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珈琲名店の九か条
前回、インターネット上の珈琲情報や試飲レビューは勘違いや錯覚や誤信に満ち、恐ろしいほど低レベルで著しく信憑性が低く、いくら検索しつぶさに読んでも、地雷を踏まされて痛い目に遭うだけで真に美味しい珈琲店はまったく探せないと書きました。

では、「日本一の珈琲店」を探すには、自分の足で日本列島を北から南まで一軒ずつしらみつぶしに訪問するしかないのかと言うと、実はそんな必要はまったくありません。
むしろ、ある程度の観察眼や分析能力のある人なら、長年、いろいろな珈琲店を飲み比べていると、美味しい優良な珈琲店には必ずある種の共通点がある事に自然と気づくはずです。
逆に、激マズの劣悪な珈琲店にもある種の共通項が存在する事実に必ず気づくはずです。

そこで、あくまで僕の経験と視点からですが、その真に美味しい珈琲店を高確率で探し当て、逆に最悪の激マズ店は事前に徹底回避するための重要なポイントを厳選整理したものとして、僕が考えた「珈琲名店の九カ条」をご参考までにここに書いてみたいと思います。
僕は気になる新店を見つけた時は、ネット上の他人の感想や意見は一切信用せずすべて無視し、必ずこの「九か条」だけに照らし合わせてよくチェックし、豆を購入するか否か慎重に決めています。

実際、以前はネット上の絶賛レビューやランキング上位の店ばかりを選んでいたため、「大嘘」「欺瞞」「寝言」「捏造」「虚栄」「妄想」「衆愚」などの被害に嫌と言うほど遭い続け、次々に地雷を踏まされ続けて、徹底して打ちのめされ、立ち直れないほどに完敗し、筆舌に尽くせぬ難儀をさせられてきましたが、苦心惨憺の末にこの「九箇条」を考案し厳守するようになって以降は、大きな間違いや被害は見事に激減し、今では新店でも70点以下の珈琲を買って泣きをみる事はほとんどなくなりました。

以下、少しでも皆さんの珈琲ライフのご参考になれば幸いです。


まずその《第一条》は、「必ず絶対に直火焙煎機のお店を選ぶべし」と言う事です。

その詳しい理由は、以前に「理想の珈琲の定義(1)」で書いて来ましたので、詳細は省略します。
要は、珈琲の焙煎機には大きく分けて「直火」「半熱風」「完全熱風」の三種類がある訳ですが、真に美味しい珈琲を飲みたいなら「直火」のお店以外では珈琲豆は絶対に買わない事です。「絶対に!」です。
なぜなら、買っても「全くの無駄」だからです。
ですので、もし初めて訪問するお店では、まず一番最初に「直火式焙煎機」であるか否かをくれぐれも必ず厳重に確認して下さい。

「熱風」による焙煎はその構造上、珈琲で一番大切な香味がスカスカになりがちなのですが、操作やメンテナンスがとても簡単で素人に毛が生えた程度の腕しかない店主でも楽に扱えるため人気があるのです。
しかし、どうしても味がイマイチになるため、「熱風」を使っている店(直火でない店)はその事を徹底して隠し通している場合が極めて多いのです。
ですから、もし万一焙煎機の型式が公開されておらず不明な場合は、「熱風」である確率が非常に高く、そのような店舗ではうかつに買わない方が良い事になります。

特に通販サイト等を隅から隅まで見ても自店の焙煎機の形式について解説がどこにもない店は極めて「要注意」です。他にどんなこだわりや立派な理想論が書かれていても、一切全く期待できません。
むしろ、「自店が熱風である事実を隠すため」に、他の色々なこだわりの虚説をまくし立てたり、購入客の絶賛の声を捏造したり、目に心地良いきれいな画像を並べ立てたり、夢想的な解説文やファンタジー風のイラストを掲載したりして、本来一番大切な「焙煎機の型式」から客の目を意図的にワザとそらそうとしている恐ろしい悪意と、忌むべき狡猾さ、憎悪すべき腹黒さを感じます。

実際、熱風焙煎であることが判明したお店に、「なぜ熱風焙煎にしたのか」と質問すると、ムッとして露骨に嫌な顔をしたり、途端に不機嫌になる店主さんが多いです。中には、必死の形相になってあれこれ言い訳を捲くし立てて来る店主さんもいます。
いわく、「直火式が良かったのは昔の話で、今は最新型の熱風式が一番優れている」とか、「珈琲文化の本場である欧米では熱風焙煎が主流であり、スペシャリティ豆との相性もいい」とか、「珈琲は嗜好品だから直火の味も熱風の味もそれぞれ良さがあり、人の好みに優劣は付けられない」などなどです。

しかし、何でも無理やりこじつければ、どんな事にも一見もっともらしい屁理屈は、いくらでも付けられるものなのです。
なにしろ「言論は自由」なのですから、意図的に真実を否定し真理をねじ曲げて、屁理屈を積み重ね詭弁を弄すれば、例えれば「紀州備長炭の直火で達人が焼いた鰻や焼き鳥」よりも「食品工場の電熱ヒーターで焼いた大量生産品の鰻や焼き鳥」の方がはるかに美味しいものである…などと、あらぬ主張をする事さえ可能でしょう。

実際に、悪徳な熱風珈琲店の店主の話は「風が吹けば桶屋が儲かる」タイプの無根拠の詭弁だらけです。
「半熱風だから○○○○が可能で完璧な焙煎になる」だとか、「完全熱風だから△△△△のない理想の美味に仕上る」だとか、「直火は□□□□の影響を受け易くて駄目である」だとかなどなど、その「原因」と「結果」の因果関係が全く不透明なまま、一切の実証や統計的検証もないまま、ただただ「言った者勝ち」的に自店の珈琲スタイルだけを一方的に「正当化」「有利化」「完璧化」しようとする無根拠で低レベルな「自画自賛」の作り話ばかりです。
現実に、「熱風焙煎店」の店主にはそういう卑怯で下劣な論法をゴリ押しして自店に有利な結論へ誘導したり不正な世論操作をしている撲滅されるべきヤカラが恐ろしいほど多いです。
店主があまりにも自信満々の真顔で言うので無知な珈琲初心者などはその「迫真の演技」にコロリと騙されてしまうのかも知れませんが、その屁理屈や強弁の論拠は単に「風が吹けば桶屋が儲かる」レベルの与太話である事に早く気付いて欲しいものです。

もちろん、珈琲は嗜好品ですから、純粋に本心から「珈琲は熱風焙煎が一番美味しい」と本当に自信を持って信じているお店があっても大いに結構な事です。
ですが、しかし、それなら、果たしてなぜ、一体どうして、熱風式焙煎店の店主は自店の店頭やWebサイト表紙に「当店は熱風式焙煎機の店です!」と堂々と大きく表示しないのでしょうか?
僕はこれだけ様々な珈琲店を回っていても、熱風焙煎店が、店頭やWeb表紙に堂々と「熱風式焙煎の店」と大きく表示しているのを一度も見た事がありません。
その店主が、もし本当に本心から「熱風焙煎の珈琲が一番最高」と思っているのであれば、それこそ自店の最大セールスポイントその物のはずなのですから、店頭や看板やサイトの表紙に「当店は熱風式焙煎機です」「熱風式焙煎なので一番最高の美味を出せます」と自分から進んで書くはずです。
これはもう当然に「絶対に書くはず」なのです。

実際に、直火式焙煎の店は、本心から直火の味に絶対の自信があるがゆえに、ほぼ必ず「直火焙煎の店」と店頭やWeb表紙で堂々と大きく目立つように表示しています。
つまり、「熱風焙煎」と言う表示をどこにも一切せず、むしろ自店が「熱風焙煎」である事実に一切触れようとせず、徹底して巧妙に隠し通している事自体が、「実は熱風式で焙煎すると味も香りもスカスカに薄くなり、真に美味しい珈琲は絶対に作れない」という店主さんの本心を赤裸々に代弁している何よりの動かぬ証拠なのです。

そんな、自分で「熱風焙煎である事実」を必死になって隠している店が、その事を指摘されるやいなや、とたんに逆ギレして「珈琲は熱風式が一番なのです!」などとどんなに熱く語っても説得力などまるであるはずがありません。
そんな卑怯な「二枚舌」人間がどんなに高尚な理論や理屈を述べても、全く馬鹿らしく虚しい詭弁や卑劣な言い訳にしかならない事は、小さな子供でも判る事です。
しかも、一層さらに最悪な店になると、その二枚舌に輪をかけて、本当は隠れて熱風焙煎機を使っているのに、表向きには「当店は直火焙煎です」などと大嘘を公言している最悪最凶欺瞞店も実在します。

現実に僕の過去の経験でも、とある珈琲店で焙煎機が奥に隠れて見えないため「直火ですか?」と尋ねたら、店主自らが「うちは直火です!」「熱風はダメですよねー」などと言うので豆を買って帰ったのですが、家で袋を開けたら、もろに典型的な無機質で無表情な「熱風特有の豆面」で、「やられた」と思いガッカリ、実際に飲んでみても完全に典型的な風味スカスカの超激マズの「熱風珈琲」で…臆面もなく意図的な「大嘘」を平然と付く悪質な故意犯の人非人店主に怒り心頭でした。

しかも、あろう事かその悪鬼の如きクズ店では、豆リストに「イエメンモカ」とあったので、それを買ったのですが、割と貴重なイエメン産のモカにしては値段が妙に安いうえ、全ての珈琲豆は奥に隠され実物をチェックできないようになっており不審に思い、念のため「これはエチオピア産モカではなく、イエメン産のモカなのですね?」と確認したところ、「はい、イエメンのモカですよ。」と変にわざとらしいポーカーフェイスでの回答。
しかし、過去に何種類ものイエメンモカの生豆を無数にハンドピックし自宅焙煎して来た僕の眼から見れば、自宅で袋から開けて見たその豆は、100%間違いなく「安いエチオピア産のモカ」とひと目で判る「酷いニセモノ」でした。

そもそもイエメン産なら精製方法が「ナチュラル」のはずなのに、その豆はどう見ても「ウォッシュド」(エチオピア産の精製方法)仕上げであり、イエメンモカなら必ず混じる割れ豆も一粒も全くなく、豆の形も面もツルリときれいすぎ、粒度もスクリーン選別された異様に均一過ぎるもの…恐らくはエチオピアモカでもありふれた安いイルガチェフェのG2あたりを、「うちに来る客なんて無知で馬鹿ばっかり、そんな低能どもにイエメンモカとエチオピアモカの違いなど一切判る訳がないんだよ」と客を大馬鹿にして、臆面も無く「高級イエメンモカ」と偽装して販売していたのでしょう。
まさに悪鬼の如きクズ店、いやはや果たして一体どこまで客を徹底して騙し大嘘を付けば気が済むのでしょうか。

また、ネットのあちこちに、異常に大量に、異様に執拗に「大量の捏造広告」をしつこく出しまくっている、客の心理を操る事に恐ろしいほど長けた憎悪すべき宣伝上手さと、非常識で恥知らずな赤面ものの自画自賛ぶりで、ある意味とても有名な「某店」など、サイトのどこを見ても焙煎機の型式を一切明言していない一方で、あざとくもサイトでは直火風のドラム型焙煎機の写真を確信犯的にわざと「オトリ」的にこれみよがしに載せているのです。
ですが、僕が実際に買って届いた物は、これまた当然の如く典型的なインスタント式の「急速型熱風焙煎機」による嫌になるほど超簡易構造のチープな味のゴミ珈琲であり、まさに「この世の終わり」と思えるほどに、最低最悪の風味スカスカの超激マズのクズ珈琲でした。
実際には使いもしない直火風焙煎機の写真を意図的に「オトリ」として掲載し、見た客にわざと誤解させて注文させ、実際には裏で隠れてインスタント焙煎したクズ豆を送り付ける、まさに人の思い込みや錯覚を狡猾に悪用する極めて悪質な「錯覚商法」の典型であり、やっている事は完全に故意犯の汚い「ダマシ狩り」なのです。
ネット上の熱心な大量の捏造広告は「一網打尽の恐怖の罠」を仕掛けるためだけに出している事実をしっかりと理解&念入りに認識し、くれぐれも「君子危うきに近寄らず」のスタンスで聡明なる行動をして下さい。

そもそも「100gとか200gなどの極少量を客の指定したロースト度に焙煎して届ける」という「オーダー型少量焙煎の店」は、一回の焙煎をたった3~4分で終わらせるインスタントチックな「急速型熱風焙煎機」(生豆を入れたガラス容器などの下から熱風が吹き出て豆を踊らせるようにして3~4分で急速焙煎するタイプ)がほとんどです。
そういうインスタント焙煎は、飲んでも全く「味がしない」最低最悪のクズ珈琲ですので、真の珈琲マニアにとってはまさに「鬼門」そのもの、一番の要注意です。

しかも、現実問題として一層深刻でさらに最悪な事は、世にあふれる「自称珈琲マニア」や「似非珈琲マニア」の99.99%は、このようなあからさまな詐欺販売の典型ケースであってさえも、詐欺広告や店主の大嘘、メニューの詐称など全く見抜けず、偽の広告や嘘の解説文をそっくり全て鵜呑みにしたまま、「やはり直火のイエメンモカは最高に美味しい!!」とか「金属製のドラム型焙煎機はガラス製の熱風焙煎より10倍美味しい!!」だなどと、大得意のしたり顔でネットに書き込んだりしているのですから、いやはや何とも極めて嘆かわしい現実です。
つまり、仮にも「珈琲マニア」の端くれを名乗るなら、本来であればそれら超有害な大嘘欺瞞珈琲屋の悪質詐欺商法を厳しくチェックし常にパトロールし、発見次第、ネット上に暴露して大いに糾弾すべき立場であるはずなのに、現実は珈琲の事を何も知らず何も判らないため、それら悪質詐欺店をむしろネット上で大絶賛し完全肯定してしまうという「真逆」の愚行に走り、あろうことか腹黒詐欺珈琲屋の「手下」、「走狗」、「傀儡」、「回し者」、「共犯者」と化してしまっている恐ろしい現実にあるという事です。

くれぐれも念を押してもう一度申し上げますが、「直火焙煎」のお店以外では珈琲豆は絶対に買わない事です。
スーパーマーケットの棚に並んでいる珈琲豆の99.99%は、手っ取り早く安直な「熱風焙煎」です。味よりも焙煎の簡単さやスピードの速さ、手間の省略や製造コストの安上りさを最優先しているのです。
そんなスーパーマーケットの品とは違う美味しい絶品珈琲豆を求めてわざわざ個人の珈琲専門店へ行ったはずなのに、その個人珈琲専門店でも知らないうちにまた同じ「熱風焙煎」の豆を買わされたのでは、あまりにも大馬鹿過ぎて、度を超して愚か過ぎて、全く笑い話にもなりません。
まず何よりも、美味しい珈琲は「直火に始まり直火に終わる」、絶対にこの一言を常に忘れず大切に頭の片隅に置いて下さい。

なお、一口に「直火型」と言っても、焙煎機のメーカーや釜サイズによっても味がかなり異なります。なぜなら同じ「直火型」でも、釜の設計や容量や素材類は全く異なるのですから当たり前の事です。
ですから自分が「すごく美味しい」と思ったお店の焙煎機のメーカーと型番を良く覚えておき、後はその同じ釜を使っている他のお店を探して飲み歩くようにすれば、非常に効率良く「自分にとって理想の焙煎店」を探せると思います。

実際に、僕の場合は「某メーカーの某Kgの焙煎機」(もちろん直火型)が作り出す香味が、自分が理想とする珈琲の香味と極めて良く一致する確率が非常に高いことに、二年位前に気付きました。
その「理想の焙煎機の型式」を把握し確信したお陰で、その後は、悪徳店の大言壮語や美辞麗句の誇大広告や煽り文に惑わされる事も一切なくなり、今ではお店選びでの大失敗もすっかり激減しています。

要は、真に美味しい珈琲店を探す一番のコツは、その奥義の第一条は、大げさに捏造された馬鹿らしい偽計広告や店主の狡猾な営業トークはすべて無視し完璧に捨象し、まず何より最初に絶対に「焙煎機の型式で選ぶべし」(もちろん直火型)と言う事です。

結論として、今後、焙煎方式を公表していない初めてのお店へ入る場合は、まず真っ先に、イの一番に、店中に響き渡るような大きな声で「直火ですか?」と店主さんへ必ず尋ねて下さい。「必ず!」です。
その際に、直火を「じかび」と言わず、プロ同士の符丁である「ちょっか」と言うと良いと思います。
通販の場合も、焙煎方式を明記していないお店に対しては、事前にメールで「直火か?熱風か?」を必ず質問して下さい。「必ず!」です。
そして、皆で得たそれら各店の「焙煎機情報」をネット上の掲示板やブログなどへどんどん投稿し、日本中の自家焙煎店の「直火店」と「それ以外」の区別が明らかになり、皆で共有し合えるようになれば、まさにこれ以上の理想世界はないでしょう。



《第二条》としては、「焙煎度や商品が幅広く揃い、定番ブレンドを出す店を選ぶべし」と言う事です。

まず、ストレート銘柄は最低でも常時10種類以上は存在し、そのラインナップも「浅煎り」「中煎り」「深煎り」と満遍なく幅広く揃い、豆の産地も中南米、アジア、アフリカ、カリブ、その他と一通りセレクトされ、価格帯も安い物~高い物まで幅広く揃っているお店を選ぶと良いと言う事です。
逆にストレート銘柄が少なく常に3~4種類しか置いていない店とか、「すべて浅煎りの店」とか「オール深煎り専門店」という店や、特定の産地の豆だけとか、やたらと高い豆だけしか扱っていない店は、僕の過去の経験からは良いイメージはありません。実際に、そういう店で買った珈琲で「リピート」した経験は過去全く一度もありません。

実際、僕の過去の経験からは、「真に美味しい珈琲店」になればなるほど懐が深く広くなる傾向があり、珈琲豆の産地や価格帯もいろいろと均等に揃い、そして焙煎度合いについてもおかしな偏執や一方向への特化などは一切していなかったです。
逆に、扱っている豆が「ある傾向に強く偏っている」、「商品数が極端に少ない」、「焙煎度の幅が非常に狭い」などのお店は期待薄です。そのような店で真に美味しい珈琲に当たった経験はほとんどありません。

そもそも、もし店主が日々真剣に珈琲道に邁進し、本心から究極の珈琲を創造したいと渇望する熱い気概がある人なのであれば、湧き上がる知識欲や成長欲、あふれ出る探究心や向上心が抑えきれず、必ずや世界中の豆をありとあらゆる方法で焼いてみたくなるはずなのです。
その熱き情熱の発露として、店内には常に10種類位のストレート珈琲がラインナップされる結果になっていることが多いという事です。
ですから、もしストレート銘柄が3~4種類ほどしか置いていない店は、様々な豆を焼く「腕がない」、「経験がない」、「自信がない」、そして何より「売れていない」からロスが出るのが怖くて手が広げられず、現状維持しか頭にないこじんまりと萎縮した駄店である可能性が極めて大だと思います。

