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ネット上の珈琲情報
「何としても、生きている間に、日本一美味しい珈琲を飲んでみたい」・・・。

もしも、珈琲の持つ真の超絶魔力を目の当たりにし、一度でも強烈に魅入られた人々であれば、それはあまりにも至極当然の願望であり、永遠の希求であり、一生涯の悲願そのものでしょう。
そして、そんな人々であれば、日本一の珈琲店を探すにあたり、多くの方がインターネットを利用すると思います。

しかし、現実には、インターネットこそは、非常に恐ろしく危険な、「諸刃の剣」そのものなのです。
今回は、そんなインターネットからの情報収集について、是非とも絶対に守るべき重要な注意点を述べてみたいと思います。

何しろネット上では、無数の一般大衆が、日々、「ブログ」や「クチコミサイト」や「掲示板」に飲食情報を書き込んでいる訳です。
珈琲についても、全国の大衆が無数の珈琲を飲んで、日々その感想を語り、評価を書き込み、厖大な情報がネット上に集積される訳ですから、それらブログやクチコミサイトや掲示板で、複数人から熱心に推薦されていたり、ランク上位になっている珈琲店であれば、なんだか信用するに値して、ついつい日本一の珈琲店を探すキーとなる情報が存在するのではないか・・・などと錯覚に陥ってしまいます。

しかし、僕の経験では、このインターネット上に一般大衆が書き込んだ「無料口コミサイト」や「無料ブログ」や「無料掲示板」の情報の99%は、実は全く信用に値しない恥知らずな不実記載のオンパレードです。
それどころかむしろ、虚言、妄語、偽説、見栄、虚栄、衆愚、群盲の類が積み重ねられた恐ろしい殺傷力を持つ「地雷」情報だらけで、もし、うっかり信じて踏んだりすれば大爆発し、本当に酷い目に遭い、非常に危険です。

特に、無料のクチコミグルメ系サイトは、今や「デコイ様達の一大繁殖地」と化しており、錯覚や妄想や大嘘や虚栄や衆愚や群盲だらけの無責任な書込みが渦を巻き、猛威を振るい、まさに「おぞましき情報テロ行為合戦」そのものが繰り広げられています。
珈琲だけでなく、ありとあらゆるジャンルで繰り広げられているそれら情報テロ合戦のそのおぞましい過激で野放図な惨状は、まさしく目を覆うばかりの実に惨憺たる酷い有様です。

そもそも、極低レベルの飲食店や劣悪珈琲の店を取り上げて、「ここの料理は本当に絶品!」とか「最高に美味しい珈琲が飲める店!」などとブログや口コミサイトで大得意になって絶賛しているタチの悪い人達は、一体どういうつもりであり、果たして何が目的なのでしょうか?

その原因としては、以下のようなものが考えられます。

まず、わざわざブログやレビューを書いても、周囲から無視されたり、誰にも読んでもらえないのではとても惨めです。
そのため大抵の人は、ブログやレビューを始めて少し経つとだんだん周囲からもっと注目されようとして、次第にもっと訪問者数を大幅に増やし人気を集めようとして、「最上級の名店を日々食覇している飲食の達人を気取りたい」とか、「次々に穴場店を見つけている事にして周囲から一目置かれたい」とか、「楽しく充実した日々を送っている振りのアピールをしたい」とか、考え始めるようです。

そのため、読んだ人が喜びそうな事や、楽しい気持ちになりそうな脚色や捏造を始める訳です。
極低レベルの飲食店や劣悪珈琲の店に当たっても、大失敗したとか大損したとかマイナスな事実はすべて隠蔽し正直には書かず、無意識のうちに「目に嬉しい文章」にすり替えたり、「耳に心地良い話」に作り替えたりして、次第に捏造話の濫造に全く歯止めが利かなくなってしまうようです。

どうやら、現実社会では何の取柄も能力も全くないつまらない人間が、せめて「ネット上の世界」では、何とかして周囲から注目されたくて、どうにかして有能人や人気者を気取りたくて、少しでも世間から一目置かれたくて、超迷惑な「あらぬ功名話」を大量に捏造し始めてしまうのでしょう。

それはまるで小学校のクラスで無視され続け、何とかして人気者になりたくて、どうにかして友達の関心を引きたくて、「宇宙人と話した!」とか「UFOに乗った!」とか「河童と泳いだ!」とか「雪男と握手した!」とか「ネッシーと戦って勝った!」とか、アホな作り話をして大得意になっている育ちの悪い子供と「全く同一の精神構造の人」としか思えません。

また、もしも正直に感想を書こうとしても、グルメ情報を語るには観察眼や味覚センサーの能力があまりにも低すぎて、「本当に良いもの」も「論外の悪いもの」も全く区別が付かず、何を食べても何を飲んでも、何も判らず、何も感じず、大切な情報を全て見過ごし、重要な差異にもいっさい気付かず、結局は、ただただ「すべてが素敵な良いお店だった」などという、メルヘン世界の夢物語か、ホワホワした空想の絵空事のような、自分も読者も店主も全員が笑顔でめでたく和気藹々と収まる大団円のハッピーエンド感想しか書けないのでしょう。

そう言う偽善的というか、善人づらというか、お為ごかしの愚人は、読者が知りたくて本当に必要としている具体的で仔細な真実のグルメ感想などを書く「知識も能力も経験も一切ない」人なのであり、本人は良い気分なのかも知れませんが、はっきり言って「超大迷惑」以外の何物でもありません。
そういう人は、要は、実は、ただの「無能力者」な訳なのですから、間違っても背伸びして絶品珈琲や極上美食の感想を書いたり述べたりする場にしゃしゃり出て来たりせず、社会の迷惑にならぬよう、ただひたすら舞台裏の隅っこの方で息を殺してただただ無言で大人しく口を閉じていて欲しいものです。

それらに加え、もともと珈琲や料理に対して目指しているレベルや求めている次元が全くかけ離れて大きく違い過ぎるという事も非常に大きいです。
以前も「車」を例に挙げて書きましたが、フェラーリやポルシェでサーキット走行会に集うような筋金入りのカーマニア達と、買い物や通勤で大衆車に乗っている一般人とでは、一言で「車」と言っても、車に対する価値観や経験値が極端に大きくかけ離れ、完全にまるっきり別物な訳です。
大多数の一般人にとってみれば「車」など値段が安く、燃費も良くて、便利に動けばいい程度のものでしかないのです。
「珈琲」も同じです。珈琲に大して興味のない一般人は珈琲の味などよりも安さと手軽さを求めています。
インスタント珈琲や缶珈琲のCMがテレビを席巻し、スーパーで「粉挽き」の珈琲やドリップバッグの珈琲が棚をズラリと占領しているのです。
それらを、一般大衆は嬉々として購入し日々好んで消費し、一般大衆はそういう珈琲を「美味しい珈琲」と信じ込んでいるのです。

世の中の多くの自家焙煎店は平均すれば20点程度の珈琲を出しています。
真に100点の超絶珈琲を経験している珈琲上級者から見れば、そのような20点の珈琲などわざわざ飲むに値するものでは全くありません。
しかし一般人の多くは、インスタントやドリップバッグやファストフード店の珈琲などの0点~5点程度の珈琲しか飲んだ事がない訳です。
そういう一般大衆が、何かのきっかけで極まれに珈琲専門店へ入り、そこでそれら20点程度の珈琲を飲むと、とても感動する事になる訳です。
そのため、そういう20点までの珈琲しか知らない多くの一般大衆にとっては、その最悪の20点珈琲がおそらくこの世で最高ランクの100点の極上珈琲に思えるという、何とも恐ろしいパラドックスが存在すると言う事です。

