまい、記憶にも全く残らず、その後の人生も「一切何も変わらない」訳です。
つまり、飲んでも、飲まなくても、「何一つ全く変わらない」、熱風珈琲は、その程度の珈琲だと言う事です。

しかし、真に極上の究極直火珈琲は、もしお金に例えるなら「一億円」です。
もし道端にお金が落ちていたとして、それが一億円の現金だったとしたなら、それを見つけた全員が、間違いなく「空前絶後の衝撃的な出来事に100%卒倒してしまう」はずです。その非日常的な桁外れの金額の大きさに、全ての思考が縛られ、完全に意識が占領され、しばしパニックになって動けなくなるはずです。
その後も一生涯決して忘れる事などあるはずがなく、いつまでも永遠に強烈に記憶に残り続け、その人の後の人生にも「絶大な影響」を与えてしまう大きな出来事になる訳です。

つまり、僕に言わせれば「真に美味しい究極の極上珈琲と出会う事」は、一億円の現金を目の当たりにし、それを拾うことと同じ位に、その人の生涯を通じて、決定的な影響力を持つ衝撃的な出来事になると言う事です。

実際、真に極上の直火珈琲は、飲めばその場でその凄さに衝撃を受けて言葉をなくす程の力がありますし、どれだけ時を経てもその珈琲の事がいつまでも決して頭から離れず、珈琲の奥の深さを延々と考え込まされてしまうものなのです。
当然、その一杯で完膚なきまでに満足させられてしまうものですし、しばらくは他の事にも一切意識が行かなくなり、むしろ、その余韻を楽しむために暫くは他のものを一切口にしたくなくなるものです。
決して本やテレビを見ながらとか、オシャベリをしながらとかの「ながら飲み」が出来るような安易なものでは絶対にありません。

ですから、一杯の珈琲を飲んで、もし「飲みやすい」とか「何杯でも飲めそう」と言う感想が出てしまったり、安易な「ながら飲み」が止まらないようなら、その珈琲は、100点法で言えば「5~10点未満」の珈琲なのであり、レベルで言えば「下の中」辺りに位置する珈琲なのであり、お金で言えば「五円玉を拾った」程度に該当する、酷く凡庸で非常に低レベルな極めて下層に位置する珈琲なのだと理解して下さい。




さて、あなたのお気に入りの自家焙煎店は「直火式」でしょうか?
もしあなたがネットのあちこちで派手な広告を出していたり、大手ショッピングサイトに出店している自家焙煎珈琲店から通販で買っている場合は「要注意」です。

そういう「商魂丸出し」のお店の中には、客を騙すテクニックに長けた非常に狡猾なお店もあります。
実際、きれいなイメージ写真を過剰に並べ立て、歯の浮くような美辞麗句でさんざん自店の珈琲へのこだわりを強調しておきながら、味を決定する上で一番重要な最大ファクターである「自店の焙煎機の方式」に一言も触れていないお店が少なくないのです。

珈琲マニアが泣いて喜びそうな「店主さんのこだわり」を切々と書いた長文を延々と小一時間ほども読まされたり、脚本家に考えさせたような「自店の誕生ストーリー」を大言壮語で語っていたり、いかにも善人風のやさしそうな笑顔や職人風の気難しい顔を装った店主の写真が繰り返し登場したりします。
しかし、それでいて焙煎機の情報は「一切非公開」だったりするのです。直火なのか、半熱風なのか、完全熱風なのか、一体どんな釜を使っているのかの情報が一切ない事に驚かざるを得ません。
ネット検索を色々と駆使して、他の一般客がブログなどで紹介したその店の焙煎機の情報を探り当てれば、そんなお店に限って当然のように「半熱風」や「完全熱風」だったりします。
「あ~あ、やっぱりね」と言う感じでガッカリ、まさに「正体見たり」という気分で、大きく落胆です。

これはもう、自店が「直火焙煎ではない」ことを意図的に隠しているとしか思えません。
もし本気で自店の熱風式珈琲に自信があるのならば、堂々とサイトのトップページに「熱風式焙煎機の店」と大きく書けるはずです。

それをせず派手な写真と美辞麗句だけで無知な客を煙に巻く…。
「いかに美味しい珈琲を出すか」ではなく、「羊頭狗肉」の狡猾なイメージ商法で「いかに客をダマすか」にばかり奔走する悪どい業者の何と多い事でしょうか。

もちろん、「珈琲は熱風焙煎が一番美味しい」と自信を持っているお店があっても大いに結構な事です。
しかし、その店主が、もし本当に本心から「熱風焙煎の珈琲が一番最高」と思っているのであれば、それこそ自店の最大セールスポイントその物のはずなのですから、店頭や看板やサイトの表紙に「当店は熱風式焙煎機です」「熱風焙煎機は究極最高の味です」と絶対に自分から書くはずです。これはもう「絶対に書くはず」なのです。