また、「特定の産地の豆だけ」の店は珈琲店がやりたいと言うよりも単に産地にコネがあり激安で仕入れが可能なので店を始めただけというようなケースが多かったり、もっとひどいケースでは「超悪質なコーヒー詐欺」が強く疑われるものも、決して少なくありません。ヘタすれば超悪質な詐欺に資金提供し、大いに加担することになり、非常に危険&迷惑です。
また、「やたらと高い豆だけ」しか扱っていない店は、これはもう、もろに「金儲けだけが目的」である蓋然性が極めて強く疑われます。特に市場価格があまりにも不透明なマイナー豆だけを好んで扱っている会社は、これはもう、非常に危険、極めて要注意です。
いずれも味に関しては、あまりにも当然の如く、珈琲の焙煎技術は素人に毛が生えたレベルの品ばかりでした。そもそも開店の動機からして「味」が目的で始めた訳ではないとすれば、極めて当然の帰結でしょう。

なお、ロースト度の偏りをチェックする際には、合わせて豆の銘柄毎にベストのロースト度になっている事をよく確認する事です。
例えればカリブ系の豆なら、これはもう絶対に「浅煎り」になっているべきですし、逆にマンデリン等の豆なら「深煎り」でこそ実力を出すと思います。これはもう好みや個性の問題ではなく、珈琲焙煎の「摂理」であり「真理」なのです。
しかし、極まれに店によっては「変わった事をして目立ちたい」とか「タブーを打破してこそ進歩」とか、大きな勘違いをして明らかに不適切な焙煎度にローストした豆を売っている店があったりするのです。
そういう店は「個性の創造」と「無知の妄動」とは全くの別物と言う事が理解できていないのかも知れません。
いずれにしても「王道を外れた店にうまい店なし」と言うのが僕の持論です。

なお、すべての豆を「中煎り」にしている店などもあります。
一見するとその中庸さに、「これぞ王道の店か?」などと大きな勘違いをする初心者も居そうですが、しかし、実はこの「すべて中煎りの店」こそが最も要注意で一番最悪なのです。
僕の経験から言うと、焙煎は「中煎り」が一番簡単で、一番失敗が少ないのです。
中煎りに比較すると、「浅煎り」や「深煎り」は一気に難しくなり、遥かに失敗しやすく、如実に腕の差がはっきりと明確に出ます。
おそらくそのような店は、店主にろくな腕がないため、それぞれの豆の個性を生かしたりそれぞれの豆の魅力を引き出すローストの段階まで行っておらず、すべて一番簡単で無難な「中煎り」にしてしまっているのでしょう。

「美味しい中煎り」は焙煎初心者でも割と簡単に作れますが、「美味しい浅煎り」や「美味しい深煎り」を作る事は想像している数十倍は難しいと思って間違いありません。真に優れた技術、豊富な経験、恵まれた才能等がないと、「浅煎り」や「深煎り」は美味しく仕上げる事は絶対に不可能なのです。
そして「中煎り」は少しくらい焙煎が下手でも吐き出すほどマズくなる事は少ないですが、「浅煎り」や「深煎り」は下手な店主が焼くと一切容赦なく全く飲めない位に徹底して激マズになります。
ですから素人に毛が生えた程度の凡人店主は怖くて「浅煎り」や「深煎り」に手が出せず、すべて無難な「中煎り」に焼いてしまうのです。

つまり、その店主は「馬鹿の一つ覚え」の同じ焼き方しかできず、しかも一番簡単な焼き方しかできない人なのです。
特にマンデリンやイエメンモカ、カリブ系の豆を「中煎り」にしているような店は、店主は珈琲の事が何も判っていない可能性が非常に高く、絶対に避けるべきです。
店主本人は、自分が豆の持つそれぞれの個性をすべて無視し、すべて同一の「無難な中煎り」に焼いている事実を認めたくないため、ほんの僅かに「浅」「深」の変化を付けているつもりだったりするようですが、第三者から見ればそんな違いはまさに「誤差」の範囲であり、誰が見てもすべて一番簡単な「中煎り」に焼いてしまっているのは明らかな事実です。
もしそれを頑として認めようとしないなら、大嘘つきの悪徳欺瞞店リストに入るしかありません。

ですから、僕は初訪問の店で最初に飲む一杯は、比較的腕の差が出にくい「中煎り」ではなく、腕の差が如実に歴然として表れる「浅煎り」か「深煎り」の珈琲を飲むようにしています。
皆さんも初めての自家焙煎店で珈琲を飲むもしくは購入する場合は、是非「浅煎り」か「深煎り」から試してみるべきです。
できれば「浅」と「深」の両方を飲んで、もし両方共が「どちらも捨てがたいほど美味しい」、「いずれも絶品で甲乙つけられない」お店であれば、まさしくその自家焙煎店こそが「国内最高峰の焙煎マイスター」のいる稀代の名店そのものと言う事になります。
そう言う意味では、「浅煎り」も「深煎り」も置いておらず、「中煎り」だけしか置いていない店は、そもそも飲む前から既にまったく期待できない事になります。

一般的に焙煎度の「浅」「深」はライトローストからイタリアンローストまでの「8段階」程度に分類されますが、「真のプロ自家焙煎店」を名乗るなら、このうち、少なくともせめて「5段階以上」、欲を言えば「6段階以上」の焙煎度に豆を焼き分けられる「腕」や「センス」が欲しいところです。

ですので、自家焙煎店に入ったら、まずは真っ先に棚にズラリと並べられた珈琲豆の「豆の色」を端から端までよくチェックすることです。実際に、一見してこれほどに「焙煎度による豆色の違い」は大きいものですので、そのお店では果たして「何種類のロースト度」の豆が売られているのか正確に数えてみましょう。
焙煎豆の色の数が多い(焙煎の得意範囲が広い)店ほど、「焙煎による自由自在の味作り」という極めて高度な領域に到達しているお店であり、これこそ、ズバリ「焙煎の達人」=「真に珈琲の美味しい優良店」の証明そのものです。

逆に、もしも全ての豆がどれも大差ない「同じような焼き色」に見えて、しかも中間色の「中煎り」の色をしているなら、店内にどんな「こだわり」や「プロ宣言」が書かれていても、そのまま即Uターンして一切何も見ず何も買わずにお店から出てしまう事が「吉」です。
通販の場合も全く同じです。珈琲通販サイトの商品ページを開いたら、まず真っ先に各商品の写真をチェックし「豆の色」(焙煎度)をよく見比べてみて下さい。これまた全て「同じような中煎りの色」をしていたら、他にどのような良い事が書かれていてもその店では一切買わない事を強くお薦めします。

「焙煎豆の色数の少なさ」は、そっくりそのまま「そのお店の焙煎力の無さ」を表していると覚えて下さい。
また、ここで特に注意すべきはそう言う焙煎の無能店に限って、「何より生豆の質が一番大事」、「珈琲の味は生豆で9割が決まる」、「スペシャリティ以外の豆はダメ」等の虚説偽計を強く主張し、珈琲の味を決定する最大ファクターである「焙煎によるクリエイティブな味作り」から意図的・恣意的にワザと客の眼を逸らそうとする腹黒く邪心な悪徳欺瞞店が非常に多いと言う事です。

それは、まるで「最高品質の “絵の具” さえ手に入れれば、誰でも最高の絵画が描ける」と言っているのと全く同じ事です。
それでは、人を感動させる芸術やモノ作りにおいて、良い材料さえ揃えたら、後は作り手の「才能」や「能力」、「努力」や「修行」などほとんど不要と言う事になってしまいます。
こんな赤面モノの寝言・虚説・大嘘は、今までずっと「才能」や「能力」とも一切無縁のまま、常に「努力」や「修行」からも逃げ回り続けて来た、どんな嘘でも平然と吐く腹黒い悪徳珈琲業者が必死に考え出した幼稚で卑怯な奸計・欺騙である事は、もう言うまでもなく皆さんお判りでしょう。

ちなみに、美味しい珈琲作りにとって「焙煎が最大ファクター」と言うと、それらの腹黒悪徳珈琲業者が反論のためにいつも大得意になって使う馬鹿の一つ覚えの台詞が、「どんな上手な焙煎でも生豆の持ち味以上の美味しさは引き出せない」や「焙煎は生豆の持つ香味や魅力を最大限に生かすための工程に過ぎない」と言うお決まりの詭弁です。
しかし、それは自分達が少なくとも生豆の持ち味の80~90%を常に引き出す事ができるような高度な焙煎を完全にマスターしてから言うべき台詞です。

そもそも、どんな豆も馬鹿の一つ覚えの「同じ焼き方」しかできず、しかも「最も簡単な中煎り」に焼く事しかできない極低レベルな初級自家焙煎店が、焙煎で「生豆の持ち味を全て引き出せている」とは到底全く一切思えません。その中でも特に「完全熱風」や「半熱風」の焙煎機を使っている店は生豆の持つポテンシャルの10~20%程度しか味を引き出せていないと思う店が殆どです。
さらに、高級で高価なオークションロットや高品質なスペシャリティ豆になればなるほど香味のポテンシャルも一層増しますので、それらから100%全ての持ち味を引き出す事は容易ではなく、当然そのための「さらに一層超高度な焙煎技術」が要求されることになります。

この事は「カーレース」等を例に上げればとても分かり易いと思います。
カーレースで勝つためにどうすれば良いか、まず最初に誰でも思いつくことは「超高性能車」を手に入れてレースに参加することでしょう。
カローラやプリウス等の大衆車でレースに参加するよりも、フェラーリやランボルギーニ、ポルシェやGTRなどの超高性能車の方が圧倒的に有利なポテンシャルを持つことは明白です。

しかし、それらの超高性能車を操縦するのはあくまで「人間の仕事」なのです。
現実に、素人に毛が生えた程度の腕しか無いドライバーが、サーキットでフェラーリやランボルギーニと言う「素材」に乗ったところで、その全ポテンシャルの「20~30%」も引き出せないでしょう。
実際に、素人に毛が生えた程度のドライバーが操縦する数千万円のフェラーリよりも、一握りのトップクラスのプロドライバーが運転する「その半分の馬力の車」の方がサーキット走行のラップタイムは「遥かに速い」「大差で圧勝」すると思います。

要はサーキットでフェラーリやランボルギーニ、ポルシェやGTR等の超高性能を「100%」全て引き出せる並外れたドライブテクニックと数多のレースキャリアを持つ「真のプロドライバー」が操縦をしてこそ「超高性能車」が意味を持つのです。
おそらく日本のプロドライバー業界でもトップクラスの一握り、数えるほどの人しかいないでしょう。

この点、珈琲業界も全く同じなのです。
実際、僕がこれだけ全国規模で自家焙煎珈琲店を巡り、さらには通販も駆使して無数の自家焙煎珈琲を飲み続けても、珈琲豆の持ち味を限りなく「100%」近くまで引き出していると敬服する「名人級の自家焙煎珈琲店」などほんの極一握り、僅かにたった「1%」存在するかしないかと言うところです。
逆に、僕の現実の経験からはスペシャリティ、スペシャリティと盛んに喧伝する自家焙煎業者のうち、そのご自慢のスペシャリティ生豆の持つ全持ち味の僅か20%以下しか引き出せていないと感じる極低レベルな焙煎しかできない店が間違いなく全体の80%以上にも達する「酷い惨状」にあると痛感しています。
そんな極低レベル焙煎しか出来ない初級自家焙煎店に、どれだけ「最高品質の生豆」を与えたところで、これぞまさに「猫に小判」「豚に真珠」であるのは言を待たないでしょう。

そもそも、時折、テレビの特番などで目にするとおり、トップクラスのプロドライバーが操縦すると、カローラなどの普通の大衆車(素材)でも、まるで魔法でも見ているかのような異次元の物凄い走りをするのです。
つまり一般ドライバーは大衆車でさえ普段そのポテンシャルの40%も生かせていないのが「現実」なのです。
珈琲焙煎も全く同じです、焙煎下手の珈琲業者は同様に安いコマーシャル豆でさえそのポテンシャルの30%も生かせていないのが「現実」だと思います。

要は、普及グレードの豆でも「焙煎の腕」次第で「大きく化ける」余地はまだまだ大いにあり、また、超最高グレードの生豆の持ち味を「全て100%生かす」には焙煎業界でもトップクラスの極一握り、日本で数人ほどの「神域の焙煎名人」が手掛ける事が絶対の必須条件だと言う事です。

ちなみに、なぜ、焙煎下手の悪徳珈琲業者が馬鹿の一つ覚えで「何より生豆の質が一番大事」、「珈琲の味は生豆で9割が決まる」、「スペシャリティ以外の豆はダメ」と、異様に執拗に強弁し続けるのかと言えば、答えは一つです。
珈琲の三大要素「生豆」「焙煎」「抽出」のうち、どの店でも客層の大部分を占める無知な一般大衆に向けた拡販戦略に超最適な要素こそが、実は「生豆」なのです。
それら珈琲の味が一切判らない一般大衆(もちろん自称珈琲マニアを含む)は「ブランドの御威光に非常に弱い」「活字の情報を全て鵜呑みにする」「ランク順位や受賞歴を異様にありがたがる」「肩書やラベルでコロリと洗脳できる」と言う特徴や習性があります。
そして悪徳珈琲業者は、それら一般大衆の特徴や習性を過去の営業経験から非常によく熟知しているのです。
その結果として編み出した戦略が、「ただの平凡な生豆の産地や農園をむりやり強引にブランド化」し、「ほぼ無味無臭の劣悪豆の香味をオーバーに捏造して活字化」し、「仲間内で集まって生豆のランキングや受賞歴を自作自演」し、「店頭の商品に生豆の産地や生産者の輝かしい肩書や蘊蓄を書いたラベルを貼り付けまくる」と言う戦略なのです。
そして最後の最後に、客を真正面からじっと見据えたうえで、「珈琲は何より生豆の質が一番大事なのです」、「珈琲の味は生豆で9割が決まるのです」、「当店の生豆は世界中から集めた最高グレードのスペシャリティ豆ばかりです」、「買われた方は皆さん全員が必ず美味しいとおっしゃいます」と真顔(迫真の演技)で熱く語りかけると、なぜかほとんどの客が「催眠術」にかかったかの如く、自店の劣悪珈琲と引き換えに財布を開いて有り金すべてを差し出してくれる事が連続して起こるようになり、自分達でもその絶大な効果に驚くとともに、事ここに至り、いよいよ満を持して「この商法に完全特化」するようになった訳です。

一方、本来なら珈琲の美味創りにおいて最も重要なはずの「焙煎」と言うファクターにおいては、「焙煎機の仕組み」、「直火と熱風の味の違い」などは一般素人客には全く知られていない世界ですし、「焙煎の原価」や「技術の高低」なども目に見えず、ランキング化できず、解説しにくく、極めて曖昧で不明朗な物です。
そのうえ、どのような絶品珈琲を「その場で試飲」させてみても、一般大衆は「味が一切判らない」ため、あやふやな反応に終始するばかり。
さすがにこれでは、どのような「超絶技術の焙煎名人」や「屈指の焙煎マイスター」であっても、その「焙煎の真の凄さ」や「焙煎の真の役割」を一般大衆に対しては正確にアピールする事が非常に難しいのです。

そこで、まさに「このポイント」に悪どくも「目を付けた」のが焙煎下手の悪徳珈琲業者達であるわけです。
彼らは「珈琲の味は生豆がすべて」をスローガンに掲げ、ここぞとばかりに大々的にPR、客の無知さと虚栄心に大いに付け込んだ誇大広告で「スペシャリティ神話=奇跡の生豆伝説」を捏造しまくり、偽計や虚説を駆使して生豆の「産地」や「農園」を次々にブランド化し、遂にはフルーツや花のフレーバー等の「架空の香味」を売り文句にした豆まで誕生させ、必死に「生豆の差別化」「生豆のブランド化」を進める事で、「すでに生豆は品種改良や栽培研究によりここまで進化・多様化している」、したがって「今後、珈琲の味は生豆で9割が決まる、既に1割以下にまで比重の低下した焙煎や抽出はもう無視していい」と言う雰囲気に、珈琲業界の潮流を何が何でも全力で持って行きたくて仕方がないのです。

しかし、現実の姿は珈琲の「品種改良」とは全くの名ばかりの大嘘であり、むしろ実は美味の面からは酷い「改悪」をしているのです。
以前に「理想の珈琲の定義(2)」でも書いた通り、非常に美味しいが病気に弱く低収穫のティピカ等の伝統品種を、三流味のロブスタと無理やり交配して病気に強く改造したり、やたらと豆が沢山採れるが酷い薄味になる多産型に改造しただけで、現実は何とも迷惑なことに、「新品種」=「マズイ多産品種」をあれこれ開発しただけなのです。
それを、品種「改良」だなどと、さも「今までより遥かに美味しい豆を開発した」かの如く、客にわざと錯覚させる狡猾な言い方をしているだけなのです。

また、「栽培研究」も全くの名ばかりで、これまた美味しい豆作りの研究では一切なく、美味しいけれど収穫がやりにくい山間部の品種をむりやり平地で育つようにした「平地」品種、美味しいけれど高く育つ品種をむりやり低くして機械で収穫しやすくした「低木」品種、美味しいけれどシェードツリーが必要な品種をむりやり日陰不要にした「日向性」品種等々、味の改良ではなく、ただただ人間の都合で「栽培が簡単なうえ機械収穫し易くなるよう無理な改造をしただけの品種」なのです。
そもそも、本来、大昔から全ての作物には生育に最適な天与の気候や土壌や環境という物が決まっているのです。それを人間の都合でむりやり生育環境を激変悪化させれば、もし何とかギリギリ育つことは育ったとしても、そんな作物が美味しい実を付ける訳が一切ありません。少しでも農業や農法に詳しい方なら「超常識」のことです。

ですから「品種改良や栽培研究により味が進化・多様化した」などという厚顔無恥なセールストークは邪心に満ちた「悪質な大嘘」です。一般大衆客を騙して財布を開けさせるための「おぞましき狡猾な奸計」なのです。決して騙されてはなりません。

要は、これらは全て彼らが必死に編み出した「自作自演の下卑た謀略」に過ぎません。
本来であれば自家「焙煎」珈琲業界では決定的に致命傷の「焙煎技術が全くダメ」「焙煎がいつまでも下手」である自分達の弱点を隠蔽し、自店を何とかして延命させ、必死に正当化させ、あわよくば業界競争において優位にさえ立とうとして編み出した幼稚な謀略であり、彼らは自店への集客と利益誘導のためだけに、美味しい珈琲を作るためには「何が一番大切なのか」から意図的に客の目をそらせ、珈琲作りの真実を泥靴で踏みにじるとともに、単に自店に有利に捏造した虚説・偽計を恥知らずにも日夜あちこちで強弁しているだけなのです。

くれぐれも繰り返しますが、「焙煎による高度にクリエィティブな味作り」こそが美味珈琲創造における間違いなく「最大のファクター」なのです。
まず店主に「浅・中・深の全てを美味しく完璧にローストできる高度な焙煎技術」があってこそ、初めて生豆のクオリティが生かせるのです。

例えれば、イエメン・モカなどは焙煎度により「味が大きく七変化」するとても魅力的な豆です。
実際にあちこちの自家焙煎店でイエメン・モカを飲んで来ましたが、ほとんどの店が「中煎り」に焼いています。それらの中で極まれに、とてもよく出来た「中煎り」のイエメン・モカに当たる事があるのですが、確かによく言われるような赤ワインのような芳香を持つ「ワイニー」な美味しい珈琲に仕上がっています。
世間では、それを「イエメン・モカの本来の味」「イエメン・モカの完成形」のように言うことが多いようですが、しかし僕に言わせればイエメン・モカを無難な「中煎り」に焙煎している店など、まさに珈琲の事を何も知らない証明であり、まだまだ「焙煎初級レベルの駄店」そのもの、貴重なイエメン・モカの無駄遣いだとしか思えてなりません。