そして、ネット上の口コミサイトや個人ブログや無料掲示板等の情報も、ほとんどすべて、それら「一般大衆」が書き込んでいる訳ですから、真の珈琲マニアから見れば、それらネット情報は20点前後のダメ店ばかりがズラリと勢揃いしてすべて絶賛されている訳で、まさしく「駄目店情報の巣窟」であり、当然に「ガセネタの集積地」になっている事がほとんどであると言う事です。
そして何より恐ろしい事に、それら一般大衆は、そもそも「本物の100点満点の味」も判らず、「頂点の美味しさの経験」も知らないため、自分が「20点の味を100点」だと大錯覚し、「最低の珈琲を最高の珈琲」だと強弁している自覚さえ一切なく、出鱈目話や大嘘をネットに書き込んでいるという罪の意識さえ一切持つ事もないのです。
そのためネット上の一般大衆の出鱈目話にブレーキがかかる事など一切なく、一般大衆はますます増長し、お互いを賞賛し肯定し合う事で、さらに際限なくますます迷惑な出鱈目グルメ情報を世間に撒き散らし、無責任かつ無軌道に伝播拡散させているのです。

インターネットも一昔前までは、自分でサイトを開く場合は月に数千円程度のお金がかかる世界でしたので、わざわざ一定のお金をかけてまでグルメ情報サイトを開設する人は「それなりに味の判るセミプロレベル」の人が多く、なかなか有益で優れた情報を発信してくれていたものです。
しかし、ここ数年で無料ブログが氾濫し、投稿型レビューサイトの普及などのせいもあって、無知無能の「一般大衆」までもが我も我もと味が判った振りをして稚拙で誤ったグルメ感想を書き込むようになり、迷惑この上ないデコイ様達が「この世の春を謳歌する」とても有害で苦々しい悪弊のある世界になってしまいました。

カフェ巡り系のブログなどは、さらに最悪です。
他の客の迷惑など一切考えずにつまらない写真を撮りまくり、自意識過剰の妄想レビューを書き込むだけで、肝心な珈琲に関するレビューや味覚のセンスは極め付きの低レベルさです。
ただただ無益な写真や言葉を並べ立てて得意になっているだけで、具体的で有益な情報や珈琲に関する優れた考察など何一つなく、何も知らず、何も判らず、何も出来ず、何も持っていない人が、果たして何の意味があって無駄なブログなどを書いているのでしょうか?
わざわざ書いているなら何かしら有益な情報があるだろうかと錯覚し、うっかり読んでしまった身としては、「浪費させられた時間を返せ」と強く言いたいです。

中には、自分の味覚が優れている振りをアピールしたいのか、恐ろしい事に「灰皿」のあるカフェで飲んだ珈琲の香りの描写や味の感想をこれみよがしにわざとらしく細かく書いている人もいたりします。
しかし、そもそも喫煙可能なカフェの店内ではタバコの強烈な悪臭の破壊力に全てかき消されてしまい、珈琲の香りも味もあったものではありません。
電車の高架ガード下や金属プレス工場の中など異常な猛騒音だらけの中で、繊細なフルートの音色の鑑賞など物理的に絶対に不可能であるのと全く同じ事です。

つまり、喫煙カフェで珈琲の香りや味を詳細に賞味すること自体が、絶対に不可能で到底有り得ない事象であり、それを臆面もなく語る人はもう「大嘘」が丸見えだということです。
もしそんな喫煙カフェの珈琲の感想をどうしても書くなら、「周囲の客の喫煙のせいでせっかくの珈琲の香りも味も全て台無しになりまるっきり判らなかった」と書く以外あり得ない事です。
そもそも本当に繊細な嗅覚や敏感な味覚を持っている人であれば、喫煙可能なカフェなど最初から「入店さえ絶対不可能」なはずです。
ですから、無選別に多くの喫煙カフェや喫煙飲食店を巡り歩き、タバコの悪臭を気にもとめない事自体が、実は真のグルメ人とは程遠い、極めて鈍感な嗅覚とひどく低レベルな味覚の所有者である事の証明そのものなのです。

珈琲と言うと「大人の飲み物」とか、珈琲にこだわるのは「文化人や業界人」というイメージがあるのかどうなのか、ネット上でも「自称珈琲マニア」が増加しています。
珈琲の微妙な香りや味の違いをさも判ったように得意になって語る事で、鼻や舌の感覚が敏感な人である振りをしたり、珈琲の味が判る男や品質の違いが判る男を気取りたい気持ちは判ります。
そして実際に世界中には様々な種類の珈琲が存在し、カフェもどの町にも存在し、一杯あたりの値段も安価ですから、一見すると、珈琲について語ることは誰にでも簡単で気軽で、その敷居はとても低く見えます。

しかし、味を語るに於いて、実は珈琲ほど厄介で難しいものは少ないでしょう。
料理やスイーツ等であれば、ある程度は「見た目」で味の想像ができますが、珈琲はただ黒いだけの液体ですので「視覚情報」と言うものが非常に乏しいからです。
ですから、現実には、紛りなりにも「真のマニアとして珈琲を仔細に語る」とか「珈琲通として香味を正確に理解する」には、それ相応の「能力」がない人間では到底「不可能」な事なのだと心得るべきです。

特に珈琲は単価がとても安いため、ワインなどに比較すれば敷居が非常に低い事が災いしています。そのため色々な人達が来てしまうのです。
つまり「味音痴の自分でも珈琲なら語れるはず」と見くびられ、「価格が安い割にツウの趣味人を気取れる」と舐められ、「間違った事を書いても嗜好の違いと言えば誤魔化せる」と馬鹿にされて、嫌になるほど劣悪な味覚所有者まで「自称珈琲マニア」を名乗り、平然とブログや口コミや掲示板に投稿して来る嘆かわしい悪弊が見て取れるのです。

そう言う無知で無能力で有害なヤカラには、珈琲を飲むなとまでは言いませんが、大人しくして「あまり珈琲をなめるな」とか「珈琲が判らないなら語るな」とは強く言いたいです。
そもそも、どんな趣味でも上に行くには「能力」が要求されます。結局、どんな分野のどんな趣味であれ、「無能」な人間には「マニア」や「ツウ」は絶対に無理だと言う事です。

珈琲を飲むのは大いに結構なことですが、自分の味覚能力の程度をもっとよく自覚し、ただただ大人しく、ただただ謙虚に、くれぐれも「語らず」「書かず」「撮らず」の三原則を厳守し、今日中にブログは即時閉鎖し、デジカメは売却し、ネットへの書込みも全て削除し、そのまま永遠に慎ましく口を閉じて自重していて欲しいものです。

ですので、もしインターネットである程度有益で信頼の置けるグルメ情報を探すつもりなら、「独自ドメインを持つサイト」や「プロバイダー系のサイト」など、せめて少なくとも「自腹で料金を払ってまで熱心に開設運営されている」レベルのグルメサイトを訪問する必要があります。