それなのに、果たしてなぜ一切表示せず、一体どうして一言も「熱風焙煎」と書かないのでしょうか?
もし「直火の味」を否定し、自店の「熱風の味」を絶賛するのであれば、こそこそせずに、その根拠や証拠をきちんと店頭やサイトで大々的に掲示し、ぜひ詳しく解説し見事に証明して納得させてみて欲しいものです。

自店が「熱風焙煎」である事を徹底して隠し通し、直火より熱風の方が美味しいという「根拠」や「証拠」や「統計」は一切まったく示さず(というか示せる訳がないのですが)、素人客相手だからどうせ焙煎方式による味の違いなど知らないだろうと高をくくり、何でも言った者勝ちだとばかりに、「黒を白だ」と強弁することは人として極めて恥ずかしい事です。

自店に都合の悪いことは全て徹底して隠し通し万一指摘されても一切認めようとしない非常識な困った店、言うこと成すこと全て捏造話と欺瞞だらけの大迷惑な店の珈琲など「全く飲むに値せず」である事は言うまでもありません。
珈琲業界の健全な発展のためにも、客を鴨としてしか見ず、無知な素人相手だからと大嘘を強弁し、絶賛の試飲感想を自作自演し、狡猾な偽計と大言壮語の虚説で塗り固めた劣悪珈琲を高く売りつけるタチの悪い店は、粛正され、駆逐され、淘汰され、一掃され、撲滅され、根絶やしにされるべきです。


「日本一おいしい珈琲探しの旅」で、最も一番大切な事は、まず何より一番最初に「直火式焙煎機の店」である事を必ず絶対に徹底して確認する事です。
ですのでWEBページを開いたら、何を置いても一番に「焙煎機の方式」を真っ先に確認して下さい。
逆に10分もWEBサイトを探しても焙煎機の紹介がどこにも見当たらないようなショップは、おそらく直火焙煎機ではない可能性が極めて大きいです。
そういうお店は他にどのような綺麗ごとが書かれていても全く期待薄です。

実際、多くの場合、そういうお店の珈琲はいずれもイマイチで、スーパーマーケットの大量生産品以下の珈琲を美辞麗句と大言壮語でまくし立て、5~6倍もの法外な価格で売っているだけでした。

一方で、そう言う業者の捏造した優良イメージをすっかり鵜呑みにしてしまったり、お店側のサクラが購入客を装って書いた典型的な煽りレビューにまんまと騙されている無知な半可通人が、世間にはあまりに多い事に驚かされます。
くれぐれも申し上げますが、悪徳珈琲店にとっては、半端な珈琲の知識と興味のある人間が、実は一番の「鴨」なのです。

なぜなら、珈琲にまったく興味のない人間は、いくら煽っても缶珈琲やインスタント珈琲、せいぜいスーパーマーケットの安い大量生産品の珈琲までしか飲みません。
しかし、変に半端な珈琲の知識と興味のある人間は、ちょっと煽ったり興味をくすぐったりしてあげれば、一般人から見れば到底信じられないような金額を即座に珈琲に使ってくれるからです。
それでいて味が判らないので「騙された事にさえ気が付かない」ため、後々のクレームやトラブルの心配もありません。

悪徳珈琲店にとってこんなに美味しい客はないのです。
マニアぶって「美味しい珈琲」を飲むはずが、自分が「美味しい客」になって店に呑まれてしまっているのです。

しかも味が判らない事自体は罪ではないですが、判ったつもりになって裸の王様よろしく「ここの珈琲はほんとに美味しい」などとブログや掲示板や口コミサイトなどに舞い上がって投稿を書いたりするのですから、こうなるともう本当に始末に負えません。
口先三寸で劣悪珈琲を高く売りつけている悪徳業者を糾弾するどころか、なんとも驚く事に、自ら進んでその「手先」になってしまうのです。

僕の仲間内では、そのような方々を「デコイ」と呼んでいます。
(Decoy=カモ猟等で他のカモをおびき寄せるオトリとして川辺に浮かせた実物大の模型の鳥)

そう言う「デコイさま」たちがよく使う表現として「雑味がなくすっきりクリアでスーッと飲みやすい」「胃にもたれず何杯でも飲める」「珈琲嫌いなのに初めてブラックで飲めた」などが目に付きます。
ですが、それこそがヘタクソな熱風焙煎の典型であり、珈琲の成分が抜け切った単に薄いだけのチープな珈琲の証拠なのです。どうして気付かないのでしょうか。
デガラシの麦茶のような極薄の珈琲なら、確かに「最後までブラックで飲める」「胃にもたれず何杯でも飲める」事でしょう。

味も香りもスカスカの酷い珈琲を「すっきりクリアで飲みやすい」と言い、珈琲成分の異常な薄さを「胃にもたれない」と言い、まったく味がない珈琲を「雑味がない」と言う人々。
真の珈琲愛飲家を相手にすれば非難轟轟となる事象を、すべて良い方向へ見事に勘違いしてくれる「脳内はお花畑が満開」のオメデタイ人々を前に、これでは悪徳な珈琲店から見れば笑いが止まらないはずです。