非常に技術が要りますが、真の焙煎の達人がパーフェクトな「極浅煎り」に仕上げたイエメン・モカは、まさに最初の一口で絶句するほどの「異次元的&神秘的な美味しさ」を披露してくれます。
数年前に僕が某自家焙煎店(もちろん直火焙煎)の「極浅煎りイエメンモカ」を初めて飲んだ時の超絶の衝撃体験は一生忘れられないでしょう。
見た目は何とも不揃いの小さなサイズで割れ豆やチャフがついたままの豆も混じりちょっと汚らしい豆(それこそが本物のイエメンモカなのです)だったのですが、まるで「疑似トリップ感覚」が味わえるかの如き、飲む者の魂を激しく揺さぶる「霊妙不可思議な」、「この世の物とは思えないような」美味しさなのでした。
最初の一口目から、何と言うか、まさにこちらの意識に「チャネリングして来る」かのような、まさにこちらの心の琴線に「接続して来る」かのような、まるで何かスピリチュアルなものが「五感を超えてコンタクトしてくる」かのような摩訶不思議な感覚が起き、同時に異常に自分の感覚が研ぎ澄まされてゆくのが分かり、イエメン・モカが、まるで小さく小さく消え入りそうな声で訥々とつぶやくように語り始める「数百年もの時を経て連綿と綴られてきた悠久の自己紹介ストーリー」の小さな声に僕は全ての意識を緊縛され、思考を拘束され、五感を占領され、暫しの間「金縛り」にあってしまった事を今でもはっきりと覚えています。

その「極浅煎りイエメンモカ」は、一口飲むごとに、舌の上に恐ろしいほど妖艶で凄まじく蠱惑的な、クラクラするほどに幽遠玄妙な神秘の味わいが展開する非常に不可思議な神秘的体験を味合わせてくれる初めての豆でした。
そしてこれこそが、「歴史的な珈琲発見の聖地」に限りなく近い「珈琲の原種としてのルーツの味」、「珈琲の起源的な神秘の味」なのだろうと大きな衝撃を受けました。
大感激をしたのはもちろんですが、これほどにインパクトのある珈琲の味の「真実」を知り、感動と言うよりも、むしろ狼狽を覚えてしまったのでした。
今まで飲んでいた「自称・珈琲」達は一体何だったのか?実は「本物の珈琲」とは似て非なる「珈琲もどき」、もしくは「珈琲の魂の抜け殻」ではなかったのかと・・・。
いつも思う事ですが、本当に本物の「100点クラス(日本一レベル)の超絶珈琲」に出合った時には、「香りがどうの・・」とか「コクがどうの・・」とか「柑橘系の風味が・・」とか「豊かな甘みが・・」というレベルの感想には一切なりません。
既に「美味いな」という日常の領域ではなく、理解や想像を遥かに絶する衝撃の「未知との遭遇」、こんな事が起こり得るのかと言う「奇跡の超常現象」の領域になってしまいます。

その後に、すぐその驚異の極浅煎りイエメン・モカをリピートしようとしたのですが、そのお店では非常に残念な事に品切れになってしまっており、二度と入荷することはありませんでした。どうやら当時に極少量だけ限定流通した希少な銘柄だったようです。
何とか他店で同じ銘柄のイエメン・モカを見つけて、数店から購入しましたが「その店の焙煎が下手過ぎ」または「極平凡な中煎りになっていた」りして、その後は最初のお店で得られたような「驚天動地の大感激の味」には二度と再会することはできませんでした。
この時にも、やはり「同じ豆でもお店の焙煎の結果により味は天国と地獄」、「極上豆を生かすも殺すもすべて店の焙煎力次第」であると強く再確信したものです。

また、その一方で、一流の焙煎名人が表面にキラキラと油が浮くほど漆黒になるまで「極深煎り」に仕上げたイエメン・モカは、カリブ海に浮かぶマルティニーク島やグアドループ島名産の最高級の「長期熟成絶品アグリコール・ダーク・ラム」にそっくりの飲む人の脳と全身を甘く蕩かし心酔&身酔させてしまうようなビロードのように滑らかな舌触りと芳醇な飲み口、濃醇かつ非常に甘美な抗いがたい深い陶酔系の美味しさになります。

つまり同じ「イエメン・モカ」でも、無難な「中煎り」にだけ焼いていては永遠に知る事の出来ない「全く異なる別な持ち味」「想像を超えた多様な魅力」が「浅煎り」や「深煎り」の中にこそ潜んでいるという事です。
人間だって同じでしょう。学校の授業成績が「普通」の全く目立たない生徒は、全員が「普通のサラリーマン」(=中煎り珈琲)になるべきなのでしょうか?
一見、「全く普通に見えた生徒」に、テレビゲームをさせてみたら超才能を発揮しゲーム開発の天才として大成したり、絵を描かせてみたら展覧会で入賞しまくり一枚数千万円の値が付いたとか、泳がせてみたら異常な速さで練習を積んだらオリンピックでメダル獲得などなど、素材である「生徒」(生豆)は同じでも「生き方」(焙煎法)次第で結果は激変する可能性があると言う事です。

実際に、同じ銘柄や同じロットの生豆を、一人の店主が焙煎しても、その「焙煎機操作」と「焙煎度」によって「結果の味」は大きく七変化し、いくらでも飛躍的に「伸びる」「化ける」「開花する」可能性があり、むしろ自家焙煎店としては「それ」が出来てこそ「本物」なのです。
ですから、全ての豆を「一番簡単な焼き方だから」とか「最も失敗が少ないから」と何となく「全て中煎り」に焼いているお店は既に「職務怠慢」、いや、事実上の「職務放棄」とさえ言えるでしょう。
そんなお店からは今すぐ「自家 “焙煎” 珈琲店」の看板を剥奪すべきです。

要は、「焙煎」とは、単なる「作業」やワンパターンの「工程」などでは断じてなく、まさに「店主の珈琲創りのセンスの発露そのもの」、「その自家焙煎店の存在意義&実在価値そのもの」であり、唯一無二のオリジナルな「俺の珈琲」を創るための中心となる「クリエイティブな美味創作活動そのもの」だと言う事です。

現実に、本当に珈琲の事を深く知り尽くし、高い焙煎技術と類まれなる味覚センスを持つ「真の一流店」の場合、ポテンシャルの高い良質生豆が手に入ると、その「同じ銘柄の豆」を「浅煎り」と「深煎り」、「中煎り」と「極深煎り」など2~3種類の焙煎法で商品化し提供していたりする事も決して珍しくないのです。
同じ豆が「焙煎法」によって、それぞれ全く異なる美味や予想以上の魅力を持つようになり、「どちらも捨てがたい」全く違うキャラクターの美味に仕上がるのですから、美味しい珈琲を出したいという店主さんの気持ちが本物であれば、むしろ「当然にそうなる」のだと思います。

逆に言えば、もし一つの店で一つの銘柄豆が「浅煎り」と「深煎り」など異なる複数の焙煎度で商品化されていて、もしそれぞれが「どちらも捨てがたいほどの絶品の美味」「いずれも甲乙つけがたい別格の傑作」に仕上げられているとしたら、まさしくその自家焙煎店こそが、地上で無数に蠢く有象無象の自称・自家焙煎店の群れの頭上遥か高くで超希少な「一等星」の眩い輝きを放つ「雲上の珈琲プロフェッショナル」のいる国内屈指の名店である証明そのものと言う事になります。

実際に、以前も「理想の珈琲の定義 (3)」で書かせて頂きましたが、現時点で僕が「おそらくこの三店が日本のトップスリーに間違いないだろう」と思っている自家焙煎の珠玉の名店があります。
その三店は、他の多くの凡庸店とは次元が違いすぎ、あまりにも突出した珈琲の美味しさを誇り、まさしく神憑りの焙煎であり、自宅焙煎派の僕にとって「遠い雲の上の存在」です。
当然、その三店は「直火式焙煎機」を使用しているのですが、「浅煎り」、「中煎り」、「深煎り」のいずれもとても重視しており、実際、「すべて非常に得意」です。
一つ、二つの「何かが得意」なのではなく、珈琲焙煎の「すべてが超得意」なのです。
ただでさえ扱いの非常に難しい「直火焙煎機」で、「浅煎り」、「中煎り」、「深煎り」のいずれも完璧以上に焼き上げてしまうのですから、店主さんはそれだけ類まれなる国内屈指の天賦の才を持つ人なのでしょう。

繰り返しますが、「美味しい中煎り」は焙煎初心者でも割と簡単に作れますが、「美味しい浅煎り」や「美味しい深煎り」を作る事は想像している数十倍は難しいと思って間違いありません。真に優れた技術、豊富な経験、恵まれた才能等がないと、「浅煎り」や「深煎り」は美味しく仕上げる事は絶対に不可能なのです。
そして「中煎り」は少し位焙煎が下手でも吐き出すほどマズくなる事は少ないですが、「浅煎り」や「深煎り」は下手な店主が焼くと一切容赦なく全く飲めない位に徹底して激マズになります。
ですから素人に毛が生えた程度の凡人店主は怖くて「浅煎り」や「深煎り」にいつまでも手が出せず、すべて無難な「中煎り」に焼いてしまうのです。
つまり、その店主は「馬鹿の一つ覚え」の同じ焼き方しかできず、しかも一番簡単な焼き方しかできない「凡人」なのです。

まるでド素人の焼いたような超低レベル珈琲を買って激しく後悔したくないのであれば、全ての豆が「中煎り」に焼かれた自家焙煎店の半径500m以内には、何があろうと金輪際決して一切近づかない事です。

さて、次に「ブレンド珈琲」について少し書きたいと思います。
ブレンド珈琲については、「モカブレンド」とか「ブルマンブレンド」とか「マイルドブレンド」などの奇を衒わず客側にイメージが判りやすい定番ブレンドが長年変わらずに置いてある店が良いと思います。
さらに言えば、各ブレンドにおける豆の配合比率等がきちんと親切に表示してあるお店は、さらに上の美味しさを実現している優良店が多かったです。
逆に「季節」や「街の名」や「花鳥風月」的な名前を付けたブレンドは、名前だけがカッコ付けて凝っているだけで、どんな珈琲なのか客にイメージも全く伝わらず、店主の独りよがりの「駄作」が極めて多いです。
しかも頻繁に新作や変更がある店は「思い付き」や「気まぐれ」レベルで作っている証明であり、「数撃ちゃ当たるだろう」程度にしか考えていない事がありありと伝わって来ます。
そういう客を舐めた「おままごと感覚」の店はブレンドだけでなく、ストレートも「駄目」な店です。

ちなみに僕は「ブレンドする技術」は「単品焙煎する技術」よりも遥かにずっと何倍も難しいと確信しています。
特にきちんとした体系的な修行経験を積んでいない「素人出身の珈琲屋さん」には、まず一つとしてまともなブレンドは絶対に作れないと思っています。
実際に、僕も自分で焙煎した豆でブレンドの真似事をしてみますが、同じ焙煎ロットの豆なのにストレートで飲む時より「必ずまずく」なります。
ブレンド作りは、銘柄選択とロースト度と配合比率などを変えることで天文学的な無数の組合せが可能であり、しかも「味」の世界は1+1=必ず2になるような一筋縄で行く単純な世界では決してありません。
そんな中で、店主1人であれこれ試行錯誤しながら「傑作ブレンド」を作ろうとすれば、たった一種類のブレンドを作るだけでも、これはもう才能ある人でも最低3年、凡人なら努力しても最低10年はかかると思います。

ブレンド作りは、何十年にも及び何万件と言う厖大なブレンド研究レシピを延々と積み重ねて来た大手珈琲メーカーの独壇場だと言う事です。大手の珈琲はほとんどがブレンド品であり年間の何百億~何千億円もの売上を生み出すための味なのですから「真剣度」や「完成度」は個人店の比ではありません。
個人店のブレンドのほとんどは「児戯そのもの」です。
もし、唯一の例外があるとしたら、大手珈琲企業のブレンド担当をしていた技術キャリアの方が退職し、個人で自家焙煎店を開いた場合だけでしょう。


さて、まだ途中ですが、ここで、非常に重要な事を申し上げます。
僕が考案した珈琲の名店探しの条件は「第一条」から「第九条」まであるわけですが、実はこれらの中でも上に挙げた「第一条」と「第二条」が特に別格の重要性、際立った有用性を持っています。
実際、長年にわたり日本中の自家焙煎珈琲店を飲み比べて来た僕の感覚では、「直火焙煎機の存在」と「浅・中・深の幅広い焙煎度を誇る品揃え」という、この「僅かにたった二つの非常に簡単な条件」を課しただけで、現実に日本に存在する無数の「自称・自家焙煎珈琲店」のうち、そのほとんどの92~93%もの大多数の自家焙煎店がふるい落とされて失格し、強制退場になってしまうであろうからです。

逆に言えば、このシンプルで簡単な「たった二つの条件」でさえ、クリアできる自家焙煎珈琲店」は日本の全自家焙煎珈琲店のうち僅かにたった7~8%しか存在しないと言う事です。
実に何とも悲しい事ですが、それ位に現在の日本の自家焙煎珈琲業界はレベルが低い「暗澹たる世界」、嘆かわしい「暗黒の時代」にあるという事です。

まずは、「直火焙煎機の存在」と「浅・中・深の幅広い焙煎度を誇る品揃え」こそが、今後の貴方の珈琲ライフの命運を劇的に左右する最重要のキーワードです。
この二つの条件は「名店探しの究極奥義」におけるまさしく「双璧」です。是非しっかりと覚えて下さい。

そしてさらに、これからご説明する残りの「第三条」から「第九条」までの七つの条件を課した場合、その7~8%の自家焙煎店がさらに半分以下になり、残るお店はおそらく「3%前後」になる事でしょう。
つまり、現在の日本の自家焙煎珈琲業界に於いては、100軒の自家焙煎店があったとしても、そのうち僅かに「たった3軒程度」しか「飲むに値する自家焙煎店」は存在しないと言う厳しい現実にあると僕は自分の長年の経験から確信していると言う事です。

しかし、だからこそ、もしその残った貴重な僅か「3軒の自家焙煎店」を訪問すれば、ほぼ確実に「70点以上」の美味しい本物の優良珈琲を飲ませてくれる素晴らしいお店である確率が非常に高いと確信します。
口先だけの悪質欺瞞自家焙煎店を見事に拒絶・回避し、それらを地平の彼方まで蹴散らし追い払えば、今後は皆さんの珈琲店巡りから大きな間違いや被害は見事に激減、もう70点以下の珈琲を買って泣きをみる事は殆どなくなると思います。

そして、さらに言えば、それら「3軒」の中の「1軒」は、貴方の人生を一変させるほどの「珈琲の心底奥深い魅力」「人を虜にする珈琲の持つ魔性」に開眼させてくれる「95点~100点」の究極珈琲を出すまさしく貴方にとって「運命の極上珈琲店」である可能性も十分に有り得ると思います。
実際に、僕の過去の経験では真に美味しい極上の自家焙煎珈琲店に当たる確率は「1%」=「100軒のうち1軒」あるかないかですので、その「現実味」「実現性」はかなり高いと思えてなりません。

そして、そのためのまず最初の第一歩となるのが、「直火焙煎機の存在」と「浅・中・深の幅広い焙煎度を誇る品揃え」という二つの「金科玉条」の絶対的双璧条件なのです。
是非ご自身で試してみて下さい。



《第三条》としては、「3割前後の客入り、粛然とした客層、物静かで品のある店主の店を選ぶべし」と言う事です。

珈琲店の場合、必ずしも「大繁盛店=真に美味しい店」とは決して限りません。
いつも込んでいて多くの常連客が付いていたり、ネットのあちこちで頻繁に話題に上がる店でも、飲んでみると「こんなに程度の低い珈琲でなぜ多くの客が集まるのか?」と疑問に思う事がよくあります。
むしろ僕の経験では、常に満席で客がひっきりなしに訪れる人気店や、珈琲の購入客でレジに行列が出来るほどの大繁盛店は、大抵15~20点のひどく低レベルで恐ろしく凡庸な珈琲を出しています。
あまりにも素人作と変わらないような酷い珈琲に、たまたま出来が悪かったのかと思い、何回か通っていろいろな銘柄を飲んだりしてみても、やはりすべての珈琲が15~20点の範囲だったりします。

しかし、珈琲は全く大した味ではなくても、ケーキやランチのお得セット、値段設定の安さ、景色や雰囲気の良さ、オシャベリのしやすさ、交通やユーティリティの便利さ、店主の人柄や個性等々、トータルで見れば人気がある事が理解できるケースも少なくありません。
そこへ、巧みにちょっとだけ珈琲専門店のエッセンスが演出されていたりして、ワンランク上の満足感も味わえる雰囲気になっていたりするのです。しかし、出される珈琲の味は「あくまで15~20点」なのです。
つまり、そう言う店は「真の珈琲マニアではなく一般大衆にウケているだけ」なのです。
なお、この「一般大衆」と言う言葉には「自称珈琲マニア」や「似非珈琲マニア」も当然に含まれます。

常識的に考えても、大繁盛店において、店主さんがてんてこ舞いの忙しさの中でハンドドリップで一杯ずつ入魂の美味しい珈琲など淹れられる訳がありませんし、毎日の焙煎も「量を焼く」事だけで忙殺されてしまっているはずですから、「真の珈琲マニア」がわざわざ出かけて行って飲むには「馬鹿らしい味」のはずです。
実際、僕が訪問しても「全く馬鹿らしい味」の珈琲店ばかりでした。珈琲の味だけを求道者的に追求する珈琲マニアが訪問しても、完全に肩透かしをくらうお店ばかりなのです。

かと言って、もちろん当然ながら常に閑古鳥が鳴いている店も全く期待できません。
僕の経験からは「常に3割前後の客入り」の店が一番期待できると思います。その位の忙しさが店主さんにとって最も才能を完全に発揮できる客足と作業の最良のバランス点と思われ、そして、店主さんとしてはもう少し客足を増やしたく、日々熱心な上昇志向で味の研鑽をし、一杯一杯を魂を込めて淹れている心理状態にあると思うからです。

特に、3割前後の客入りで、かつ、それらの客のほとんどが非常にマナー良く、「魅入られるように黙って珈琲を飲んでいる」お店であれば、まさに理想のパターンでしょう。これはもう、そのお店には本当に多大な期待が持てます。
そのお店の珈琲が圧倒的に美味しく、かつ、本当に味の判る客層が集まり、その味に魅入られて存分に堪能している状態だと思われるからです。
特に「魅入られたように黙って静かに飲んでいる」と言う点が何より非常に重要です。真に衝撃的に美味しい物に出会うと、人はその味に強く引き込まれ、うつむいて黙り込んでしまうものだからです。
もし二人組以上で来ている場合も、時折小声でわずかに何かボソリと話す程度なら全く問題ありません。
それらの客が真なる珈琲マニアか否かは、その飲む様子を見ていれば同好の士としてすぐにピンと来るはずです。