なお、無料のブログ等でも、まれに「珈琲趣味」に特化したブログがあったりします。
何年もかけて熱心に多数の珈琲店を巡って味の感想を書いていたり、自宅で様々な珈琲豆を焙煎した記録を紹介していたり、中には自分で色々と工夫して焙煎機を製作してレポートしている人などもいたりします。

しかし、わざわざ珈琲専門のブログを作っている位ですからよほど珈琲の本質が判っている上級者なのかと思うと、これがまた残念なことに、そのほとんどは味が一切判らないだけでなく、ブログのネタとして珈琲を単なる「オモチャ」にしているだけとしか思えない人が実に多いことに心底呆れてしまいます。

それらブログの多くは、単に訪問店の数やレア豆の経験値をズラリと羅列してその多さを思い切りネットで自慢したいだけであったり、本格マニアを気取って自宅焙煎をしている事を見せびらかしたいだけであったりが多く、本当にガッカリしてしまいます。

特に「飲み歩き」系の珈琲ブログには、迷惑な「似非マニア」が極めて多いと感じます。
味がまったく判らないため店舗を訪問しても具体的な香味の感想が全くなく、「大きくて長いカウンター席のある店だった」とか、「棚に豆がたくさん並んでいた」とか、「白い小さなカップで珈琲が登場した」とか、抽象的な視覚情報しか書けない人が「珈琲ブログ」を書いていたりするのです。
また、ブラジルを飲んで「ブラジルらしい香りがした」とか、モカを飲んで「モカらしい味がした」とか、自分の味の判らなさを誤魔化すため極めて当たり障りのない無難な事ばかり書いているまるで「馬か鹿のお仲間」のような人もいます。
しかも、それらメジャー生産国の場合は産地や品種が非常に多様化しているため一つの国でも珈琲の香味は激変しており、「(国)~らしい味」と言う表現は到底不可能なのですが、その辺がまるで判っていないようで、自分が如何に赤面物の阿呆な事を書いているか、早く気付いて欲しいものです。

時折、多少は具体的に踏み込んだ感想を書いているように見える珈琲ブログもあったりしますが、実際に読んでみますと、口が達者なだけの激マズ劣悪欺瞞店を絶賛していて「こんな最悪店の珈琲豆のどこをどうすれば美味しいと感じるのか」とか、逆に安くて美味しい超お薦めの優良焙煎店をこき下ろしていて「あの素晴らしい秀逸店の絶品美味がこれほど判らない人がいるものなのか」と、その出鱈目さに驚き、その無能さに愕然とし、呆れ果ててものが言えなくなります。

よく読めば何のことはない、珈琲の味について詳しく書いている振りをしているだけで、実際には大した珈琲など出していない三流の欺瞞店にもかかわらず、自分の事を立派な珈琲マニアと認めてくれて店主さんから名前を覚えてもらったり、自身の味覚を優秀だと賞賛して一目置いてくれたお店のことは、嬉しくて嬉しくてしょうがなく、もう「有頂天」になってブログや口コミサイトでそのお店を「絶賛」しているだけだったりするのです。

そういう有害な忌むべき「似非珈琲マニア」の顕著な特長として、ネットにレビューを書き込む際に、自分がさもその珈琲店の超常連で店主と特別に懇意にしているVIP客である振りを強調するため、店主を「○○さん」とか「△△氏」などとわざとらしく個人名を挙げて呼んでいたり、もしくは、さも自分が珈琲業界の事情通であるように見せかけたくて「この店主は◇◇店で修行した弟子が開店」とか、「□□□系列出身の店らしい味がする」とか、「以前に☆☆☆店で飲んだ同じ豆と味を比較すると」などと、乏しい知識やお粗末な経験を精一杯ひけらかし、無理にその店の知ったか振りをし、虚勢を張って必死に格好をつけたがる愚かな傾向があります。

そして逆に、そんな似非マニアに限って、自分をわずかでも無視したり、少しでも邪険に扱ったりした店は、どんなに美味しい珈琲を出している真の一流店でも、ムキになって徹底して全否定する姿勢に転じたりするのですから、本当に最悪で、恐ろしいほど始末に負えません。

実際に、珈琲以外の分野でも、グルメやラーメンなどの無料の投稿型クチコミサイトなどで大得意になって何百件~何千件も投稿し続けている人を見かけたりしますが、そのレビューの中身などを読むと、「この人の味覚、果たして塩と砂糖の区別がついているのか?」と思うような極超低レベルなレビュアーがほとんどである事に驚かされます。正確な料理の評価や正直なレビューなど最初から全く頭になく、自分が人気レビューアーに成る事だけが唯一の目的で、味が判ったふりして何でもかんでも「絶品」「美味しい」「大満足」と褒めまくり、とにかく読む人を大満足させる「感激レビュー」を書くことで自分のファンを増やす事に無軌道な暴走をしている迷惑な人達ばかりであることに呆れ果ててしまいます。
極まれに珍しく辛口評価をしているかと思えば、味とは一切全く無関係な、ただ単に「接客で自分がぞんざいに扱われた」、「店主が自分をちょっと無視した」、「自分ヘの無愛想な態度が気に入らない」等の、自分の矮小な下卑たプライドを傷つけられた事だけが原因で、大いに逆ギレしてあらぬ極低評価を付けていたりするだけだったりします。

まさしく、彼らはネット社会の無軌道な膨張が生んでしまった「最悪の情報テロリスト集団」そのものであり、ネット社会に巣食い情報インフラをボロボロに食い荒らし滅ぼす「最凶のシロアリ集団」そのものであり、本当に社会に「悪」と「害」しか成さない忌むべき厄介な有害物そのものなのです。

また、自宅焙煎系のブログなども、どこからどう好意的に見ても、「こんな欠点だらけの焙煎法でまともな珈琲が焙煎できる訳がない」とか、焼きムラだらけの豆のひどい画像を得意になって掲載して、「これでは焦げ臭さと青渋臭さだけでどう考えてもまともな味がする訳がないのによく飲めるものだ」と一目で判ってしまう、本当に暗澹とした気持ちにさせられる低レベルな内容のプログしか見た事がないのが、悲しいですが現実です。

ちなみに、「珈琲の飲み歩き」についてですが、僕は珈琲専門店に行ってもマスターと会話する事はほとんどありません。
むしろこれから飲む珈琲におかしな先入観を持たされたり、店側のあざといセールストークに相槌を打つのが嫌で、会話することをあえて極力避けています。

実際、まずい珈琲屋さんほど、やたらと会話上手だったり、巧みに善人ぶったりして、「いつの間にか客を自分の術中にはめる」ことに非常に長けています。
珈琲焙煎はすごく下手でも、「商売は恐ろしく上手」なのです。
今までずっとそうやって生き残って来た訳です。

中にはもっと真剣にハンドピックや焙煎の研究をすれば今よりずっと美味しい珈琲になると思える店もまれにありますが、あまりにも利幅が大きいので、どうしても「売り付ける事」ばかりに力を注いでしまうのでしょう。
熱心なのは良い事ですが、「情熱」を向ける方向をまるっきり間違えているとしか思えません。

ただし、世の中、あまりにも「味が判らず」、広告文や店主の言う事を「鵜呑み」にする客ばかりが多すぎる事が、店主のそういう「口八丁の営業マン専念化」を促進している面も大きいですが。