そして、そのようなデコイ様達の書いた「能天気な戯言」のせいで、それを読んだ次の「鴨2号」が、またその悪徳店で市場妥当価格の数倍で劣悪珈琲を買ってしまうという連鎖的なチェーン被害が次々に生じているのです。
実に恐ろしい事に、知らず知らずに加害者の片棒を担ぎ、悪徳珈琲店側に加担している現実に、早く気づいて止めて欲しいものです。それは「共犯」なのであり「許されない大罪」に該当します。
正直、「味の判らない人は珈琲を飲むな」とはもちろん言いませんが、「味の判らない人は珈琲を飲んでもネットには書込むな」とは言いたいです。

(それでも、大手ショッピングサイト等に出店しているワインショップ等のおぞましい極悪ダマシ催眠商法の凄まじさに比べれば、珈琲の世界のダマシなどまだ少しは可愛いものなのかも知れませんが。)

もちろん嗜好品ですから「熱風焙煎の珈琲が好き」と言う人がいても大いに結構な事です。
しかし、それはいわば真の食通を唸らせる「紀州備長炭で名人が一本ずつ丹念に焼いた焼き鳥」よりも、安物の大量生産工業食品である「工場のベルトコンベアの上で電熱器で焼かれた焼き鳥」の方が美味しいとか好きだとか言っているのと同じです。
もし万一「名人の備長炭焼き鳥」より「工場の電気焼き鳥」の方が美味しいと、本気で思っているのなら、その人は舌と脳が「幼稚園児以下のまま」なのだと思います。
真においしい物は「味の情報が非常に多い」のです。ですから大人でも「あまりにも非常に美味しい物」はたて続けにたくさん食べたり飲んだりする事ができません。それは舌や脳がその情報解析の量の多さに疲れてしまうからです。

これが幼稚園児になると、舌も脳もはるかに未発達なので、大人のさらに数倍も少ないわずかな味覚情報しか解析できません。無理に情報量の多い物を与えると、ちょうどプールの水を小さなコップに注ぐようなもので「器」(能力)的にオーバーヒートしてしまいます。
つまり、情報がギュッと詰まった「美味しい直火珈琲」より、情報がスカスカで「味がしない熱風珈琲」の方が好きだと言う人は、舌と脳の情報処理能力が低すぎる「幼稚園児以下のまま」の人である可能性が「極めて大」だと言う事です。
そう言う人は「直火珈琲の情報量の多さ」を受け入れる事が不可能なので、情報量の摩滅したプアでチープな熱風珈琲を「飲みやすい」と言って好んで選ぶのでしょう。
しかし、そんな「幼稚園児以下の人」がマニアぶって得意顔で珈琲を語る姿は、まさに「醜悪」以外の何物でもありません。

それに、そもそもとても不思議な事に、全く同じ熱風焙煎なのにデコイさま達は一様に大手珈琲企業の珈琲は低く評価したがり、個人の自家焙煎店は美味しいと思い込みたがるのです。
先入観という物は実に恐ろしいものです。僕などが飲めば大手珈琲企業の熱風珈琲と大差ない、いやむしろ大手珈琲の方が比較にならないほど美味しいとさえ思える個人熱風店が非常に多いのが真実です。
もし、まずい大手企業の珈琲があったとしたら、それは大手の珈琲だからまずいのではなく、「粉」に挽いてから半年も経った珈琲をスーパーマーケットで買う事が悪いのです。
デコイさま達が「味や物事の本質が一切判らない」「イメージだけで語っている」ことの何よりの動かぬ証拠です。

繰り返しになりますが、本当に美味しい珈琲は、飲めばその場でその凄さに衝撃を受けて言葉をなくす程の力がありますし、その珈琲の事が生涯決して忘れられず、珈琲の奥の深さを延々と考え込まされてしまうものです。
決して本やテレビを見ながらとか、オシャベリをしながらとかの「ながら飲み」が出来るような安易なものでは絶対にありません。
その一杯で完膚なきまでに満足させられてしまうものですし、むしろ余韻を楽しむために暫くは他のものを一切口にしたくなくなるものです。

もし「飲みやすい」とか「何杯でも飲めそう」と言う感想になってしまったり、安易な「ながら飲み」が止まらないようなら、その珈琲は100点法で言えば、「5~10点未満」程度の極めてレベルの低い珈琲なのだと理解して下さい。


珈琲もインターネットの普及で、怪しい魑魅魍魎が跋扈する危険な世界になってしまいました。
美味しさでホッと一息、安らぎのはずの珈琲が、お店の捏造した過剰な宣伝文や客を装ったサクラの煽りレビューに騙されたり、「デコイさま」の舞い上がった感想やうかれた投稿に左右されたりしては本当に不幸です。

悪徳な自家焙煎業者に騙されず、カモられず、誤ったネット情報に左右されず、デコイ連合への仲間入りをしない唯一の方法は、くれぐれも一番最初に「直火式焙煎機」のお店である事を絶対に確認することです。

それが日本一美味しい珈琲を見つけるための「はじめの第一歩」です。




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