逆に、客のほとんどが「熱心なオシャベリ」とか「スパスパと喫煙三昧」とか「子供が騒いでいる」とかに該当する客層の店は、はっきり言って「地獄」です。
珈琲の味が全く大した事がない何よりの動かぬ証拠であり、客にそんな悪態をつかれて黙っている店主も「場所を貸してお金をもらっているだけ」の意識しかないものと思われます。
これはもう言うまでもなく、真の珈琲マニアなら徹底して絶対に事前回避すべき「最悪の論外店」です。

そして店主さんがオーダーされた一杯の珈琲を淹れる時は、他の客に邪魔されないために「奥に引っ込んで周囲の雑音を完全にシャットアウトして淹れている」位のマイペースなお店が最も期待できます。
むしろ、もし店主さんが本気で珈琲に人生のすべてを懸け、訪れた一人一人の客へ後顧の憂いなく絶品珈琲を出したい人なのであれば、本来極めて当然に、間違いなく確実に、絶対にそうなるはずなのです。
僕が自宅でハンドドリップする時も全く同様で、すべての扉や窓を完全に閉め切り、当たり前ですがテレビや携帯電話の電源もオフにしてから抽出に入ります。

もし店が狭くて店主さんが奥へ引っ込むのがスペース的に無理だとしたら、せめてドリップをするに当たり、最低限、粛然として息を呑んで見守りたくなるような厳粛でおごそかな雰囲気が厨房内や店主さんにあって欲しいものです。
実際に、僕の過去の経験からは、「周囲をすべて隔絶してドリップに集中する店」や「店主さんが物静かでおごそかな動きをする店」は、かなりの高確率で絶品の珈琲が出て来ました。
「物静かでおごそか」とは、無口とか陰気とか無愛想と言う事では決してなく、店主さんの年齢に関係なく若くても年配でも、どこかしらクールで品があり、背筋がスッと伸びて姿勢が良く、常に静かな澄んだ眼をしていて、「世俗を超越して達観した人」を思わせる礼儀正しく落ち着いた穏やかな雰囲気を持つ人と言う意味です。

逆に、少しでも珈琲に興味がありそうな客と見るやいなや、自店の珈琲がいかにうまいか、いかにこだわっているか、ここぞとばかりに大得意になってベラベラとエンドレスにあれこれしゃべり始める店主は「全く駄目」「一番最悪」「見掛け倒しの典型」です。
客と店はあくまで「珈琲を通してのみ会話する」べきなのです。
実際、まずい珈琲を出す店ほど、「最高品質の生豆を強弁」し、「最新珈琲理論を熱弁」し、「プロ職人演出の巧妙さ」や「珈琲を愛する迫真の演技」等を次々と披露する話術の上手さで客を丸め込み、洗脳し、取り込もうとします。

現実に珈琲店やワイン店の店主には、達者な口で相手の心の中に巧みに入り込み客を思い通りに操る「人蕩術」の天才が実に多いと感じます。
もし、あなたと店主の間に不必要に長い会話が交わされ始め、いつの間にか、「この店主はいい人、珈琲に人生の全てを懸けている」とか、「この人こそ真のプロ、珈琲への愛と情熱がヒシヒシと伝わって来る」とか、「まるで珈琲の神、生豆探しや焙煎研究に対する熱意や行動力に敬服する」などと、話し込むほどに思い込み始めている貴方がいたとしたら、既に貴方は間違いなくすっかり「百戦錬磨の腹黒詐欺師の術中に嵌っている状態」だと思って下さい。

次に来る貴方の心理は「これほど珈琲を知り尽くし、誰よりも珈琲を愛し尽くした最高の珈琲職人が作った珈琲なら、これはもう絶対的・圧倒的に美味しいに違いない」であり、続いて「ちょっと高いけれどこの際思い切ってこの店の珈琲を沢山買って帰ろう」という考えに至り、迷わず実行する事でしょう。
まさに悪徳店主から見れば「鴨の丸焼き一丁上がり!」の状態です。

自称・珈琲マニア本人の心理としては、「自分は珈琲にかなり詳しい(はず)、そんな自分が手玉に取られて騙されているはずがない」と考えるようですが、淘汰の激しい珈琲業界を長年「口だけ」で生き残って来た「その手のプロ」ともなれば、自称・珈琲マニア程度が「その腹黒い正体」を容易に見破れるものでは全くありません。
それどころか、自称・珈琲マニアが食い付きそうな話題や習性を知り尽くしていますので、赤子の手をひねるより簡単にコロリと「術中に嵌めて」しまいます。
むしろ、「食物連鎖」の観点から言えば、彼ら悪徳珈琲店は、日々「自称珈琲マニア達」を好んで罠にかけて捕らえ喰って生きている「恐怖の天敵」「最凶の捕食者」そのものなのです。
賢明な第三者から見れば、悪徳珈琲店にとって自称珈琲マニアはまさに彼らの「主食」そのもの、両者の関係はちょうど自然界における「狐とネズミ」、「蛇とカエル」、「蟻地獄とアリ」の関係そのものです。

「一流の詐欺師になればなるほど、全く詐欺師には見えなくなる」と言う箴言があります。
この戒めの言葉を、くれぐれもしっかりと貴方の頭の中に刷り込んでおいて下さい。

別の言い方をするなら、「天は二物を与えず」と覚えておくと良いでしょう。
自然淘汰、弱肉強食の世界で生きている野生動物を例に取るとよく判ります。
彼らが獲物を狩る「狩猟法」は「常にたった一つの同じやり方」です。生まれながらに身体に授けられた圧倒的な唯一無二の特殊能力を駆使し、日々それを鍛えて磨き上げ、最大限に活かせるよう工夫された独特な狩猟法で獲物を「捕食する」のです。

例えれば、チーターは草原を時速100km/h超で疾走する「圧倒的な脚力」で獲物を捕らえ、鷹は大空高くからの「圧倒的な飛翔力」による突然の奇襲で獲物を捕らえ、ワニは大きな口による瞬時の「圧倒的な咬合力」で獲物を捕らえます。
逆に言えば、チーターには空を飛ぶ能力は全くなく、鷹には大きな口で獲物を一飲みにする能力は全くなく、ワニには草原を時速100km/h超で疾走する能力など全くありません。
まさに「天は二物を与えず」なのです。

ここまで言えば賢い皆さんにはもう全てお判りでしょう。
そうです、自家焙煎珈琲店の店主においても「一人で異なる二つの天賦の才を持つことは有り得ない」と言うことです。
つまり、彼らもまた「腕」(圧倒的な焙煎の才能)か、「口」(圧倒的な話術の才能)のいずれかの特殊能力で「獲物」(客)を日々確保しているのです。
現実の自家焙煎珈琲店のほとんどは「真に美味しい珈琲」で客を獲得している店と、もしくは、「客を騙し満足させる話術」で客を獲得している店と、大きくそのどちらかに分かれる現実にあるという事です。
そして、これを如何に正確に見分けられるかが「真の珈琲マニア」を名乗るための「踏み絵」でもあります。

僕の経験から言えば「真に美味しい実力派の珈琲店」になればなるほど、自分の焙煎した珈琲に絶対の自信があるがゆえに、わざとらしい愛想や饒舌な営業トークや狡猾な演出、大言壮語での自画自賛話等を一切使わなくなる明瞭な傾向があります。

一方で、「焙煎の才能が全くないダメ店主」は珈琲の味では全く勝負ができず、その分、達者な口で相手に取り入り操る人蕩術を最大限に駆使し、「最高品質の生豆を騙り秘伝の焙煎法を装う迫真の演技」や「珈琲を心底愛し数多の博学や資格も誇る珈琲博士への成りすまし」等の「擬態戦術」で勝負を仕掛けて来ます。

実際、本心では自分の珈琲が貧弱な味で全く大したことがないと判っている自信がない店主ほど、自分の貧弱な珈琲の味を「解説で執拗に肉付け」、「話術で何重にも補強」、「専門用語の羅列で肯定」しようとして来ます。
なぜならその理由として、彼らは過去の営業経験から、実は珈琲専門店を訪れる95%の客(もちろん自称珈琲マニアを含む)は「珈琲の味が一切判らない」かつ「解説でどうにでも簡単に洗脳される」という厳然たる事実を熟知しているからなのです。
ですので、当然、その95%の客を自店の「安定的収入源」として確保すべく、客が「本物の美味珈琲」だと洗脳されるまで何としてでも全身全霊で説き伏せようとして来るのです。
結果として、自店の珈琲はすべて「最高の生豆」であり、「最高の焙煎」であり、「最高の抽出」なのだと、繰り返し執拗に解説し続け、迫真の真顔で説得し続け、いつまでもいつまでも熱く語り続ける事になります。

その高度な演技力や話法テクニックは実に大したもので、まるで自己催眠をかけたかの如く完璧な本物の焙煎職人に成り切り振る舞う見事な演技と、自称・珈琲マニアを「本物のプロの美味しい珈琲を飲んだと錯覚させる」、「客としていい気分にさせ完全に満足して帰らせる」、「騙されていることに絶対気づかせないでリピートさせる」ための話術と演出に関しては実に恐ろしいほどの才能を発揮します。

古来より「口達者の仕事下手」、「最も口数の多い者が最も仕事をしない」と、賢い先人達も教えてくれています。
要は、「店主からの執拗な味の解説」=「貧弱味のダメ珈琲店」なのだと心して覚えて下さい。
騙されて欲しくないのでもう一度言いますが、「店主からの執拗な味の解説」→「貧弱味のダメ珈琲店」です。

また、自店を優秀で美味しいエリート珈琲店に巧みに見せかける上記のような「擬態タイプ」の悪徳欺瞞店とは少し違いますが、わざと店内での注文方法やルールを厳格化して一見の客に対してあれこれ店側から注文をつけてみせたり、店主との会話を所望してくる自称・珈琲マニアに対し最初にわざと突き放すような尊大な態度をとってみせたり、マイナーな専門用語や業界の裏情報を早口で羅列することで敷居の高い店を演出してみせたり、ハイレベルでエクスクルーシヴな一流店に見せかけるため無意味に「会員制」を名乗ってみせたりするタイプの劣悪欺瞞店もあります。

これらの店は、特に味覚の鋭そうなマニア系の客や店内で写真を撮るブロガー風の客に対して、わざといっぱしのプロの珈琲職人を気取ってしかめっ面で大仰な態度をとったり、その客の正面に陣取りマンツーマンで長々と持論の展開を始めたり、上から目線の偉そうな言動や他店の批判を始める等々、とにかくやたらと強がってみせたり、無類のこだわりぶりをアピールしてみせたり、専門用語や業界裏情報をまくし立ててみせたりして、自分を「カリスマ・プロ珈琲職人」に見せかけるためのおかしなハッタリやブラフをかまそうとして来ることから、「威嚇タイプ」の悪徳欺瞞店として分類されます。

念を押しますが、一人の自家焙煎珈琲店の店主が「高度な焙煎技術」と「特殊な人蕩話術」の両方を兼ね備えているという事はありえません。
「一店一術」、一つの自家焙煎珈琲店に集客武器はいずれか一つのみ、二者択一なのです。
どちらのお店から珈琲を買うべきなのかはもう言うまでも無い事です。
さて、貴方のお気に入りの珈琲店はどちらに該当するお店でしょうか?

くれぐれも大事な事なので二回言いますが、もしあなたと店主の間に不必要に長い会話が交わされ始め、いつの間にか、「この店主はいい人、珈琲に人生の全てを懸けている」とか、「この人こそ真のプロ、珈琲への愛と情熱がヒシヒシと伝わって来る」とか、「まるで珈琲の神、生豆探しや焙煎研究に対する熱意や行動力に敬服する」などと、話し込むほどに思い込み始めている貴方がいたとしたら、そのお店は100%間違いなく「貧弱珈琲」しか作れず、かつ、「特殊な人蕩話術」で客を騙し捕食するタイプの悪徳店なのであり、既に貴方は間違いなくすっかり「百戦錬磨の腹黒詐欺師の術中に嵌っている状態」なのです。
悪徳珈琲業者の「食物連鎖」に組み込まれ、彼らの「主食」にされたくないのであれば、最後の気力を振り絞り一切何も買わずに即座にUターンしてお店を出て、そのまま一気にダッシュして500m以上はお店から離れることです。

いずれにしても、ここで僕が何より強く申し上げたいことは、もしも貴方が「本物の珈琲マニア」を自負する方なのであれば、例え相手が「優良店」であっても「悪徳欺瞞店」であっても、店主とは「珈琲談義」は一切しないように重々心がけて欲しいという事です。
そもそも、本物の珈琲専門店と本物の珈琲マニアの間では、珈琲談義は「絶対にタブー」なのです。
なぜなら、客と店はあくまで「珈琲を通してのみ会話しお互いの実力を暗黙に認め合う」べきなのです。
店側は珈琲の味を話術や解説で補強や補足をしては一切なりません。客側も飲んだ珈琲について情報や説明を求めては一切なりません。
これは「鉄則中の鉄則」です。

自家焙煎を名乗り、珈琲専門店の看板を掲げる店を遠路はるばる訪問し、そのお店の前に立った時は、客だって「真剣」なのです。深々と深呼吸をし、その店の存在意義の全てとさえ言えるオンリーワンの一期一会の珈琲を、全身全霊で利かせて戴く覚悟で扉を開けるのです。
ですから、お店側も最低限の礼儀として、全身全霊で100%ドリップに集中し、その数分間は一切他の事を考えず、ぜひ「今までの人生で一番完璧な珈琲が出来た」と胸を張って天地神明に誓える位の入魂の一杯を出して欲しいものです。

それが逆に、ドリップ中の店主さんが接客で常に「あたふた」していたり、他の客と「会話」していたり、たびたびの会計で「あくせく」していたり、電話が鳴って「ウロウロ」とか、入口ドアが開いて「そわそわ」とか、探し物で「キョロキョロ」とかしている落ち着かない店は全く駄目です。
そういう浮ついた散漫な態度でドリップしている店では、15~20点の「わざわざ訪問するのが全く馬鹿らしい珈琲」が出て来るのは、これはもう嫌になるほど「自明の理」です。
また、店主さんが常にピリピリしていて、表情に余裕がなく、険のある顔付き、言動が慌ただしく、気ぜわしく、せかせかしている店も全く駄目です。
客の扱いや珈琲の淹れ方など見ていても、実におざなりで非常に雑であり、店主の頭の中はもう完全に「客をさばく」とか「注文をこなす」ことしか頭にない感じで、珈琲の味や客の満足度など「全くかまっていられない」という顔であり、実際にその通りだったりします。
また、ポットやカップを雑に扱って「ガチャガチャ」と不快な音を立てるうるさい店や、洗い物で「ジャバジャバ」と激しい水しぶきを立てたり、店内を「バタバタ」歩き回って平然としている全くデリカシーのない店も同様に全く駄目な店です。

実際、「一事が万事」なのですから、抽出作業や厨房の雰囲気がそんな「粗雑」な感じの店は、焙煎も全く同様に「粗雑」だと思います。
焙煎は、たった数℃の温度変化、たった数秒の釜出しの差が珈琲の味を大きく左右するのですから、集中力が散漫で何か一つの事に集中できない人間に、まともな焙煎など絶対に出来ません。これはもう、出来る訳が「一切」ないのです。
おそらく焙煎中も、常に他の事を気にしたり、ついつい何か余計な事を始めたり、接客や会計のために釜から離れたりして、時計や温度計を見落としたり、豆面のチェックを忘れたり等が、「恐ろしく頻繁に」起こっていると思います。
しかし、それでいて、メニュー表やWEBサイトでは、自らを「こだわりの店」とか「珈琲職人」とか「プロの味」とか称していたりするのですから、何とも呆れ果ててしまいます。
それらの言葉を信じ、わざわざ期待して遠路はるばる訪問した身としては、強い憤りを覚えざるを得ません。

そもそも珈琲の原価など、自分で焙煎すれば「一杯8円~20円程度」なのです。
それが専門店で飲むと、驚く事に「一杯400~600円」もの高額料金が請求されるのです。
専門店を名乗るだけで、原価の20~75倍で珈琲を売る訳ですから、本来なら「素人焙煎の20~75倍以上は美味しい極上珈琲」を出すべきなのです。
それが、素人焙煎と全く区別が付かないような珈琲や、ヘタすれば素人以下のひどい劣悪珈琲を平気で出して来るなら、今すぐ、珈琲専門店の看板を下ろし、「カモ専門店」と改名すべきです。

しかし、そんな低レベルの珈琲でも、インスタント珈琲やファストフードの珈琲が比較対象である一般大衆からは「さすが専門店の珈琲は美味しい」などとあらぬ高評価をされたりする訳ですから、実に恐ろしい事です。
なぜ一般大衆に受けるかと考えれば、悪い意味で「どこにでもある凡庸な味」や「万人向けの飲み易い味」が受けているのだと思います。
その「敷居の低さ」により珈琲経験の未熟な一般大衆にも飲みやすく買いやすい訳です。
しかも、それでいてファミレスやファストフードの珈琲やスーパーマーケットの半年経過の粉珈琲と比べれば、確かに多少は上の味ですから、一般大衆には「さすが専門店の珈琲だ」などと評価される訳なのでしょう。

加えて、無知蒙昧な一般大衆は味が判らないため、その商品の「称号」や「肩書き」に優劣の判定基準を求めますので、これみよがしに「珈琲専門店」を名乗るという巧みな戦略が何よりの大きなポイントです。
つまり、自分は「専門店の珈琲」を飲んでいるというワンランク上の自己満足感に浸らせてくれる事が、おそらく大衆に大人気の秘密なのだと思います。

ここで重要な事は、「広く一般大衆に支持される味」と「真の上級マニアから絶賛される味」とは、大きくかけ離れている場合が多いと言う事です。
例えれば、珈琲と同じく赤道直下の国々で栽培され、その種子を調理する物として「カカオ豆」(チョコレート)があります。
チョコレートは子供からお年寄りまで、一般大衆に大人気な訳ですが、スーパーやコンビニ等で売られているチョコレートのほとんどは砂糖とミルクでどぎつく味付けし、粗悪な植物油脂と乳化剤で増量し、あざとい人工香料で香り付けした実に粗悪な物です。
肝心のカカオ成分は30~40%程度しか入っていない極めて希薄で貧弱な物であり本物のチョコレートマニアから見れば全く食するに値しない「実に馬鹿らしい物」なのです。しかし一般大衆はそれらの粗悪商品を「美味しい美味しい」と言って好んで買い、競って食べ、大いに喜んで毎日大量に消費している訳です。

逆に、本物のチョコマニアに絶大な支持を受けている高級カカオが70~90%もの超高濃度に配合されたフランスやベルギー製の本物の極上ブラックチョコレートは、日本の一般大衆の多くにとっては「甘くない」「濃すぎる」「苦すぎる」「酸味がある」「硬すぎる」等々と評されてしまい、最高級の本物の美味しさにも関わらず、むしろ「極めて敷居が高い味」なのです。真の美味しさを真剣に追求した本物の純粋なチョコレートは、その真摯さゆえ、味の判らない舌の未熟な一般大衆からはむしろ敬遠されかねません。
一般大衆は、安くて、甘くて、柔らかくて、気軽に食べられるチョコレートに多く群がり、それを「美味しい」と感じるのです。