そもそも「本物の珈琲マニア」なのであれば、真に美味しい珈琲を飲むことだけが純粋な目的ですから、店内ではむしろ誰からも邪魔されず一人静かに珈琲を黙って飲む行為に終始するはずなのです。
しかし、似非珈琲マニアは「純粋に美味しい珈琲と出会う事が目的」なのではなく、実は「珈琲店からすごいマニアだと思われて一目置かれたい」「周囲から尊敬され自分が述べる意見や評価には絶対的権威を持たせたい」「ネット屈指の珈琲通として名を知らしめて思い切りもてはやされたい」などなどの願望が非常に強いという特徴があります。

そのため「似非珈琲マニア」は、自分をアピールするために誰かに珈琲談義をふっかけたくて「うずうず」してしまったり、店主にどうしても自分を覚えて欲しくて「ついつい」話しかけてしまうなど、迷惑な似非珈琲マニア独特の習性が必ず出てしまいます。
そして極め付けは「○○から来ました」「過去○百軒巡りました」などと聞かれてもいない「自己紹介」を始めたりしてしまうのです。
実は「それが本当の目的」なのですから極めて当然のことなのでしょう。

そして悪徳な欺瞞店になるほど、店主もそう言う「似非珈琲マニア」や「自称珈琲マニア」の幼稚な心理や習性をよく熟知し、そういう類のヤカラの扱いには非常に慣れているうえ、いよいよ蜘蛛の巣に獲物がかかって来た状態であり、「貴方のような味の判る人を待っていた」とか「さあ美味しい珈琲について熱く語ろう」みたいな、マッチの火に1000リットルの油を注ぐような態度で接し、思いっきり誉めちぎり大いに感心し、時に少しだけたしなめながら老獪に懐柔し、飼い馴らし、手なずけ、最後はすっかり自身の狡猾な術中に陥れうまく囲い込む事で「安定的収入源」の一つとしてその似非珈琲マニアを確保する訳です。

特にそれらの悪徳珈琲店が良く使う手口が、似非マニア達が店内でやらかす数々の自己顕示のための奇行やマニア度アピールの奇癖に対し、さも共感したり感服したりしたような大げさな表情を見せた後に、「プロの方ですか?」とか、「同業者様とお見受けしますが?」などと、彼らの浅ましい自尊心を見事に満足させ、卑しいプライドを絶妙にくすぐり、最大限におだて持ち上げる「殺し文句」を投げかけるという必殺技です。

実際、「似非珈琲マニア」や「自称珈琲マニア」は、ちょっと煽ったり、褒め上げたり、自尊心をくすぐったりするだけで、一般人から見れば到底信じられないような金額を一切迷わずに即座に珈琲に使ってくれます。
むしろ、珈琲に関して「異常な高額出費」をすればするほどネットで大自慢できる、大注目されると嬉々として喜び、それによりネット上での自分の珈琲マニアとしての「ランクが上がる」「箔が付く」とほくそ笑んでいるフシさえあります。
ですが、その実態は悪徳店から見ればまさしく大爆笑の「自ら罠を探し歩く最もおいしい太った鴨」その物であり、こんなに「扱いが簡単で美味しい客」は他にいないのです。

そしてそれら悪徳珈琲店から自分を立派な珈琲マニアと認めてもらえた「似非マニア」達は、それと呼応するかのように似非珈琲マニア側も「このお店は珈琲に対する姿勢が実に素晴らしい」とか「店主の焙煎研究への意識が非常に高い」とか、ネットや口コミでそのお店の「絶賛」を始めます。
自分のことを認めてくれたお店はもう嬉しくて嬉しくて仕方がないうえ、そのお店を徹底して持ち上げる事で、そのお店に認められた自分自身のことも間接的に大いに持ち上げたい訳です。
しかし、実はそのお店は、単に営業トークや客の懐柔に異常に長けているだけの店であり、味は完全な勘違いの独りよがり店であったり、焙煎技術は素人に毛が生えたレベルの超無能店だったりするのですから、これではもう「笑い話」では済まない事です。

実際に、僕の経験から言えば「真に美味しい実力派珈琲店」になればなるほど、自分の焙煎した珈琲に絶対の自信があるがゆえに、わざとらしい愛想や饒舌な営業トークを一切使わない「職人気質のお店」が多くなる明確な傾向があります。
しかし、似非珈琲マニアは、矮小で下卑たおかしなプライドを持っていますので、どんなに美味しい実力派珈琲店でも、店主さんの愛想が少しでも良くなかったり、わずかでも自分の事を無視したり、ちょっとでもぞんざいにしたりしたお店に対しては、「この店は許さん」とばかりに、重箱の隅をつつくような難癖や因縁をつけて徹底して否定し、ネットや口コミで滅茶苦茶にこきおろしたりするのです。
まさにその姿は、職人気質の真面目な実力店にとっては、ブンブンしつこく飛び回って仕事の邪魔をする迷惑な「うるさい小蝿」そのものです。

つまり、そういう似非マニア達がネット上に熱心に書き込みしている内容こそは、まさに「真実と真逆の評価」であり、「誤った有害情報」の無責任な垂れ流しであり、それは「情報テロ行為」以外の何物でもありません。
何とも、「似非珈琲マニア」とは、かように有害で何とも迷惑な客であり、凄まじく難儀で恐ろしく厄介な存在だと言う事です。

これが「無知な珈琲初心者」になりますと、一方的にお店側から騙されているシーンに良くお目にかかります。
その最大の特徴として、味が一切判らない珈琲初心者は「味覚」からの情報はゼロであり、その美味判断の根拠はすべて「視覚」と「聴覚」からの情報に依存していると言う事です。
お店側もその点を熟知しており、恐ろしいほど巧妙に商売に利用しています。

まず、初心者は自宅で珈琲焙煎などしませんので「焙煎シーン」を見る機会がほとんどないようなのです。
狡猾な店になるとその辺りをよく心得ていて、焙煎機を「わざと客の目の前で稼動」させて、煙をモクモク出したりしてデモンストレーションに励んだり、注文を受けて店頭ですぐに焙煎をしてくれるオーダー焙煎などと称して急速型の「即席熱風焙煎機」を導入していたりするのです。
そういう珈琲が焼けるシーンを目の当たりにした珈琲初心者は「正真正銘の焼き立ての珈琲が飲める」とか「この珈琲は絶対美味しいに違いない」とか、勝手に大きな勘違いをしてくれるのです。
珈琲店が焙煎をするなど「ただの日常」な訳ですが、どうやら珈琲初心者にとってはそれを見られたのは「貴重な経験」とか「幸運な体験」になるようなのです。
当然、その店で稼動中の焙煎機を横目に見ながら飲む珈琲は、無類の「格別な一杯」になるようです。
味が一切判らない珈琲初心者にとっては「味覚」からの情報はゼロなのであり、「視覚」からの情報こそがその店を評価し判断する材料の「すべて」なのです。