しかし厄介なのは、一般大衆は「ベルギー製の高級輸入チョコレート」とか「カリスマパティシェ謹製の究極チョコレート」などの広告や言葉には、即座に反応し、大いに興味を示すと言う事です。
つまり、一般大衆の未熟な舌には、「真に本物の味」や「本格派すぎる味」は敷居が高すぎて無理でも、高級ブランドや本物の味への憧れだけは根強く持っているため、実に恐ろしい事に、うまくそこを突いた「本物を巧みに装った偽物」や「高級品の振りをした安物」が、一番受けが良く、絶賛され、最も飛ぶように売れる「売れ筋商品」になると言う事です。
味や中身はいつも食べている「安物」そのものですから、全く抵抗なく食べやすくて飲みやすいうえ、それでいて「この品は本物の逸品(のはず)」とか「これこそが高級品の味(のはず)」と言う満足感や贅沢感も同時に満たされるため、全てにおいて満足し、この上なく幸福な気持ちに包まれるのでしょう。

この点、「珈琲も全く同じ」なのです。
何とも恐ろしい事に、一般大衆には「本物を巧みに装った粗悪珈琲」や「高級品の振りをした安物珈琲」が、一番客の受けが良く、最も飛ぶように売れる「売れ筋珈琲」になると言うことです。
もちろんその際は、店頭やメニューやWEBサイトに「超厳選高級スペシャリティ珈琲」とか「カリスマ焙煎職人の謹製珈琲」などの本格派や本物を装うための広告やタイトルを大きく目立つように並べ立てて置く必要がある事は言うまでもありません。
それを見て買った蒙昧な一般大衆客は「超高級な珈琲(のはず)なのにとても飲み易い」とか「本格派珈琲(のはず)なのにブラックでスーッと飲める」などとネットで絶賛を始めたりする訳です。
とても難易度が高い本格派の超高級珈琲のはずなのに、自分にもスーッと飲みやすくて密かに安心したうえに、「自分は専門店の高級珈琲を飲んだ」と完全に錯覚して、満足感や贅沢感も同時に満たされ、この上なく幸福な気持ちになるのでしょう。

つまり、「無知な一般大衆に広く支持される珈琲」と「真の上級マニアから絶賛される珈琲」とは、全く大きくかけ離れている場合が極めて多いのが「珈琲の現実」です。
そして、珈琲の味が正確に判る上級珈琲マニアが世の中にあふれている訳などないのですから、混雑している店に集まっている客の99.99%は、自称珈琲マニアを含む「無知蒙昧な一般大衆」だと言う事です。
ですから、そういう味の判らない一般大衆が次々に訪れワラワラと群がっている珈琲店は、焙煎も抽出も「極めて粗雑」なうえ、上級マニアから見れば「全く物足りない凡庸な珈琲を出す駄目な店」である確率が非常に高い訳です。
要は、一般大衆でワラワラと混んでいるような人気店や、ネット上で一般大衆が多数の絶賛レビューやブログ記事を投稿して大得意になって持ち上げているような珈琲店は、真の珈琲マニアにとってはむしろ「鬼門」その物である危険性が極めて高いと言う事です。



《第四条》としては、「珈琲の賞味期限が二週間以内という店は避けるべし」と言う事です。

よく「珈琲豆は生鮮食品」とか「焙煎直後から劣化が始まる」とか語っている店があります。
そういう店は大抵の場合、「当店の豆は焙煎一週間以内が美味のピーク」とか「当店の豆の賞味期限は二週間」などと胸を張って説明したりしています。
「超新鮮」「焼き立て」のイメージを殊更に強調している事で、一見良心的なように勘違いする人もいるのかも知れませんが、むしろ僕ならその店では絶対に珈琲豆は買いません。

過去の経験からもそのような店は「ヘタクソでチープなひどい低レベル焙煎」の店がほとんどでした。
僕の経験から言うと、ヘタクソでチープな低レベル焙煎をされた豆は、確かに焙煎後2~3日ですぐに低めのピークが来てしまいます。その後はすぐに劣化に転じ、そのままずっと右下がりの劣化が急速に進む「低位・右下がり型」になります。
そういう豆は「完全熱風式焙煎」にとても多く、熱風式は焙煎当日から既にスカスカ気味なのですが、二週間位でさらに著しく風味が抜けてしまい、一ヶ月も経てばまるで砂を噛むような無味無臭の悲惨な「ぬけがら」の状態になってしまいます。
そう言う豆はまさしく「小山」であり、低い山は登るのも下りるのも、あっと言う間なのです。
ヘタな焙煎で珈琲豆の組織がめちゃくちゃに崩壊しているため、味も香りもすぐに揮発して抜けてしまいすぐにスカスカになり、その抜け殻の状態では熟成も何も起きません。

特に「注文を受けてその場で即焙煎するので超新鮮」「少量からお好みのロースト度に焙煎します」などの宣伝文句で、生豆を入れた機器の下から高温の熱風が吹き上がり、その中で生豆が踊るようにして僅か3~6分でインスタントチックに即席焙煎してしまう「急速型熱風焙煎機」はその傾向が非常に顕著で、味は「まさに即席そのもの」なうえ、信じられないほど「短命な珈琲」がほとんどです。
「焼き立て」とか「超新鮮」と言う宣伝文句を鵜呑みにして安易に購入しないよう、くれぐれも要注意です。

その点、極上の焙煎豆、特に「直火型焙煎機」で作られた極上珈琲はまったく逆で、そのレベルが高くなれば高くなるほど、味のピークもゆっくりゆっくりとやって来る非常にスケールの大きな「大器晩成型」になります。
そういう極上珈琲は、最低でも一週間以上、できれば二週間以上は寝かせないと、まだ「つぼみ」の状態である事が多いです。むしろ、最上ランクの絶品豆は「三週間~一ヶ月」を過ぎてから想像を超える大きなピークの巨大津波がやって来ることが非常に多いのです。ですからもし二週間以内に消費してしまうと、逆に「ピークの味を全く知らずに終えてしまう」という愚行を犯す事になります。

また、その「ピーク期間」が非常に長らく維持され、豆のままで適正に保存すれば焙煎後2ヶ月位は全く衰えを知りません。これこそ豆の細胞壁が壊されていない理想の焙煎である証拠です。
激安ウィスキーは蒸留後数ヶ月程度で出荷されてしまいますが、極上のプレミアムウィスキーになると10年、20年、30年とよく寝かせて徹底して熟成させてから出荷される事とよく似ている気がします。
要は、高い山になればなるほど、遥か高い頂上まで登り詰めるのにも、また、遥か下界の麓まで下り切るのにも、それぞれ長い長い時間がかかるのだと思います。

そして、低レベル焙煎の店は、「言論は自由」とばかりに口ではさんざん偉そうな御託を並べますが、実際の心の中では自店の珈琲が実は風味の劣化が急速に進む「低位・右下がり型」である不都合な事実を自分でも良く判っていますので、その低レベル焙煎の馬脚があらわになる前に、何とか客に早く飲み切ってもらおうと「珈琲は新鮮なほど美味」「珈琲は二週間で古くなる」などという虚説偽計を必死になって主張し、自店の小山型「低位・右下がり珈琲」に都合の良い理論捏造に日夜奔走しているのです。

ですから、「当店の豆は焙煎一週間以内が美味のピーク」とか「当店の豆の賞味期限は二週間」などと言っている店では、僕は絶対に一切珈琲を買わないのです。
要は、「低レベル豆の賞味期限は二週間以内」、「極上豆の賞味期限は二ヶ月以上」と覚えて下さい。

同様に「珈琲豆は二週間で消費する分をこまめに買っている」という人は、いっぱしの珈琲マニアを気取りながらも実は本当に美味しい絶品珈琲をまだ一度も飲んだ事がない極めて哀れな人か、もしくは「小山型」の焙煎店から吹き込まれた低レベルな話を鵜呑みにして悦に入っている「鵜」だと思わざるを得ません。
もし、豆で買った珈琲が二週間以内で著しく味が抜け落ちるようなら、そのような自家焙煎店では「くれぐれも絶対に二度と買わない」ことです。

ある程度の珈琲経験値がある人なら、味の落ち方の異常な速さに「ずいぶん焙煎のヘタな店だ」とすぐに気付くはずですが、どうして気が付かないのでしょうか。
悪徳店主の偽計や虚説広告にまんまと乗せられ低レベルな劣悪豆ばかりを購入し「珈琲は焙煎から二週間が賞味の限度」などと嘯いて悦に入っている自称珈琲マニアの姿は、まさに「悲劇」と言いますか、むしろ「喜劇」と言いますか、自身の味覚の極端な無能さと極めて恥ずかしい無知蒙昧ぶりを強く慙愧して欲しいものです。

また、珈琲を淹れる際に、お湯を注いだ珈琲粉が「モコモコと大きく膨らむほど新鮮で美味しい珈琲の証拠だ」などと、まさに馬鹿の一つ覚えのように大得意のしたり顔で唱え、逆に、お湯を注いて膨らまない珈琲を「古くてまずい珈琲」と決め付ける人がいたりします。
しかし、これまた単なる「耳学問丸出し」の珈琲入門者の多くが陥る「間違いだらけの珈琲選び」の典型例の一つです。

自分で珈琲を焙煎する人達であれば自ずと判るのですが、例えれば「浅煎り」と「深煎り」の二つの豆を、全く同じ日に焙煎し、その翌日に抽出した場合、浅煎りの豆は深煎り豆の1/10程度しか膨らみません。
つまり、浅煎り豆はどんなに新鮮な豆でももともと豆内にガスの内包が少なく「ほとんど膨らまない」のです。逆に長時間の焙煎で豆内に多めのガスが発生した深煎り豆は長期に渡ってモコモコと派手に膨らむ訳です。
ですから、もしA、B、Cの三つの珈琲があったとして、A>B>Cの順で大きく膨らんだとしても、鮮度もA>B>Cとなるとは決して限らないのです。
実際、焙煎の「翌日の浅煎り豆」よりも、むしろ「10日経過後の深煎り豆」の方が数倍も大きく膨らみます。

また、粉の膨らみ方はミルの粒度やお湯の温度の高低にも非常に深く関係し、容易に激変します。
実際、同じ鮮度の焙煎豆なら粗挽きや微細挽きよりも「中細挽き」の方が遥かに大きく膨らみますし、お湯を沸騰させたりして「湯の温度を高くすれば高くするほどやたらと勢い良く膨らむ」のです。
試しに同じ袋から出した珈琲豆を、「粗く挽いて80℃の湯で抽出」と「中細に挽いて95℃の湯で抽出」の二通りで淹れてみて下さい。
同じ豆でも、間違いなく後者の方が「二倍以上」は大きく膨らむはずです。
ですから、豆の膨らみ方は決して「鮮度」だけで決まるのではなく、「焙煎度」「ミルの粒度」「湯の温度」等を総合的に勘案し考慮しない限り、実際の「鮮度」を大きく誤って判断する虞があります。

ところが、ほとんどの「自称・珈琲マニア」は、「膨らめば新鮮」=「新鮮なら美味」との浅はかな短絡思考にドップリと染り切っている極めて嘆かわしい現状にあります。
そのため、抽出された珈琲の現実の味とは全く一切関係なく、「大きく膨らんだ視覚現象によるプラシーボ効果」ただその一点のみにおいて、自分は「新鮮=美味しい珈琲を飲んだ」と完全に錯覚し、「やはり珈琲は二週間以内に限る」だなどとあらぬ自己満足をして悦に入っているのです。

そして、悪徳な珈琲店になるほど、そういう「自称・珈琲マニア」の誤信や無知を上手く商売に悪用する術に長け、自店の珈琲通販サイトなどでは、抽出中の珈琲粉がフィルターから不自然なほどモコモコと大きく膨らんで溢れ出るほど大きく盛り上がった画像をこれみよがしに目立つ位置に掲載していたりします。
しかし、その画像は、実は「巨大な膨らみ」で客を洗脳し騙すためだけの意図的に制作された捏造画像だったりするのです。
実際、「真っ黒に極深煎りした豆」+「味とは一切無関係にミル中細挽き」+「沸騰した100℃の熱湯」で淹れれば、どんな劣悪豆でも嫌というほどモコモコと大きく膨れます。
ですが、当然、その馬鹿らしい程の膨らみは焙煎の巧拙や味の優劣とは一切全く関係などありません。
僕から見れば、そんな過度の膨らみ方をしたわざとらしく意図的な画像の掲載に、その珈琲店はもう無知な珈琲初心者を「騙す気満々でいる」ようにしか見えません。
くれぐれも悪徳店が好んで多用する「悪質なトリック画像」に騙されてはなりません。

そして、ここでさらに重要な事は、そもそも豆の過度の膨らみが実は抽出の大きな邪魔をして有害化しているケースも決して少なくないという事です。
現実に、「過度に膨らみすぎる豆」の駄目さは、珈琲の「抽出の原理と仕組み」を少し考えてみれば誰にでも判ることです。
つまり、抽出の原理とは「お湯が豆片の中に深く浸透し、エキスや香りを溶かし込み、それらを伴って再び出て来る現象」なのです。
しかし、モコモコ膨らむ豆とは、焙煎で豆の中に生成&蓄積された二酸化炭素等のガスがお湯で熱されて豆の内部から勢い良く盛んに放出されている状態なのです。
つまり、そのような豆では、内部から噴出される多量のガスに邪魔されて「お湯が豆の内部に入り込みにくい状態」なのです。

結果として、お湯は豆の表面だけをすべり抜けるようになり、豆の内部までしっかりと入り込めないまま、抽出が終わってしまいます。それでは当然に豆の全持ち味の数割ほどしか取り出せない完全な抽出失敗作になります。
そんな珈琲が美味しい訳がありません。

しかもさらに悪い事に、そういう新鮮過ぎる豆は豆の表面にまだ焙煎時の「いぶり臭」「煙成分」が多く残っている状態のため、結果として「珈琲の味が薄いのにやたらと煙臭い」だけの最悪の超激マズ珈琲が抽出される確率が非常に高くなります。
特に「深煎り」珈琲でその悪傾向が極めて顕著です。長時間焙煎でガスが大量に内包され、煙もたくさん発生するからです。
つまり、「豆が膨らむほど美味しい」どころではなく、むしろ「やたらと膨らむ豆はマズくなる」とさえ言えるのが珈琲の「真実」なのです。

そして、それら豆の中の焙煎ガスはその後の豆の保管中に他の不要成分や雑味成分と一緒に自然に徐々に抜けて行きます。また豆の表面に付着していた煙成分も次第に蒸散して行きます。
またその一方で、豆の中の美味しさ成分や良い香りもゆっくりと変化や揮発をして行きます。
結果として、いつしか全ての豆には保管中に豆の「ガスや不要成分等の低減」と「有用成分や良風味等の残存」とが最良点でバランスする「一番飲み頃の時」「美味しさの満開時」がやって来るのです。
この工程、つまり焙煎後の豆のマイナス要素とプラス要素の含有変化曲線を常に意識し、保管中のその飲み頃カーブの最良点を探り当てるとともに、その美味さのピークを長期に渡って維持するノウハウを、「豆の熟成」と呼びます。

現実に、上で書いたとおり「壮大なるスケールの大器晩成型の絶品豆」がこの世に存在する事実が、「熟成」という工程の必要性を強く証明しています。
ですから、繰り返しますが、抽出時に「よく膨らむ珈琲」「焼き立ての珈琲」=必ずしも「美味しい珈琲」という事では決してなく、その逆の「膨らまない珈琲」「数週間経過した珈琲」=必ずしも「まずい珈琲」とも決して限りません。
もし、貴方が「一つ覚え」の馬とか鹿のお仲間になりたくないのであれば、「抽出の仕組み」をくれぐれも正確に認識&理解し、「珈琲の熟成」という必須の概念を常に念頭に置いておいて下さい。

大器晩成型の絶品豆を相手に、日々真剣に「豆の熟成」を実践している珈琲中級者以上の人達から見れば、「珈琲は新鮮なほど美味しい」「珈琲は二週間で古くなる」などと言う与太話が、如何に噴飯モノの「無知の妄想話」であり、如何に失笑モノの「無学の痴れ言」であり、如何に極低レベルな「小山型の劣悪豆」ばかりを普段飲んでいる不幸な人々であるかは、もう敢えて説明するまでもないでしょう。



《第五条》としては、「100g単価が変化しない店を選ぶべし」と言う事です。

ほとんどの珈琲店は100g単位で珈琲を買えますが、たくさん買うと単価が安くなる店が少なくありません。
しかし、僕の経験からは本当に美味しい「絶品珈琲」のお店は、たくさんまとめて買っても「単価」が全く変わらないお店である事が多かったです。
逆に言えば販売量が増えると豆の単価が割引かれる店で美味しいお店に当たる事はあまりなかったと言う事です。

特に、一回の販売単位が100g→300g→500gなどの大袋になるに従い豆の単価が3割も4割も5割も急激に安くなる店は絶対に避けた方が良いと思います。なぜなら100gを売ろうと500gを売ろうと店側にとって一回の袋代や手間代は大差など全くないのですから、500gなどの場合だけ単価が4~5割も急激に安くなるのは明らかに「何かがおかしい」のです。
おそらく、そう言うお店の商品はもともと「原価が驚くほど低い」か「ひどい手抜き商品」だからこそ、一括大量購入に対して大幅に割引できるのです。
もともと原価率がとても高い真に価値ある商品であったり、ハンドピックに膨大な労力がかかっている珈琲であれば、たとえ一括大量販売でも、まず極端な割引の余地など絶対にないはずなのです。

逆に、それができると言う事は、恐ろしい事にその店の珈琲は「小分けの手間賃」が価格の4割~5割を占めていると言う事を意味します。そう考えると原料豆なども、もし高級品を装っていても実際は驚くほど安物なのだと思えます。
おそらく店主さんはせっせと無欲な善人焙煎士の振りをし、きっと通販サイトでも美辞麗句や大言壮語が並んでいるものと思われますが、「小分けの手間賃」が価格の4割~5割を占めるような、そんな客を馬鹿にしたふざけた価格設定の珈琲を買いたいとはとても思えません。

実際にそういう店の珈琲は、操作の極めて楽な「熱風焙煎機」が多く使われ、そのほとんどは商品袋の中身をスーパーマーケットで売られている1g1円の激安の熱風珈琲とすり替えてもおそらく誰も気が付かないと言う程度のものでした。むしろ中には1g1円の激安珈琲の方が遥かに美味しいと言う最悪の珈琲まである始末でした。
つまり、一括大量販売で4~5割も大幅値引きするような店の珈琲は「その程度」だと思って良いと思います。
現実的に、僕が「絶品」と思っている珈琲店はすべて、100g買っても、500g買っても、1kg買っても、3~5割もの不明朗な大幅割引は起こらない販売システムのお店ばかりですので、信憑性はかなり高いと思います。

それに、そもそも僕の場合など、500gの豆をハンドピックする場合40分~1時間以上は余裕でかかります。ハンドピックと言うものは本当に真剣に真面目にやれば絶対にその位の時間はかかるのです。
当然、自分でみっちり一時間も目を皿のようにしてハンドピックした豆を、いざ売る時に正価の4割も5割も割引するなど絶対にあり得ません。到底「絶対に」あり得ないのです。

つまり、それをやる店の珈琲は「ハンドピックを一切していない」可能性が非常に強く疑われます。
僕の自宅焙煎の経験からのイメージでは、ハンドピックという物は労働ウェイト的には焙煎の全工程のほぼ「9割」を占めるほどの辛い重労働です。その面倒なハンドピックさえしなければ焙煎は「恐ろしく楽」ですから、いくら大幅割引して売っても全く痛くも惜しくもないのでしょう。
しかし欠点豆や毒カビ豆はすべて残ったままですから、味も香りも濁ってまずいうえ、飲むのはとても危険な珈琲になります。

中には「当店の豆はすべてスペシャリティ珈琲だから欠点豆はない」とか「現地で二度ハンドピック済みだから絶対安心」とかの「超大嘘」を平然とつく最悪の悪どい欺瞞店もあります。
しかし、現実にスペシャリティの中でも最高価格帯に君臨する生豆でさえ、僕が徹底的にハンドピックするとポツポツと緑色のカビがピンホール的に潜んでいる「カビ豆」が1%前後も弾き出される事が現実に少なくありません。
当然、他の安いスペシャリティ豆など「推して知るべし」「何をか言わんや」の実態です。
ですので、今では僕は「味」の面からだけでなく「安全性」の面からも不安になり、こう言う価格システムの珈琲店では一切買わなくなりました。

実際、僕が現時点で「日本の珈琲店トップ3」に入ると確信している超絶的に美味しい自家焙煎店での実話を紹介したいと思います。
そのお店は「スペシャリティ豆」だけしか扱っていない焙煎店なのですが、3回訪問するうちのほぼ2回は必ず店主さん自らが一心不乱に生豆や焙煎豆のハンドピックをしている場面に出くわします。
最初にその鬼気迫る真剣なハンドピックのシーンを見た時に「このお店は絶対美味しいに違いない」と予感したのですが、飲んでみると、その予想を大きく10倍以上は上回り凄まじいほどに超美味しくて、全身を強く打ちのめされるような「大きな衝撃」を受けました。
もともとそのお店の色々な好ましい条件を見て、ある程度は「当たり」の予感はしていたものの、まさに、いきなり「三億円」の宝くじ一等賞に大当たりした気持ちでした。

もちろん、その後も何度もリピートしていて、ある日、どのような欠点豆をハンドピックで弾いているのか、店主さんの作業の様子を少し見ていたところ、店主さんは僕の視線に気付いたのか、照れくさそうに弾いた欠点豆を入れた皿を見せてくれて、一言、こう述べました。

「スペシャリティ豆でも良く見るとこんなに欠点豆があるんですよ」

その一言が、このお店の超絶の美味しさの「すべて」を如実に代弁していると思います。
一方で、「スペシャリティ豆には欠点豆はないので当店は一切ハンドピックなどしません」と胸を張って述べる非常識で厚顔無恥な最低の劣悪欺瞞店もあります。

そういう悪どい欺瞞店の店主には「では、僕にハンドピックさせてみて下さい。そしてもしも1%以上の欠点豆が出たら、大嘘を付いた罰としてこの店を即日廃業してくれますか?」と問えば、果たして「YES」と答えられるのでしょうか。
もし真に嘘を付いていないなら、当然、「YES」と自信を持って即答できるはずです。
ですが、現実には全ての店が「NO」と答えるでしょう。
つまり、「スペシャリティ豆には欠点豆はない」という捏造話は「すべて大嘘」だと自分で認めている証明に他なりません。
要は、自分が大変なハンドピックの労苦を全てサボっている事実を何とか認めずに済むよう、客に欠点豆や危険な毒カビ豆の存在を悟られずに済むよう、真実には全て「大嘘」というフタをし、「現実にある」ものを「一切ない」と強弁して言い張り、自店にだけ都合の良いもっともらしい口実を捏造し、架空の虚偽話を無理やりこじつけているだけなのです。

スペシャリティ豆でも欠点豆は「こんなにある」というお店と、「一切ない」というお店…。
果たして、どちらのお店が真実を述べているか、どちらのお店の珈琲が美味しいか、どちらの店主さんから珈琲を買うべきか、これはもう、誰の目にも答えは極めて「自明」だと思います。

ちなみに、その「日本の珈琲店トップ3」のお店で、僕が飲んだ事のない銘柄の生豆の入った麻袋を見つけ、「この銘柄の焙煎豆はありますか?」と尋ねたところ、店主さんは、ちょっと狼狽して困った表情になり、「実は、その銘柄豆は仕入先の商社から絶対美味しいと熱心に奨められて仕入れたのですが、どの深さに焼いても、どう工夫して焙煎しても、全く美味しくならないのです。それで、この豆はお客様には到底出せないと思い、今はもう焙煎していません。今後、安いブレンドに少しずつ混ぜるなどして処分するしかないです、商社の言う事を真に受けて大失敗しました。」と述べていました。
何とも、「真に味が判る人」「真に珈琲を愛する人」「真に客を大切にする人」「真に嘘が嫌いな人」なのだなと、その時に心の底から感動したものです。

逆に、世の90%以上の自家焙煎店は、やれ面倒だとばかりに、自店のサイトの豆の解説に卸商社の作った誇大広告パンフレットをそっくり「丸写し」して貼り付けていたり、味が判らないので「卸元が熱心に奨めるのだから絶対美味しいのだろう」と鵜呑みにしたまま、まるでトランプの「ババ抜き」の如く無知な客に劣悪豆を割高価格で押し付けたりしているだけでしょう。



《第六条》としては、「簡易な店舗や貧相な店構えの珈琲店は避けるべし」と言う事です。

僕の経験からは「真に美味しい店 → 一等地にある明るく清潔で立派な店構え」と言う図式が必ず成り立ちます。これはもう絶対に「必ず」です。
ただ、その逆の「一等地にある明るく清潔で立派な店構え → 真に美味しい店」と言う事には必ずしもなりませんのでご注意下さい。
現実に僕の経験では、「路地裏にあるうらぶれたような暗く古臭い店」や「僻地にポツンとある安いプレハブ風の店」や「自宅の一部や車庫を改造した小さな物置のような店」や「素人が日曜大工で作ったような手作り風のチープ感の漂う店」や「雑然とした町工場か殺伐とした倉庫のような店」などなどで、真に美味しい店に出会った事は過去ただの一度たりとも全くありませんでした。まさに確率「ゼロ%」です。

その正確な理由は不明ですが、僕の考える究極の極上珈琲には、その構成条件の一つとして、「卒倒しそうな香り」や「唸ってしまう旨味」や「舌を捉えて離さない甘み」や「緻密で繊細な味の描写」以外に、凛とした「品」や「格」を見事に備えている事が絶対に必要だと感じています。
実際に、僕が過去に出会った最高峰の超一流珈琲達は、単に美味しいという次元を大きく超えて、すべて「品のある味」になっていたものです。もし美味しい珈琲は沢山あったとしても、そういう「品のある珈琲」はまず滅多にある物ではありません。
まさに「品」の有無こそが最終的にその珈琲を「超一流」と「それ以外」に分ける決定的な鍵だと思います。
人間でも「成り上がり」の人にはお金はあっても「品」がない事とどこか良く似ている気がします。
超一流の人間は財力や頭脳や体力だけではなく、育ちの良さを感じさせる「気品」と言う物が必ず備わっているものです。

そして「料理」と言う物には、作り手の人柄や価値観が驚くほど正直に反映されるものです。結局、自営でやっている以上は自分に嘘はつき続けられないと言いますか、潜在意識下で作りたい物を徐々に作るようになってしまい、知らず知らずのうちに作り手の「分身」としての姿に限りなく近づいて行くと言う事です。
ですから、珈琲という飲み物に関わるにも、もし「超一流」の珈琲を作りたいのであれば、焙煎者自身の人格や日常に「格式」や「品位」や「矜持」や「教養」などが絶対に必要なのだと思えてなりません。
実際、僕などは店主さんの顔付き、話し方、所作や物腰、立ち居振る舞い等を見ただけで、かなり正確に珈琲の味のレベルの想像が付きます。

上の第三条でも述べましたが、店主さんに「落ち着き」や「穏やかさ」や「おごそかさ」があるお店の珈琲は一流の「品」がある絶品珈琲であるケースが多かったです。逆に、どこか下品だったり、野卑だったり、粗雑だったり、短気だったり、無能だったりの「三流以下の人」からは、やはり「三流以下の珈琲」が出て来たものです。
そう考えると、店主さんの人柄や容貌や生活態度はもちろんのこと、同様に店舗の「店構え」も珈琲の味を予測する上で非常に重要なヒントになっていると思えてならないのです。
つまり、品格の感じられない簡易で貧相な店舗から、気品に満ちあふれた極上珈琲が出て来た事など過去に一度もありませんし、そして今後も永遠にありえないと確信しているという事です。

また、別の理由として考えられる事は、おそらくはある程度多額の「資本投下」をしていない店舗は、逆に言えば「駄目ならいつでも辞められる」とか「設備や器具も少なく簡単にすぐ逃げ出せる」とか「つぶれても金銭的ダメージは軽微でまた他の道がある」などの甘い考えがありがちであり、要はまだ全身全霊がその商売にどっぷり全て浸かり切っていないと言うか、「決意の度合いが低レベルであり、もし駄目な時は死ぬ覚悟で珈琲に向き合っていない」と言う事ではないでしょうか。

特に「個人の珈琲屋」は、資格も不要、修行も不要、非常に低資本で誰でもすぐに開業できるため、素人に毛が生えた程度の人間が多く参入しがちなのです。そういう腕もなければ金もなく、店舗経営の経験もない初心者が開く店は、極めて当然に、店構えや店内のインテリアも「素人丸出し」の手抜き状態になっているものなのでしょう。
半端な人間が半端に始めた店は、店の造りも、珈琲の味作りも、いずれも中途半端だということです。
もともと最初から目指している珈琲の味のレベルが非常に低い位置にあるので、「店もこんなもんでいいや」という心理なのだと思います。

店主さんの「そろそろ何か仕事しなきゃなー。そうだ、珈琲好きだし自宅の物置を改造して珈琲屋でも始めるか。簡単に儲かるようだしな」とか、「趣味だった珈琲焙煎で店でもやるか。裏の空き地にプレハブ店舗なら安くて3日で建つし、撤去も簡単だ」とか、「裏通りの古テナントが入居者募集してたな。賃料はタダ同然だし喫茶店でもしてちょっと稼ぐか」などなどの声が聞こえて来るような気がしてなりません。
そして「焙煎なんて全然自信ないけど、店舗さえ作れば後は俺の大得意な口八丁手八丁でいくらでも珈琲を高く売り付ける自信はあるからな」とか「騙すのは簡単だ、どうせ客に黒いだけの珈琲の味の違いなんて判る訳がないんだよ」というセリフが続く事が想像されます。

もし、そんなふざけた動機で始めた「簡易な店舗」や「貧相なテナント」であれば、店主に「懸けている物」や「背負っている物」や「積み上げて来た物」など最初から全くあるはずもなく、また「珈琲作りへの心構え」や「成功への絶対的決意」なども一切存在しない訳です。
その結果として「考え方の甘い劣悪珈琲」や「世の中を舐めた低レベル珈琲」や「素人発想の論外珈琲」が平然と出て来る訳です。

ですから、今では僕は「簡易な店舗」や「貧相な店構え」の珈琲店からは絶対に珈琲を買いません。
もし通販の場合は、サイトやブログ等でまず「実物の店舗の写真」と「店の場所の周辺地図」をよく念入りに確認する事を強くお薦めします。
現実に、高級感のあるデザインときれいなイメージ写真で飾り立てているサイトであっても、肝心な「店舗の建物」の写真を一切掲載していない通販サイトがあったりして実に驚かされます。
そのような店は「誰にも見せられない位にひどい貧相なボロ店舗」であるか、「建物を公開したくない何らかの怖い理由」があるか、それとも実は「そもそも店舗が全く実在しない」かのいずれかとしか思えません。
僕ならどんな美辞麗句や大言壮語がその通販サイトに書かれていても、絶対にそのサイトでは珈琲を買いません。
味が全く期待できないだけでなく、実は僕は過去にそう言うサイトで商品代金を振込んだ後に音信不通になった非常に苦いトラウマ体験があります。



《第七条》としては、「焙煎機が汚れている店は避けるべし」と言う事です。

自宅焙煎をしていて判った事の一つが、「珈琲を焙煎すると想像以上に釜が汚れる」と言う事です。
釜の壁には豆から出た油分がどす黒いタール状の粘着物質となってビッシリと付着し、バーナーの周囲には燃えたり焦げたりしたチャフがゴッソリと降り積もり、排気系統の内部にはシルバースキンの堆積層が出来上がり、最初は非常に驚きました。
特に釜に付くタール状の粘着物質が厄介で指で触れるとニカワのようにネチネチと粘着質で、ちょっと洗剤で洗った程度では落ちず、お湯と洗剤でゴシゴシやってやっと落ちる感じのものです。

特にフルシティ以上の深煎りにすると、てきめんに大量のタール汚れが発生し釜にビッシリと粘着します。
プロの自家焙煎店が、毎日毎日、何十キロと言う豆を焙煎すれば、焙煎釜の汚れも家庭焙煎とは比較にならない凄まじい物になるでしょう。もし、それをそのままにして次の焙煎をすると、真っ黒なタール分がさらに一層黒くどんどん焼け焦がされて行きます。
もしそうなってしまうと、焼き魚や焼肉のコゲにある発ガン物質と同じように、変異原性物質やアクリルアミドなどの極めて危険なものが生成されてくる可能性が非常に高いと思います。

その事が判って以来、今では自家焙煎店を訪問する際は、真っ先に置かれている焙煎機の「清潔感」「清掃度」を念入りにチェックするようになりました。
特に焙煎釜の「豆の取り出し口の周囲」や「サイクロン連結部」が、多くのススやタールで黒く汚れたままの店は、焙煎機の清掃の頻度がとても低い事の証拠であり、当然に釜の内部も真っ黒に焼け焦げたタールの蓄積が凄いと思われます。当然ですが、珈琲豆はその中で焙煎されている訳です。
そう考えると、その店での珈琲購入は絶対に避けるべきだと思います。

実際、あちこちの焙煎店の店主さんのブログなどを読んでいますと、時折、「今日は数ヶ月ぶりに焙煎機を掃除した。あまりにもすごい汚れで驚いた」などの記事に出会う事があり、背筋に悪寒が走ります。これはもう、店主さんには「食品」を作っているという自覚が全くないとしか思えません。
もし、町の中華料理店が、数ヶ月も使い続けていながら一度も洗っていないドロドロの油汚れと真っ黒なコゲカスが分厚く重なったデロデロの汚泥状態のフライパンを取り出し、客の目の前で野菜炒めやチャーハンを作って出したら、間違いなく客は激怒すると思います。
もはや見た目の汚れの問題だけではなく、表面に付着した油は加熱と冷却を繰り返され激しく酸化しており有害ですし、こびり付いたコゲやススは複数の強い発ガン物質を含んでいて非常に有毒であり、本当に危険なのです。

また、焙煎機をあまり清掃しない事は、健康面への心配だけでなく「珈琲の味」の面でも非常に大きな悪影響があります。
なぜなら、焦げたタールやチャフの燃えカスが堆積すると、当然に排気ルートが狭くなり空気の流量が減衰変化してしまいますし、排気ファンに焦げたチャフの堆積層が厚く積もれば排気力がおかしくなり、バーナーに目詰まりが起きれば同じコックの開度でも火力が変化してしまいます。煙突やサイクロン、冷却機も同様です。
つまり、常に焙煎機と周辺機器を完璧に清掃しメンテナンスしていないと、機器能力のすべてが不安定になり、店が「目指している味」や「いつもと同じ味」が思うように作れなくなるのです。

また、ドラム内部の焦げ付いたヘドロ状の黒いタールが出す独特の嫌な煤煙臭や痛んだ古い油の酸化臭も豆に付着してしまい、「焦げた煤味」や「酸化劣敗臭」が感じられる到底飲めないような危険かつ激マズな劣悪珈琲になります。
つまり、焙煎機の汚れが目立つ店は「危険」かつ「まずい」珈琲を売っている確率が非常に高く、珈琲を買わない方が良いと言うことになります。

例えれば、もし、いくら有名な料亭でも、そこの板前さんが「錆び付いてボロボロの刃こぼれだらけの包丁」を使っていたとしたら、もうその時点で、絶対に美味しい料理が出て来るはずがないのです。
ボロボロの包丁では素材を美味しく切る事は「物理的に絶対に不可能」なうえ、そういう包丁を見ても何も感じず平然と使い続ける料理人は、料理のすべてに対して異常に「鈍感」なのであり、何の仕事をやらせても恐ろしいほど「雑」なのです。
仕事が「雑」な人間には、絶対に美味しい物や品のある料理は作れません。

逆に、店内の掃除が非常に行き届いていたり、焙煎機が少なくとも外見だけでもピカピカに掃除してあったりすれば、焙煎釜の中のタールも頻繁にしっかり清掃してある可能性が高くなります。あくまで「食品」を調理する機具に相応しい清潔感や清掃度が欲しいところです。
もし通販の場合は、まずはお店のサイトや訪問客のブログなどで焙煎機の写真を探し出し、焙煎機の「豆の取り出し口の周囲」や「サイクロン連結部」が多くのススやタールで黒く汚れていないか念入りによくチェックして下さい。
もし、明らかに汚れているようなら、その店では絶対に買わない方が賢いと思います。

ちなみに、上の第五条でも登場した僕にとっての「日本の珈琲店トップ3」の中の一軒ですが、焙煎機はもちろん当然に「直火型」なのですが、いつ行って見ても「ピカピカ」に完璧に磨き込まれていて、まさに「昨日購入したばかりの新品焙煎機」の如く眩しいほどに美しく光り輝いています。

また、極めて当たり前の事ですが、新品価格でせめて100万円以上はするプロ用の業務焙煎機を使っているお店を絶対に選ぶ事です。
まれに「可変ダンパー」や「排気ファン」や「屋外煙突」の付いていない非常に簡易な焙煎機を使っている「自称プロ」の店があったりしますが、僕は「可変ダンパー」や「排気ファン」や「屋外煙突」の付いていない簡易な小型焙煎機を使う店で40点以上の珈琲に出会った事は、過去全く一度たりともありません。
「排気調整」は想像以上に大きく決定的に「味」を左右してしまいます。「火力の調整」が車で言うアクセル操作だとしたら、「排気の調整」は珈琲の味作りのまさに「ハンドル操作」そのものなのです。ハンドルが付いていない車では、目指す目的地へ向かって正しく進んで行く事は一切出来ないのです。
ですからきちんと設計された排気調整機能がない焙煎機では、絶対に美味しい珈琲は出来ません。これはもう「本当に絶対」できません。
店主が偉そうに何を語ろうと、どんな良い事が通販サイトに書かれていようと、「排気たれ流し」の店は徹底して絶対に避けるべきです。



《第八条》としては、「珈琲は商人ではなく、職人から買うべし」と言うことです。

まず、あちこちに目立つネット広告をやたらと多く出していたり、大手ショッピングモール等に大々的に出店しているような「商魂丸出しの店」からは絶対に珈琲は買わない事です。「絶対に!」です。
実際、あちこち目立つネット広告を出している「広告への傾倒度が異様に高い珈琲店」は、僕も色々と買ってみましたが、あまりにも予想通りすべて「子供だまし以下」の嫌になるほど極低レベルの超激マズ劣悪珈琲ばかりでした。
そう言う店の特徴として「心底こだわって焙煎している振り」を異様に強調した解説ペーパーや、「真っ正直な商売をする善人」や「珈琲に人生を懸けた職人」を装った共感を訴えるチラシやしおりが「必ず」添付されていました。つまり、味ではなく「能書き」や「説得文」で客を上手く丸め込み囲い込もうと言う姿勢が見え見えと言う特徴があります。