また、店内カウンターで「無知な珈琲初心者」が珈琲を飲んでいる間中、店主がそばにずーっと付きっ切りで、「うちの珈琲豆は最高クラスの仕入れです」「焙煎も徹底してこだわって仕上げています」「飲んだ方は皆さん必ず美味しいと言われます」「飲めば他店との味の差が絶対に判って頂けるはずです」などなど、まさに「マン・ツー・マン」で、ずっとレクチャーし続けたりしているシーンにもよくお目にかかります。
百戦錬磨、海千山千の店主さんから執拗に「最高の珈琲です」「絶対美味しいのです」「皆美味しいと言います」などと繰り返し耳元で説得を受け続ければ、大抵の初心者はコロリと簡単に洗脳されてしまいます。
実際、傍から見ているとほとんど「催眠術」をかけているようにしか見えません。
やはり、味が一切判らない珈琲初心者にとっては「味覚」からの情報はゼロですので、「聴覚」から入って来る「言葉」情報をそっくりそのままその店の評価として判断してしまう訳です。
また、通販珈琲に同封されて来るしおりやパンフレットも同様で、書かれている「文字」情報をそっくりそのまま鵜呑みにして信じ込んでしまいます。
こうして、悪徳珈琲店は、珈琲初心者を巧みにたぶらかし「信者」化させることで、これ以上はないほど確実な「自店の養分」として確保して行くのです。

そういう珈琲初心者も「黙って騙されている」分にはさほど有害ではないのですが、ブログや口コミサイトや掲示板などが、誰でも「無料で気軽に利用できる」現代においては、結果として、悪徳店に加担し、その「手先」になってしまい有害化してしまうケースが後を絶ちません。
自分が店主から吹き込まれた「視覚」と「聴覚」からの情報を、さも自分の「味覚」で味わったかのように置き換えて、しかも尾ひれまで付けて得意になって書き込みをしてしまうのです。
その店を「本当においしい」「絶品の珈琲が飲める」「店主さんの人柄も最高」などと、自らも「布教」活動をしてしまい、同じく味の判らない「信者」を次々に拡大連鎖的に誕生させてしまう訳です。
そういう珈琲初心者が徹底して騙され、どんなに大金を巻き上げられていようと、僕には全く関係はない訳ですが、本来ならこの世から駆逐されるべき悪徳店に資金を供給し、逆に「我が世の春」の如く繁栄させてしまうのは、見ていて全く気分の良いものではありません。

結局、現実問題として「珈琲を得意顔で語りたいけれど味が一切判らない人々」がほぼ95%を占める以上、店にとっては「美味しい珈琲を作る努力」などよりも、「美味しいイメージを捏造する努力」をする方が、より一層ずっと確実に、遥かに効果的に、「巨万の利益」という大きく甘い実を結ぶ訳です。
珈琲は「嗜好品」なのですから、本来なら真に味覚に優れた人々だけが集う趣味のはずであるにも関わらず、本当に悲しい事ですが、現実は「真逆」の状態にあります。
有害な似非マニアが暗躍跳梁し、無知な初心者が幅を利かせている現実、そしてそれらの「鴨の群れ」を悪どい珈琲店が好き放題に狩場にしている現実、そんな日本の珈琲業界の何とも無残な惨憺たる現状を心の底から嘆かざるを得ません。


なお、余談になりますが、僕はワインも好きなので自宅に完全無振動型のワインセラーを3台持ち、ワインを飲む部屋の蛍光灯はすべて紫外線カットタイプで完全空調、ワイングラスもリーデルのソムリエシリーズを始め30脚以上を所有し、実際に一時期は非常にワインに凝っていた事があります。

そのため、ワイン系のブログ等を見かけるとついつい少し読んでしまうのですが、高価なワインやレア物のワインをネット通販で入手し、それらのワインの香りや味を大得意になって熱心に語っている人を見ると、「なんと愚かな事を…」とか、「実に可哀想な人だ…」とか思ってしまいます。
なぜなら、「ワイン」こそは珈琲など比較にならない位に、「最強ダマシの王者」の本家本元であり、「高価格ボッタクリ商法」の元祖中の超元祖でもあるからです。
当然に、「自称ワインマニアの超鴨ネギぶり」から比較すれば、自称珈琲マニアの鴨ネギぶりなどまだ可愛いものです。

そもそも、醸造酒であるワインの品質は非常にデリケートであり、それは高価なワインになればなるほど、異常なほどナーバスな保存管理が必要になります。
実際、ほんの極僅かな温度変化、どんな微々たる直射日光、ちょっとした振動などでも、本当に「あっ」という間に品質が明らかに劣化します。
ですから、デパートや街中の酒店などの市販ルートに乗っているワインや、ネット通販で売られているワインなどは、既に長い輸送や保存温度の急変化を繰り返されているため、それらの過程で劣化に劣化を重ねており、そもそも既に「論外の味」の状態なのです。
定温輸送のリーファーコンテナ等というものもありますが、コンテナから出してしまえば同じ事です。
さらに、無知な酒店やデパート等では、嫌と言うほど明るい紫外線だらけの照明の下にデリケートなワインが平然と陳列されていたりして、品質劣化に一層の追い討ちをかける事をやめません。

特に夏には気温が高くなりますので、絶対にワインは買うべきではありません。
販売店のワインセラーから出した途端に、10℃以上も温度が一気に上昇し、自宅に持ち帰るまでにワインの風味は急速に劣化してしまいます。
夏の通販でクール便を使う超無知な人も居ますが、それこそさらに「超論外」です。
トラックのクール便の冷蔵庫の中は0℃~5℃位なのです。ですからセラーから出されたワインは14℃から0℃~5℃位まで急激に冷やされ、それが家に到着して室温に戻した途端、またまた20~30℃以上も温度が一気に急上昇し、ワインの風味は「完全に破壊」されます。
しかも、何十時間にも及ぶトラックの「ひどい振動」がそこへ更に加わるのですから、これはもう、全くまともな味のワインの訳が絶対にないのです。
そんな超絶劣化ワインが美味しい事など、まさに太陽が「西」から昇る事と同じ位に、到底、永遠に、未来永劫、絶対に、間違いなく、断じて、神に誓って、一切、絶対に、「あり得ない」事なのです。

世の中の「自称ワインマニア」達は、そんな風味が完全に破壊されているワインを飲んで、「さすがに有名ワインは美味しい」と大得意になってネットに書き込み、「19XX年物は香りが複雑で最高」とか阿呆な自慢をしまくって悦に入っている訳です。
ワインの香りや味が全く判らず、販売店が捏造した欺瞞広告のイメージだけを鵜呑みにして語っている証拠です。
そのような人達がネットやブログにそんな超劣化ワインを絶賛する感想を大得意になって書き込んでいるのですから、これぞ最凶の情報テロ、まさしく戦々恐々、この世に「無知と無能の舌」ほど恐ろしい有害物はないということです。

本当に高貴な絶品ワインの本来の味を堪能したいなら、自分が欧米まで行って、移動も温度変化も一切生じない、そのワインの醸造所の「蔵の中」で飲む以外は、断じて絶対に有り得ないのです。
もし欧米まで行くのが無理であれば、せめてその醸造所や正規輸入代理店が日本国内で開催する「有料試飲会」に参加して飲む事です。
試飲会に持ち込まれるワインなら、その蔵から出荷されたばかりの可能性が高く、管理や素性も割としっかりしていますので、そのワインの本来の香味が状態良く残っている可能性が高くなります。

僕のワイン経験から言えば、醸造蔵の中で飲むワインの状態を「100点」とすれば、試飲会で出されるワインは「80~60点」程度、優良なワインバーやワイン専門店のワインは「40~20点」程度、デパートや酒店で買うワインは「30~10点」程度、そしてネット量販店から通販で購入するワインは「10~0点」の香味になっている事が「当たり前」でした。
特に高いワインになるほどその傾向が非常に顕著です。