要は、飲む前に薀蓄や、能書きや、口上書きの波状攻撃で、客に「これほどこだわった珈琲なら、これはもう絶対に美味しいに違いない」と言う強烈な先入観を吹き込みたい訳です。すると珈琲初心者などはまるで催眠術にかかったかの如く、まずい珈琲を飲んでも美味しいと思ってしまうのです。
そして「珈琲に詳しくないから全然良さが判らないけど、きっとこれが美味しい珈琲という物なのだろう。味の判らない馬鹿だと思われないようにネットでは凄く美味しいと書こう」と言う行動に出ます。
そして、その出鱈目なネット投稿を読んだ次の「珈琲初心者2号」が「飲んだ人がこれほど美味しいと言うなら本当に美味しいのだろう」とまたその店で割高な劣悪珈琲を買ってしまうという連鎖的なチェーン被害が次々に拡大再生産されるのです。これこそが「劣悪珈琲店がなぜか繁盛しているカラクリ」なのです。

要は、味が判らない自称珈琲マニアや珈琲初心者は、店主に言われたとおり、もしくは、解説ペーパーに書かれているとおりに思い込むしか、ネットで試飲感想を書く方法がない訳です。何しろ味が全く判らないのですから「しおりの内容」や「解説ペーパー」を丸写しするしかない訳です。
悪どい珈琲店はそこのところを非常に良く熟知していますので「しおり」や「解説ペーパー」が異様に充実し念入りに脚色されています。

また、大手ショッピングモールに大々的に出店している商魂たくましい珈琲ショップも、まさに「鬼門」そのもの、間違っても絶対に買ってはなりません。
そういう「大手モールの集客力への依存度が非常に高い珈琲店」は、いわば銀座や新宿などの巨大駅のすぐ前にある喫茶店のようなもので、味は最悪でも立地の良さだけで一見客が次々に入って来る環境にあります。
「駅前にうまい店なし」という格言が示すとおり、黙っていても客が入って来る立地にある店は「味への努力」を一切しなくなる非常に明瞭な傾向があります。

また、大手ショッピングモールに出店している店の多くは「味」ではなく「心理学」で売り付けているのです。
実際に大手ショッピングモールのページを開くと、いずれのショップも買い物客の行動心理学に則った極めて「典型的ワンパターン」のページが作成されています。
まず、商品ページに巨大なキャッチコピーの呼込みタイトルとやたらに大画面の綺麗なイメージ写真を連続して掲載する事で客の買い物気分を刺激し高揚させ、延々と画面スクロールさせながら美味しい話や良い事ばかりを繰り返し吹き込み、今ならキャンペーン中でお得お得お得、特価特価特価、値引値引値引と執拗に刷り込み、次第に判断力や金銭感覚がふらふらになった無知な一般大衆相手に、まさに「投網で漁」をする仕組みに作られています。
世の中には、嫌になるほど執拗な説得を何重にも繰り返す事で客をマインドコントロールする「催眠商法」と言う手法があるのです。

特に大手サイトともなれば老獪なノウハウがあり、買い物客の心理や行動を完全に知り尽くし「どうやれば買うか」を熟知していますので、何も知らず訪れた通販初心者などは「一網打尽」にされる可能性があり、非常に危険です。
もし多数の「客からの評価の声」などがあっても「デコイさま」の巣窟になっている可能性が非常に高く、全く信用できません。特に、あまりにも絶賛評価が連続する場合は、世の中にはテレビの通販番組でもお馴染みの「サクラ」や「ヤラセ」と言う物が必ず存在する事実をくれぐれもよく思い出し冷静になって下さい。
届く珈琲なども「客からクレームが出ないギリギリの商品」です。すべてが本当に良く計算されています。
「珈琲焙煎は非常にヘタでも、商売は恐ろしいほど上手」なのだと感心してしまいます。

要は「ネット広告への傾倒度が異様に高い店」や「大手モールの集客力にどっぷり依存している店」は、全く駄目だと言う事です。
これらのお店は、「ネット広告の宣伝力」や「大手モールの集客力」という、危ない「麻薬」の味を全身で覚えてしまっており、それらから得られる快感にどっぷり染まりきり、美味しい珈琲を作る努力ではなく、「美味しいイメージ広告を捏造する努力」しか頭になくなってしまっているのです。
ですから、今では僕は大手ショッピングモールに大々的に出店している珈琲店では、どんな大言壮語や煽り宣伝文が書かれていても絶対に一切買う事はありませんし、そもそも下卑た煽り広告を読むのも馬鹿らしく不愉快ですので大手モールのページを開く事さえありません。

また、同じような例で、「通販サイトで店主さんの顔写真や似顔絵が繰り返し登場する店」とか、「店名やサイトデザインがやたらと凝っていてかっこいい店」とか、「自店の誕生ストーリーや味作りを大言壮語で自画自賛している店」も絶対に徹底して避けるべきです。
そういうお店は、もともと純粋に「味」で勝負するタイプの店ではなく、店主のキャラクターや店名によるイメージ戦略での拡販ばかりに力を注いでいる感じで、僕の経験では、味の実力ではなく「捏造イメージ」だけで客を騙しにかかっているとしか思えない非常に低レベルな味の店ばかりでした。

何かを買う時にいつも思うことは、世の中には「商人」と「職人」の二種類がいると言う事です。
残念ながら「商職人」と言う言葉はないように両方を兼ね備えた人物はいないと考えるべきです。
広告のキャッチコピーや販路拡大で才能を発揮している人は「商人」なのです。
決して「職人」ではありません。
「商人」は劣悪な珈琲を高く売る才能があり、自店を美味しい本格珈琲店と客へ錯覚させる手腕があり、広告を駆使して幅広く拡販する能力やお金を稼ぐ資質などは凄いとは思いますが、僕は「商人」の焙煎した珈琲を飲みたいとは全く一切思いません。

もちろん「商人」は、通販サイト上では巧みに「珈琲職人」とか「珈琲焙煎士」等を名乗っていますが、その見分け方として、「あちこちに目立つネット広告をやたらと出す」「大手ショッピングモール等に大々的に出店する」「自店を大言壮語で自画自賛する」などの商魂丸出しの人は、明らかな「商人」だと考えるべきだと言う事です。

ですから、繰り返しになりますが、もし貴方が真に美味しい価値のある珈琲を飲みたいのなら、あちこちに目立つネット広告をやたらと多く出していたり、大手ショッピングモール等に大々的に出店しているような「商魂丸出しの店」からは絶対に珈琲は買わない事です。
くれぐれも「絶対に!!」です。

馬鹿らしい高額なネット広告料や余計なモール出店費用をわざわざ支払ってまで「ネットのあちこちで大々的に宣伝する」「とにかく全国規模で拡販したがる」という「商人」の経営姿勢が意味するものは、果たして何なのか、その裏側に隠されているお店の真意や真の姿に、もっと我々は洞察力を働かせ、「強い疑念」や「入念な警戒心」を持つべきです。
大量販売目的で捏造された誇大広告や自画自賛PRなどを真に受け、まんまと術中にはまって買ってしまえば、届く珈琲はどう考えても「粗悪低質な大量乱造品」でしょう。
まさにこれこそ、僕達が本来、最も忌み嫌い、徹底して避けるべき、最悪パターンの筆頭ケースです。
大量の「有料広告」を使ってまで執拗に売ろうとする「商人」の珈琲の実物とは、果たしてどういう品質で、一体どういう味なのか、少し冷静になって考えてみればもう誰にでも容易に判る事だと思います。

お店のサイトの「デザイン」を見るだけでも、かなりの高確率でその店主が「商人」なのか「職人」なのか判断が出来ます。
まともな職人のサイトは、デザインは整然として秩序や抑制があり、必要な情報が必要な場所にきちんと揃い、緻密かつ洗練された構成で、見るからに「大人の紳士の珈琲店」という雰囲気が感じられる事が多いです。
これは上の《第三条》で「物静かで品のある店主の店」は絶品珈琲が出て来る確率が非常に高いという事実と相通じる要素があると思います。

逆に、徹底して避けるべき欺瞞商人サイトの特徴は、やたらと若い女性や笑顔の店主の画像が登場し、通販ページで「大きい太文字」や「強調文字」や「カラー文字」や「!」マークをやたらと多用し、商品説明に「感嘆」や「絶賛」や「驚愕」の表現が繰り返し多用されているサイトは一番最悪、絶対に要回避です。
また、やたらと真っ白な空間や漆黒の塗りつぶしページを多用したアーティスト気取りのサイトやクリエイター風のサイトも間違いなく「商人」です。わざと露出や情報を少なくして、秘密めいた、謎めいた店を気取っているのです。
珈琲が全く大したことがない味の店は、もったいぶってわざと手札を明かさず、なんだか気になる秘密のベールに包まれたような印象や、何かやりそうなアーティスト風のイメージ戦略などの虚像で客を集め、心象や話術で取り込む方向へ走るということです。

同じく似た考え方で、珈琲は「文系店主より、理系店主から買うべき」と言う事もあります。
僕の経験からは、店主さんが生真面目で無口で控えめでクールで勤勉で優秀な技術者風の感じがする「理系タイプ」には、高い実力を持った美味しい店が多かったです。
逆に自己主張が強く雄弁で闘魂や気迫や情熱で焙煎する「文系タイプ」の熱血風店主は、大抵はったりだけの素人焙煎で全く駄目な店が多かったです。
両者の違いは、大手珈琲企業の職種で喩えれば、前者は焙煎工場で毎日寡黙に焙煎に没頭する「珈琲の焙煎技術者」を連想させ、後者は単なる営業部の「珈琲の営業担当者」であり売込トークや広告作成は非常に得意でも焙煎は全くの素人なのだと、ついついそんなイメージを持ってしまいます。
果たしてどちらの店主が焙煎した珈琲を買うべきか、もう答えは極めて自明だと思います。

なお、間違えて欲しくないのは、焙煎や抽出について「独自の理論」を延々とこね回す理屈っぽい店は絶対に駄目だという事です。そういう店主は、一見すると「理系」風の店主に見えるかも知れませんが、実は、焙煎に関して異色の理論を長々と展開したり、抽出について独自の理屈を延々と捏ね回したり、おかしな新説、奇説、珍説などを唱える時点で、紛れもなく「ハッタリ専門の文系」店主なのです。

もちろん理論のバックボーンを持つ事は大いに結構な事ですが、もしそれが本当に優れた秘訣や貴重な奥義であり、それを実践する事で珈琲が飛躍的に美味しくなるのであれば、むやみに他人に公開したりせず、それこそ「門外不出」の秘伝として自分の胸の中だけに大切に仕舞って置くはずなのです。
それを、さも自慢そうにネットに書いたり客にベラベラしゃべったりするのは、そんな理論や技法は実は一切何の効果も価値も全くない、単なる「ハッタリ」である証拠なのであり、客を珍説と専門用語で煙に巻いて劣悪珈琲を暴利で高く売り付けようとしているだけの可能性が「極めて大」です。

また、もし「正論」を展開している店主でも、やたらと得意になって「理論」をくどく語りすぎる店も駄目です。
そう言う店はいつの間にか「理論武装」や「学説構築」をする事で満足してしまい「実際の味」はおざなりでお粗末だったりします。もしくは「いつまで経っても焙煎がヘタなので、机上の理論展開に逃避している」ケースです。

いずれにしても「学者」ではないのですから、「理論の構築」や「論文の執筆」に必要以上に躍起になっている珈琲店は「何かおかしい」と判断し、相手にしない事です。
真に腕の立つ超一流の板前さんや気鋭のシェフにはベラベラしゃべる理屈っぽい人などいませんし、美容師さんなどもカットのヘタクソな人ほど実によくしゃべります。そう言う「腕」ではなく「口」を武器にして、ずっと「理屈」や「話術」で生き残って来た好ましくない人達は、もうそろそろ厳しく淘汰されなければなりません。
要は、「理論」や「講釈」や「能書」や「口上」等がやたらと多く延々と書き綴られている理屈っぽい店は、その内容の正誤に関わらず、「駄目な店」の確率が非常に高いので絶対に避けるべきと言う事です。

ちなみに、似たようなケースとして、時折、「インチキ霊能力者」や「インチキ教祖」タイプの自家焙煎店主がいたりします。
いかにも自分が、長年この業界で百戦錬磨の無数の経験や試行錯誤を積み続けて来た結果、今では一般人とは違う神がかり的な高い味覚能力を持つようになったような振りをして、味や香りなどについて「全く存在しない物を存在する」と真剣な語り口で熱く強弁したり、実は味など判らないのにまるでインチキ宗教の教祖のように「自分の神の舌には全てが判る」と迫真の表情で説得や鬼気迫る演技をしたりするタイプです。

この手のインチキ店主は、昔は、数百万円もする高額オーディオショップなどへ行くとよく居たものです。
はっきりと「目で見える物」には大嘘はつきずらいですが、逆に「目で見えない物」、つまり、「音」や「味」の世界では、一般人には平然と「大嘘が通る」事をこの手の悪どい店主は知っていて、ただのはったり、こけおどし、大ぼらで無知な客を洗脳し、適正価格の10倍などの超ボッタクリ価格で高額商品を売りつけたりしているのです。
怪しい超高額商品や正体不明のパーツを前に、1000人の人間が聴いても音の違いなど全くないのに、店主1人が「明らかに音が違う(良い)」と、さも特殊能力を持つ霊能者の如く、したり顔で強く言い張るわけです。
そして、「この大きな違いが判らないのは実に恥ずかしい事です」、「さあ、貴方もこれを買って愛用し、違いが判る側の人間になって下さい」と、巧みに洗脳して売り付ける訳です。

いかにそう言う「霊能店主」が、単なる無能なだけの大嘘つきか判る実例として、これは僕の経験した実話ですが、オーディオ論に関して「絶対君主制」的な発言ばかりしている某オーディオ・プロショップを名乗る店へ行った時の話をします。
僕はオーディオにも多少凝っているのですが、その店で、何気なく試聴し始めた機器の音のバランスや周波数があまりにもおかしい事にすぐに気付き、「右のスピーカーから高音域が出ていないのでは?」と店主に言ったところ、店主は「はあ?そんな訳ない!」とムッとして高圧的な態度をとって来ました。
しかし、よく確認したところ、高音域を出す右のツイーターが壊れており全く鳴っていなかったのです。
さらに、他の機器を聴いて、「これも何かおかしい、音の定位が変ですよ」と伝えたところ、その機器では右と左のスピーカー結線が「真逆」につながれていたのでした。
つまり、音像の位置がすべて真逆に鳴っていたのです。

いやはや、あまりにも想像以上の低レベルさ、この店主はこんな幼稚園児以下の「耳」で、音響機器に関して常に偉そうな過激発言をして、相手が素人なのを良い事に数百万円もするボッタクリオーディオ機器を売り付けていたのかと、僕は唖然・愕然としてしまい、開いた口が塞がりませんでした。

店主は必死の形相になってあれこれ見苦しい言い訳をして来ましたが、「いつも偉そうに過激な事を言っているが、実は音が一切判らない只の大嘘はったり店主」という事実が、この一事をもって白日の下にはっきりと露呈してしまった訳です。
つまり、散々偉そうな過激発言で理論武装していても、多くの「自称プロ」など、実は中身は「そんなレベル」だと言う事です。

そして「弱い犬ほどよく吠える」と言うとおり、中身のない大嘘店主ほど、割高ボッタクリ商品を売るための演技として、やたらと自社取扱商品の「性能を誇大化」「薀蓄を強弁」「完璧を主張」し、客側の反論や疑問の余地を予め全て潰すため、異常に威圧的で高慢な態度や攻撃的で過激な発言をしたりするようです。

もちろん、そんなインチキ超高額オーディオ店ですので、ほとんどの客は、怪しみ、いぶかしんで、何も買わないとは思いますが、日夜繰り返される自信過剰の過激発言についつい商品に興味を持ってしまい、100人のうち、もし1人でも「騙されて買う大馬鹿な客」がいれば、その異常なボッタクリ価格ゆえ、超高額な売上がそのままそっくり丸々自店の大儲けになり、お店としては完全に経営安泰なのでしょう。
だから、この世に騙される馬鹿な客がいる限りは、いつまでもそう言う「悪徳インチキ商法」をやめないのでしょう。

実際、「産業教育機器システム便覧」(1972年 日科技連出版社)という書籍によれば、人間が生活するにおいて五感による知覚の割合は、視覚83%、聴覚11%、臭覚3.5%、触覚1.5%、そして恐ろしい事に味覚はたったの1%であると解説しているようです。

つまり、この点で、珈琲も全く同じだという事です。
むしろ、真っ黒いだけの液体で視覚情報の極端に少ない珈琲などは、特に、一番、最も「騙し易い」商品そのものであり、そこにつけ込んだ「霊視」的なやり口のペテン師珈琲店が実在するという事です。

ただただ煙臭いだけのスカスカ珈琲や、風味の濁り切った泥水のような激マズ珈琲を出しておきながら、「どうです?フレッシュラズベリーのような華やかな酸が素晴らしいでしょう?」とか、「判りますか?熟したマスクメロンのような濃密な甘味があるでしょう?」とか、「美味しいでしょう?ネーブルオレンジのような明るいフレーバーは他にないものですよ」とか、「アフリカ高地産ならではの野性的なフルボディが素晴らしいでしょう?それがこの珈琲の特長です」などなど、まったくその一抹の片鱗さえ存在しない完全なる「架空の風味」や「空想の味」を恥知らずにも羅列して、とまどう貴方を前に、それらの香りや味が「確かに実在する」と繰り返し強く主張し、最後は「まさか貴方はこの最高の○○○の香りや至高の△△の味が感知できない馬鹿ではないですよね?」と言う雰囲気に巧みに持って行く訳です。

そこで貴方が、もし少しでも小さく頷いてしまえば、一気にそれまでの均衡は崩れ、その場の大勢は完全に決してしまい、容易には抗えない主従の力関係が発生し、すっかりペテン師店主の老獪な幻術にはまってしまった貴方は、まるで夢遊病患者の如く財布を開き、最悪のクズ珈琲と引き換えに有り金すべてを差し出す事になってしまいかねません。

くれぐれも悪どいペテン師店主の餌食にならないよう、あくまで自分自身の「鼻」と「舌」だけを信じて、何が正しいかを冷静かつ賢明に判断して下さい。
あくまで「ないものはない」のです。

また、店主が「雑記ブログ」を「頻繁に更新」している店も、僕は絶対に避けています。
ブログの開設は、お店のセール情報の告知や新商品の案内などで、月に数回程度の更新をするならとても良いと思います。
しかし、これが珈琲とは全く無関係なくだらない小ネタ話や日常の戯言を書き込むことに熱心になって自己満足をしている店は「全く駄目」です。
ブログ投稿はどんなつまらない短い内容でも文章にするには最低でも30分はかかるものです。「塵も積もれば山」になるのですから、その30分を「ハンドピックに使え」と言いたいです。
要は、そういう雑記や駄文ブログの更新などに熱心な店主は、そもそもプロとして絶品の珈琲作りをする情熱や意思など「全くない」店なのであり、単に趣味の延長のような気持ちで珈琲店を「何となく」やっているだけで、毎日、ヒマがあれば他に何か楽しいネタ話を探したり、それをパソコンで書き込んだりする事が大好きな「凡人」店主なのでしょう。
実際、そういう店では最低最悪の「ふざけた珈琲」や「客を舐めた珈琲」に当たって非常に嫌な思いをした記憶しかありません。