ネット量販店の過剰広告や捏造解説文に煽られて、すっかり激マズになった品質劣化ワインをせっせとボッタクリ価格で通販購入して喜んでいる人をネットで見かけるたびに、世の中にはこんなにも「脳内はお花畑が満開」のオメデタイ人々が多いのかと暗澹となり、これでは超悪徳ワイン店から見れば大笑いが止まらず、世の中から永遠に悪徳欺瞞店が無くならないはずだと、何とも暗く沈鬱な気持ちにさせられてしまいます。


さて、珈琲の話に戻りますが、ちなみに、珈琲の自家焙煎など「まったく難しくありません」。
特に家庭で飲む程度の少量の焙煎でしたら一切経験不要、多少の料理の知識があり、適切な道具さえあればその日から即可能でしょう。
200g位までの珈琲豆の焙煎なら、コンロで「モチを上手に焼くこと」とほとんど違いなどありません。

僕も、気楽に始めた最初の一回目の焙煎から、いきなり想像以上に美味しい珈琲が出来て実に驚いたものです。
実際、「サンマを見事に焼くよりは遥かに簡単なこと」と言うのが僕の持論です。

よく自家焙煎店のHPなどを見ますと、自分のことを「焙煎士」とか名乗っていたり、焙煎することを「芸術」とかのたまっていたり、何十年も修行しないと絶対に無理な「プロの業」のような事を平然と書いていて驚きます。
まるで焙煎は非常に難しく、素人などには一生手が出せないかのような書き方をしています。

それは、単に高い付加価値があるように見せかけて、少しでも珈琲を高く売ろうとしているだけの、実にふざけた詭弁に過ぎません。
また、多くの消費者が珈琲焙煎が極めて簡単だと言う事に気づいてしまうと、自分の商売が成り立たなくなってしまうからです。

例えれば、その辺にいる素人の中学生を連れて来て、その道のプロの達人から3日間みっちりとレクチャーを受けたとします。
それが「フランス料理」なら、3日程度の修行ではその中学生は、到底まだ0~2点程度のフランス料理しか作れないでしょう。それが「和食」でも同じ事です。3日程度の修行ではおそらくまだ0~2点程度の日本料理しか作れないはずです。
しかし、もしそれが「珈琲」なら、3日程度の修行後、「焙煎機の操作を全く言われた通りにやるだけ」で、おそらく50~70点位の珈琲を焙煎出来るようになると思います。
珈琲の焙煎など「設備」さえ整っていれば「操作」の占める割合は実はその程度なのです。

そして、不思議な事に世の自家焙煎店の多くが平均20点程度の珈琲しか出して来ないのは、やるべきハンドピックの手間をすべて省略していたり、マンネリで温度管理がずさんになっていたり、長年の自己流で勘違いのダンパー操作になっていたり、焙煎機の掃除を面倒がってずっと汚い釜で焙煎していたりして、「中学生以下の操作になっている」店が大半であるという証明そのものです。

つまり、フランス料理や和食などのプロ達であれば素人とは一流企業社長と赤ん坊位の大きなキャリアや技術やセンスの差がありますが、「珈琲のプロ」と言うのは技術やキャリアではなく、多くの場合は「単に設備を持っているだけの人」の事に過ぎないのではないかと思うのです。
試しに100人の自称・珈琲マニアにその辺の自家焙煎店の珈琲を9軒分用意し、3日間修行しただけの素人中学生が業務用焙煎機で焙煎した珈琲を一つ加えて、ブラインドテスト形式で合計10杯飲ませてみれば、果たしてどれが中学生の珈琲か正確に判って当てられる人がいるとは全く思えません。
もし外れたら「罰金一千万円」と言う条件を付けた場合、答えられる人は間違いなく「皆無」だと思います。

現実に、珈琲店開業用のプロ向け焙煎教室などがあちこちで開かれていますが、そのほとんどはわずかに2~3日で終了する内容なのです。もしこれがフランス料理店や和食店の開業なら到底2~3日で終了はせず、最低でも2~3年の厳しい修行期間が必要なはずです。
つまり、プロの珈琲焙煎の技術など「2~3日でマスターできる」「たったその程度のレベルである」事の証拠でしょう。

このように、自家珈琲店はたった2~3日で「プロが誕生する」という異常に敷居の低い業界なのですから、店舗を構えていても焙煎の技能は「素人に毛が生えた」程度のプロが多いと言うことです。
さらに、実はその「店舗」でさえ、自宅の小さな物置を自分で改造しただけのみすぼらしいスペースであったり、空き地に建てたプレハブの狭苦しい掘っ立て小屋であったり、寂れた商店街の路地裏の家賃2~3万程度の古いボロテナントであったり…などなどの例が極めて多いのですから、驚き呆れて、まさに「何をかいわんや」と言うところでしょう。
現実に、僕はそういう類の店構えのお店で美味しい珈琲店に当たった例は、過去一度たりとも全くありません。まさに「確率ゼロ%」です。
要は、こと珈琲業界に関する限り、僕達は「プロ」と言う言葉の持つ御威光に安易に騙されてはならないと言うことです。
つまり、プロ珈琲店を選ぶに当たっては「尊敬すべき真のプロ」と「無視すべき自称プロ」とを、もっと明確に、より厳正に、一層精査して「峻別」して扱うべきだと言う事です。

現実に、世の中の自家焙煎店のほとんどが僕の感想では0点~70点未満の珈琲店ばかりですから、実質的に3日修行しただけの素人の焙煎と「歴然とした差」などほとんどないと言う事です。
いや、むしろ、素人の方が「採算」や「効率」を考えないで徹底して「味に特化」できる分、ある程度の経験を積んだり、もともとの素質があったりすれば、むしろずっと美味しい珈琲が出来たりする可能性も決して否定できません。
実際、あくまで僕の場合ですが、自宅焙煎で85点位までの味なら割と簡単に出せますし、十回に一回位は92点位の珈琲が出来たりもします。
ただし、これがもし96点とか、98点とかの珈琲になりますと、確かにいきなり急激に難しくなって来ます。
さらに、それを安定して出すとなりますと、これはもう素人の腕と自作焙煎機では極めて難しいです。

ですが、プロと言えども、そう言う「これほど素晴らしい美味を創出する事は自分では到底無理だ。真のプロにしか出せない奇跡レベルの美味だな」と思えるレベルのお店は、僕の過去の経験から言えば、100軒の自家焙煎店があったとしたら、わずかに1軒あるかないかと言う程度です。
そう言うお店は「豆の持ち味を全て動員して生かす」という足し算のレベルではなく、味と香りの相乗効果を利用した巧みな「掛け算」の領域に到達しており、豆の持ち味以上の想像を遥かに超えた美味しさに味を仕上げて来ます。

そう言う感動的なサプライズを体験させてくれる素晴らしいお店に出会うと、やはり、珈琲の焙煎は単なる「作業」ではなく、「料理」そのものであり、「調理」の世界そのものなのだなと確信させられます。

逆に、「なんと酷くまずい豆だろう。スーパーで売っている安豆の10倍はまずい」と思える店は100軒中に20軒はあると思います。
「そんな馬鹿な」と思う方がいるかも知れませんが、事実です。
なぜなら、儲けるために安い捨て値の最悪クズ豆を使い、ハンドピックの重労働と豆の目減りが嫌で、それらのクズ豆をそのまま焙煎して売っている店が100軒中に20軒はあると思うからです。
捨て値のクズ豆だらけの珈琲は、どんなに丁寧にドリップしても、味が濁りまくりカビ臭いです。
この手のまずい珈琲は、焙煎が下手と言う事もあるとは思いますが、原材料の「豆品質の劣悪さ」がその原因の大部分だと感じます。

そして大手珈琲企業であれば、その珈琲の品質や味について複数人のチーム組織で会議や研究を重ねて管理されますので、むしろあまり「おかしな物」に出会った事はないのですが、店主一人だけでやっている個人焙煎店は、珈琲の品質や味について誰とも相談せず、誰からもチェックされないため、ブレーキ役が不在で、利益になるならついつい「かなりおかしな物」でも売ってしまう事があるのではないかと思えるのです。

過去、僕が買った中で最もひどかった珈琲も個人焙煎店のものでしたが、ゴミ捨て場で何週間も雨に打たれた埃まみれの古新聞のようなひどい臭いがし、味はドロドロに汚なく濁った泥水をすするかのような想像を絶する最悪の味がしました。
すぐに飲むのを止めれば良かったのですが、逆に「いったい何がどうなればこれほど絶世の激不味珈琲になるのか?」と、その最悪原因を探りたい心理が起きたのが命取りでした。
わずかたった一杯飲んだだけなのに、5分後には当然のように胸が強くムカムカして酷い悪心になり、耐え難い吐き気と壮絶な肉体的ダメージに襲われ、丸一日寝込む事になってしまいました。
その後も数ヶ月にわたりひどい後遺症とトラウマに悩まされました。

もちろん「良い豆」を使っていてもまずい珈琲店もあります。ですが、その場合は「まずい」の方向性が全く異なります。
それらは、ヘタクソな熱風焙煎に特有の味も香りもスッカスカに抜けてしまった「残骸珈琲」だったり、ヘタクソな直火焙煎に特有の豆が焦げ臭くてエグ苦くて飲めない「炭化珈琲」だったり、ヘタクソな低温長時間焙煎に特有の味がボンヤリと寝ぼけまくった「寝呆珈琲」だったりと、原料の豆は全然悪くない感じなのですが、店主さんの味覚センスや技能程度の低さだったり、独りよがりの勘違い焙煎だったり、が原因のまずさです。
僕が自宅で焙煎に失敗した時より、さらに遥かにまずい味の珈琲豆も決して少なくありません。

こう言う「釜や焙煎方式の弱点」が悪い方へそのまま強調されて出てしまっているお店は、100軒中に30軒はあると思います。
こう言うお店は、焙煎度の異なる複数の銘柄を買ってみても、すべての焙煎度の豆でまったく同一の欠点があったりします。つまり「たまたま」ではなく、店の傾向としてすべてそう言う「同一の欠点を持つ味」になっているようなのです。
輝かしいキャリアのある経営者のお店や、ある地方で絶対的支持を受けている有名店であっても、そういうお店がかなりの確率で存在する事に驚かされます。

キャリアがあるはずの店主さんが自店の味の欠点に自分で気付いていないのが本当に不思議ですが、長年、お一人で焙煎を繰り返すうちに「はだかの王様」になってしまったのでしょうか。
周囲の客もなぜその大きな欠点に気付かないのかと思いますが、「有名店がまずいはずはない」とか、「味が判る振りをしなければ」とか、常連客も一般客も「味の判らない馬鹿」と思われてはいけないと、ただただ一斉に同じように味を誉め讃えているのでしょう。
アンデルセン童話のように正直な一人の子供が登場し、「ここの珈琲はまずい! この王様は裸だよ!」と、ぜひその街全体に響き渡るような大きな声で叫んであげて欲しいものです。

そういう珈琲店は、味はまずくても決して体調不良になったり寝込んだりにはならない事がせめてもの救いですが、はっきり言って「論外」、あまりにも「お粗末」、これでは当然に次回の購入はありません。
世間の評判とはかけ離れた味の、そのあまりの落差に驚くとともに、世評を信じて一度に高い豆をいろいろ買ってしまった出費が悔やまれてなりません。また、大量のまずい珈琲の処分にも本当に困ってしまいます。

実際、もし自家焙煎店100店の珈琲豆の中に、僕が自宅で焙煎した豆を混ぜて、100人の珈琲好きにブラインドテスト形式で飲んでもらったとしたら、アマチュアの僕が簡易な自作焙煎機で煎った珈琲は当然に「最下位」にならなければならないはずです。

ですが、現実には、おそらく上から5位以内には十分に入る強い予感がしてなりません。
また、僕がその意外な美味しさに驚いたスーパーマーケットで1g1円程度の安値で売られている大手の珈琲豆があるのですが、その大量生産激安珈琲も、おそらく10位以内には余裕で入る気がします。

つまり、いろいろなお店の珈琲を飲めば飲むほど、日本の多くの自家焙煎店のレベルはその程度であると、極めて悲観的に感じています。
さらに、本来であれば日本の珈琲文化を支えるはずのマニア側のレベルも実にお寒い限りです。

本当にあった話ですが、僕が大学生の時に最初にアルバイトで入った珈琲専門店には、ブレンド、ストレートともかなりの種類が揃えてありました。
そんなお店ですから、お客様もコーヒーの味にはうるさい方々が多かったのですが、中でももう何年も頻繁に通って来ていた二人の「自称珈琲マニア」がいました。
ある日、そのうちのお一人が「A」というブレンドを注文し、別のもうお一人は「B」というブレンドを注文しました。ですが先輩スタッフが他の客のオーダーと間違えて、その二人に全く別なブレンド「C」を出してしまったのです。
ところが、その自称珈琲マニアのお二人は、間違いに気付くどころか、「僕はこの店ではやっぱりこのAの華やかなアロマと酸味が好きだ」とか、「そう?僕はこのBの独特な深いコクが好きでAは物足りない」などと盛んに語り合っているのです。

僕は唖然としてしまいました。
このお二人、結局、何十回とお店に通って来ていても、珈琲の味などまったく判っていなかったのです。
実際、自称珈琲マニアのほとんどは、この程度のレベルの低さです。

何のことはない、店と客、「両者のレベルはとても低い位置でちょうど良く釣り合っている」のでしょう。
極めて低位置でも、現状で一応バランスしている以上、両者ともにわざわざ新しくは「進歩」も「向上」もしようとしない訳です。

こんな低レベルの人たちがブログや口コミサイトで、得意になって珈琲を語っているのですから、なんとも滑稽ですし、実に暗澹たる気持ちになってしまいます。
実際、珈琲関連のブログも、そのほとんどは味が一切判らないだけでなく、ブログなどのネタとして珈琲を単なるオモチャにしているとしか思えない人が多く、そんな低レベルの同類が集まって相互に賞賛し合うコメントを書込み合ったりして悦に入っているのですから、本当に難儀な事です。