ある高名な数学者が、過去何人もの学者が挑戦しては挫折した超難解な方程式を解いた時の逸話が印象に残っています。
その数学者は勤務中はもちろん、通勤中も、食事中も、トイレ中も、入浴中も、寝ている間も夢の中でずーっと、ずーーーっと、まさに24時間、365日、常にその方程式を解き続けたそうです。
そうして解き続けて、解き続けて、解き続けて、ようやく数年後、ある日、その方程式を見事に解く事ができたのだそうです。

司法試験に合格した知人も言っていました。司法試験の勉強中の4年間は、テレビやパソコンや雑誌類は一切見なかったそうです。その4年間は完全に「司法試験」の事以外は全く考えられず、そもそも他の事など一切興味さえ湧かなかったそうです。そうして4年後に見事に一回で合格したのです。
逆に、適当に遊びながら何となく司法試験の勉強らしき物をしている多くの凡人は、ぬるま湯気分のまま毎日を送り続け、おそらく何十年経っても不合格のままだと思います。

「24時間」、「365日」、常にその目的の事しか考えない、それ以外の些末事はすべて拒絶する、そうやってこそ初めて見えて来る物があり、それでこそやっと手が届く合格があり、それでこそようやく解明される理があり、それでのみやっと到達できる高い境地があるのです。

珈琲店も、「24時間、珈琲の事しか考えていない」かつ「365日、焙煎機の前に居る」位にまで自分を追い詰めない限り、到底、飲む人を感動させる「プロの珈琲」は絶対に作れないと心得るべきです。
そういう一意専心の立派な達人が、馬鹿な「雑記ブログ」を頻繁にせこせこ書いているなど「太陽が西から昇る」のと同じ位に「永遠に有り得ない」事です。



最後に《第九条》として、「適正な価格設定の店から買うべし」と言う事です。

自分で焙煎していると「珈琲豆の原価」と言う物が手に取るように明確に判るようになります。ところが、世の大多数の「自称珈琲マニア」は、自宅焙煎をしないため、どうもその辺が全く判っていないようなのです。
そのため傍で見ていると、自称珈琲マニアの方はつくづく騙されやすいと言うか、あまりにも馬鹿にされていると言うか、簡単に騙されて適正価格の2~3倍のボッタクリ価格で只のつまらない交配豆や不人気豆を購入して悦に入ったりしているようです。おそらく裏では悪徳業者に大爆笑されている事でしょう。

飲食店の原価率(食材の仕入率)は「平均30%」と言うのが常識です。
まずは国内大手の珈琲生豆の卸売り販売会社のサイトを一度よくチェックしてみる事をお薦めします。
その際は必ず業販用である「60~70kg袋」での価格を見る事です。その生豆価格を元に焙煎で重量が約20%減る事を踏まえて100g当たりの焙煎豆の原価を計算してみて下さい。
欠点豆の除去なども勘案し、一般的な豆ならそれを3~4倍程度、オークションロットやブルマンやハワイコナ等の高価格豆なら大体2倍程度に計算し、店頭でそれ以下の価格で焙煎豆を売っていれば、ほぼ「適正価格の店」だと、僕は判断しています。

実際に、少なくとも僕が「真に美味しい珈琲店」と評価している店はすべて3~4倍以内に収まっている店がほとんどです。真に美味しい店は価格も「適正」なのです。店主さんの「真っ正直な人となり」が味作りだけでなく価格設定にもそのまま反映されているのでしょう。
逆に「棚ボタ的暴利」の荒稼ぎ店で美味しい珈琲には出会った例は過去一度もありません。
そもそも、そう言う店は「高価な売値→きっと高品質珈琲→きっと絶品美味」と勝手に錯覚して買い全く味も判らず自己満足して終わってくれる愚昧な客がやって来るのをじっと待つ「クモの巣型商法」が強く疑われます。

現実の話として、以前も「理想の珈琲の定義 (2)」で書きましたが、国内のほとんどの自家焙煎店で100gあたり300円前後で売られている南米産のありふれたしがない激安豆を、大言壮語と美辞麗句で捲くし立てて、驚くことに同じ豆を何と「800円以上」もの超絶暴利プライスで売っている信じ難い悪徳店も「実在」しているのが「今の日本の珈琲業界のおぞましき実態」なのです。
そして同時に、珈琲豆は高級品も激安品も外見が極めて似通っているがゆえに、そのような忌まわしきボッタクリ商法を成り立たせてしまう「珈琲という商品の恐ろしい暗黒面」なのです。

そして実際に、そんな腹黒い悪徳業者の悪意や邪心が見え見えの「蜘蛛の巣型商法」に易々と引っかかってしまう低レベルな「自称珈琲マニア」の皆さんが巷に溢れ返り、いつまでも後を絶たないのですから、これでは真面目にコツコツと薄利で正直な商売をして「ミツバチ型商法」で頑張ってくれている良心的で有能な自家焙煎店が、あまりにも不憫で、不条理で、可哀想です。

僕達としては「蜘蛛の巣型」の自家焙煎店をこの世から絶滅させるべく、もっともっと豆の銘柄毎の「適正価格」や「市場価格」により一層敏感かつシビアにならなくてはなりません。
くれぐれも購入前に、果たしてその焙煎豆が「原価三割」の適正価格になっているのか否か、それを瞬時に正確に見抜いて常に正しい行動を取れるようにして欲しいものです。
目の前に並べられた珈琲の「適正価格」を見抜けるか否か、その造詣と慧眼の有無こそが、貴方を「真の珈琲マニア」と「無能有害の似非マニア」に峻別する「運命のY字路」なのだと心得て下さい。
「蜘蛛の巣型の自家焙煎店」は日本の珈琲業界全体の健全性や商行為における信義誠実の大原則の観点から見ても、僕達が一日も早く根絶すべき怨敵であり、一致団結して撲滅すべき凶賊であり、この世から徹底的に一掃すべき汚辱そのものです。

ただし、過去の新聞報道でもご存知のとおり、世の食品業界では「産地偽装」や「事故品の転売」などは日常茶飯事であり、むしろ一部では商習慣として当たり前に行われているフシさえ感じられます。

ですから珈琲豆も、「タダ同然で仕入れた危険な事故品豆」や「高級銘柄豆を騙った超激安クズ豆」などを裏の闇ルートから意図的に仕入れ、それらを売られてしまうと、そもそも「適正価格」も何もあったものではありません。
何しろ、焙煎してしまえば「素人客にはどの豆も全て同じに見えてしまう」のですから、防御のしようがありません。
もちろん、飲む人が飲めば即座に判りますが、それを豆の遺伝子レベルで証明したり、流通ルートを解明したりは個人では困難ゆえ、もうその店では絶対に買わないと言う程度の「泣き寝入り」しかないのが現実です。
そして、悪徳珈琲店は「それ」をよく知っているからこそ「濡れ手に粟」の事故品転売や産地偽装商法を「いつまでも永遠にやめない」のです。

前回のブログでも書きましたが、とある「カリスマ・セールスマン」が残したこんな逸話があります。
その人は、自分にコンビニで売っている100円の和菓子とちょっと豪華な箱を渡してくれれば、その和菓子をその豪華な箱に入れて「1万円」で売って来る自信がある、と常に周囲に豪語していたそうです。
それだけ自分の巧みな話術に絶対の自信があり、かつ、営業トーク次第で100倍の値段でも買う「カモ」が世の中には実際に多い事を経験して出た言葉なのでしょう。
恐ろしい事に珈琲業界でも、ちょっとしたマイナー豆を、何だかんだと捏造した誕生ストーリーと大言壮語のふれ込みを付けて、まるで「珈琲業界を揺るがす世界一のレア豆」の如き豆に錯覚させ、生豆の原価の20~30倍もの信じられない超法外な高価格で販売している所まであったりします。

それにしても、世の中には、そんな見え見えの「あり得るはずのない超ボッタクリ商法」に、またまた易々とひっかかってしまう「超オメデタイ人々」(=自称珈琲マニア)が本当に実在するのですから、いやはや何とも難儀で、実に恐ろしい事です。
自宅焙煎している人から見れば「明らかにおかしい価格設定だ」とすぐ判るのですが…。
全く以て、これでは「コーヒー通」になるはずが、まさしく「コーヒー痛」になってしまいます。

繰り返しますが、焙煎後の珈琲豆は色や形がとても似通っており、高級豆も劣悪豆も「自称珈琲マニア」の皆さんから見ればすべて同じに見え全く区別など付かない訳で、悪徳珈琲店は、まさに「その特性」にこそ目を付けてこの世に無数にある食品種目の中からわざわざ「珈琲豆」を商売の道具に選んでいるのです。
しかも自称珈琲マニアは「味が判らない」ので売った後のクレームの心配もない事を悪徳珈琲店は経験的によく知っています。
極まれに「高級豆のはずなのにイマイチ」と言って来る客が居れば、「あなたの淹れ方が悪い」と言ってさらに高価な抽出機器を暴利で売り付けようとしたりして来ます。
もしそれでもゴネるようなら、最後は「嗜好品だから万人が美味しいと言う珈琲はこの世に存在しない」などと定番の言い訳で締めくくるのです。

くれぐれも、悪どい店にとっては珈琲豆は客を騙して暴利をむさぼりやすい「非常においしい商売」であり「実に悪用されやすい商品」である現実をよく理解し重々踏まえた上で、「原価3割」と言う名の適正価格警戒レーダーを常に自身の念頭に置いて、細心の注意でお店選びをして下さい。



さて、僕の考えた「珈琲の名店探し九カ条」は以上のとおりです。
この「九カ条」は、本当に「味」が判る真の珈琲マニアの方なら、少なからず思い当たるフシがあるはずですし、必ずや共感や同意をして頂けるものと自負しています。

逆に、「珈琲の味が全く判らない珈琲初心者」や「珈琲は質より安さだと言う一般人」は、以上の9か条はすべて無視して頂いて結構です。その代わり、番外編である下記の《第十条》だけをただただ徹底して守り通して下さい。

その番外の《第十条》としては、「珈琲初心者や一般人は、スーパーマーケットで100g100円前後の豆のままの珈琲を買って愛飲するべし」と言う事です。

逆に、珈琲初心者や一般人はインターネットの珈琲通販や個人の自家焙煎店からは、金輪際、絶対に、一切買わないで下さい。味が判らないのにもし不用意に近づき、少しでも買う気配を見せてしまえば、これはもう完膚なきまでに徹底して騙され、搾取され、餌食にされ、「悲惨なカモ」に落ちぶれるだけです。

その代わり、ぜひ近所のスーパーマーケットへ行って、「100gが100円前後」の「豆のままの珈琲」を買って下さい。「100gが100円前後」とは、もし一袋が500g入りなら500円前後の超安い珈琲と言う事です。
「豆のままの珈琲」とは、サラサラの粉に挽かれていない丸い豆の原形のままで売られている珈琲の事です。
特にこの「豆のまま」と言う点が非常に重要です。「粉」になっている物は味や香りが抜け切っていて絶対に駄目です。そしてスーパーの珈琲は風味の劣化が早い熱風珈琲ばかりですから、出来れば出荷から1~2週間の日の浅い新しい珈琲を買う事です。
その珈琲は、貴方にとっておそらく99.99%の超高確率で、インターネット通販や個人の自家焙煎店の珈琲と「まったく同じ味」がするはずです。
それでいて値段は 1/4 ~ 1/6 の価格で買えてしまうのです。
これはもう、「今後はどちらで珈琲を買うべきか」、答えはあまりにも自明だと思います。

なおその際、売り場で包装袋を軽く振って「ゴゾゴソ」と重い音だけがする品が良品です。逆に「ガササッササッ」と軽い粉の音が混じる珈琲はダメです。
なぜならその軽い粉の音がする珈琲は割れ豆の小破片が混じった商品なのです。大手工場で大量生産される珈琲は製造ラインのパイプの中を豆が高速で移動する際などに曲がり角などにぶつかり頻繁に「豆が割れる」現象が発生します。それをそのまま焙煎すると割れた少破片は丸豆と比べて体積が極端に小さいため「真っ黒に焦げてしまう」のです。当然にその珈琲はその少破片が出す「焦げ臭さ」が充満した酷い味になります。
また、そのような美味の大きな障害になる焦げた小破片を取り除かずにそのまま含めて商品化してしまうそのメーカーの姿勢も大問題です。「一事が万事」なのですからそのメーカーは珈琲作りの他の要素も全てダメだと思います。
ですので豆のままで珈琲を買ったら袋の底を確認して下さい。割れ豆の小破片が少ない品ほど「まともな味作り」がなされた確実な優良珈琲です。

さらに言えば、できればアラビカ豆100%の珈琲が良いです。それには袋の裏の原材料表示欄をチェックして生産国名がブラジルやコロンビア、タンザニア、エチオピアなど、主に「アラビカ豆」を生産している国だけで占められている品が良品です。
逆に「ベトナム」「インドネシア」などのロブスタ豆生産国の名前が混じる品はあまりお薦めできません。
ただし、アイスコーヒーやエスプレッソ用等の深煎りの場合は、ロブスタを2~3割位入れると、むしろドッシリとした重い腰が出て味に幅や量感が出る事があります。

それから要注意点として、商品名に有名な「観光地名」や著名な「政令都市名」が冠された商品はほとんどダメです。それらはマスコミやガイドブックに頻繁に登場する観光地の知名度や人気、歴史や文化で名高い政令都市の伝統やご威光にあやかった「あやかり商法」の典型です。要は姑息な「虎の威を借る狐」のパターンです。
また、やたらとカッコ付けた商品名であったり、自社の誕生ストーリーや味作りを美辞麗句や大言壮語で煽る解説が長々と袋に書かれた商品も同じくダメです。
これらはネーミングやイメージを捏造する事で客を取り込む気が満々の「ダマシ」商品の典型的な特徴であり、徹底回避すべき「ハッタリ」商品の顕著な事例そのものです。
中身はただのつまらない普及品やしがない廉価品なのに、あれこれ演出して高級品や伝統品を装うことで、思いっきり「過当な利幅」が載せられた本当に馬鹿らしい商品がほとんどです。当然、コストパフォーマンスは最悪です。

逆に言えば、そういう買い手の心理に巧みに取り入ろうとする誇大広告商法に一切頼らない、「簡易な包装や質素なデザイン」の「ノンブランド珈琲」にこそ、本当にまじめに味だけで真摯に勝負している「当たり」の商品が多いのです。
僕の経験からは、本当に良心的な「ノンブランド珈琲」は、街中のデパートやスーパーよりも、郊外の量販店、業務系スーパー、ディスカウント店などに多く置かれていました。

また、くれぐれもスーパーの珈琲売り場に置かれている業務用ミルで一度にすべて挽いてしまわない事です。粉に挽いてしまえば、わずか半日ほどで香りも味も抜け落ち、「全く駄目な珈琲」に堕してしまいます。
ですから、必ず絶対に自宅で飲む直前に少量ずつミルで挽く事が「必須の遵守事項」です。

そして、もし自宅で「2000円位の安い手動ミル」「未漂白ペーパーフィルター」「汎用ポット」を使っているなら、それらを「カリタ・ナイスカットミル」「マルタ・ネルフィルター」「カリタ・ペリカンポット」に今すぐ変更して下さい。
この3つは、珈琲を劇的に美味しくする「魔法の三種の神器」です。安い店で買えばおそらく3つ揃えても2万円でおつりが来ると思います。
「インターネット通販」や「個人の自家焙煎店」で馬鹿らしい(本当に馬鹿らしい!!)超割高暴利の劣悪珈琲を舌先三寸の営業トークに騙されて買い続ける位なら、2万円弱の投資など「あっ」と言う間に確実に元が取れます。
本当ならミルはハイカットミルがお薦めですが高価ですのでナイスカットで代用でもかまいません。

そして実際に、「2000円位の安い手動ミル、未漂白ペーパーフィルター、汎用ポットで淹れた自家焙煎店の100gで500円前後の珈琲」と「魔法の三種の神器で淹れた100gで100円前後の豆のまま買ったスーパーの安い珈琲」とをブラインドテスト形式で比較して飲んでみることです。
これは、いくら味が判らない人でも、まず99.99%の超高確率で、三種の神器で淹れた豆のまま買ったスーパーの安い珈琲のほうが遥かに美味しいとはっきり感じ取れるはずです。それ位に極めて大きな決定的な違いが出るのです。
ご家族やご友人にも、ぜひブラインドテスト形式で黙って飲ませてみて下さい。
これまた同様に、必ずや「今までの珈琲より遥かに何倍も美味しい!」と、目をキラキラ輝かせて叫ぶと思います。
これが、この方法だけが、味の判らない珈琲初心者や自称珈琲マニア(=実は初心者)が、世の悪どい劣悪珈琲店に騙されず、搾取されず、餌食にされず、「惨めなカモ」にも「迷惑なデコイ」にも成らずに済むための、ただ、ただ、ただ、唯一の、実にONLY ONEの、まさに「芥川龍之介の蜘蛛の糸」的な、この世に只一つの救いの方法です。


最後に念のため申し上げますが、商売上手な悪徳店主の説明を真に受ける事は、危険な「ハーメルンの笛吹き男」に着いて行く無知で無防備な子供の姿そのものです。
また、デコイ様達の書いたネット上の大嘘レビューを信じてお店を選ぶ事は、ネズミの集団が崖に向かって一斉に行進して行く恐い「レミングの集団自殺」と全く同じ愚かで危険な群集心理行動の典型です。

ですから、真に美味しい珈琲店探しにおいて最も大切な事は、その一番の重要なポイントは、「店が捏造した誇大説明文」と「デコイさまの大嘘レビュー」は徹頭徹尾全て完全に無視し、「一切この世に存在しない物」として完璧に捨象して下さい。
そして一切誤魔化しようがなく動かしようのない「店の現実の姿」だけを、正確、冷徹、厳格、客観的、検証的、デジタル的、マニュアル的、機械的にチェックするという事です。
何しろ相手は百戦錬磨、まさに海千山千、ほとんど催眠術師に近いのですから、自店の珈琲についてある事ない事、いくらでも良い事をサイト上に羅列するのは非常に簡単にやってのけます。
何しろサイトと言う物は、数分間キーボードを打つだけで自由自在に捏造が可能なのですから。

しかし、「現実の姿」は一切捏造できないのです。
常に「その店の真実を全て正直に語ってしまう」のです。

それは「直火焙煎機の存在」であり、「浅・中・深の幅広い焙煎度を誇る品揃え」であり、「粛然とした客層と穏やかで品のある店主」であり、「賞味期限の余裕の長さ」であり、「店舗の立派な店構え」であり、「焙煎機の完璧な清掃状態」であり、「広告に一切頼らない商法」であり、そして「適正かつ明朗な仕組の価格」なのです。
それらの「ハード面」のチェックの積み重ねで判断して行けば、百戦錬磨、海千山千の猛者が相手とは言え、その催眠術中に落ちて劣悪珈琲をボッタクリ価格で買って後で泣くような大きな間違いは、今後必ず激減するものと確信します。


僕の過去の経験では真に美味しい自家焙煎珈琲店に当たる確率は「1%」あるかないかです。
このわずか「1%」と言う厳しい数字を常に頭の片隅に置いて慎重にお店選びをして欲しいものです。


 
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