余談ですが、その先輩スタッフは、なぜか無根拠にプライドばかりが高く常に偉そうにしていたのですが、恐ろしいほどに無能で他にも沢山の酷いミスがあり、お客様からも非常に評判が悪かったです。
常連のお客様の中には、注文時に、その先輩スタッフではなく、わざわざ僕が調理するように指名してオーダーをなさる方も少なくなかったです。
当然のことですが、その超無能の先輩スタッフは、ほどなくして「クビ」になりました。
常連のお客様も「やっと厄介者がいなくなった」と笑顔で安堵し、「これぞ社会正義の実現」とばかりに非常に喜んでいました。
「珈琲」の美味しさと同様に、「人間」の能力についても、もっと厳しく周囲から評価され、もっと正確に世の中でジャッジされ、その結果が待遇や給与や雇用に、もっともっとダイレクトに反映されるべきだという事なのでしょう。

ちなみに、僕から見て「この人はかなり味が判る」と思える珈琲好きの人を自宅へ招待して、僕の焙煎した珈琲を飲んでもらったりする事もあります。
すると皆さん一様に、一口目から明らかな驚きの表情とともに、「凄い!美味しい!」と大きな感嘆の声をあげてくれます。それが決してお世辞でない事は、ひどく驚いた表情と猛烈にキラキラと輝き出す目で判ります。
そして絶賛のお声をひとしきり頂いた後は、極めて真剣な表情になり、恐る恐ると言う感じで「お替りして良いですか」の声が続きます。
そのあまりに予想外の反響の大きさを見る限り、その人にとって、普段飲んでいる珈琲群とはあまりにも大きくレベルが異なる衝撃的な珈琲、初めて体験する未知の領域の珈琲だったのかも知れません。

しかし、僕は、僕の珈琲を気に入ってくれた嬉しさよりも、むしろ複雑な心境になってしまう事が少なくありません。
なぜならその同じサーバーから注いでその同じ珈琲を僕も同時に飲む訳ですが、それが僕にとってはせいぜい60点レベルの珈琲だったりするからです。
もちろんお客様のために全力で抽出を行っていますが、普段の倍近くの量を抽出する事になりますので、普段と粉の量や抽出量が大きく違ってしまうため、またドリップポットの鶴口の口径やネルフィルターの形状や容積なども最適化できないため、普段と抽出量が大きく変化すると、どうしても思ったような味に仕上がらない事が少なくないのです。
その自分が飲んで明らかに失敗してしまったと思える60点レベルの珈琲を、これだけ熱狂的に絶賛され、熱心にお替りまでされてしまうと、「この方は果たして、いったい普段は、どういうレベルの珈琲を飲んでいるのだろう」と思ってしまう訳です。

真に100点の超絶珈琲を経験している珈琲上級者から見れば、例えれば60点の珈琲などわざわざ飲むに値するものではありません。しかし普段20~30点までの珈琲しか知らない人にとっては、その失敗作の60点珈琲が目からウロコのこの世で最高ランクの100点の極上珈琲に思えるという、何とも恐ろしいパラドックスが存在するのです。

そして、その方が料理や美食に関して全くの無知蒙昧の人であれば、何とも思わないのですが、かなり美食に造詣の深い人である訳です。
そのかなり味にうるさい人でさえ「珈琲に関してはこの程度の認識と拙い経験値しかないのか」と思うと、非常に沈痛な、何ともやり場のない、実に暗澹とした悲しい気持ちになってしまうのです。
相当な美食経験を積んだ真に味が判る人でさえ、珈琲に関しては「その程度」なのですから、これが味が判らない人々になれば、「珈琲」について果たして一体どういう認識や経験値を持っているのか、全く想像すら出来ません。

しかも、僕の経験から言えば、恐ろしい事に「世の95%の人間」は、まさにそういう「味など全く判らない人々」なのです。
そういう95%の味の判らない人達が、飲んだ珈琲のレビューや評価や感想を大得意になってネットへ書き込む訳ですから、これはもう、世の中の口コミサイトや個人ブログやネット掲示板などの内容の95%以上が「錯覚、妄想、大嘘、出鱈目、勘違、虚栄、蒙昧、衆愚」などなどのエンドレス・オンパレードになっているのも、むしろ極めて必然の現象なのだと嘆かざるを得ないのかも知れません。


また、雑誌などで日本の珈琲名店の特集がされたりする事がありますが、僕が「最低最悪のまずさ」「大嘘だらけの欺瞞店」と思っている下等な「論外」店がズラリと掲載されていたりして、驚き、呆れ、怒り、天を仰いでしまう事が少なくありません。
果たして、何が、一体、どうなれば、そのような誤謬だらけの酷い掲載ラインナップになるのか、その猛烈な愚昧さに驚き、心底呆れてしまいます。むしろ、特集タイトルを「要注意!日本の劣悪欺瞞珈琲店大特集」などに変更すれば、内容とピタリと一致する気がしてしまいます。
要は一介の雑用記者などに珈琲の真の美味しさなど到底全く理解できないのでしょう。もともと理解する能力がないだけでなく、一回だけの一過性の特集のために珈琲の勉強などするはずもなく、そもそも理解する気さえ最初から全くないと思います。

実際、マスメディアも営利企業である以上、日本の珈琲文化に真の貢献をするとか、読者に真に有益な情報を提供するとかでは一切なく、単に「雑誌を多く売る」事だけが唯一の目的な訳ですから、そのために単に、興味を引くような名前の店や、変わった焙煎法を喧伝している店や、店主が個性的な店などなど、珈琲の美味しさとは一切関係なく「インパクトの強い店」「話題を持ち上げ易い店」「煽り甲斐のある店」だけを無責任に選んで載せているだけなのでしょう。
ですから、くれぐれも無責任で蒙昧な欺瞞雑誌が捏造した珈琲特集を真に受けたりせず、ましてや掲載店にのこのこ飲みに出かけて行って「飛んで火に入る夏の虫」にならないで欲しいものです。



結論として、「ネットやブログの書込や評価など架空のデタラメ情報の巣窟であり一切全く参考に値しない」、「試飲感想やレビューサイトはサクラやデコイが異様に満開の鬼門そのものである」、「マスメディアの腹黒番組や捏造記事など信用する方が大馬鹿だ」、「95%の人間は味など全く判らないが皆判っている振りをしたがりその超迷惑な習性がこの世に激甚な情報テロの集積を生んでいる」と言う事です。

ですので、初めてのお店で豆を購入する場合は、たとえどんなにネットの前評判が良い有名店であっても、また、たとえHPにどんなに美辞麗句や大言壮語が書かれていても、「自衛策」として絶対に一度にいろいろな豆を大量購入したりしない事です。
狡猾なお店は「5000円以上送料無料」とか「特選お薦めセット3000円」とか、さまざまな「鴨猟用の罠」をしかけて来ますが、そんな狡猾な術中にはまり泣く事の無いよう、初回購入はせいぜい二種類程度(200g程度)にしておく事が、くれぐれも「絶対の鉄則」です。


僕の経験では本当に美味しいお店に当たる確率は「1%」あるかないかです。
この「1%」と言う厳しい数字を常に頭の片隅に置いて慎重にお店選びをして欲しいものです。

いずれにしても、一般大衆がブログやクチコミサイトや掲示板上に錯覚レビューや大嘘評価などを無数に書き込んでしまい、それらがすっかり有害で危険な情報テロの集積地になってしまっている以上、日本一の珈琲店探しはインターネットでは「絶対不可能」と言う事になります。

では、いったい何を基準に、果たして何を手がかりに、日本一の珈琲店を探せば良いのでしょうか。
次回は、そのあたりの、美味しい珈琲の名店を高確率で探すための「奥義」について書いてみたいと思います。



 
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